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第145話


「それで、面接ではどんな話をされたんですか? 怖がっている守口さんの怯えを取り除くのは、簡単なことではないように思えますけど」

「そうだな。まずは少しでも面接の場に慣れてもらうように、趣味の話や好きなことの話から始めたな」

 湯原の面接の仕方は、鑑別所に配属されたばかりの雫が初めて少年と湯原の面接に同席したときと、何も変わっていないようだった。

 でも、そのことに雫は少し驚いてしまう。守口が起こした事案はとても重大なものだから、もっと別の対応をしてもおかしくはないと感じていたからだ。それも守口だけを特別扱いするわけにはいかないという、湯原の配慮なのだろうか。

「そうなんですか。それで守口さんは何と答えたんですか?」

「別に普通だよ。よく漫画を読んだりゲームをしたりしていたって答えてた。でも、その口調はまだ怯え切っていて、俺が尋問でもしてるかのように感じられたよ」

「そうですか。それは大変でしたね」

「ああ、まあ少年審判を恐れてたんだろうな。自分にどんな処遇が下るかと思うと、怖かったんだろうな。ここにやってきたのは、それ相応の理由があるのに」

「あの、それでそれからはどうしたんですか?」

「どうしたって?」

「いえ、どうやって本題に入っていったのかなと思いまして。だって事案が事案じゃないですか」

「そんなの思いきって訊くしかないだろ。それが俺たちの仕事なんだからよ」

「……もしかして『神山さんを死なせたのか?』って訊いたんですか?」

「まさか。いくら俺だってそんなストレートには訊かねぇよ。まあ、どうして今回のようなことをしたのか、理由は訊いたけどな」

「……それで、守口さんはなんと答えたんですか?」

「ただ『むしゃくしゃしてやった』しか言ってくれなかったよ。何でも日頃から、神山さんのことを嫌だと思っていたらしい」

「それは、日頃のストレスの積み重ねということでしょうか?」

「それは俺も分からなかったよ。守口さんはそれ以上のことは話してくれなかったしな。より適切な鑑別のためには、正直に打ち明けてくれた方がいいのにな」

 それは、こちら側の事情ではないか。雫は一瞬そう思ったけれど、それでも口にはしなかった。もちろん話してくれるのが一番だが、それでも少年が話したくないのなら、強硬な態度を取って話すことを強制させるのは違うと感じる。

 まだ面接の機会は残っているのだ。一度に全てを訊き出す必要もないだろう。それがまだ入所してきたばかりの守口ならなおさらだ。

「それはそうですけど、でも少し仕方がない部分はあるじゃないですか。湯原さんとも昨日初めて会ったばかりなんですし、すぐに心を開けっていう方が難しいですよ」

「まあ、それはそうなんだけどよ、でも俺としては、やっぱりもっと話してほしかったって思っちまうな。初回面接で多くの情報を得られるのに越したことはないわけだし」

「確かに湯原さんの言うことも分かりますけど……。えっ、でも事件のことを訊いた後は、どんな話をしたんですか?」

「別に他の少年と同じだよ。家庭環境とか、友人関係とか、学校での過ごし方とか、そういったことを一つ一つ訊いていったよ」

「それで守口さんはどう答えたんですか?」

「正直に言うと、大体調書に書かれている通りだったな。両親と一緒に市内のマンションに住んでる。友人は数えられるほどしかいなくて、学校では目立たないタイプの生徒だった。話を聞く限り、守口さんの周囲に特に非行が進んだ少年はいなかったように、俺には思えた」

「そうですか。だったら、どうして守口さんは今回のようなことに及んでしまったんでしょうか……?」

「それは本人が言っていない以上、俺だって分かんねぇよ。でも、それも含めて守口さんの性格とか傾向とか、色々なことを調べていくのが俺たちの仕事だからな。まだまだこれからって感じだ」

 その言葉に、湯原が言うならそうなのだろうと雫は納得する。もとより守口と接していない自分が、何かを分かるはずがないのだ。

 雫は「そうですね」と相槌を打つ。話に一段落がついたと思ったのだろう。湯原は雫から顔を逸らすと、バッグの中から自分の昼食を取り出していた。

 そうなると、雫はそれ以上話しかけるわけにはいかなくなり、再びスマートフォンに目線を戻す。頭の中には午後に控える少年相談に加えて、守口の姿もおぼろげながら浮かんでいた。




 シャトルバスを降りると、暖かな日差しが降り注ぐ。四月を迎えて日中は気温も上がるようになり、今は羽織るものも要らないくらいだ。

 開放的な空気のもと、人の話し声がめいめいに聞こえるなかを、別所はスタジアムに向けて歩き出す。四月最初の日曜日のこの日は、AC長野キャマラッドのホームゲームが開催される日だった。

 メインスタンドのチケットを買って、スタジアムに入る。青々としたピッチは牧歌的な雰囲気を醸し出していて、キックオフまでまだ時間があるからか、空気もどこかのんびりしている。ぽつぽつという人の入りの中でも、キャマラッドのチームカラーであるオレンジはいくつも見えた。

 漫然と座る席を探していると、その人物の姿はすぐ目についた。今シーズン仕様のユニフォームを着ていて、首にはタオルマフラーを巻いている。

 別所は、その人物の隣に向かっていく。「こんにちは」と声をかけると、万里は和やかな表情で答えていた。

「こんにちは、別所さん。今シーズン会うのは初めてですよね。あけましておめでとうございます」

 四月にもなって「あけましておめでとうございます」という挨拶をしている万里のことを、別所は少しおかしく思う。

 でも、それもファンやサポーター同士の間では普通に交わされている挨拶だから、別所も自然な表情で応えられた。

「はい、あけましておめでとうございます。万里さんは今シーズンⅤスタに来るのは初めてですか?」

「ええ、最近は忙しくてなかなか休みが合わなくて。今日になってようやく来れました」

「そうですか。そうですよね」と、別所は相槌を打ちながらわずかに怪しい感覚がした。長野Ⅴスタジアムの空気は普段通りだが、それでもそれは確かに起こってしまったことなのだ。

 それとなく話の方向転換を試みる。

「ところで、どうですかね。今日のキャマラッド、勝てますかね」

「まあ、俺としてはもちろん勝ってほしいんだけどよ、それでもなかなか大変な試合になりそうだよな。なんてったって相手は、去年は二部で戦ってたチームなんだから。降格してきたとはいえ、手強い相手には変わりねぇよ」

「そうですよね。でも、私は今日も勝ってほしいなって思います。相手には今年キャマラッドから移籍してきた選手もいるので、なおさら」

「ああ、白鳥しらとりのことだろ。俺もそれは意識してるよ。去年までずっと主力だったんだから。だからこそ、今日はより負けられないよな」

「そうですね。今日もきっと勝ってくれると、私は期待してます」

「ああ、俺もだよ」

 そう万里が言うと、話は一度落ち着いた。

 別所はピッチを眺める。それでも、心はいまいち落ち着かない。

 それはこれから始まる試合にドキドキしていることもあるけれど、それ以上に隣に万里がいることの方が大きい。今、二人の間で最大の関心事はキャマラッドのことではなかった。

 それでも、別所はその話を切り出していいのかどうか迷う。誰も自分たちの話に聞き耳を立てている様子はないとはいえ、ここは外だ。

 万里にも配慮があったのだろう。少し声を潜めて、「別所さん、ちょっといいか?」と言っている。その様子に万里が何を言おうとしているのかは分かったから、別所もよりいっそう周囲に聞かれないように耳を近づけた。

 万里の席のドリンクホルダーに、今まで飲んでいたビールはない。

「例の少年のことなんだけど、今そっちにいるんだよな」

 ささやくように言った万里の言葉は最大限配慮したものだったが、それでも別所は万里が何を言いたいのか、すぐにピンときていた。思わず周囲を窺ってしまう。

 スタジアムの中に、別所たちに聞き耳を立てている人間はやはり見られない。それでも、念のため別所も声を潜めた。

「はい、そうですね」

「それでどうだよ。その少年は。今、どうしてるんだ?」

「それはいくら万里さんでも、守秘義務があるから言えないと言いますか……。というか、私はそもそもその少年の担当ではないので、詳しいことは人づてにしか聞けないんです」

「そっか。そうだよな。でも、湯原君。今そっちにいるんだろ? どうなんだよ」

 万里が持ち出した話題に、別所は一瞬だが息が止まるような心地がした。鑑別の仕事をするなかで、湯原と万里の間に面識があることは別所も知っている。

 でも、万里が言っているのはそのことではないだろう。二人には、他にも重大な接点がある。だから、別所の返事も自ずと慎重になった。

「それは、はい。しっかりと仕事に励んでますよ。私たちもすごく頼りにしています」

「そうか。なあ、もしかして湯原君は、今その少年を担当してたりするのか?」

 そう訊いてきた万里に、確証はなかったのだろう。でも、その可能性は半々にすぎない。万里がそれを見越して訊いてきていることも、別所には十分に想像できた。図星を突かれたという思いを、別所は努めて表に出さない。

「すいません。それもお教えできないです。それも守秘義務の範囲内なので」

「まあ、そりゃそうだよな。ましてやこんなとこで簡単に言えるわけもないか。でもよ、湯原君、大丈夫かよ?」

「大丈夫とは、どういう意味でしょうか?」

「かつてのことを思い出していないかってことだよ。ていうか、こんなことが起こって思い出すなって言う方が難しいだろ」

「……それは分からないです。私も本人から直接訊いたわけではないので」

「そっか。でも、まあ俺は湯原君のときのことを思い出してるけどな。だって、俺は昔湯原君のことを担当してたときがあるわけだし」

 万里が意図せず呟いた言葉に、別所は胸が詰まるようだった。湯原のことは別所も知っているし、万里と湯原の関係だって聞き及んだことがある。

 でも、いざ万里からそのことを口にされると、鼓動が速まっていく。それは、別所にはあまり進んで話したい話題ではなかった。

「ば、万里さん、この話やめましょうよ。もっと他の、例えばキャマラッドとかの話をしましょうよ」

 別所の胸が詰まるような思いが伝わったのか、万里も「まあ、そうだな」と応じていた。その話は、和やかな雰囲気のスタジアムでするには、少しも似つかわしくない。だから、万里が理解を示してくれたことに、別所はわずかに胸をなでおろす。

「そ、そういえば先週残念でしたよね」と話題を変える。万里も「そうだな。完敗だったよな」と頷いている。キャマラッドが負けた試合の話は別所にとっても心苦しかったが、それでも守口や湯原のことを話すよりは、大分マシだった。


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