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第106話


 テレビの中で、キャラクターたちが思い思いに動いている。相手を攻撃したり、反対に相手の攻撃を防御したり。四人のキャラクターが入り乱れて戦う様子は、文字通りの乱戦だ。

 そんな中、戸仲井奏都となかいかなとはコントローラーを操作して、そのキャラクター特有の必殺技を繰り出した。それは他のキャラクターに見事に命中し、攻撃を受けた相手はステージの外に吹き飛ばされる。

 そのキャラクターを操作していた林猛世はやしもうぜは軽く「クソッ」と言っていたけれど、奏都はあまり気にしない。相手を一体倒したことが、素直に嬉しかった。

 それでもまだ他にも相手はいて、奏都は引き続きキャラクターを操作して、その相手と戦った。四人が入り乱れてのバトルは続く。奏都はそれを心から楽しむことができていた。

 奏都たち四人が、奏都が住むマンションの一室に集まって、ゲームを始めたのは正午を少し回った頃だった。まだ冬休み中だったから、奏都たちは昼間からゲームに興じることができた。

 いくつかあるゲームから、奏都が選んだ四人で遊べる対戦型のゲームは、林をはじめとした奏都の友人たちにも大いにウケていた。勝ったり負けたりを繰り返しながら、奏都たちは時間が過ぎるのも忘れて遊ぶ。

 勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。そんなシンプルな原理が、奏都を夢中にさせていた。

 それでも、何時間も続けてゲームをやっていると、さすがに四人には飽きが来始めてしまう。午後の四時も過ぎて、少しずつ空が暗くなり始めるタイミングで、誰からともなく今日は解散しようという流れになる。

 そして、ゲームが一区切りついたタイミングで、林たちはソファから立ち上がって、奏都の部屋を後にし始めた。「また学校でね」と言って、三人は部屋を出ていく。

 三人を見送ってから、奏都も大きく息を吐いた。

 とはいえ、何時間も遊び続けた後にまたゲームをする気にはさすがになれず、奏都はゲーム機とテレビの電源を切った。何の気なしに、スマートフォンでSNSを眺める。

 すると、三人が帰って一〇分も経たないうちにインターフォンが鳴った。奏都は両親ともに会社勤めで、まだ帰ってくるような時間帯ではない。宅配便か何かだろうか。

 奏都は、玄関脇に備え付けられたモニターをチェックした。すると、そこにいたのは先ほど帰ったはずの林だった。「どうしたの?」と奏都が訊くと、「いや、ちょっと忘れ物しちゃってさ。中入っていいか?」と答えている。

 そういうことならと奏都はドアを開けて、林を中に引き入れた。林も「ああ、ありがとな」と言う。

 そして、二人はリビングに向かった。林はソファを中心に、リビングのあちこちを探し回っている。奏都が何を忘れたのか訊いても、「ああ、ちょっとな」としか答えない。

 言ってくれたら自分も探すことに協力するのにと思いながら、奏都がソファに座ったそのときだった。忘れ物を探すふりをしながら近づいてきた林が、おもむろに自らの顔を近づけてきたのだ。

 何が起こっているのか奏都が把握するよりも先に、林は奏都の口を自分の口で塞ぐ。自分の身に起こっていることを、奏都は瞬時に理解した。離れようと思っても、林は両手で奏都の顔を押さえつけていて、その力の強さに奏都はすぐに逃げられない。

 林が口に入れてきた舌と自らの舌が触れ合うと、奏都は「気持ち悪い」とはっきりと感じる。だけれど、林は舌を動かし続けていて、奏都に有無を言わせない。

 そのままどれほどの時間が経っただろうか。唇が触れ合っている時間は短くても、それが奏都には何倍にも長く感じられる。

 林がようやく口を離すと、奏都は「やめてよ」と拒否を示そうとする。でもそれよりも、林の両手が奏都をソファに押し倒す方が早かった。奏都の身体はソファに仰向けになって、その上に林が馬乗りする形になる。

 林は上体を倒して、もう一度奏都の顔に自らの顔を近づける。そこでようやく、奏都は声を出すことができた。

「ちょっと、林。何やってんの!?」

 持てる力をもって、目の前の相手を睨みつける。でも、それも林は意に介していないようだった。

「いいからいいから」

 何がいいんだ。そう思った矢先、奏都は再び林の口で自らの口を塞がれてしまう。林は奏都の身体に覆いかぶさるばかりか、奏都の両手を押さえつけていて、奏都は立ち上がることはできない。林の舌の動きは、激しさを増していく。

 間近に見える林の顔を直視したくなくて、奏都は思わず目を閉じた。瞼の裏で天井から自分たちを見つめているもう一つの目を、奏都は明確にイメージしていた。





 昼間は多少和らぐものの、朝晩は氷点下を下回るなど、相も変わらず厳しい寒さが続く。

 そんなある日、雫は目を覚ましたときから、はっきりとした緊張を抱えていた。それは鑑別所に出勤して、仕事を始めても止むことはない。パソコンに向かっていても、どこか身構えている自分を感じてしまう。

 理由は明白で、今日は新たに雫が法務技官を担当する少年が入所してくるからだ。もちろん、入所してくるのがどんな少年でも雫は未だに緊張してしまうのだが、でも今日はその度合いがいつにも増して大きいように思える。

 それは昨日、那須川からその少年が犯した非行について知らされたことが大きかった。それを聞いたとき、雫は少なからずショックを受けていたし、警察から送られてきた調書を読んでいても、言葉に詰まるような思いを感じてしまう。

 だからといって雫たちがその少年を特別扱いすることはなく、雫がすることも今までと大きくは変わらないのだが、それでも雫は自ずと警戒してしまう。少年に対してふさわしくない態度だとは分かっていても、まったくのフラットな状態でいることは、今の雫には少し難しかった。

 それでも、雫が目の前の業務に取り組んでいると、その時間はあっという間にやってきて、職員室にはインターフォンが鳴らされる。それは紛れもなく家庭裁判所の職員が少年を連れてきた合図で、雫は平賀とともに立ち上がって、玄関へと向かった。

 カードキーをかざして玄関を開けると、そこには男性の職員と、黒いアウターに身を包んだ少年が立っていた。調書に貼られていた写真から、雫にはその少年が今日入所する林猛世に違いないと分かる。

 身長は雫が小柄なこともあって見上げるほど高く、高校二年生の今の段階でも一八〇センチメートル近くあるように見える。体つきもわりあいがっしりとしていて、何か運動部に入っているようだ。切れ長の目に厚い唇。

 しかし、林がここにやってきた理由を思えば、雫にはその顔を直視することに若干ためらってしまう。もちろん、林から目を逸らすことはしなかったけれど、そう思うこと自体が法務技官として適切だとは言えなかった。

「林さん、はじめまして。今回、林さんの法務教官を担当します平賀です。よろしくお願いしますね」

 林を所内に引き入れ、家庭裁判所の職員が帰っていったところで、平賀は簡単な自己紹介をしていた。

 それでも、林は小さく頷くだけで、声に出して返事はしない。その頷きもしょうがなくといった様子で、雫には林が今どう思っているのかが、察せられるようだった。

「同じく、今回林さんの法務技官を担当します山谷です。面接や心理検査といった場面で、林さんとは接することになるので、期間は限られていますがよろしくお願いしますね」

 そう言いながら雫は、自分が緊張していることを改めて感じてしまう。林の自分を見る目さえも、訝しんでしまいそうだ。

 林は小さく首を振って、でも返事はしなかった。どうやら緊張しているわけではないらしい。

 簡単に挨拶を済ませた雫たちは、そのまま林を居室へと連れていった。三畳ほどの居室を目の当たりにした林は苦み走った表情をしていて、ここで過ごすことに気が進まないようだ。

 だけれど、雫たちは林の内心を聞き入れるわけにはいかない。林に床に畳まれている制服に着替えるように言い、雫たちはいったん居室の外に出る。

 そして、数分してから林から声がかけられ、雫たちは再びドアを開けた。雫たちは一番大きなサイズの制服を用意したのだが、それでも長身の林が着ると、心なしか少し窮屈そうだった。


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