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第113話


 三人の面談は、それからなんてことのないような近況報告や、鑑別所を退所した後のことについてに話題が移り、一五分という制限時間を守って終わっていた。

 事案のことよりもこれからのことについて話している時間の方がずっと長くて、戸仲井を蔑ろにしていると雫は感じざるを得ない。問題となる発言は誰もしていなかったから、雫は口を挟めなかったけれど、それでも一言でもいいから諫言したい気分にはなった。

 居室に戻った林は、鑑別所に来てから一番と言っていいほど安らいだ表情をしていたけれど、雫は「良かった」とは少しも思えていなかった。

 胸にどこか引っかかるものを感じながらも、仕事を終えた雫はそのまま宿舎に戻って、翌日を迎える。朝の八時に起きて身支度を調えた雫は、長野駅へと自転車を漕ぎだした。

 駅前の駐輪場に自転車を停めると、観光地へと向かうバスを多くの人が待っているのが見えて、今日は祝日だと雫に改めて思わせる。

 あらかじめ買っておいた切符を入れて改札をくぐると、新幹線はちょうど長野駅へとやってきたところだった。少し駆け足気味に雫は新幹線に乗り込み、指定席に座る。車内はほとんど満席だった。

 スマートフォンを見たり、音楽を聴きながら少し目を瞑ってみたりして、雫は乗車時間を過ごす。新幹線は途中どこにも止まらず、大宮駅に到着した。

 新幹線を降りた雫は、在来線に乗り換える。在来線は全ての席に人が座っていて、雫は立っていなければならなかったけれど、そのことにも雫は幾ばくかの懐かしさを覚えていた。

 快速電車は二〇分ほどで、待ち合わせ場所の駅へと辿り着く。改札階に降り立つと、その二人の姿は改札を通る前から、雫にははっきりと確認できた。

 長身の橘田と肩を並べるほどには身長がある世良は、白いアウターに身を包んでいて、雫は一年ぶり以上の再会に感慨を覚える。

 橘田も夏以来に雫と会えたのが嬉しいのか、小さく手を振っている。その隣では、世良も自然体な表情をしていた。

「好乃葉ちゃん、佑亮くん、久しぶり。待った?」

「いえ、私たちも今来たとこです。それよりも雫さん、お久しぶりです。仕事の方は順調ですか?」

「まあ、順調かどうかは分からないけど、なんとかやれてるよ。それに佑亮くんも久しぶり。去年の正月に会って以来だよね」

「はい、お久しぶりです。そして、すいません。山谷さんたちの思いを裏切るようなことをして。本当に申し訳ないと思っています」

「いいよ、謝らなくて。佑亮くんもしっかり反省したんでしょ。だとしたら、私が言うことは何もないよ。それより、どう? 元気にしてた?」

「はい。おかげさまでどうにか」

「なら、よかった。じゃあ、行こっか」

 そう言った雫に二人も頷いて、雫たちは駅の出口へと歩き出した。駅を出ると多くの人が行き交っていて、忙しない雰囲気に、やはり東京は違うなと雫は感じる。

 その場所は雫は大学時代に何回か行っていたから、卒業して一年が経とうとしている今でも、道はちゃんと覚えていた。

 人通りが多い中、駅から歩いて数分ほど。雫たちはある建物に到着する。曲がり角に面した大きなピンが目を惹く建物に、雫は少し懐かしくなる。橘田と世良もここがどこかは、はっきりと認識している様子だった。

 店内に入ると、すぐに雫たちの目の前には壮観な光景が広がった。何十とあるレーンの前で、人々が思い思いに楽しんでいる。雫が大学時代に何度か来たことがあるボウリング場は、この日も大勢の人で賑わっていた。ピンが倒れる音が、幾重にも響く。

 BBSの活動の一環として来たことがあるから、橘田や世良も借りてきた猫のように辺りを見回すことはしていない。

 雫たちは受付をするとレンタルしたボウリングシューズに履き替えて、空いているレーンへと向かった。久しぶりに手にしたボウリング球は、雫には記憶していたよりも重く感じられた。

 まずレーンに立ったのは、橘田だ。レーンの真ん中を目指して投げられたボールは、途中で右に逸れていき、結果的には三本しか倒せなかった。それでも、橘田は微笑んでいて、三人でいることを楽しんでいるのが雫には分かる。

 雫も声をかけてから、橘田は二投目を投じた。ボールは今度はピンの真ん中を捉え、五本を倒す。決して悪くはない滑り出しに、橘田の表情もどこか得意げだ。雫の心は軽くなっていき、それは落ち着いた横顔を見せている世良も同様のように、雫には感じられた。

 橘田の次は、世良が投球をする番だった。立ち上がった世良は、雫たちの「頑張って」との声を受けて、レーンに向かっていく。力強く振られた右手から、勢いよくボールがレーンを転がっていく。

 それでも、ボールはガターにはまって、一本も倒せていなかった。バツの悪そうな表情を浮かべた世良に、雫たちは「ドンマイ」と声をかける。

 すると、世良も少し表情を明るくして、二投目に向かっていっていた。今度のボールは、ピンの先頭をはじめ七本を倒す。

 雫たちがささやかな感嘆の声を上げると、世良は照れくさそうな顔をしていて、それが雫には少しの後ろめたさを帯びているように見えていた。

 二人が投球を終えると、最後は雫の番になる。手にしたボールは、自分が無理なく持てるものだとはいえ、やはり重い。

 それでも、「頑張ってください」という橘田たちの声を受けると、雫はレーンに向かっていった。うろ覚えのフォームで投じたボールは、案外いい軌道を描き、八本を倒す。

 橘田たちが小さくても拍手を送ってくれていたから、雫は得意げになってしまうようだ。

 その気持ちのまま二投目を投じると、ボールは思っていた通りの方向に転がっていき、残りの二本を倒した。スペアの達成に、雫は湧き上がってくるような喜びを覚える。

 橘田は「凄いです!」と言ってくれたし、世良も少しでも手を叩いてくれていたから、雫が感じる嬉しさはさらに増幅されていった。

 三人は、それからも代わる代わるボウリングを楽しんだ。最初の頃はガターもあった橘田や世良も、投球を重ねるにつれてコツを掴んでいっていて、七、八本なら倒せるようになっていたし、雫もかつての勘を思い出し、八本や九本、時にはスペアも出せるようになってくる。

 何か賞品があったり罰ゲームがあるわけではなかったけれど、スコアが表示される以上、自然と点数を競い合う流れになり、雫たちの間には白熱した空気さえ生まれ始める。

 それでも、やはり楽しむことが優先されていて、雫が運よくストライクを獲ったときには、二人はまるで自分のことのように喜んでいた。「凄いです!」と言われると、雫も鼻が高くなってくるようだ。

 三人の間には自然と笑顔が生まれていて、それは世良でさえ例外ではなかった。スペアを獲ったときに恥ずかしそうに微笑んでいた世良に、雫たちも「おめでとう!」と声をかける。

 その言葉にふっと表情を緩めていた世良は、今は何も考えず楽しんでいいと感じているようで、それはいつまでも張り詰めた表情をしてほしくはなかったから、雫にも好ましいことだった。


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