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第121話


「硯ちゃん、ありがとね。今日は付き合ってくれて」

 国道沿いに居を構えるコーヒーチェーンは、休日ということもあって多くの人で賑わっていた。二人掛けのテーブルに腰かけて、コーヒーに一口口をつけてからそう言ってくる島村しまむらにも、すずりは取り繕った笑顔で答える。

 幸い通っている高校からは離れた店を選んでいたから、入って店内を見回したときに、知っている顔は一人も見られなかった。

「いえいえ、私も今日は予定が空いてましたから。島村さんにまた会えること、楽しみにしてました」

 硯のその返事は、当然嘘だった。予定が空いていたのは本当だが、島村と会うことを楽しみにしていたわけがない。

 自分たちは、親子ほどにも年が離れている。これで楽しみにできる方が普通ではないと、硯は思う。

 だけれど、「そっかそっか」と頷く島村は、そんな硯の内心にもまったく気づいていないようだった。

「俺も今日、硯ちゃんと会えて嬉しいよ。それで、どう? 最近、学校は。楽しい?」

「はい、楽しいです。友達と毎日なんてことない話で盛り上がれて、とても充実してます。おかげで毎日、前向きに学校に通えてます」

「そう、ならよかった。俺も硯ちゃんが日々を元気に過ごせてるようで嬉しいよ。で、その友達とは普段どんなことを話してるの? やっぱファッションのこととか?」

「それもあるんですけど、気になってる動画とか、一緒にプレイしているソシャゲのことについて話すのが多いですかね。島村さんは『バビロン・ヘブンズ・ドライブ』って知ってますか?」

「いや、初めて聞いた。アパレルのブランドか何か?」

「ソシャゲですよ。終末を迎えた世界でキャラクターたちが戦うんです。荒廃した世界観と個性的なキャラクターが好きで、私は時間があればやってますね」

「へぇ、面白そうだね。俺も今度やってみよっかな」

「はい、ぜひやってみてください。実際、面白いので」

「うん、分かったよ」島村は自然な表情で頷く。硯と過ごしている今この時間にも、何の疑問も持っていないかのように。

 一方の硯も、いくらか肩ひじ張らない表情を作ることができていた。何も気にしていないふりをするのがうまくなったと、自分でも思う。

 それに気づいたときに硯はぞっとするような感覚がしたが、でもそれも表には出さなかった。島村の機嫌を損ねていいことは、硯には一つもなかった。

「ところでさ、硯ちゃんそろそろ受験生になるんでしょ? 勉強大変じゃない?」

 島村が話題を変えてきたのは、それからもお互いドリンクを飲みながら、少し話してからのことだった。

「今ここであなたと一緒にいる方が、よっぽど大変ですけどね」という思いを呑み込んで、硯は穏やかな表情を心がける。

「確かに勉強する時間は増えてきてますし、春休みになったらまた塾にも通うんですけど、でもそれはみんなそうですから。私だけが大変ってわけじゃないですよ」

「いやいや、硯ちゃんは頑張り屋だからね。大学合格のために、これからより一生懸命勉強していくんだろうし。でさ、そんな硯ちゃんに俺からプレゼントがあるんだけど」

「えっ、何ですか!?」硯は気になっている様子を見せる。ろくでもないものを渡されたらどうしようという嫌悪感を抑えながら。

 微笑みながらショルダーバッグを手に取った島村が取り出したものは、手のひらに収まりそうなほど小さかった。黄色と水色の包装紙に包まれたそれはとても薄くて、一見しただけではその中身は硯には分からない。口先だけでも「ありがとうございます」と言って受け取ると、あっけないほど軽かった。

「開けてみていいですか?」と島村に確認を取ってから、硯が包装紙を剥がすと、中に入っていたのは五千円分の図書カードだった。外国の絵本のイラストが描かれているそれを見たとき、硯は軽く引いてしまう。その金額が島村の自分に対する思いを表しているように感じられた。

「よかったらこれでさ、参考書とか買って勉強に役立ててよ。もちろん遠慮しないで、どんどん使っていいからね」

「ありがとうございます。ありがたく使わせていただきます」と言いながら、硯はその図書カードを使うのを内心でためらってしまう。

 島村に遠慮したからではない。島村からもらったそれが、なんだか汚らわしく感じられたからだ。こんな汚いものを使いたくないとさえ思ってしまう。

 だけれど、自分は今まで島村から貰ったお金を迷うことなく使っていたはずで、そのことと何が違うのだろうとも硯は思う。

 島村はそんな硯の葛藤なんて知る由もなく、和やかな表情を見せていて、呑気なものだなと硯は感じる。自分と会っていて罪悪感はないのだろうか、と。

 それからも二人は、ドリンクを飲みながら数十分ほど話し続けた。島村の仕事の話は、硯には面白いとは思えなかったが、それでも相槌を打つのに苦労しなくなっている自分がいることを認識する。

 お互い頼んだドリンクは一番小さなサイズだったこともあって、一時間もしないうちにあらかた飲みきってしまう。そして、お互いの中身が残り少なくなってきたタイミングで、島村は何のためらいもないような口調で言った。

「じゃあ、そろそろ行こっか」

 その言葉に、硯は自分の肌が粟立つことを感じる。身体は紛れもなく、行きたくないと訴えている。

 でも、それは島村と事前に約束したことだったから、硯はそれを裏切れなかった。自分にとっても、何一つメリットがない話ではなかった。

 コーヒーチェーンを出た二人は、島村の車に乗って国道を北に向かう。いくつもの店が並んでいて賑やかだった光景が、徐々に遠くなっていく。

 車の中でも島村は硯に何度も話しかけてきていて、硯も落ち着いた態度を装って応じる。「もしかして、緊張してる?」と言われて、「そういうことじゃないだろ」と硯は言い返したくなったけれど、小さな笑みを浮かべてごまかした。





 まだ寒さが尾を引く三月の初め。その日も普段通りに出勤した雫は、全体朝礼を終えて少ししてから、職員室に鳴るチャイムを聴いていた。

 鑑別所に人がやってきた合図に、雫は別所とともに職員室を出る。玄関に向かう間も、雫は自分が未だに新鮮に緊張していることを感じていた。

 カードキーを使って雫たちは玄関を開ける。するとそこには家庭裁判所の職員に連れられて、一人の女子少年が立っていた。

 一五〇センチほどしかない背丈とあどけなさを残す顔立ちに、年齢以上の幼さを雫は感じてしまう。縮こまっている様子は、鑑別所に入所することに大きな不安を抱えているようだ。

 それでも、今目の前にいる女子少年・硯亜実すずりあみには、れっきとした鑑別所に入所するに足る事由がある。そう考えると、「心配しなくても大丈夫ですよ」と笑いかけることは、雫にはできなかった。

 それでも別所と同様に、雫は硯に穏やかな目を向ける。自分たちは初めから、硯を敵視しているわけではないと分かってほしかった。

 別所が簡単な自己紹介をしても、硯は小さく頷くだけで、はっきりとした返事はしなかった。それは雫のときも同様で、かすかに目を伏せてしまっている硯に、自分の言葉が届いている実感を雫は得られない。

 その姿はこれから鑑別所で過ごす時間や、自分に対してなされる処遇に怯えているようでもあって、雫は思わず同情してしまいそうになる。

 だけれど、女子少年と法務技官という自分たちの立場では、雫はある程度一線を引いて硯と接しなければならなかった。


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