林への初回の鑑別面接は、予定していたよりも一〇分ほど早く終わっていた。理由は明白で雫の質問の多くに、林はごく簡単な答えしか返さなかったからだ。「こんな面接したくない」という思いがありありと現れていて、雫としても調書に書かれている以上の情報は、ほとんど得られなかった。
もしかしたら、警察でも訊かれたようなことを訊かれて、林はうんざりしていたのかもしれない。
それでも、面接を受け入れないということは、自分はこうして面接を受けるほどのことをしていないと林が感じている証拠で、雫は心証を悪くしてしまう。
面接で思うような成果が得られなくても鑑別はするのだが、それでも判断材料となる情報が少ないと、それだけ鑑別の精度も下がってしまう。
だから、自身のためにも雫はできるだけ質問に答えてほしかったのだが、その思いは最後まで林には届かなかった。
それでも面接を早めに切り上げたとしても、雫はまだ林を居室に戻すわけにはいかなかった。人格検査や知能検査、発達検査といった心理検査を受ける必要があったからだ。
林も最初は「こんなのやんなきゃなんねぇのかよ」といった風に難色を示していたけれど、それでもさすがに雫も甘やかすわけにはいかない。
鑑別所に入所している全員が受けている検査だから、林も例外ではないということを少しの厳しさを持って伝えると、
林もどうにか受け入れて、心理検査を受けてくれていた。適当な答えを選ばないかどうか、雫は受検している林を見守る。幸いなことに、林は全ての検査に適切に取り組んでいた。
思うような成果が得られなかった面接と、辛うじてまともに答えてくれた心理検査の結果を、職員室に戻ってきた雫はパソコンに向かってまとめる。専用のファイルに、面接や心理検査の結果を打ちこんでいく。
そして、二時間ほどして結果をまとめ終わった雫は、那須川に声をかけられて第一会議室へと向かった。自分と那須川の他には平賀や取手も出席しているなかで、雫は腰を下ろす。
そして、那須川が「よろしくお願いします」と挨拶をすると、雫たちもそれに続いて軽く頭を下げた。林への鑑別方針を設定する会議は、雫が林に対して初回面接と心理検査を行った、その日のうちに開かれていた。
那須川に促されて、まず雫から現時点での報告が始まる。
雫は座ったまま、面接で林が反抗的な態度を取っていたこと、非行事実を認めておらず反省している様子が見られないこと、さらに心理検査の結果、他責思考と短絡的な傾向が見られたことを報告する。正直、林に対する心証は悪かったのだが、それでもなるべく客観的な事実に基づいた報告を心がけた。
平賀たちも小さく頷きながら雫の報告を聞いていて、三人も林に対しては似たような印象を抱いていることが、雫には察せられるようだった。
続いて平賀や取手が、現時点の林に対する報告をする。
平賀が林は鑑別所に入所したことを不服に思っていて、時折挑戦的な態度が垣間見えることを、取手がそれでも身体的な異常は見られないことをそれぞれ話して、雫たちと現時点での所見を共有する。
そして、那須川も交えた四人で会議をした結果、まずは林と被害者である戸仲井の供述の相違について、家裁調査官や付添人とも連絡を密にして事実を確定すること。それと並行して自己中心的な考え方をして、他人の気持ちにまで思いが至らない林の性格傾向を少しでも矯正できるよう働きかけることが、鑑別方針として決まる。
林と接する上での指針が示されて、雫としても次に面接をするときは、より大きな注意を払って臨まなければならないと思えた。
それでも、雫が次に林と面接をするのはまた四日ほど後のことだったから、それまで林への対応や行動観察は、担当教官である平賀に任せるしかなかった。
その間も他の担当している少年との面接を行ったり、デスクワークに取り組むなど、雫の仕事は途切れない。
目の前の業務に懸命に当たっていると、林が入所してから早くも三日が過ぎた。その日、雫はある一人の人物を鑑別所に迎える。グレーのスーツに身を包んでいたのは、今回林を担当する家裁調査官、毛利真綾だった。
軽く言葉を交わして真綾を第二面接室に案内すると、雫はその足で居室に林を呼びにいく。真綾がこの時間帯に面談をしに来ることは、林にも昨日の時点で伝わっていたのだが、それでも林の腰はなかなかに重かった。言葉にはしていないが、表情から「面倒くさい」と思っていることが察せられて、雫はまた少し反感を抱いてしまう。
でも、それを胸のうちに押し込めて、「この面談は、林自身のために行うものだ」ということを伝えると、林もようやくだが立ち上がって、応じる態度を見せてくれていた。
雫は林を第二面接室に連れていき、真綾と引き合わせると、真綾に「よろしくお願いします」と告げて、自らは職員室に戻っていった。家裁調査官には、鑑別所でも少年と二人きりで面談する権利が認められているのだ。
だから、雫は「面談が終わった」と真綾から連絡が入ってくるまで、デスクワークを行いながら待つしかない。
でも、他の業務に取り組んでいる間も、雫は真綾と林の内容が気になって、目の前の業務に完全に集中することはできなかった。
真綾から「面談が終わった」と内線が入ったのは、二人の面談が始まって一時間ほどが経ったころだった。第二面接室に向かった雫は、いったん林を居室に戻してから、再び真綾のもとを訪れる。
面談を終えた真綾の表情はどこかすっきりしていなくて、雫は余計に面談の内容が気になった。
「真綾さん、どうでしたか? 林さんとの面談は?」
「うーん、こんなことあまり言いたくないんだけど、なかなか難しいね」
真綾の返事は、思いのほか辛辣だった。でも、それは雫が初回の面接で林に抱いた印象と大差なく、林が真綾に対しても不満げに話していたことが雫には分かった。
「そうですか。難しいって、具体的にはどんなことですか?」
「まあ、端的に言うと非行事実を認めてないってことだね。いや、性交をしたこと自体は認めてるんだけど、でもそれも同意の上でのことだって主張を、最後まで曲げてなかった」
「そうですか。私のときもそういった感じでした。念のため訊きますけど、被害者である戸仲井さんは、同意もなしに無理やりされたって供述してるんですよね?」
「そうだね。そう私も、警察や付添人である
「そうですね」と相槌を打ちながら、雫はどうしても林を疑ってしまう。
戸仲井が事実と違うことを言っている可能性もないわけではないが、そう考えることは法務技官としてというより一個人として気が引けた。
「そうだね。でも、こういう場合に何が本当なのかをはっきりさせるのも、私の仕事の一つだから。引き続き、色々と調べてくよ」
「はい。私も林さんに適した鑑別ができるよう努力します」
「うん。あと、これは志布屋さんから聞いたことで、雫たちにも共有しておこうと思うんだけどさ」
「何ですか?」
「今回、被害にあったとされる戸仲井さんなんだけど、そのことがあってから、学校に行けてないみたいなんだよね」
真綾が口にした内容に、雫は驚いて一瞬言葉を失くしてしまう。「えっ」という反応以外は、何も口をつかなかった。
「志布屋さんが戸仲井さんのご両親と話す場を設けて、そこで聞いたんだって。学校はおろか、外にも出れていないみたいで。林さんにそういうことをされたのが、本当にショックだったみたい」
「じゃあそれって、林さんが事実とは異なることを言ってるってことじゃないですか」
「雫、まだそうだと完全に決まったわけじゃないよ。もちろん私もこれから調査を進めていくけど、でもまだこうだって断定はできないんだから」
それは、雫にも分かっているつもりだった。
でも、戸仲井の現状を知った今、雫の中の天秤はより林を疑う方に傾いてしまう。林が性加害をしたと決めつけそうになってしまう。まだ確証が得られたわけではないのに。
「ねぇ、雫。もしかして今、林さんに対して怒ってない?」
「それは……」以降の言葉が雫には続かなかった。真綾が言う通りの部分も雫には確かにあったからだ。
「こんなこと言うまでもないと思うけど、林さんに対して抱いてる処罰感情のままに鑑別を行ったらダメだからね。そういった感情を抱くなとは言わない。でも、その感情のままに鑑別をしてしまったら、それは雫の仕事の意味がないから。そんなのネットで、よく知りもしないのに叩いてる人と何も変わらないよ。専門的な知識を持って、あくまでも冷静に鑑別を行う。それが雫の仕事でしょ?」
真綾の冷静な指摘に、雫は自分が感情的になりつつあることを改めて自覚した。
自分は大学で学んで、さらに三ヶ月間の集合研修も受けた、れっきとした法務技官なのだ。処罰感情に目を曇らせてはいけない。
「そうですね。処罰感情のままに動いたら、私や真綾さんがいる意味がないですもんね。ありがとうございます、真綾さん。おかげで正当な態度で、林さんの鑑別に当たれそうです」
「うん。お互い頑張ろうね。林さんに適切な処遇が下るように」
雫は、歯切れの良い返事をする。林がこの先どんな人生を歩むのかは、少年審判で下される処遇にかかっていると言っても、過言ではない。
そのためには、まず自分たちが全力で各々の業務を全うしなければならない。
雫は気を引き締め直す。適切な鑑別結果通知書を書くためには、どの業務も一つとして疎かにできなかった。