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第112話


 林との二回目の鑑別面接は、また一時間もしないうちに終わっていた。

 初回面接と同じように、雫がいくつか質問をしても、林は言葉少なに答えるだけで、それが何をどう答えればいいか分からないという思いから来る態度ではないことは、雫にも察せられた。答えたくないとはっきり拒否を示すのではなく、ただ答えるのが面倒くさいと思っているであろうことも同様だ。

 それはここにおいてふさわしい態度だとはまったく言えず、反省が深まっていないと雫はネガティブに捉えてしまう。鑑別結果通知書に記載する処遇意見にも、影響が出ないとは言い切れない。

 だから、少年審判が行われる日までに林が考えを変えてくれることを、雫は望まずにはいられなかった。自分が林と接する機会は、数日後に予定されている次回の鑑別面接をはじめとして数えられるほどしかなかったが、それでも平賀たちの力も借りて、林に自分がしたことと向き合わせなければと、面接を終えて改めて痛感した。

 林に対して二回目の鑑別面接を行った翌日は、日曜日だった。世間的には休日だが、鑑別所は三六五日休みがなく、出勤日だから雫も休まず業務に取り組む。

 少年相談として担当している少年やその保護者と面談をしたり、デスクワークを行ったり。あと二日出勤すれば、休日が待っている。雫はそのこともモチベーションにしながら、仕事に向かった。

 日付が変わって月曜日。雫はこの日も定時通りに鑑別所に出勤する。

 全体朝礼を行い、資料の整理などといった業務に取り組んでいると、午前一一時を迎える直前になって、職員室にはチャイムが鳴った。予定時間ギリギリのことに、誰が来たのかは雫にもすぐに分かる。

 職員室を出て、カードキーを使って玄関を開けると、そこには一組の男女が立っていた。男性は切れ長の目が精悍さを感じさせ、女性は後ろで束ねた伸ばした髪が、一目見ただけでそのきめ細かさが分かる。二人ともまだ三〇代だというのは、警察の調書を読んで雫にも分かっていたが、いざ目の前にすると二人とも実年齢よりはいくらか若く見える。

「今日はよろしくお願いします」と挨拶をして、雫は林の父親である一義かずよしと母親である友美ともみを第一面接室に案内した。二人とも初めて訪れる少年鑑別所に、表情はどこか固かった。

 二人を第一面接室に案内して、少し待つように伝えた雫は、林がいる居室へと向かっていく。

 ノックをしてからドアを開けると、林は座って待っていて、その傍らには図書室にある小説が背表紙を上にした状態で置かれていた。今の今まで本を読んでいたことを察しながら、雫は林に「ご両親がいらしたので、面会に行きましょう」と声をかける。

 立ち上がった林は嫌な顔はしていなくて、雫も面接で親子関係や家庭環境には問題がないと、林が言っていたことを改めて認識する。

 もちろん林が事実とは異なることを言っている可能性もあったが、少なくとも雫の目には、第一面接室に向かう林の足取りにはためらいがないように見えた。

 雫が林を連れて第一面接室に戻ると、一義たちはふっと表情を緩めた。久しぶりに林の姿を見られて安堵しているのだろう。

 それはここにいる林への態度としては少しふさわしくない気も雫にはしたけれど、それでも二人が林のことを心配していたことは想像に難くないので、雫はそこまで深く気にしなかった。

 林たちを机の長辺に向かい合って座らせ、雫は三人の表情が見えるように、その間の短辺に腰を下ろす。

 林の横顔からは今まで雫に向けていた不服そうな態度は見て取れなくて、両親との再会に安心しているようだった。

「面会時間は一五分です。それでは始めてください」

 腕時計にちらりと目を落としてから、雫は三人に向かって告げた。

 すると、まず一義が待ちきれなかったというように声をかける。

「猛世、元気だったか? ごめんな。なかなか仕事の都合がつかなくて。もっと早く来れればよかったのにな」

 真っ先にそう切り出した一義は、林のことが心配で仕方がなかったらしい。それは少し前のめりになっている姿勢からも、雫には見て取れた。

「いいよ、そんなに謝らなくて。父さんたちが忙しいのは俺だって分かってるつもりだから」

「そう? 体調とか崩してない? 鑑別所での生活って色々厳しいんでしょ?」

「大丈夫だよ。そりゃ確かに色々と守らなきゃいけないルールはあるけど、それでもどうにかやれてるから。ただ、暇な時間が多くて、本を読む以外に特にすることがないのはちょっときついけど」

 自らを気遣ってくる友美にも、林は優しい表情で応じていて、それは面接の時の態度を思えば、雫には別人にさえ思えてしまうほどだった。雰囲気も心なしか柔らかく、雫に見せる反抗的な態度とは大違いだ。これが林の本来の姿なのだろうか。

 室内の空気も緊張感はありつつもどこか穏やかで、雫には親子関係は良好だという林の弁が本当だと感じられるようだった。

 それでも、それは少し世間話をした後に一義が口にした「じゃあ、猛世。改めて今回のことについて訊いていいか?」という言葉に、一気に引き締まる。三人の表情からは笑みが消えて、雫も息を呑むようだ。

「まず、今回お前が戸仲井さんとそういうことをしたのは、事実なんだな?」

 一義の口調が厳しさを帯びる。

 直接的な訊き方に、もっと別の訊き方はないのかと雫が思う一方で、林は小さく首を縦に振っていた。やはり行為自体は認めるらしい。

「それは、ちゃんと戸仲井さんの同意を得てからしたんだよな?」

 一義の目は鋭くなって、今回のことを問題視していることが雫には伝わってくる。もちろんそうでないと困るのだが、一義たちが一般的な良識を持ち合わせていることに、雫は少し腑に落ちる思いがした。

 一義たちの視線に、林はわずかに目を逸らしている。それは後ろめたいことがあると、雫に感じさせるには十分だった。

「そうだよ。俺はちゃんと戸仲井さんに『していい?』って訊いたんだ。そしたら、向こうも『いいよ』って言ってくれたんだよ」

 両親を前にしても、林の主張は変わらなかった。雫は両親と顔を合わせることで、林が後ろめたく感じて本当のことを言ってくれると少し期待していた。でもここで「違う」と言ってしまえば、怒られるのは目に見えているだろう。

 林の目はかすかに泳いでいて、それは雫との面接では見られなかった反応だった。

「そうか。なら、いいんだ」

 一義が口にした言葉が思いもよらなくて、雫は一瞬目を見開きそうになってしまう。息子が不同意性交等罪を犯した可能性があるのだから、もっと厳しい態度をとってもいいのではないか。

 それでも、一義たちはふっと目元を緩めていて、林が言っていることを心から信じているかのようだ。林の表情にも、かすかな驚きが隠せていない。

「猛世。確かに同意を得ないまま、そういうことをしたら犯罪だぞ。でも、相手との同意を得たのなら、俺たちはお前がそういうことをしても構わないと思ってるから。もとよりお前は高校生なんだし、そういうことがしたくなる年頃なのは、俺たちも分かってるからな。思えば、俺もお前くらいの年頃のときはそうだったよ」

「そうだよ、猛世。そういうことをしたくなる。その欲求自体は、悪いことでも何でもないんだからね。むしろ猛世くらいの年齢で、それがない人の方が珍しいと思うし。大事なのは、ちゃんと相手の同意を得ていること。お母さんとお父さんみたいにね」

 二人がかけた言葉に、雫は内心で半ば唖然としてしまう。

 確かに性欲は多くの人にあるものだ。でも、一般的には恥ずかしいことと捉えられ、開かれた場ではなかなか話されないのではないか。それが親子間で、しかも間に雫がいる今の状況ならなおさらだ。

 林たちは、家でも性に関連した話を、特に意識せずにしていたのだろうか。もしそうだとしたら、自分とは少し感覚が違うと、雫は思わざるを得ない。雫は自分の性の話を母親にするときにも、小さくない思いきりが必要だったというのに。

 林家は性に関して奔放なようで、もしかしたらそれが今回の事案に影響を与えたのかもしれないと、雫は心の中で訝しんでしまう。

「そうだよね。同意があったのなら、そういうことをしても何も問題はないよね」

「ああ。俺たちも付添人とやり取りをして、そういった方向で少年審判が進められないか、今頼んでいるところだから。猛世、あともうちょっとの辛抱だぞ」

 そう言った一義に、林は小さく頷いていたけれど、雫は耳を疑うようだった。

 自分の子供が同意のない性交をしたとは、親としては認めたくない気持ちはあるだろう。だけれど、被害を受けたとされる戸仲井のことは一義たちには伝わっていないのだろうか。

 だとしたら、林の付添人である志布屋が自分の仕事を十分に果たしていないと、雫は思ってしまう。いや、戸仲井のことも志布屋は一義たちに伝えていて、それを知ったうえで、一義たちは林には非がないと振る舞っているのだろうか。

 もしそうだとしたら、我が子可愛さがいき過ぎて悪質な域に入っているとさえ、雫は感じられてしまう。悪いことは悪いとはっきり諭すのも、親の役目ではないだろうか。

 それでも、一義たちの表情には林を叱ったりたしなめようとする意図は見られない。被害(を受けたとされる)者から目を逸らして、自分たちに都合のいいようにばかり考える。

 そんな一義たちの態度は、表情には出さなかったけれど、雫には嫌悪感さえ抱きそうなほどだった。


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