それからも林の学校での過ごし方や、その性格を象徴するエピソードなどを上條たちから聞いた雫は、一時間ほどの面談を終えて、再び鑑別所に向かって車を走らせていた。鑑別所に戻ると、雫はさっそく平賀に話しかけて、上條たちとの面談で得られた情報を共有する。
平賀も何度も頷いて、雫が口にした内容をしかと把握したようだ。今回の面談をこれからの鑑別に役立てなければならないという思いは、明確な言葉にせずとも二人ともが共有していた。
それからはデスクワークに従事して、その日の仕事を終えた雫は夜の七時を過ぎた頃に宿舎に戻っていた。簡単な夕食を作って食べてからは、本を読んだり音楽を聴いたり穏やかな時間を過ごす。
すると、本を読んでいる最中にスマートフォンが振動した。雫がスマートフォンを手に取ると、待ち受け画面には短いメッセージが浮かんでいた。
〝ご無沙汰してます。雫さん、今どうしてますか?〟
そのラインは、東京にいる橘田好乃葉からのものだった。雫としてはやり取りをするのも、去年の夏に橘田が長野にやってきて以来だから、随分と間が空いたように感じられる。年始の挨拶さえ交わさなかったのに、どうしたのだろう。
気になった雫は、簡単な返信を打ち込む。
〝今は仕事も終わって、宿舎に戻って本を読んでたよ。好乃葉ちゃんこそ、今どうしてるの?〟
〝私は今はテレビを見てます。ちょうど去年流行った映画がやってるので。でも、あまり面白くなくて、こうやってラインしてる感じです。雫さん、最近どうですか? 仕事の方は順調ですか?〟
〝まあ、順調って表現は違うけど、それでも何とかはやれてるよ。好乃葉ちゃんはどうなの? 仕事はうまくいってる?〟
〝私もまあまあって感じですかね。それよりも今は三月に簿記の試験があるので、そこに向けて勉強をしてる真っ最中です〟
〝そう。頑張ってね。私も好乃葉ちゃんが合格するように願ってるから〟
〝ありがとうございます。引き続き頑張ります〟という橘田の返信を目にしながら、雫は内心で少し訝しんでしまう。橘田が単純な思いつきで自分にラインを送ってきたのではないことは、薄々勘づいていた。いったい本題は何だろう。
そんな雫の思いが画面を通して伝わったのか、橘田は〝あの、雫さん。一つお伝えしたいことがあるんですけど、いいですか?〟とラインを送ってくる。雫も間髪入れずに〝いいよ。どうしたの?〟と返した。
〝今日、久しぶりに加賀美さんから連絡が来たんですけど〟
橘田が切り出した話題に、雫は意識を惹きつけられる。加賀美はかつて橘田を受け持っていた保護司で、でも今は橘田が二〇歳を迎えたから、何も関係はないはずだ。何の用件だったのだろう。
〝そうなんだ。珍しいね〟と返信を打ちながらも、雫は気にならずにはいられない。
〝はい。加賀美さんが言うところでは、どうやら世良君が少年院を仮退院したみたいなんです〟
橘田が送ってきた内容に、雫はわずかに驚いてしまう。
〝そうなの? よかったじゃない〟
〝はい。私もこれから世良君に連絡してみるところなんですけど、よかったら雫さん、三人でまた会いませんか?〟
そのラインは橘田が世良のことを持ち出したときに、雫にも想像できたことだった。
とはいえ、雫にも少しためらってしまう部分はある。世良が起こした行動は人づてに聞いただけだが、まだ雫の中で印象に残っていたからだ。
だけれど、それも少年院で矯正教育を受けたことで、改善に向かっていることだろう。何よりかつてBBSで交流を持った世良が今どうしているのかは、雫にも気になるところだった。
〝うん、いいよ。好乃葉ちゃん、一一日は祝日だから休みだよね?〟
〝はい、そうですけど〟
〝私もちょうどその日は休みの予定なんだ。だから、会うことは可能だよ〟
〝本当ですか!? ありがとうございます!〟そう返信を送ってきた橘田の喜んでいる顔が、雫には目に見えるようだった。きっと自分が東京まで行くことになるのだろうが、それもそこまでの負担には感じない。世良と再び会うことは、雫にとっても少し懐かしく感じられることだった。
〝じゃあ、私の方から世良君には連絡しておきます〟と、橘田が立て続けにラインを送ってくる。〝うん、よろしくね〟と答えながら、雫は期待と少しの緊張を感じる。
少年院で矯正教育を受けて、世良がどのように変わったか。それは会ってみなければ分からないことだった。
「それではこれから今回の面接を始めます。林さん、よろしくお願いします」
雫が林が在籍している高校を訪れて、話を聞いた二日後。雫は第一面接室で、再び林と向かい合っていた。
丁寧に話しかける雫にも、林は相変わらず背もたれに背中をつけて、返事もろくにしなかった。横柄にさえ見えるその態度に、雫も心にひっかかるものを感じずにはいられない。
それでも、雫は目くじらを立てることなく、面接を切り出していた。
「いかがですか? 林さん。ここにやってきてから明日で一週間になりますけど、ここでの生活には慣れてきましたか?」
雫がそう尋ねると、林は小さく鼻で笑ってみせていた。そのリアクションに、林の考えが少しも変わっていないことを、雫は早くも察してしまう。
「そんなもん、慣れるわけねぇだろ。朝は早いし、夜も九時には電気が落とされちまう。飯も味が薄いし、何よりやることがねぇよ。スマホも見れねぇし、暇すぎて本を読むくらいしかやることがねぇ。本当、こんなとこ早く出ていきてぇよ」
林の返事には飾り立てるところが一つもなくて、あまりの素直さに、もっと自分に良く思われたいという思いはないのだろうかと、雫は感じてしまう。
あけすけな言葉は、間違いなく林の本音だろう。それはいい内容ではまったくなかったが、それでも雫は少し前進した感覚を抱く。
初回の面接では雫が冒頭に持ちかけた雑談に、林はまともに乗ってくれなかった。それと比べれば、曲がりなりにも会話ができている今は、一つ進歩したと言えるだろう。
「そうですか。林さんがそう思うのも理解できなくはないですが、でも最初に言った通り、少年審判が終わるまでは林さんにはここにいてもらわなければならないので、少しでも慣れてくれるとありがたいのですが」
「はぁ? 嫌だよ。こんなところにずっといたら、俺はどうにかなっちまうよ。とっとと出してくれよ。早くその少年審判とやらを終わらせてさ」
そう言う林から、鑑別所にいることが腹に据えかねていることを雫は察する。
実は、少年審判が行われる期日はもう決まっている。でも、それはまだ二週間も先の話だ。
そして、その期日を雫たちはまだ林に伝えていない。この段階で伝えたら、林の反省の妨げになるかもしれないと判断してのことだ。
だから、雫は「すいません。その要望にはお応えできないんですよ」と答えるしかない。
林は眉間に皺を寄せて不快感を隠そうともしていなかったけれど、だからといって雫が毅然とした態度を崩すわけにはいかなかった。