目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第114話


「いやー、楽しかったですね。ボウリング」

 二時間ほどに及んだボウリングを終えて、三人は近くに店を構えるコーヒーチェーンにやってきていた。

 テーブルに着いて三人が一息つくと、橘田がまだ高揚感が冷めていないかのように言う。その言葉には雫も大いに頷くことができた。

「そうだね。一ゲームで終わりかなと思ったら、三ゲームもやっちゃってたもんね。好乃葉ちゃんがもうワンゲーム、もうワンゲームって言って」

「だって、楽しかったんですもん。雫さんや世良くんとこうして遊ぶことができて。雫さんたちに負けたままじゃ終われなかったですし。でも、そんなことは気にならなくなるぐらい、思いっきり羽を伸ばせて。おかげで良い気分転換になりました」

「そうだね。私も好乃葉ちゃんや佑亮くんと遊べて楽しかった。二人ともどんどんコツ掴んできて、最後のゲームなんていくつもスペア獲ってたり、惜しいとこまでいってたもんね。私もわざわざ二人に会いに、東京まで来た甲斐があったって思えた。佑亮くんは、どう? 楽しかった?」

「は、はい。俺も楽しかったです。ボウリングなんて久しぶりに行ったから、とても新鮮でした。はじめはガターとかうまくいかなかったんですけど、でも少しずつ多くのピンを倒せるようになったのは面白くて。山谷さんたちも声をかけて盛り上げてくれて、とても嬉しかったです」

「そう。なら、よかったよ。佑亮くんの気分転換にもなったようで。ずっと気を張ってたら疲れちゃうからね。たまには息抜きも必要だよ」

 雫がそう声をかけても、世良の反応ははっきりしなかった。「ま、まあ」という返事から、雫は世良が現状を素直に受け入れられていないことを察する。もしかしたら「楽しかった」という言葉も、自分たちに合わせて出たものなのかもしれない。

 雫は世良の表情を解そうと、穏やかな顔を向け続ける。それでも世良は迷っているような目をやめなかった。

「あの、山谷さん」

「何?」

「俺ってそんな楽しんでていいんですかね。気分転換とか息抜きとか、そういったことしていいんですかね」

 こぼれ落ちた言葉に、雫は世良が抱いている葛藤を垣間見る。そう思う気持ちは、雫にも理解できなくはない。

 きっと世良は少年院で過ごすなかで、自らの行いを深く反省したのだろう。視線をテーブルに落とした世良は、強いジレンマを抱えているようだった。

「どうしてそう思うの? もしかして佑亮くんは、今日私たちと会いたくなかった?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど、でも俺がしたことによって被害を受けた人は確実にいて。もしかしたら、その人は今も二次被害やフラッシュバックに苦しんでいるかもしれないのに、俺だけがヘラヘラ笑っていていいわけないって思うんです」

 そう絞り出すかのように口にした世良に、雫は少年院での矯正教育の効果を感じる。被害者のことを十分に考えられずに加害行為に及んだ世良が、今は被害者のことを想像して、その身を案じている。望ましい変化だ。

 でも、だからといって必要以上に自分のことを責めるのは違うと、雫は感じる。行き過ぎた反省は、かえって問題の本質を覆い隠してしまうのだ。

「そりゃ、まるで自分がしたことを忘れて、いつもヘラヘラ笑っていたらどうかとは私も思うよ。でも、そう考えるくらいだから、佑亮くんは自分がしたことを忘れてないんでしょ? 自分がしたことを常に心に留めておいて、決して繰り返さないと自制する。それさえできてれば、後は何してもいいと私は思うけどな」

「えっ、いいんですか?」世良は、軽く目を見開いている。話を聞いている橘田も、意外そうな表情だ。

 でも、雫は自分が言ったことを翻すことはしなかった。加害者は社会に出ず、ずっと下を向いたまま過ごしていればいい。そんな言説は、世間の押しつけにすぎないだろう。

「うん。過ぎたことをいつまでも考えていても仕方ないなんて言うつもりは、全くないよ。被害者の方には、一生影響を及ぼす出来事だったんだから、佑亮くんが何も考えなくていいはずがない。でも、一人で考えすぎちゃうと、それこそ自分の中に閉じこもっていくだけだから。一人きりだとどうしたらいいか分かんなくなって、またそういった行為に及んでしまうかもしれない。だから、誰かと繋がってることはとても大切なことなんだよ。時には息抜きだってしてもいい。一人で抱え込みすぎてたら、いつか限界が来て爆発しちゃうことだってあるんだから」

「それは確かにそうかもしれないんですけど、でも俺が楽しく感じていい理由にはならないじゃないですか。被害を受けた方が現実にいるのに、笑ってていいんですか?」

「いいと思うよ。逆に自分は笑っちゃいけないんだ、楽しさを感じちゃいけないんだって、自分を罰しすぎてたら心を病んじゃうでしょ。それを因果応報だって言う人もいるかもしれないけれど、私はそれは違うと思う。加害者だって一人の人間なんだから。もちろん加害を繰り返さないことが大前提だけれど、それを守れているのなら、私は佑亮くんには、心身ともに健康に過ごしてほしいなって思うよ」

「山谷さん。俺が言うのもなんですけど、その考えは少し甘くないですか? 俺がそんな風に過ごしていいわけないじゃないですか」

「佑亮くん、それは自分で自分を罰しすぎてるよ。佑亮くんはちゃんとこれまでの時間の中で、自分がしたことと向き合ってきたんでしょ。だったら、自分を非難しなくてもいいんじゃないかな。日本は法治国家なんだから。法で定められた処遇を経たのなら、もう誰も佑亮くんを罰することはできないんだよ。もちろん、佑亮くん自身にもね」

「そうだよ、世良。自分で自分を罰するのと、反省はイコールじゃないでしょ。本当に反省してるなら、二度と同じようなことは繰り返さないって、行動で示すべきじゃない? ちょっと厳しいようだけど、今の世良の態度はこんなにも自分を責めてるんだから、どうか許してくださいって言っているように見えるよ。それはちょっと違うと、私は思うな」

 雫に続いて声をかけていた橘田の言葉は少し辛辣だったけれど、その分世良にはより深く届いたのだろう。すぐに返事ができていなくて、核心を突かれてぐうの音も出ていないかのようだ。

 店内にはあちこちから話し声が溢れていて、自分たちの会話を誰かが聞いている気配はない。だから、雫もためらうことなく、世良に再び声をかけることができた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?