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第149話


 湯原に何があったのかを知りたい。そうは思いながらも、直接本人にラインや電話で訊くまでの思い切りは出ずに、雫は悶々とした思いを抱えたまま、また次の朝を迎えてしまう。鑑別所に出勤したときから、雫はドキドキするあまり、喉が渇く。

 今日は守口との鑑別面接の日だった。守口にとっては二回目だが、雫はこの日初めて守口と顔を合わせる。平賀から、担当技官が雫に代わったことは守口にも伝わっているはずだが、それでも雫は守口が起こした事案の重大性を思うと、緊張せずにはいられない。

 でも、きっとより緊張しているのは面接を受ける守口の方だろう。自分がしっかりしなくてどうする。

 雫は何度も自分に言い聞かせる。それでも、完全な平常心でいることは、雫にはなかなか難しかった。

 全体朝礼を終えて、守口の調書や湯原が残してくれた前回の面接や心理検査の内容を、雫は今一度確認する。でも、その間もバクバクと鳴る心臓の鼓動は止まなかった。

 それでも、雫は落ち着くように一つ息を吐いてから立ち上がる。守口との鑑別面接の時間は、もうすぐそこまで迫ってきていた。

 階段を上って、雫は手前から二番目の、守口が収容されている居室に辿り着く。一拍置いてから、ドアをノックする。「守口さん、失礼します」と言って、ドアを開ける。

 すると、そこには膝を抱えて座っている守口がいた。調書の写真で見るよりも、身長がまだ低いせいか、雫にはその姿があどけなく見える。

 でも、その顔が自分に向けられたとき、雫はハッとしてしまう。その瞳は、まるで全ての希望を失ったかのように、色が消え失せているようだったからだ。

 それでも、雫は怯むわけにはいかない。なるべく穏やかな表情を心がけながら、守口に話しかける。

「すでに担当教官である平賀の方から説明は受けていると思いますが、改めて名乗らせてください。本日の面接から守口さんの担当技官を受け持つことになった、山谷です。守口さん、短い期間ではありますが、これからよろしくお願いしますね」

 そう言った雫にも、守口は特にこれといった反応を返さなかった。ただ、うつろとも言える目で雫をぼんやりと眺めている。その表情からは、どうして自分の担当技官が湯原から雫に代わったのかにも、それほど関心を抱いていないように雫には見える。

 今の守口の状態を一言で表すなら、茫然自失といった言葉がふさわしいようにも、雫には思えていた。

「それでは、守口さん。さっそくですが、今日の面接を行いましょうか。私についてきてください」

 心ここにあらずといった様子の守口も、雫は放置するわけにはいかなかった。努めて落ち着いた声で呼びかける。

 すると、守口もゆっくりと立ち上がっていて、でもその姿は立っているのがやっとというようにも、雫には見えてしまう。一緒に第一面接室に向かう足取りも、どこか覚束ない。

 それでも、第一面接室に入ると、雫たちは向かい合って座った。腰を下ろしてからも、守口の視線は机や自分の足元に向いていて、雫を見られてはいない。

「それでは、これから今日の面接を始めたいと思います。守口さん、よろしくお願いします」と言ってみても、反応はなしのつぶてで、第一面接室には澱んだ空気が漂っていた。

「では、守口さん。最初は少しでも緊張を解すために、軽い話題から始めましょうか。どうですか? 守口さん。鑑別所に入所してきてから一週間ほどが経ちましたが、ここでの生活には慣れてきましたか?」

 そう切り出した雫にも、守口は俯いたまま答えなかった。それは返事を探しているといった様子ではなくて、最初から答えようとしていないことが、雫には察せられてしまう。まだ答えられるような、会話ができるような状態ではないのだろうか。

 それでも、答えてくれなければ面接は進まないので、雫は「あの、守口さん?」と呼びかけてみる。

 すると、守口は数秒置いたのちに、おずおずと口を開いていた。

「……ありますか?」

 それは耳を澄ませていなければ、聴き漏らしてしまいそうなくらい小さい声だった。その言葉だけでは守口が何を言いたいのか分からず、雫は思わず「はい?」といった反応をしてしまう。

 すると、守口は今度は少し長く続けた。

「……こうして僕と面接をすることに、意味なんてありますか?」

「それはどういうことでしょうか?」

「……だって、僕の人生ってもう終わってるじゃないですか」

「終わっているとは……?」

「ここで僕が何を言ったところで、僕が刑務所に入れられるのは変わらないんですよね。刑務所で何年も過ごして、場合によっては死刑にもなるかもしれない。僕の人生は、あの瞬間で終わってしまったんですよね」

 守口の認識は、雫からすれば明確に間違っていると言えるものだった。雫は否定する雰囲気を前面に押し出さずに、あくまでも穏やかに諭すといった口調で答える。

「いいえ。守口さんの人生は、まだ何も終わってはいないですよ」

「……いえ、そんなことないです。あんなことをしてしまって、僕はもうおしまいなんです」

「守口さん。まず言っておきますと、今回の事案で守口さんが刑務所に行くことは、絶対にありません。この国の法律では、一四歳未満の少年を刑務所に入れることは許されていないんです。もちろん、死刑にもなりません。だから、そこまで絶望的に思う必要はないんですよ」

「……で、でもそれに応じた罰は受けますよね?」

「守口さん、これも法律の話になるのですが、この国には守口さんのような、一四歳未満の少年に刑罰を与える規定は存在しないんですよ。守口さんに課せられるのは、あくまで少年院送致などといった保護処分です。それは守口さんが想像している刑罰とは、また違ったものなんですよ」

「それって少し甘くないですか……?」

「確かに聞いただけなら、そう思われるのも無理はないかもしれません。でも、保護処分というのは守口さんが想像しているほど、甘くはないんですよ。たとえば少年院送致なら、刑務所であれば刑務作業をこなして問題を起こさなければ極論としてはOKですが、少年院では個々の少年に合わせた処遇計画が策定されます。その中にはいくつもの矯正に必要な教育課程が含まれていて、少年院に入院したからには、それを受けなければならないんです。たとえ嫌でも気が進まなくても、それは絶対です。そう考えると、少年院が刑務所よりも甘いとは、必ずしも言い切れないのではないでしょうか?」

 すぐに返事をしなかった守口は、何と答えたらいいのかを決めかねている様子だった。誤った認識を正されたことで、少年院には行きたくないという思いが芽生えているのかもしれない。

 それでも、自分と会話をしようという意思が少しだけれど見られてきたことに、雫は面接ができそうだという感触を得る。まだ目を伏せたままでいる守口に、重ねて説いてみる。

「とはいえ、まだ守口さんが少年院送致になると決まったわけではありません。他の選択肢だってあります。それも含めて、守口さんにとってどういった処遇が一番ふさわしいのかを考えることが、私たちが行う鑑別です。ですから、より精度の高い鑑別を行うために、私は守口さんにはできる限り、私が訊くことに答えていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか?」

 雫がそう言うと、守口は少し考える素振りを見せた後に、「分かりました」と呟いていた。目線は相変わらず机に向けられたままだったが、それでも雫には構わないと思える。事案が事案だから、自責の念もより強いのだろう。

 もちろんそれが行き過ぎるのも問題だが、現状を正しく認識していないよりかはいくらか良いと、雫には思えた。

「では、守口さん。改めてお訊きします。いかがですか? 鑑別所での生活は。入所してから一週間ほどが経ちましたが、少しは慣れてきましたか?」

「……はい。少しずつですけど慣れてきました。起床時間も消灯時間も早いのは、最初は驚きましたけど、それでも少しずつ慣れてきていると思います」

「そうですか。では、反対に鑑別所で生活するうえで、何か困っていることなどはありますか? もしできる範囲なら、私たちも対応したいと思っているのですが」

「……い、いえ、特にはありません。空き時間が長いことには最初は慣れなかったんですけど、それでも自分がしてしまったことを振り返って見つめ直すには必要な時間だと、今は思えています」

 守口の返答は、雫にはいくらか理想的だと思えるものだった。もしかしたら自分が面接の意味を説いたことで、かえって守口が迎合的なことを言っていると思えてしまうほどだ。

 もちろん声に出して疑うことはしなかったが、それでも少し注意しなくてはと感じる。まだ顔を下げたままの守口が、本心を言っている保証はどこにもなかった。


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