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第75話


「では、寺戸さん。続いては事案発生時のことについてお訊きします。気が進まないこととは思いますが、それでも鑑別のためには必要なことなので、素直に答えてくださいね」

 寺戸が小さく首を縦に振る。寺戸が正直な態度を示してほしいと願いつつ、雫は丁寧な口調を心がけながら続けた。

「改めてですが、寺戸さんは一〇月の二四日に友人である松兼さんとともに、クラスメイトである野村さんに暴行を加えて、全治三週間の怪我を負わせた。これは間違いないですね?」

「……はい、そうです」

 俯きながらでもそう答えた寺戸に、雫はかすかにでも目を瞬かせる。

 入所時の面接では、寺戸は自分がやったことを否定していた。鑑別所に入所してから、心境の変化があったのだろうか。嘘をついても仕方がないということが、分かったのだろうか。

「そうですか。では、運動部の部室棟の裏という人目につかないところに野村さんを呼び出して、殴る蹴るといった暴行に松兼さんとともに及んだということでよろしいですね?」

「はい、そうです。確かに僕たちがやりました」

 寺戸は確かに認める態度を取り続けていて、嘘や聞き間違いでないことを雫にも知らせる。さらに掘り下げて訊いてみる。

「分かりました。では、寺戸さんたちはどうして野村さんに対し、そのような行為をしてしまったのでしょうか?」

「そ、それは野村くんに、ちょっとイライラするところがあったからです」

 少しつかえながらも、寺戸は雫の質問に応じてくれていた。会話をしようとする意思があることは、雫にとっても喜ばしい。寺戸が少しは、自分やこの場にも慣れつつあるのかもしれないと感じられる。

「なるほど。ちょっとイライラするところとは、どういうところですか?」

「それは全体的な雰囲気と言いますか……。何となくなんですけど嫌なんです。どこがどう嫌なのか、説明しろって言われたら難しいんですが……」

「何となく嫌」という理由で暴行を加えられたならば、やられた方はたまったものではないだろう。

 それでも、雫は寺戸を即座に否定することはしなかった。理由はどうであれ、まずは受容的に聴くことは、鑑別面接の基本の一つだった。

「そうですか。今回、寺戸さんは松兼さんとともに暴行に及んだわけですが、それはどちらからそうしようと言い出したのですか?」

「……すいません。どちらからとは正直覚えていないです。ただ会話の流れでそういうことになったんだと思います」

 寺戸たちの行動がその場の流れで左右されていたことに、雫は不快さをわずかにでも感じてしまう。いくら思考能力が発達途上にあるとはいえ、流れに流されて暴行に及んだことは、正直承服しかねる部分もある。

 でも、大人であっても場の流れが持つ力は大きい。わざわざ口にして咎める必要を、雫はそれほど感じなかった。自分がしてはいけないことをしたことは、認寺戸だって百も承知のことだろう。

「なるほど。今回寺戸さんたちが事案に至った理由は、大まかにですが分かりました。寺戸さん、話してくれてありがとうございます」

 雫がそうわずかにでも感謝の意を示すと、寺戸も小さくだが首を縦に振っていた。まだ目は合っていないけれど、顔は少しずつ上がってきている。

 表情もかすかに警戒の色が薄まっているように、雫には感じられた。

「では、寺戸さん。続いては、寺戸さんの家庭環境についてお訊きしますね」

 話題を切り替えた瞬間、寺戸がわずかにでも身体を強張らせたことが雫には分かった。少しずつ硬さが取れてきていた表情にも、再び警戒の色が蘇ったように見える。

 きっと進んで触れてほしいことではないのだろう。それでも適切な鑑別のためには、雫も時として一歩踏み込まなければならなかった。

「まず確認なのですが、寺戸さんは養子として、今の両親とともに暮らしていたということでよろしいんですよね?」

 初回面接で寺戸が嘘をついたことは雫にも分かっていた。寺戸の両親と寺戸の血が繋がっていることは、市役所にも確認済みだ。

 それでも、非行事実を認めたこの状況なら、それも嘘でしたと言ってくれるかもしれない。

 雫はそんな期待を抱きながら尋ねたのだが、寺戸は俯きかけたまま、ぼそっと呟くだけだった。

「はい、そうです」

 自分が嘘をついていることは、雫にも見透かされている。そのことが分からないほど、寺戸は鈍くないだろう。

 嘘だと知られていながら、それでも嘘をつき続ける。そこに事情を見出すなという方が、雫には無理な話だった。

 それでも、「どうして嘘をつくんですか?」とか「両親から虐待を受けているんですか?」とは、たとえ遠回しな表現だったとしても、雫には訊くことがためらわれる。

 だから、たとえ本人の罪悪感を増す結果になったとしても、雫は理解を示すほかない。

「では、単刀直入に訊きますが、寺戸さんは家でどんな生活を送っていましたか? たとえば、両親とどんなことを話していたですとか」

「それは、普通だったとしか言いようがないと言いますか……。両親とは僕の学校のこととか、二人の仕事のこととか、あとはテレビのことについて話したりしていました」

 寺戸の返答は内容が薄く、たった今思いついたことを話していることを、雫に感じさせる。「普通」という具体性に欠ける便利な言葉を使っていることも、その根拠となる。

 しかし、雫にはそう指摘することはやはりためらわれた。自分から注意するよりも、寺戸本人から「本当は違うんです」と言ってほしかった。

「そうですか。それは確かに『普通』ですね。では、寺戸さんの進路についてはどうでしたか? 寺戸さんは中学三年生で、進路について考える時期に差しかかっていますが」

「それも自分で考えて決めなさいと言われています。僕としては高校に行きたいんですけど、そう言ったら『瞬がそうしたいんなら、それでいいんじゃないか』と」

 放任だなと、雫は感じた。別に珍しい態度ではないが、その曖昧さに喉に小骨が引っかかった感じがする。

 言葉にはしなかったけれど、胸の中で寺戸を疑う気持ちは膨らんでしまっていっていた。

「なるほど。確かに寺戸さんに責任を持って考えさせるという面では、ご両親の態度も理に適っていると思います。寺戸さんの家庭はちゃんと会話もあるし、進学にも理解を示してくれるような家庭なんですね」

「はい、そうです。そうではない家庭も世の中にはあるなかで、普通の暮らしができていることは、僕にとってもありがたいと思っています」

 そう口にする寺戸の胸中はいかほどだろうと、雫は察する。正体のない「普通」をそれでも定義するならば、虐待が行われている可能性がある寺戸の家庭は、そこから少し外れてしまうことだろう。

 面接に応じる寺戸の表情は硬く、雫にはそれが何かしらの仮面を被っているように感じられた。本心を懸命に押さえ込んでいるのではないか、とも。

 それでも、雫は寺戸の本心を直接的な形で探ることはできない。警察の事情聴取とは違うのだ。

 回り道をしながら間接的に寺戸の本心を探ることしかできないことに、雫はもどかしさを感じる。そんななかでも面接時間は一秒一秒着実に過ぎてしまっていた。


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