「参考までに、私の意見を述べさせていただいてもよろしいですか?」
自分たちの顔を一度に見るように言ってきた那須川に、雫も内心で息を呑みながら頷く。那須川がどんな意見を述べるのか、気になって仕方ない思いをどうにか表情に出さないように抑えながら。
「では、述べさせていただきます。私も山谷さんが行った面接や心理検査の結果、別所さんが行った行動観察や日記といった記録、その全てに目を通させていただきました。そして、それらを総合的に勘案して、私は硯さんには保護観察が適当であると考えます。確かに、十数回もの援助交際を行った今回の事案の重大性は、私も重々承知しています。ですが、山谷さんとの面接の経過や硯さんが毎日つけていた日記から、硯さんの反省は現時点でも十分に深まっていると判断しました。少年院で改めて指導を受けさせる必要があるとまでは、私には考えられません。また、硯さんは今回が初めての補導であることも考慮すれば、硯さんには保護観察が適当であると、あくまで私はですが考えています」
那須川が述べた意見は、自分のものに近かった。それだけで、雫は顔には出さないが、心強さのようなものさえ感じてしまう。
もちろん多数決の原理で別所の意見を押しつぶすことはしてはならないし、硯への処遇意見はここからさらに検討を重ねて決定されるべきだろう。
だけれど、雫は那須川の意見を受けて、自分が述べた所見は明らかな間違いではなかったのだと、かすかに安堵さえする思いだった。
一方の別所も、落ち着いた表情を崩してはいない。それでも、再び口を開いた様子からまだ納得がいっていないという思いは、雫にも少し窺い知れた。
「確かに、那須川さんがおっしゃっていることも分かります。ですが、補導が今回初めてだということは、少年院送致を躊躇する理由にはなるのでしょうか? たとえ、補導をされたのが今回で最初でも、必要があるならば少年院送致という判断は下さなければならず、私は今回の硯さんはその場合に該当すると考えているのですが」
「それは、別所さんのおっしゃる通りです。確かにたった一度補導されただけでも、少年院送致に付さなければならない少年はいるでしょう。ですが、私は硯さんはそれに該当しないと考えています。硯さんは十分に反省していて、また非行の程度も事案ほどには深まっていない。何より両親のもとで適切な監護が期待でき、その面からも私は保護観察が妥当だと考えるのですが」
「それはそうですが……」
「別所さん。自分が人に必要とされている実感が得られなかったことも、硯さんが援助交際に及んだ要因の一つなんです。だとしたら、まずは自分が両親や友人といった近しい人から必要とされている実感、自分はここにいてもいいんだと思えるような環境を整えることが、第一ではないでしょうか。それには少年院送致よりも、保護観察の方が適していると私には考えられるのですが」
まだ自分の意見をよりどころにしている別所に、雫たちは揃って声をかけていた。それは自分の意見に別所を引き寄せようとすることだったけれど、それでも雫は別所へ呼びかけることをやめなかった。
いずれにせよ、鑑別所として処遇意見は一つにまとめなければならない。だとしたら、自分の意見を主張することにも筋が通っていると、雫には思える。
それでも別所は、簡単には首を縦には振らなかった。揃って保護観察を主張している雫たちに、表情が難色を示している。
「確かにお二人の言うことにも、一理あると思います。それでも、お言葉ですがお二人は少年院送致を保護観察よりも重い処遇だと考えて、それを硯さんには回避させようとしてはいないでしょうか? 硯さんの今後の人生も考えれば、少年院送致よりも保護観察の方が有益であるとは必ずしも言えないと思うのですが、いかがでしょうか?」
その別所の問いに、雫は特殊詐欺に関与した疑いで鑑別所に入所してきた、大石のことを思い出していた。確かあのときも、自分たちの処遇意見は保護観察と少年院送致で異なっていたはずだ。そして、雫を説得するために、別所が同じような言い方をしていたことも、雫には同時に思い出せる。
もちろんあのときと同様、別所の言葉に納得する部分も雫にはある。
それでも、雫は引き下がらなかった。硯のためにはどんな処遇がふさわしいか、自分なりに懸命に頭を振り絞って考えたことが、確かなよりどころになっていた。
「それは別所さんのおっしゃる通りです。私も保護観察の方が少年院送致よりも軽い処遇だから良いとは、考えていません。どの処遇の間にも軽重はないことは、私も分かっているつもりです。ですが、それでも私は硯さんには保護観察がふさわしいと考えています。硯さんは援助交際はするべきではないという認識をはっきりと持っていますし、何より繰り返しになりますが、今の硯さんに最も必要なのは、両親や友人に必要とされていると感じられる居場所なのではないでしょうか。それは少年院ではなく、硯さんの自らの生活のなかで作られていくものだと、私は考えています」
自分の意見を一言一句確かめるかのように、雫は改めて口にする。硯の認識や環境の改善は、社会のなかでこそ行われるべきだろう、と。
別所の目を見続けることは心に小さくない負荷がかかったけれど、それでも雫は別所から目を逸らさなかった。目を合わせ続けていることで、伝わる主張もあるだろうと感じていた。
別所が小さく息を吐く。そして、はっきりと雫を見たまま告げる。
「山谷さん。確認ですが、山谷さんは本当にそれでいいんですね? もし保護観察の処遇が下って、その期間中に硯さんがまた援助交際に及んでしまったとしても、後悔はしないんですね?」
「別所さん。その気持ちは分かりますが、それは硯さんに少し失礼ですよ。私は、保護観察中も硯さんがちゃんと遵守事項を守って過ごしてくれると期待していますから。それに、何が適切な処遇だったかなんて、すぐには分からないものではないですか。保護観察でも少年院送致でも。だとしたら、私は硯さんや硯さんの周囲に期待して、保護観察を家裁に進言したいと考えます」
雫は、そうきっぱりと言い切ろうとした。けれど、声には少しの揺らぎが含まれていて、改めて尋ねてきた別所に緊張は隠せなかった。
それでも、やはり別所からは目を逸らさない。雫たちはそのまま数秒間、目だけで互いの思惑を交換し合う。
すると、別所が一瞬だけふっと表情を緩めたように雫には見えた。
「分かりました。確かに、硯さんには援助交際はしてはいけないものという認識がありますし、鑑別所での生活態度からも、深く反省をしていることは見受けられましたからね。何より私も硯さんや硯さんの周囲に期待してみようと思います。私も硯さんへの処遇意見は保護観察がふさわしいと、今改めて感じました」
そう意見を変えた別所に、雫は表情に出して驚いてしまう。思わず「えっ、いいんですか?」という声が漏れてしまう。
そういった反応をした雫にも、別所は目を離すことはない。心なしかその目元が少し緩められているようにさえ、雫には思える。
「はい、いいですよ。それとも、山谷さんはやはり少年院送致がふさわしいと考えますか?」
「い、いえ。私も保護観察が適切であるという考えは変わっていません」
「でしたら、鑑別所の処遇意見は保護観察が適当であるということにしましょう。那須川さん、それでいいですよね?」
「はい。私たち全員の考えは一致しましたし、そこに異論を挟もうとは私は少しも思いません」
そう言った那須川に、雫は改めて目が覚める心地を味わっていた。鑑別所としての処遇意見は一つにまとまっていて、それが自分が提言した保護観察であることに、適切ではないかもしれないけれど、喜びさえ雫には湧いてくる。
那須川が「では、お二人とも通知書に記載する硯さんへの処遇意見は保護観察にするということで、よろしいでしょうか?」と念を押すように訊いてきて、雫たちも「はい」と声に出しながら頷くことで答えた。
自分の意見が受け入れられて、雫には清々しささえある。当の硯にはとても言えないが。
「では、処遇意見の方向性もまとまったところで、ここからは通知書に記載する詳細を詰めていきましょうか。まず、硯さんの生育歴についてですが……」
那須川が主導する形で、雫たちはさらに細かな内容を検討していく。雫も面接の結果得られた情報について、尻込みせずに二人に伝えることができた。
それは、処遇意見が自分の提言した保護観察になったことで、自信を得ていたことも大きい。発言も今までより積極的にできていて、別所や那須川もそれを頭ごなしに否定することはしていなかったから、雫の中で硯のためになれているという気持ちは、だんだんと膨らんでいっていた。