目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第136話


「それでは、これから硯亜実さんに対する判定会議を行いたいと思います。皆さん、よろしくお願いします」

 はきとした声で会議の始まりを告げた那須川に、雫たちも「よろしくお願いします」と応える。

 硯に対して三回目の鑑別面接を行った二日後。雫は那須川や別所とともに、第一会議室に集まっていた。

 いよいよ始まった判定会議に、雫はこの日も背筋が伸びる思いがする。慣れることと緊張がなくなることは、また別の話だった。

「それでは、まずは山谷さんから、硯さんに対する所見のほどをお願いします」

 那須川にまず水を向けられて、雫は「はい」と明確な返事をした。「では、手元の資料をご覧ください」と二人に告げる。

 その声色にはまだ緊張の色が含まれていたが、雫は二人があらかじめ配っておいたプリントを手に取ったのを確認すると、一つ息をしてから話し始めた。

「では、言わせていただきます。硯さんは鑑別所に入所した当初は、自分が行った援助交際について、何が悪いのか分からない様子を見せていました。でも、それは正確には援助交際は良くないと知っていながら、それを認めたくないと感じていたことが、面接を重ねるうちに明らかになっていきました。硯さんは三度目の面接の際に、『好きでもない相手とそういうこと、いわゆる性行為をするのは本当に嫌だった』と語っていました。それは面接を重ねた結果引き出された、硯さんの本心であると私は考えます。また、硯さんは両親から勉強をするように強く言われていて、それは面会の様子からも明らかでした。硯さんが勉強中心の生活に不満やストレスを感じていたことは、実際本人もそう言っていることから、援助交際に繋がる原因になったことは間違いありません。ですが、硯さんは援助交際は良くないことだと確かに理解しており、要因となった勉強中心の生活も両親と話をすることができれば、改善していく可能性はあるように私には考えられます。よって、私はたとえ少年院送致にせずとも、保護観察官の適切な指導があれば、在宅でも硯さんの性向は十分改善に向かっていき、援助交際をせずとも生きていくことが可能になると考えます。よって、私は硯さんに対する処分は、保護観察がふさわしいと提言します」

「以上です」雫がそう言って自分の所見の発表を結ぶと、二人は納得したかのように頷いていた。その反応は毎回のことだったが、それでも雫は自分がまるっきり的外れなことを言っているわけではないと、実感できる。「山谷さん、ありがとうございました」との那須川の言葉が染み入るようだ。

 それでも、自分の所見が全面的に正しいと決まったわけではない。まだ別所の所見の発表が続くのだ。

「それでは、続いて別所さん。所見のほどをお願いします」と水を向けられ、別所も「はい」と凛々しく返事をしている。促されるまま資料を手に取り、別所が話し始める間際、雫は思わず息を呑んでいた。

「では、発表させていただきます。山谷さんの言う通り、硯さんは鑑別所に入所した当初は、『どうして自分がここに入れられているのか分からない』といったような態度を見せていました。それは、入所して間もなく意図的行動観察として課した作文の内容からも明らかです。そこには『少年院には行きたくない』とはっきり書かれており、自分がした行為に対する反省よりも、これから先下される処遇に対する恐怖心が先行していたことが見受けられました。一方で鑑別所での生活態度は良好なもので、ルールも遵守し、毎日の日記をはじめとした行動観察も真面目に取り組んでいました。ですが、他の少年とは目を合わせようとせず、入所時の心理検査でも明らかになった人との距離の持ち方に少し難がある様子は、私からも大いに見受けられました。それが今回、援助交際に及んだことにも関連しているのではないでしょうか。また、硯さんが繰り返した援助交際の回数は十数回と多く、それだけ問題も根深いように私には考えられます。ですので、私は硯さんを少年院送致に付し、性的な領域も含め他の人との正しい付き合い方、距離の持ち方を改めて指導する必要があると考えます」

「私からは以上です」そう言って発表を結んだ別所に、雫の心はにわかに縮み上がるようだった。

 自分たちの処遇意見は違った。どちらか一方に、話をまとめなければならない。

 そう考えると、雫は少しだが気が重くなってくるようだ。別所と意見が異なることは、十分に想定できたはずなのに。

「別所さん、ありがとうございます。お二人が述べる所見には重なるところもありますが、それでも処遇意見は異なっていますね。それぞれの発表を聞いて、お二人とも何か思ったことはありますでしょうか?」

 そう那須川からさらに意見を求められても、雫はすぐには何かを言うことはできなかった。別所が述べた所見について訊きたいことはあるのだが、すぐに具体的な形となっては現れない。

 自分たちの意見が違う状況に、雫はまだ完全に慣れているとは言い難かった。

「山谷さんが述べた所見については分かりました。勉強中心の生活に嫌気が差していたことを思わせる記述も、硯さんの日記にはありましたから。ですが、硯さんは十数回も援助交際を繰り返していたんですよ。その実態は、重く受け止めて然るべきではないでしょうか」

 うまく話せない雫をよそに、そう言ってきた別所に、雫は先制攻撃を受けたように錯覚してしまう。それはまったく正しい印象ではないが、それでもそう受け取ってしまうくらい、雫には余裕がなかった。

 だけれど、「そうですね……」と押し黙るわけにはいかない。精いっぱい硯のことを考えて出した所見であり、処遇意見だ。その自負は、雫にも確かにあった。

「確かに、別所さんの言うことも理解できます。ですが、十数回も援助交際に及んでいたからといって、必ずしも少年院送致にする必要はないのではないでしょうか。当然、硯さんが鑑別所に入所するまでにしてきたことには目を向けなければなりませんが、それでも今の硯さんの態度にもまた同じように目を向けなければならないのではないでしょうか。その点から見れば、今の硯さんは十分に自分がしたことに対する反省が深まっているように、私には見えます」

「山谷さんの言う通り、硯さんの反省が深まっている様子は、私にも見受けられます。ですが、だからといって硯さんが抱える問題は一つも解決していないのではないでしょうか。人との適切な距離の持ち方や、心理検査でも示された自己肯定感の低さなど、硯さんは未だにいくつかの課題を抱えていて、それを改善していくためには少年院での指導が必要になると、私には考えられるのですが」

「確かに、硯さんには解決すべき課題があることは、私も同感です。ですが、それは保護観察でも十分に改善可能だと、私は考えます。人との関わり方も両親や保護観察官の指導を受ければ改善に向かっていくでしょうし、勉強をするよう強く言ってくる両親との摩擦は、少年院にいてはなかなか解消されないでしょう。何より少年院に入院することは、硯さんの自己肯定感をより下げてしまうことに繋がるのではないでしょうか」

「そのリスクは、私も当然承知しています。ですが、だからといってそれが少年院送致をしなくてもいい理由にはならないとも考えます。硯さんは援助交際を十数回繰り返した。改めてですが、事態の重大性を鑑みれば少年院送致が妥当ではないのでしょうか」

「別所さん。お言葉ですが、私は硯さんがそこまで非行の程度が進んでいるとは、考えていません。硯さんがしたことは、お金をもらって性行為に及んだことだけですし、それも本人は『本当に嫌だった』と振り返っています。それは硯さんが勉強中心の生活に不満を持っていたからで。ですので、硯さんの生活を改善していき、日々に満足感を覚えていけるようになれば、自然と援助交際はしなくなるのではないでしょうか」

「確かに、硯さんの生活の質を高めていく必要があることは、私も同感です。ですが、その前にまずは確固たる土台を築く必要があるのではないでしょうか。援助交際は絶対にするべきではないという確固たる認識を、硯さんに抱いてもらう必要があるのではないでしょうか。それを成すには少年院送致が一番効果的だと、私には考えられるのですが」

 雫たちの口角泡を飛ばすようなやり取りは、なかなか歩み寄りを見せなかった。互いに自分の所見の正当性を主張していて、意見はなかなかまとまらない。

 雫にも硯のことを最大限考えて出した結論だという自負はあったから、簡単に譲ることはできなかった。たとえそれが先輩職員である別所を前にしていたとしても。

 なかなか合意に至らない雫たちを見かねたのだろう。那須川が「二人とも少しよろしいですか?」と、タイミングを見計らって割り込んでくる。雫たちも言葉を収めて、那須川の方に顔を向ける。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?