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第118話


 それからも雫は、林の交友関係や学校生活などについて再度尋ねて、一時間ほどの面接を終えていた。林も今までよりも素直に答えていて、その中には雫が初めて知る内容もあった。

 きっと林の態度が少しでも変わったのは、鑑別面接の重要性を認識してのことだろう。鑑別所に入所した意味を徐々に理解しているようで、好ましい変化が起こっていると、雫も認めることができた。

 三回にわたった鑑別面接や心理検査の結果を参照しながら、雫は林に対する所見をまとめていく。

 そして、三回目の鑑別面接を終えた二日後。雫は全体朝礼を終えると、平賀や那須川とともに第一会議室へと向かった。昨日のうちに作成しておいたプリントを配って、椅子に腰を下ろす。

 改まった空気に、何度経験しても雫の背筋は自然と伸びた。

「それでは、ただ今より林猛世さんについての判定会議を行いたいと思います。皆さん、よろしくお願いします」

 そう切り出した那須川に、雫たちも「よろしくお願いします」と小さく頭を下げた。ピンと張っているかのような第一会議室の空気に、雫は思わず息を呑む。

「それでは林さんに対する所見のほどを、まずは担当技官である山谷さんから報告をお願いします」

「はい」と返事をして、雫は今一度居住まいを正す。最初の頃は立ち上がりそうにもなっていたのだが、それでも今ではいくらか落ち着いて、「では、皆さん資料をご覧ください」と二人に呼びかけることができる。

 そして、二人がプリントを手に取ったことを確認すると、雫は心の中で一呼吸置いてから続けた。

「それでは、報告を始めさせていただきます。まずは林さんは今回、戸仲井奏都さんに対する不同意性交等の疑いで鑑別所に入所してきましたが、初回の面接では『同意があった』と、否認する姿勢を見せていました。面接に臨む態度も適切とは言えず、反省しているとはとても言えない状況でした。ですが、三回目の面接では『同意があったのかどうか分からない』と答えており、それまで続けていた否認から、態度の変容が窺えました。『被害者である戸仲井さんが傷ついたのなら謝りたい』といった言葉は鑑別所で生活するなかで、多少なりとも反省が進んでいる証だと、私には見受けられます。また、林さんの性に対する認識の形成には、両親の影響が大きいと私は考えます。幼い頃から性的なビデオを見ても咎められなかったことや、あるいは勉強と称して自分たちの性交の様子を見せていたことは、林さんに計り知れない影響を与えていてもおかしくはありません。それは適切な監護だとは言えません。また、林さんの他責的で短絡的な傾向も、矯正教育によって指導する必要があるのではないでしょうか。よって私は、林さんが起こしたとされる不同意性交等の重大性や本人の資質、周囲の環境などを鑑みて、林さんを少年院送致に付すべきだと考えます」

「私からは以上です」雫がそう報告を結ぶと、平賀たちも理解したように小さく頷いていた。

 林の反省はまだ道半ばで、両親から植えつけられた歪んだ性への認識を修正するためにも、少年院で矯正教育を受ける必要がある。その自分の判断が必ずしも間違いではないことが、室内の雰囲気からも分かり、雫は少し胸をなでおろしたくなる。

 だけれど、まだ平賀の報告が控えているから、目に見えて安堵するわけにはいかない。

 那須川が「山谷さん、ありがとうございました。では、続いて担当教官である平賀さんからも、所見の報告をお願いします」と水を向けると、平賀も落ち着いた声で返事をする。

 雫も促されるままにプリントを手に取ると、平賀は毅然とした態度で報告を始めた。

「では、続いて私から報告させていただきます。林さんは入所時のオリエンテーションから反抗的な態度を見せていて、それはまるで『自分は悪くない。だからここに入れられる必要もない』と言っているかのようでした。実際、入所して間もない頃は、何をするにあたっても不満そうな表情を見せていて、日課である日記も二、三行で済ませていて、自分の行いに向き合うことができていませんでした。ですが、家裁調査官や付添人から、被害者である戸仲井さんがひどく傷ついていることを知らされると、少しずつですが自分がしたことを正確に認識できるようになっていきました。戸仲井さんの傷つきを想像し、自分の加害行為を認め始めたことは、資料として配布しています、ここ数日の日記や意図的行動観察として課した作文からも明らかです。ですが、やはり林さんの家庭が性に対して奔放すぎて、林さんに引き続き悪影響を与えかねないことを考えると、すぐに家庭に戻すことには慎重になるべきだと、私は考えます。両親からの適切でない教育を受けて形成された、林さんの性に対する認識を正すためにも、矯正教育を受ける機会は必要なのではないでしょうか。よって私も林さんに対する処遇は、少年院送致がふさわしいと考えます」

「私からは以上です」と言って平賀が報告を終えると、雫は後ろ盾を得たような少し心強い思いを感じた。

 林に対する処遇は保護観察だったり、あるいは行為の重大性を鑑みて検察官送致を選んで、地方裁判所で改めて成人と同じように審理する選択肢もあったはずだ。

 それでも、平賀も少年院送致を進言したということは、自分と同じように林には刑事処分ではなくて保護処分が適切だと、一度両親から引き離して少年院で矯正教育を受ける必要があると考えている証だと、雫は思う。

 もちろん自分たちの意見が一致したからと言って、家庭裁判所がそのまま通知書通りの処遇を与えるとは限らないが、それでも雫は自分の林に対する所見が的外れではないことに、胸をなでおろしたくなる思いだった。

「平賀さん、ありがとうございます。聞いた限りでは、山谷さんと平賀さんの所見は、おおむね一致していますね。それは私も同様で、お二人からの面接や心理検査、行動観察や日記といった報告を鑑みれば、私も林さんの処遇は少年院送致がふさわしいと考えています。それでは、全員の意見も一致していることですし、通知書に記載する林さんへの処遇意見は、少年院送致とするということで、お二人ともよろしいでしょうか?」

「はい」と返事をした平賀に、雫も続く。

 もちろん、少年院送致にはデメリットもある。少年院への入所経験があることを白い目で見る人はまだまだいるし、就職等の場面で不利に働くこともあるだろう。

 でも、それ以上に雫たちは林が少年院に入所することは、メリットの方が大きいと考えていた。少年院で過ごすことで自らの行為を深く反省し、矯正教育によって認識の変化も見込める。それは長期的に見れば、再犯防止に限らず、林の人生に有意に働くだろう。丁寧に説明すれば、林もそのことを理解してくれるかもしれない。

 どのような処遇になるにせよ、それは林の将来をも考慮した結果なのだ。

「それでは、通知書に記載する林さんへの処遇意見は、少年院送致としましょう。では、引き続き通知書に記載する詳細な内容を検討していきましょうか。まず、林さんの生い立ちや生育歴ですが……」

 処遇意見が固まってから、雫たちは追って通知書に記載する細かな事項を、一つずつ確かめていく。行動観察等に基づいた自らの所見を述べる平賀と同様に、雫も面接や心理検査の結果から得られた林についての所見を、意見していく。

 判定会議は雫の意見も取り入れられながら続いていき、自分の着実な進歩を雫はひそかに感じていた。


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