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第119話


 判定会議の結果を受けて、雫たちは林への処遇意見を少年院送致とした鑑別結果通知書を、その日のうちに家庭裁判所に提出していた。

 そうなると、三日後に行われる少年審判まで雫が林にできることは、ほとんどなくなってしまう。面接や心理検査ももう予定されておらず、後は少年審判の行く末に任せるしかない。

 他に担当している少年の鑑別や受け持っている心理相談といった業務を行いながら、それでも雫は林のことを意識しない日はなかった。林に対してどんな処遇が与えられるか。想像するだけで、少し気を揉んでしまうようだった。

 そうして迎えた、林の少年審判当日。雫は朝起きたときから、独特の緊張を抱えていた。今日を迎えたからには自分たちができることはないのに、それでも担当した少年の審判の日を迎えると、雫はどうしても気持ちが逸ってしまう。

 それは出勤してからも、落ち着くことはなかった。全体朝礼を終えても、業務をしながらしきりに時間を確認してしまう。そんなことをしても、少年審判の時間は早まらないのに。

 雫がソワソワしながら待っていると、ポケットに入れていたスマートフォンが小さく振動する。手に取ってみると、鑑別所に林の両親が到着したという、平賀からの知らせが来ていた。

 雫も職員室を出て、林を呼びにいく。ノックをしてからドアを開けると、林は雫が初めて見るほどに緊張した面持ちをしていた。これから行われる自身の少年審判を警戒しているような態度に、無理もないと雫は感じる。

 それでも、雫が「林さん、家庭裁判所に行きましょう」と言うと、素直に頷いて雫の後についてくる。何も言葉を交わさずとも、林が不安を抱えていることが、雫にはしかと感じ取れた。

 林と両親を載せた公用車が、平賀の運転のもと家庭裁判所に向かったことを見届けると、雫は職員室に戻ってまたデスクワークといった自らの仕事に励む。

 それでも、他の少年への資料を作成している間も、雫はやはり林のことを気にせずにはいられない。意識が家庭裁判所に飛んでいくようだ。

 それでも、雫は気を引き締め直し、自分の仕事を続ける。平賀が戻ってきてからも、二人はさほど言葉も交わさずに、それぞれの仕事に取り組んでいた。

 そのまま少し時間が経って、平賀は「トイレに行く」と席を立った。他の職員も全員出払っていて、雫が一人で職員室に取り残されると、その瞬間机上の電話が着信音を鳴らした。もう林の少年審判が始まってから一時間以上が経っているから、いつ電話が来てもおかしくないのだが、雫は一瞬驚いてしまう。

 それでも、電話機の画面に表示された電話番号が家庭裁判所のものであることを確認すると、雫はすぐに受話器を手に取った。「もしもし、長野少年鑑別所の山谷です」と名乗ると、受話器からは聞き覚えのある男性の声が聞こえてきた。

「もしもし、長野家庭裁判所の細貝です。今回は林猛世さんの少年審判の結果について、ご連絡差し上げました」

「はい」と返事をしながら、雫は軽く息を呑む。鼓動も早まっていくようだ。

 細貝が淡々と、事実だけを述べるように伝える。

「今回の少年審判の結果、林さんは少年院送致となりました。まだ反省が十分には深まっておらず、また適切とは言えない家庭環境の中で形成された性に対する認識を、少年院での矯正教育によって改める必要性があると、判断されたためです」

「了解しました」と答えながら、雫は少し肩の荷が下りるような感覚を抱いていた。林が少年院に入院すれば、自分たちの仕事はひとまず終わりだ。

 それにその処遇からは、裁判官たちも雫たちが作成した鑑別結果通知書を大いに参考にしたことが窺われ、自分たちの鑑別が認められたように、雫には感じられる。

 もちろん、この処遇が適切かどうかは、これからの林の生き方や周囲の関わり次第だが、それでも自分たちがわずかでも林の役に立てたようで、雫は不相応な嬉しささえ抱いてしまう。

「では、これから林さんを鑑別所にお戻ししますので、山谷さん、あとはよろしくお願いしますね」

「はい、了解しました」と雫が相槌を打つと、細貝は「では、失礼します」と電話を切った。

 受話器を置くと、雫は改めて気が引き締まるような思いがした。

 少年審判の結果、少年院送致の処遇が下っても、その少年がすぐに少年院に入院するわけではない。入院する少年院の選定や、入所に当たっての諸々の手続きに一日から数日を要し、その間少年の身柄は引き続き鑑別所に置かれるのだ。

 つまり雫たちには、あともう一仕事残っている。自分にできることはあまり多くなくても、最後まで真摯な姿勢で林に接しようと雫は今一度思う。

 間を置かずに職員室に戻ってきた平賀に、雫は林の少年審判の結果を報告した。平賀も深く頷いていて、少年審判の結果に納得していることが、雫にも窺われた。





 少年審判を終えて鑑別所に戻ってきた林たちを、雫は落ち着いた表情で出迎えた。平賀は林の両親を自宅に送り届けるため、またすぐに鑑別所を発っていたから、雫は束の間林と二人きりになる。

「少年審判、お疲れ様でした」と声をかけてみても、林の反応は鈍かった。口をぐっと結んでいる表情は、自分がしたことの重大性を痛感しているようだ。少年院送致になったことにショックを受けてもいるようで、雫が少年院に入院する手続きを整えるために、あと数日ほど鑑別所にいてもらうと説明したときも、わずかに頷くだけだった。

 鑑別所に入所したときの反抗的な態度は見られなかったものの、それでも意気消沈とした林の様子に、雫は気を揉んでしまう。

 少年院は刑罰を与える場所ではないことは、少年審判のときに説明されたはずだが、それでも刑務所のような恐ろしい場所というイメージが、林の中では先行しているようだった。

 林が入院する少年院の選定や諸々の手続きといった調整は、主に所長である那須川を中心に行われた。担当技官であっても、雫はなかなかそこに関われず、少し悶々とした思いを抱えてしまう。

 それでも他に担当している少年や相談はあったから、雫は立ち止まることはできなかった。ひたすらに目の前の業務に取り組んでいく。

 その間、雫は林とは接することができなかった。接することができる機会はもう終わっていた。


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