硯との初回面接は一時間ほどで終わっていた。家庭環境や友人関係などについて雫が訊いたときにも、硯は比較的素直に答えてくれていて、それは協力的な姿勢で面接に臨むことでどうにか少年院送致を回避しようとしているようにも、雫には見えた。
とはいえ、たとえ動機がどうであっても、質問に十分な答えを返してくれること自体は雫には望ましい。おかげで両親と三人で長野市内のアパートに暮らしていることや、友人も決して多いとは言えないがちゃんといることが、雫には分かる。
警察が作成した調書以上の情報も得られて、雫は初回面接から手ごたえさえ感じ始めていた。
面接が終わった後は心理検査だ。性格検査や発達検査等を組み合わせた心理検査は、鑑別所に入所した全員が受けているもので、それは虞犯で入所した硯も例外ではない。
そのことを伝えると、硯はまた分かったように頷いて、心理検査に取り組んでいた。他の少年よりも少し時間はかかったけれど、でもそれは硯がそれだけ考えて心理検査に臨んでいた結果だろう。
だから、雫も硯を急かすことはなかった。心理検査に取り組みながら自分のことを振り返っているようで、それは雫にとっては願ってもないことだった。
面接に加えて心理検査も終了すると、この日雫が硯と接する時間も終わりを迎えた。
「ありがとうございました」と伝えて、硯を居室に戻すと、雫も職員室に戻ってパソコンと向き合う。専用のファイルやソフトに、今行った面接や心理検査の結果をまとめていく。
そして、パソコンに向かい続けること二時間あまり。まとめ終わった面接及び心理検査の結果を印刷していると、雫は那須川から声をかけられた。雫も頷いて、印刷したばかりのプリントを持って席を立つ。
那須川は別所や取手にも声をかけていて、雫たちは四人揃って第一会議室へと向かった。
第一会議室に入って席に着いた雫たちを見て、那須川が開始の挨拶をする。そうして、硯の鑑別方針を設定する会議は始まった。
まず雫から、先ほどの面接や心理検査で得られた所見を発表していく。面接では緊張しながらも素直に質問に答えていたが、援助交際はしてはいけないことという認識はまだ完全には形成されていないこと。心理検査の結果からは、少々他人との距離の取り方に問題があり、自己肯定感も高いとは言えないなどの所見が得られたことを、雫は報告する。
別所たちも納得したように聞き入れていて、配属されてからいくらか経験を重ねたこともあって、雫は以前よりもスムーズに喋ることができていた。
別所が、硯は借りてきた猫のように縮こまっていて、他の誰とも視線を合わせようとしなかったりと、鑑別所に入所したことを後ろめたく感じている様子が見られることを報告し、取手も入所時のオリエンテーションの後に行った診察では、少し痩せているものの特に異常が見られなかったことを三人に伝える。
それらの所見を総合して、四人で話し合った結果、硯が援助交際に及んだ理由を調べながら、援助交際は不適切なことだと改めて伝えていくこと。人との距離の持ち方をそれとなく伝えながら、硯がプレッシャーを感じすぎないような行動観察を心がけるといった、大枠の鑑別方針が決定された。
雫もそのことを頭に入れながら、気を引き締め直す。硯との二回目の鑑別面接は、また一週間もしないうちに控えていた。
職員室にチャイムが鳴ったのは、雫が硯に初回の鑑別面接と心理検査を行った二日後のことだった。予定されていた通りの時間に、誰がやってきたのかは雫にも容易に想像がつく。
別所が他の少年の行動観察に出ていたこともあって、雫は一人で玄関に向かった。
カードキーを使って玄関を開けると、そこには橙色のコートに身を包んだ一人の女性が立っていた。「今日はよろしくお願いします」と挨拶をしていても、緊張した面持ちが隠せていない。
雫も簡単に挨拶をして、硯の母親である
茉奈を第一面接室に案内して、「少々お待ちください」と告げると、雫は居室に硯を呼びに行く。
声をかけてドアを開けると、硯はじっと座っていた。見上げる目が「とうとう来てしまったか」と言っているようにも雫には見える。もしかしたら援助交際をして補導されたことで、既に茉奈から叱られたりたしなめられたりしているのかもしれない。
「硯さん、お母さんが面会に来ていますよ。行きましょう」と雫が声をかけても、硯は立ち上がってはいたけれど、気が進んでいるとは言い難かった。目には怯えのようなものさえ滲んでいる。
第一面接室に戻ってきた雫は、硯と茉奈を向かい合って座らせ、自分はその間、机の短辺に接した椅子に腰を下ろした。
実の母親に会っても、硯は目を合わせられていなくて、後ろめたく思っていることは、傍から見ている雫にも明らかだった。
「面会時間は一五分間です。それでは、始めてください」
目を合わせることはできていなくても、二人が顔を合わせたことを確認すると、雫は落ち着いた声で告げる。すると、先に口を開いたのは茉奈の方だった。
「亜実、どう? 元気にしてた?」
茉奈の声からは、心から硯を案じていることが雫には伝わってくる。それでも、硯はまだ茉奈の顔を見られていない。
「う、うん。まあ、なんとかね。ていうか最後に会ってから、一週間も経ってないでしょ。そんな短期間じゃ、そこまで変わらないよ」
「そう? でも、留置所から鑑別所に移って、何か変化はあったんじゃない? 鑑別所での生活はどう? ちゃんとやっていけてる?」
「それもまあ、なんとかは。ここでの生活は色々決まりごとも多いし、手持ち無沙汰な時間もあるけれど、それでも過ごしていくうちに慣れていくと思う」
「そうね。亜実は強い子だからね。私も心配はしてるけど、でもそこまで不安には感じてないよ。亜実だったらしっかりと今回自分がしたことを反省して、心を入れ替えてくれると思ってるから」
「う、うん」と硯は曖昧な返事をしていて、その心情を雫もそれとなく察する。
茉奈は、硯に強い期待をかけている。普段の二人の関係性が、わずかなやり取りでも雫には窺えるようだ。
「ところで、ねぇ、亜実。改めて聞くけど、どうして今回みたいなことをしたの? 何か嫌なことでもあったの?」
「……そ、それはそういうことに興味があったからって、前も言ったでしょ。恥ずかしいから、何回も言わせないでよ……」
「そうね。亜実ももう高校生なんだから、そういうことに興味があって、も不思議じゃないと思う。でもね、亜実。年上の大人とお金をもらってそういうことをするのは、絶対に間違ってるんだよ。亜実はその相手のことが、本当に好きだったの?」
「そ、それは……。そういうわけじゃないけど……」
「そうでしょ。ねぇ、亜実。そういうことは、本当に好きな人とだけするものなんだよ。お互いの愛情を確かめ合うために。確かに好きでもない人とそういうことをする人も世の中にはいるけれど、でも私は亜実にはそういう大人になってほしくないの。分かる?」
「う、うん……。お母さんの言う通りだと思う」
「そうでしょ。ただでさえ今は、亜実にとっては大事な時期なんだから。亜実だって四月になれば三年生、受験生になっちゃうんだよ。多くの人が大学に行くために勉強を頑張ってるなかで、そんなことにかまけていられる余裕なんて、本当はないんだからね」
「……うん、それは私もそう思うよ」
「そうでしょ。東京の大学に行きたいって言ったのは、他でもない亜実自身なんだから。もちろん、大学と言ってもどこでもいいわけじゃない。同じ行くなら、少しでも良い大学に行った方がいい。今ここにいるってことは、そのための勉強もできなくなっちゃうんだよ。亜実は自分で、自分の未来や可能性を狭めるようなことをしてしまったの。それも分かるよね?」
茉奈の言い方は本人には諭しているようでも、硯には高圧的に感じられかねないだろう。それに言っている内容も、少し今回の本質からはズレている気が雫にはする。
もちろん勉強する時間がなくなるという側面もあるが、だけれどそれよりももっと硯には大事なものがあるだろう。
でもそう思ったとしても、茉奈の言葉はこの場に完全に不適当だとは言い難かったから、雫は口を挟むことができない。「う、うん」と小さく頷いている硯に目をやることが関の山だ。
「だから、亜実。ここを出てからは、二度とそういうことをしないってお母さんと約束してね。亜実の未来のためにも、今回みたいなことは絶対に繰り返しちゃいけないんだからね」
茉奈は、少年審判が終わればすぐに硯は鑑別所から出られると、信じて疑っていないようだった。
実際は少年審判の結果、少年院送致という処分が下される可能性だってゼロではないのに。
それでも「二度としない」という茉奈の言葉は正しかったから、たとえその言い方が硯に約束することを強要しているようでも、雫は咎められなかった。「母親と約束をしたから」という意識が、ブレーキとなって働くこともあるだろう。
雫は「う、うん」と頷いている硯を、口を挟むことなく見守った。たとえ、その目が茉奈の顔を向いていなくても。