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第82話


「それではこれから、寺戸瞬さんの判定会議を始めたいと思います。皆さん、よろしくお願いします」

 那須川がそう口にして頭を下げると、雫と別所も「よろしくお願いします」と続く。

 第一会議室に流れる引き締まった空気は、雫には未だに慣れない。何度判定会議への出席を重ねても、その度に新鮮に緊張してしまう。

「では、まずは山谷さん。担当技官の立場から、寺戸さんに対して所見のほどをお願いします」

 そう名指されて、雫は「はい」と返事をしながら、背筋が伸びる。「それでは皆さん、手元の資料をご覧ください」と続ける。発表の際に立ち上がる必要がないことは、雫は既に心得ていた。

「まず確認しておきますと、寺戸さんは友人である松兼さんとともにクラスメイトである野村さんに暴行を加え、全治三週間の怪我を負わせた事案で、鑑別所に送致されてきました。ですが、寺戸さんには自分がしたことを真摯に受け止めて、反省している様子が見られます。それは、『野村さんに謝りたい』という言葉からも明らかです。また、心理検査ではその場しのぎの考え方をすることが多く、長期的な視野に立った思考が困難であるという結果が出ていますが、これも適切な養護や教育を受ければ、改善は可能だと私は考えます。しかし、率直に申し上げて今の寺戸さんの家庭環境では、それは望めません。診察では寺戸さんの身体にあざが見られ、また面接で本人も、父親からの暴行を受けていることを認めています。ですので、私はまずは両親のもとから寺戸さんを保護し、適切な養育環境に置くことを優先すべきだと考えます。よって私は、寺戸瞬さんを児童自立支援施設又は児童養護施設送致にすることが妥当であると考えています」

「私からは以上です」自らの所見の発表を終えると、雫にはほんのわずかだが肩の荷が下りた心地がした。もちろんまだ別所の意見が残っているが、それでも自分の意見を伝えられて、一仕事を終えた感覚がする。

 別所も頷き、那須川が「山谷さん、ありがとうございます」と言う。それだけで、雫は自分の意見が認められたように思えた。

「では、続いて別所さん。寺戸さんについて所見のほどをお願いします」

 那須川に水を向けられて、別所も「はい」と引き締まった返事をする。事前に配布されていた資料を見るように促され、雫も手に取る。

「では、述べさせていただきます」と前置きをした別所に、雫はひそかに息を呑んだ。

「まず結論から述べさせていただきますと、私も寺戸さんに対する処遇は、児童自立支援施設又は児童養護施設とするのがふさわしいと考えます。寺戸さんは鑑別所にやってきた当初は、食事のときに他の少年に話しかけるなどのルール違反を行っていましたが、それも山谷さんが言うように被虐待児ゆえの試し行動だと考えれば、理解できる部分はあります。一方で入所した当初はかなり警戒した様子を見せていましたが、それも愛着障害の傾向があったからだと、私は受け止めました。それでも、寺戸さんはここでの生活を送っているうちに、自分の行ったことに向き合う姿勢が見られましたし、それは日々の日記においても、反省する言葉が多く綴られていることからも明らかです。本人の反省が深まっていることもあり、非行の程度もそこまで進んでいないことを考えると、少年院送致などの保護処分が妥当だとは、私には考えられません。山谷さんの言う通り、家庭環境に問題があることを考えると、私も寺戸さんに対する処遇は児童自立支援施設又は児童養護施設送致がふさわしいのではないか。そう考える次第です」

「私からは以上です」別所がそう言葉を結んだ瞬間、雫はさらに胸をなでおろす。

 別所と自分の処遇意見が一致している。相違があったらまた話し合いを重ねなければならないと思っていた雫にとって、それは安心できる材料となっていた。

「別所さん、ありがとうございます。お二人とも処遇意見は、児童自立支援施設又は児童養護施設送致ということで一致していますね」

「はい。山谷さんが実施した面接で、寺戸さんが児童虐待を受けていることは明らかになりましたから。頻回に暴力に訴える父親から、誤った物事への対処方法を学習してしまったかもしれないことを考えると、寺戸さんには少年院送致といった保護処分よりも、児童自立支援施設又は児童養護施設送致が妥当かと。そうですよね? 山谷さん」

 別所が雫にそう尋ねてきたのは、宮辺のときを念頭に置いているからだろう。あのときは雫と別所の間で処遇意見は一致したものの、雫が「本当にこれでいいんでしょうか?」と疑問を呈していた。

 それでも、今の雫は胸を張って「はい、間違いありません」と答えられる。寺戸のことを最大限考えて出した結論だと、自負があった。

「私も、寺戸さんを児童自立支援施設又は児童養護施設送致に付すべきだと考える思いは変わりません。今の寺戸さんに何よりも必要なのは、虐待をする人間が周囲にいないという安心感です。福祉施設で適切な養護をすることで、寺戸さんの短絡的な傾向も改善されていくのではないでしょうか」

 雫はそう目を下げずに、しっかりと二人の顔を見て言うことができていた。寺戸の将来のためには何が最善か考え抜いた結果だから、後ろめたさは感じない。

 二人も鷹揚に頷いている。それは雫にとって、自分が適切なことを言っているという裏付けになっていた。

「お二人の意見は分かりました。私としても、お二人の言うことに異存はありません。では、寺戸さんへの処遇意見は児童自立支援施設又は児童養護施設送致とするということで、ここからは通知書に記載する細かい内容を詰めていきましょうか」

 二人を見てそう口にした那須川に、雫たちも頷いた。大筋の内容がまとまったことで、一つ一つの細かい記載事項も、それほど苦もなく決められるだろう。

 雫たちは那須川の進行のもと、通知書への記載事項について一つ一つ話し合っていく。その間も雫は緊張感を保ちつつ、それでも自信を持って自分の意見を言うことができていた。


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