結局二回目の鑑別面接でも寺戸は、両親と自分に確かな血の繋がりがあることを最後まで認めなかった。雫がそれとなく訊いてみても、首を縦には振ってくれなかった。
役所の方が間違っているとは考えられないから、雫としても本当はしたくないけれど、内心で疑いの目を向けざるを得ない。
もしかしたら寺戸は嘘を見抜かれているのを承知で、それでも嘘をつき続けているのかも知れず、雫はその背景にある家庭環境について予測を巡らす。ふと思い浮かんだのは、「寺戸には強情な面があって、それはもしかしたら愛着障害によるものかもしれない」という取手の言葉だった。
寺戸との面接及び個別の心理検査を終えた雫が自分の机に戻ると、入れ替わるように湯原は立ち上がって、職員室を出ていった。寺戸とともに非行に及んだ、松兼への二回目の鑑別面接を行うためだ。
湯原が面接を行っている間、雫は先ほど寺戸に実施した面接や心理検査の結果をまとめる。パソコンに寺戸が話した内容や心理検査の回答を打ちこんでいく。
職員室に自分だけしかいなくても、雫は以前ほどには心細さを感じなくなっていた。
一時間ほどパソコンに向かい続け、雫は昼食休憩の時間を迎える。コンビニエンスストアで買ったパンを食べながら、なんとなくスマートフォンでニュースを眺める。
すると、雫がパンを食べ終えたタイミングで、松兼への面接及び個別の心理検査を終えた湯原が戻ってきた。
席に着くやいなや湯原は浅くてもため息を吐いていて、その挙動を雫は気にしてしまう。
「湯原さん、どうしたんですか?」
「いやな、今松兼さんの面接をしてきたんだけど、それがなかなか酷かったんだよ」
いくら普段は口が悪い傾向にある湯原といえども、「酷い」という言葉は、雫も今まで聞いたことがなかった。「酷かったってどういうことですか?」と、思わず訊き返してしまう。
「それがな、反省の色があまり見られないんだよ。野村さんに怪我を負わせたことは認めてるけど、それは寺戸さんが主導してやったことで、自分はほとんど見てただけなんだと。もちろんその可能性もあるかもしれないけど、でもここに来てるからに、はもっと反省の色を見せてもいいのにな」
「そうですか。確かにそれはなかなか大変ですね」
「ああ。まあ共犯事案において、自分は悪くないって言う少年はたまにいるんだけどな。それが本当なのか。それとも単なる責任逃れなのか。それを探るのも、俺たちの仕事の一つだけど」
「そうですね。何が事実なのかをはっきりさせなければ、少年審判で適切な判断もくだせませんから」
「だろ? で、お前の方の寺戸さんはなんて言ってんだよ? 今回の事案について、どっちが悪いとかさ」
「話を聞く限り、寺戸さんは自分たち二人ともが悪いと思っている様子でした。野村さんへの行為も、二人で話しているうちにそうなったと。どちらか一方に責任があるとは、感じていないようでした」
「そうか。じゃあ、寺戸さんと松兼さんの話した内容は、少し食い違ってるってことになるな」
「そうですね。あまり考えたくないことですけど、もしかしたら松兼さんは、寺戸さんに罪を着せようとしてるんでしょうか」
「まあ、その可能性がないとは言い切れないな。それもこれからの面接や鑑別で探っていくしかねぇよ」
「はい」そう雫は返事をしたものの、内心ではかすかに不安を感じてしまう。寺戸と面接をする機会は、現状ではあと一回しか残されていない。
もちろん、別所が行う行動観察や関係者等との面会で、何か進展がある可能性もある。それでも、雫が直接寺戸と接する機会は残り少なくなってきているのは確かだ。
その限られた機会で、自分は今回の事案の全容を知ることができるだろうか。嘘のない寺戸の本音を、聞くことができるだろうか。
そう考えると、雫には少し心許なかった。
寺戸への二回目の鑑別面接を実施した翌日は、雫には休日となっていた。一日中雨が降り続いた昨日とは違い、外は朝から出かけるのにはもってこいの、秋晴れが広がっている。
朝の七時に目を覚ました雫は、グラノーラで朝食を摂りながら今日一日をどう過ごそうか考える。昨日は夜の一〇時には寝てしまっていたから、これといった予定を雫は立ててはいなかった。
ひとまずタブレット端末で配信されているドラマを見たり、読みかけの電子書籍を読み進めてみる。
でも、何をしていても、雫はいまいち集中できているとは言い難かった。頭には寺戸をはじめとした今担当している少年のことが、どうしても過ってしまう。
休日は休日で頭を切り替えて思う存分楽しむことは、雫にはなかなか難しかった。
それでも昼食を食べたり、好きなバンドの発売されたばかりの新譜を聴いていたりすると、時間は着実に過ぎていき、気がつけば空は少しずつ藍色を濃くしていっていた。
休みの日にやろうと思っていたことをあらかたやり終えて、雫には少し手持ち無沙汰な時間が訪れる。
雫は部屋着から着替えて、外に出た。自転車を漕いで駅前に向かう。まだ少し時間はあったが、夕食は外で食べようと思った。
雫が駅前に辿り着いたときには、空は暗くなっていたとはいえ、まだ午後の五時を過ぎたくらいだったから、夕食にはまだ少し早かった。
ちょうどいい頃合いになるまで時間を潰そうと、雫は長野駅からほど近いカラオケ店に入る。他に誰も一緒にいない一人カラオケだが、それでも雫はそのことに耐えられないほど寂しがり屋ではなかったし、店員も何回か来ている雫に対して、そつのない応対をしてくれる。今日日一人カラオケは、珍しくも何ともないのだろう。
雫はドリンクバーをセットで頼むと、少しも恥ずかしがることなく案内された部屋に向かった。
雫が案内された部屋は、通路の中ほどにあった。ドリンクバーでオレンジジュースを注いで部屋に入るやいなや、雫はすぐにタブレット端末を手に取って曲を入力する。どんな曲を歌おうかは、自転車を漕いでいる間にも雫は考えてきていた。
テレビ画面から流れてきた曲は、結成してもう三〇年以上も経つキャリアの長いバンドの曲だった。音楽をあまり聴かない人にも有名かと言われると、正直首を縦には振れないバンドの曲でも、一人カラオケなら何の躊躇もなく歌える。他の人も知っているだろう曲を優先的に選ばなくてもいいのは、一人カラオケの最大の利点だ。
歌い出した雫は、サビに入ると感情を込めて声を張り上げる。鑑別所での仕事にストレスを感じているわけではないが、それでも休日にたまに行く一人カラオケは、雫にはちょうどいい息抜きとなっていた。
それからも雫は一時間ほど、自分が好きなバンドの曲だけを休まずに立て続けに歌い続けた。雫は自分の歌を聴き苦しいほど下手だとは思っていなかったから、好きな曲ばかりを選んでいることもあって、歌い続けながら気分も乗ってくる。
そして、気づいたときにはコップのオレンジジュースは空になっていた。まだカラオケをし続けたかった雫は部屋を出て、受付の真横にあるドリンクバーへと向かっていく。
せっかくだから、二杯目は違うものが飲みたい。何にしようかと雫がしばし迷っていると、ドアが開いて店内に一人の男性が入ってきた。
その男性に、雫は一瞬目を留める。名前は思い出せないが、最近どこかで会った気がしてならなかった。
雫がコーラを注いでドリンクバーを離れようとした瞬間、受付を済ませた男性が声をかけてくる。「あの、以前お会いしましたよね?」と言われれば、雫も無視をするわけにはいかない。
「はい。確かにお会いしましたけど……」雫は、それ以上言葉を続けられなかった。名前を思い出せないことが失礼に思えた。
それは相手も同様だったようで、少し考え込むような素振りを見せている。でも、すぐに閃いたように口を開いていた。
「そうだ。山谷さんだ。あの僕、上辻です」