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第107話


 私服やスマートフォンなどの私物を預かってから、雫たちは林に館内を案内した。食堂に図書室、運動場などといった施設を巡りながら、簡潔に説明をする。

 でも、その間も林は不服そうな雰囲気を漂わせていて、雫たちの説明を積極的に聞き入れようとはしていなかった。

 それは第一面接室に入って、一日の過ごし方や私語の禁止といったルールを説明したときも同様だ。林は雫たちの言葉などどこ吹く風といったように聞き流していて、それは良い態度だとは言えなかった。反省が深まっていないと見られれば、少年審判でも不利に働くというのに、林にはそういった考えはないのだろうか。

 それでも、雫はそれを口には出さない。ここでの生活や雫たちと接していくうちに、反省が深まっていくことも往々にしてある。

「では、林さん。以上で僕たちからの説明は終わりますが、反対に林さんの方から僕たちに何か訊いておきたいことはありますか?」

 入所時のオリエンテーションもそろそろ終わろうかというタイミングで、平賀はそう尋ねていた。どの少年にもしている恒例の質問だ。

 すると、林は椅子の背もたれから、少し背中を離す。そして、雫たちに値踏みするかのような視線を向けてから、口を開いた。

「なあ、俺ってどれくらいでここから出れんだよ?」

 雫が初めて聴いた林の声は、その態度から感じる印象以上にぶっきらぼうなものだった。今までの少年とは違うぞんざいな態度に、怯んでしまいそうになる。

 それでも、平賀はこういった少年にも慣れているのか、それまでと変わらぬ落ち着いた声で答えていた。

「それは、少年審判が終わるまでですね。おおよそ三週間から四週間ほどかかります」

「そんなにかよ。もっと早く出れねぇのかよ」

「ええ、僕たちが行う鑑別や家庭裁判所の調査官が実施する調査には、どうしてもそれくらいの期間がかかってしまうんです。でも、それも林さんに適した処遇を出すためですから。理解してください」

「そんなの知るかよ。もっと早く出れねぇのかよ。例えば戸仲井が俺との間に同意があったことを認めたら、もう俺がここにいる理由はなくなんだろ」

 林の態度には反省の色は見られなくて、雫は思わずむっとしていまいそうになる。

 今回林がしたことは、被害者の尊厳を踏みにじる重大な加害行為だ。それに対する反省や悔悟の念はないのだろうか。

 でも、被害者を呼び捨てにするあたり、林が今回の事態をどう受け止めているかは、雫にもおおよそ察しがついてしまう。この期に及んでも自分のことしか考えられていない様子に、法務技官としては筋違いな処罰感情さえ湧いてくるようだ。

「林さん。たとえその場合でも、林さんには少年審判が終わるまでここにいてもらいます。少年審判はこれからの林さんのために行われるものですから。そのこともどうかご理解いただきたいです」

 平賀は、引き続き落ち着いた様子で林に接していた。その方が林に対する態度として適切なのは分かっていたけれど、雫はすぐにはそういった気持ちにはなれない。口を開くと不快感を表明してしまいそうで、そのまま口を閉じ続けることを選ぶ。幸い林に説明する役目は、平賀が担ってくれている。

 林は平賀の言葉を受けて、一瞬雫たちから目を逸らす。でも、その表情が内心で舌打ちをしているかのように、雫には見えた。

「では、林さん。他にも何か訊いておきたいことはありますか?」

 そうフラットな態度で訊いた平賀にも、林は「ねぇよ」と短い反応を返していた。まるで吐き捨てるかのような様子に、雫は思わず目くじらを立てそうになってしまう。それでも、そんなことをしても明日からの面接に悪影響が出るだけなので、どうにか堪える。

「分かりました。では、次は医師による診察がありますので、また声がかかるまで居室でお待ちください」と平賀が言って、三人は第一面接室を後にする。

 居室に向かう間も林の後ろ姿には不満が滲んでいて、今回の鑑別も大変なものになりそうだという予感を雫は抱いた。





「それではこれから初回の面接を始めさせていただきます。林さん、よろしくお願いします」

 そう雫が呼びかけても、林は特にこれといった反応を返さなかった。背もたれによりかかっている様は、ふんぞり返ると表現してもいいのかもしれない。鑑別所に来るようなことをしたのだから、もっと事を重大に受け止めてもいいのにとも、雫は思ってしまう。

 鑑別所に入所した翌日、雫はさっそく林と最初の鑑別面接を行っていた。

「では、林さんも緊張していると思うので、まずは軽い話題から始めましょうか。林さんには何か趣味はありますか? 何をしているときが、一番楽しいと感じられますか?」

 背もたれによりかかっている姿から、林が緊張しているようには見えなかったけれど、それでも第一面接室の空気が固いことを感じていたから、雫はまずは簡単な雑談で少しでも空気を解してみようと試みる。人となりを知るのに、趣味の話題は適しているだろう。

 しかし、林はふんぞり返る姿勢を少しもやめなかった。雫に向けられる目も冷ややかだ。

「何だよ。それ答えたら何かなんのかよ」

 棘のある林の返答に、いくら仕事といえども、雫は少しひっかかるものを感じてしまう。それでも感情的になっていいことなど一つもない。

「そうですね。直接鑑別には関係ないのですが、少し林さんの人となりを知りたいなと思いまして。よかったら答えてくれませんか?」

「嫌だよ。その鑑別とやらには関係ねぇんだろ? じゃあ、答える必要なんてねぇじゃねぇか」

 重ねての質問も林は冷たくあしらっていて、雫は早くも暖簾に腕押しというような感覚を味わってしまう。反抗的な態度を取って、雫の心証が悪くなるとは思わないのだろうか。もちろん心証を直接処遇意見に反映させることはご法度だが、それでも無意識のうちに影響してくることは、正直なところないとは雫には言い切れない。

 これ以上林に、趣味のことを訊いても無駄だろう。まだ空気は少しも和らいではいなかったけれど、雫は本題に入るしかない。

 林にも本題に入ることを確認したけれど、それでも林は「勝手にしろよ」とでも言いたげな表情を見せていた。

「では、林さんが今回鑑別所に入所した理由について、その非行事実について今一度確認させていただきます」

 雫がそう言っても、林はやはり背もたれに背中をつけたまま頷くことはない。この場にまったく即していない林の態度にも、雫はめげずに調書の内容を思い出しながら言葉を続けた。

「林さんは一月六日、戸仲井奏都さんの家で数人の友人とゲームをして遊んでいた。友人たちが帰った後に、『忘れ物をした』と言って再び戸仲井さんの家に戻った林さんは、戸仲井さんと二人きりになると、無理やり口腔性交に及んだ。その後も嫌がる戸仲井さんをよそに無理やり衣服を脱がせると、そのまま性交に及んだ。このことは間違いありませんね?」

 事実を述べているだけでも、雫は少し胸糞悪く感じてしまう。唾棄したくなる事案だ。

 それでも、林は「違ぇよ」と短く吐き捨てるかのように答えていた。

「違うとはどういうことでしょうか?」

「俺はちゃんと『していいか?』って訊いたんだよ。で、戸仲井も『うん、いいよ』って答えた。俺たちの間には、ちゃんと同意があったんだよ。にもかかわらず逮捕されてこんなところに入れられて。ふざけんじゃねぇよ」

 林の口調には苛立ちがこもっていて、本当にそう思っていることが雫にも窺えた。

 それでも、雫にはその言葉を素直に呑み込むわけにはいかない。被害者である戸仲井の供述だって、雫のもとには届いてきているのだ。

「そうですか。私が把握している限りでは、戸仲井さんは嫌がっているところに、無理やりそういったことをされたと証言していますが」

「何だよ、それ。あいつから直接そう聞いたのかよ」

「いえ、そういうわけではありませんが、警察が作成した調書にはそう書かれていましたよ」

「だったら、あいつの方が嘘ついてんだろ。お互いちゃんと『いいよ』って、確認し合ったのによ。それが無理やりさせられたことになって、俺はこんなところに入れられて。たまったもんじゃねぇよ。もし俺のことが嫌いでも、これはいくらなんでもやりすぎだろ」

 反省の色を見せないどころか、被害者である戸仲井を「あいつ」呼ばわりするとは。あくまでも戸仲井のせいにしている林の態度に、雫は反感を抱いてしまう。

 どうやったら林に、自分がしたことの悪質さを分かってもらえるか。前途は多難そうだ。

「林さん。確かに戸仲井さんとの間に同意があったことも考えられますが、でももしそうではなかった場合はどうするんですか? もしそういった態度を取り続けるのなら、私はそれなりの処遇意見を、家庭裁判所に提出する通知書に書かなければならなくなりますが」

「何だよ、脅してんのかよ。『疑わしきは罰せず』じゃねぇのかよ」

 授業で習ったのか、林はこの国の司法の基本原理を知っているようだった。この国の司法は推定無罪という原理で動いていて、それは少年審判でも同様だ。確固たる証拠や、事件を認定するに足る事由がない限りは、刑罰や保護処分を下すことはできない。

「確かにそうですね。でも、何が事実なのかは、私たちや家庭裁判所の調査官の調査によって、必ず明らかにされていくんです。だから、もし林さんが事実に反した供述をしているのならば、今のうちに認めた方が林さんのためになるんですよ」

「やっぱり脅してんじゃねぇか。俺はやってねぇからな。いや、実際にはやったんだけど、それもあいつとの同意の上だったからな」

 林の態度は頑なで、雫はこれ以上この話題について質問しても意味がないという徒労感を抱く。このまま話していても、「やった」「やってない」の水掛け論が続くだけだろう。それは双方に益がないし、面接時間は林の集中力を考慮すると限られている。

 だから、雫は「分かりました」といったん頷いて、話題を林の交友関係や家庭環境のことに移した。警察が作成した調書を念頭に、質問を重ねていく。

 だけれど、林の態度は相変わらず冷たくて「それ、答えなきゃなんねぇのかよ」という思いが、言葉の節々から覗いていた。


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