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第56話 侵入者





「……これで、飛行船内の案内は以上となります。基本貴女達には指定された場所にずっと居てもらいますが、緊急時にインカムで諸々の指示をされた場合には、他の場所に動いてもらうことがあるかもしれません」


 飛行船内の主要な部屋や設備を、実際に回っていきながら杏樹と夏怜に説明していた鷲津。多くの客室や、操縦室に通信室、倉庫等。2人には、とにかく部屋の場所を大まかに覚えてもらうのが目的だった。「ここに動け」と言われたら、スムーズに動くようになってほしかったから。

 船内だけで繋がる、ヴェルデ財閥専用の小型のインカム。それを貰っていた2人は、それを耳に嵌めつつ、飛行船が離陸する前に言葉を交わす。


「杏樹は……あの2人が泊まるスイートルーム前だっけ?」


「うン、そォ。夏怜ちゃンは?」


「操縦室前の所っ! どっちも大切な所だね〜……」


 ついさっきまでは、同じ時同じ場所で、同じように護衛をしてきた、2人の正義執行人。しかし、この飛行船に乗ってからは、どうやら二手に別れて仕事をするようだ。

 ヴェルデ姉妹が泊まるスイートルームの前には、杏樹が。飛行船を操縦する人間が居る操縦室の前には、夏怜が配置される。どちらも、簡単に他人が入ってはいけないような場所だ。2人の他にも、そういった大切な場所には多数の警備員が配置される。万が一を絶対に起こさないように、徹底しているのであろう。


「……ンじゃ、また」


「うんっ!」


 ロシアからウリフ共和国までのフライト時間は、4時間半程度。この4時間半を終えれば、2人は晴れて護衛の任務から解放される。正直、空に飛び立った時点で、誰かに侵入される危険性はほとんどないし。裏切り者が出たりしない限りは、大丈夫であろう────。2人はそう考えていた。

 そんな飛行船の中、倉庫の中。まだ誰にも気づかれてすらいない“闇”が、今まさに動き出そうとしていた。


「アタシ達の動きは、バレていないのかしら? あそこにも……あと、あそこにも。ざっと見えるだけでも、3つは監視カメラがあるようだけれど」


 倉庫の中には、人影が2つ。片方は、警備員の服を着た男。そして、今言葉を放っているもう片方の人間は……。暗い独特のオーラを纏った、背の高い女性。そのオーラからは、只者ではないといった雰囲気が読み取れる。

 男は、先程自身が処した警備員を、強引に袋の中に詰めながら口を開いた。


「それは大丈夫だ。前回時の映像を少しばかり加工して、すり替えておいた」


「ふむ……そう」


 返答を聞けば、朝起きた時の気だるさをスッキリとさせる時のように、体中の関節を鳴らし始める彼女。


「……そういやぁ、今回の護衛は、なんでも日本人……しかも、女らしいぜ。あんたなら楽勝だな────、アナスタシア」


 何とか袋に死体を詰め終わった男は、欠伸をしている彼女……アナスタシアの方を向いてそう呟く。どうやら、杏樹と夏怜が護衛をしているということを、裏切り者の彼は既に知っているようだった。

 アナスタシアは、欠伸をしながら考える。大事な護衛に、日本人で……女性? 言っちゃ悪いが、護衛には向かないような人種に性別だ。この財閥は、気でも狂ったのだろうか。それとも、金が足りなくなったとか……?


「……侮っちゃいけないわ。もしその護衛が、アタシのように、突然変異的な人間だったのなら。貴方もアタシも、数時間後には冷たくなってるかもしれない」


 ……否。これから殺す人間のことを考えても、無駄でしかない。そう思考したアナスタシアは、薄ら笑いを浮かべながら男に言葉を返す。


「……はは、よしてくれよ。冗談は。契約金を貰ってる限り、失敗することはないだろ?」


 アナスタシアの、不気味な薄笑い。その笑みを見た男は、背中に悪寒を走らせつつも、彼女の冗談なのだと言葉を受け取る。そして男は、言葉を発しつつ、倉庫の床にある小さな扉を開く。

 男が床の扉を開くと同時に、床の下の空間で待機をしていた無数の男達が倉庫の中へと出てくる。アナスタシアと同じの、依頼をされてこの船に乗り込んできた人間だ。


「ま、そうね。金を積まれたのなら、それに応えた仕事をするのがアタシの仕事だから」


 アナスタシア・ノヴィコフ。出身はロシア、職業、傭兵。これまで、数々の戦争に参戦しては勝ち星を積み重ねてきた、孤高の傭兵とも言われている存在である。彼女は今回、ロシアのあるお偉いさんに依頼をされて、仕事に望む。

 殺し屋、精鋭50名。傭兵、1名。

 相対するは────。船内警備員約50名と、作業員20名弱、ヴェルデ財閥の執事4名、護衛2名。

 間もなく、この飛行船は、空飛ぶ戦場と化す。











「……、……暇だなぁ」


 飛行船が離陸して、1時間半の時間が経った。ヴェルデ姉妹についていきながら護衛をしている時は、視界の片隅にロシアの街並みが映っていたが……。ここではただ、怪しい者が近寄ってこないか確認をしながら操縦室の前で立っているだけ。あまりにもつまらない仕事だ。

 勿論、何も起こらないのが一番いいことというのは理解している。しかし、あまりにつまらなさすぎるばかり、周りの警備員にバレない程度の声量で夏怜は呟いた。


「…………ん?」


 静かな飛行船の中。操縦室の方へ、何者かが駆け寄ってくる音が聞こえ始めた。大きくも小さくもない程度の足音で、夏怜を含めた警備員達は即座に警戒を始める。

 操縦室の前の空間は、広いホールのような空間。そこに現れたのは────。顔を青ざめさせ、息を切らしながら走ってきた船内警備員だった。


「……おい、どうした?」


 明らかに動揺をしつつ現れた彼を見ると、操縦室前の警備員の1人が彼に声をかける。インカムで緊急の連絡は届いていないし────、いったい、彼の身に何が起きているのだろうか? 警備員は、全員息を呑んで、彼の言葉を今か今かと待ち望んだ。中には、その状況の異常性から、密かに銃口を向けるものさえ居た。

 息切れをしていた彼は、息を必死に整えながら、ゆっくりと顔を上げる。そこがどこかを認識すると、「やってしまった」と言わんばかりの絶望的な表情を浮かべて口を開く彼。


「────たすけ」


 彼が、言葉を完全に言い終わる前に。彼の後ろの闇から、足音も無くとある人間が現れ。その人間が現れると同時に────、血を吐きながらその場に崩れ落ちた警備員。

 警備員が崩れ落ちると、後ろに立っていた人間の姿が、操縦室前の警備員達の目に明確に映るようになる。そこに立っていたのは、濃い紫髪で黒い服を着ている、背の高い女性だった。6本伸びている髪の三つ編みと口元のほくろが特徴的で、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。


「ありがたいわ、雑魚が群がる場所へと案内してくれて」


 静まり返った空間。現れた傭兵……アナスタシアは、微かな笑みを浮かべて、警備員達を見回しながら英語で言葉を発した。

 ここに居る夏怜以外の警備員は、当たり前のように英語を使える人間ばかり。つまりそれは────。アナスタシアの挑発を、簡単に理解できてしまうということ。


「殺れェッ!!」


 分かりやすい挑発をされた上、目の前で同じ仕事をしていた人間が殺される。それは、警備員達を怒り心頭に発させるには充分な材料であった。10人も居ない程度の警備員達が、アナスタシアに攻撃を開始する。ある者はナイフを抜き、ある者は銃口を向け……。

 乾いた銃声が、何発か連続で船内の中へと響き渡る。その音は、操縦室前から離れている客室の方にすら到達してきていた。


「…………銃声……?」


 飛行船の先頭から響いてくる、不穏な音。それが耳に入った鷲津は、即座に杏樹や他の警備員の顔色を伺う。皆、船の先頭の方をなにか気にしているようだ。……どうやら、幻聴というわけではなさそうである。

 響き渡ってきた銃声は、1発だけではなかった。誤発の可能性は、限りなく低いだろう。事件性があると判断した鷲津は、耳に装着しているインカムを操作して、通信機能を有効にさせる。


「通信室、聞こえますか」


 判断をして数秒も経たないうちに、通信室へと連絡をする鷲津。いつもなら、3秒足らずで返事が返ってくるのだが……。……5秒待っても。……10秒待っても。返事は、来なかった。

 それもそのはず。通信室は、計画が始まって、アナスタシアが真っ先に向かった場所だから。ダクトを通って、監視カメラに映らないように移動したアナスタシア。通信室へと忍び込み、作業員5人を亡き者にした時から────。彼女達は、カメラなんて気にせずに、自由に飛行船内を動けるようになったのである。


「……仕方ない。……朽内さん、私は通信室へ向かいます」


 何者かによって電波が遮断されている……もしくは、襲撃にあったとか? 何にせよ、通信室が機能しないのは不便以外の何物でもない。鷲津は、ヴェルデ姉妹が2人で過ごしている部屋の前を離れ、通信室へ向かうことを決意する。

 自身が通信室に向かっている間は、部屋の警備が少しだけ甘くなる。現場の指揮も鷲津は担っているから。誰かを向かわせればいいのかもしれないが、自身が向かった方があらゆる面で確実。「任せます」か、「頼みます」か……。一時的に指揮権を杏樹に譲渡する言葉を、鷲津はかけようとしたが……。


「その必要は無いみたいだヨ」


 通信室へ向かおうとする鷲津に、杏樹は声をかける。飛行船内で何かが起こっているというのに、通信室に行く必要が無い……? 随分と不可思議なことをいう杏樹に、言葉を返そうとする鷲津。

 しかし、言葉を返す前、鷲津はあることに気づく。今回の警備は、ヴェルデ姉妹の部屋を中心点として、周りを囲うように警備員が配置されているのだが……。前からも、左右からも、後ろからも。警備員ではない何者か達の気配や足音、話し声が迫ってきている……ということに気づいたのだ。


「……なるほど。敵の方からこちらへと向かってきてくれてる、ということですね」


「ビンゴ〜」


 アナスタシアが通信室を襲撃してくれたおかげで、自由に動けるようになった殺し屋50人が真っ先に向かう場所は、無論標的が居る部屋一択。標的の首を取った者が多額の賞金を得られるという、早い者勝ちの勝負という条件で乗り込んだ殺し屋達からしてみれば当然の選択だろう。


「……中々厳しい戦いになりそうですね」


「数的不利の上、囲まれてるとなるとかなり面倒だネ……。どォする? 周りの援護くらいは行けるケド」


 鷲津が対処をどうするか考え、杏樹がそんな鷲津の判断を仰いでいる間。こうしている間にも、周囲の廊下では、警備員と殺し屋達による戦闘が始まりつつあった。

 飛行船に侵入者が現れるなんて、鷲津からしてみれば初めての経験。侵入者が現れた時のシミュレーションはしたことがあるが、「多くの侵入者に部屋周辺を囲まれる」というシチュエーションは想定してみたことがない。本来、こんなことは普通起こらないから。


「……いえ、行かなくてもいいです。ここの警備が手薄になる方が不安ですから」


 気配から考えて、1対1ではなく1対3程度の戦闘になってもおかしくないだろうし、そうなれば不利になるのは警備員の方。それを考えて、杏樹は援護に行こうかと鷲津に聞いたのだが……。鷲津は、それはしなくても大丈夫だと否定する。

 じゃあ、どうするんだ? と杏樹が質問しようとする前。鷲津は、インカムを操作して、通信の対象を周辺の警備員に絞ってから口を開いた。


「これを聞いている警備員。無理に大人数と応戦する必要はありません、1対1が基本です。命が危険と判断したのなら、1人や2人くらいこちらへ流しても大丈夫です」


 船内が徐々に騒がしくなってくる中、判断を終えた鷲津は英語で速やかに警備員達にそう伝える。

 普通ならば、「護衛には命が伴う」とか、「死ぬ気で守れ」といった趣旨の内容の言葉を伝えるだろうが……。鷲津が放った言葉は、それとは真逆の内容。「自分の命を大切にしろ」、「敵を通しても良い」。勿論、そんな言葉を送ったのにはちゃんと理由があった。


「互いに幸運を祈ります。自分が今できる最善を尽くしましょう」


 まだ敵が居ないし余裕があるからと、冷たい指示だけではなく、幸運を祈る言葉までかけてからインカムの通信を切る鷲津。

 容姿だけ見れば厳しそうに見える鷲津だが、彼と一度でも仕事で関わったことがある人間ならば、皆が言う。「彼は仕事に対しては厳しく、その上で優しく愛があり、人情に溢れている人である」と。


「……よかッたノ〜? いい判断とは思うケド、場合によッちゃ大忙しになるヨ」


 鷲津がインカムを切ったのを確認すると、脳内で英語を和訳して、作戦の意味を理解してから杏樹はそう質問する。

 指示をされた、主君の命よりも自身の命を優先して動けという作戦。応戦しに行けば敵の数は減るかもしれないが、色々なケースを考えて鷲津と杏樹は部屋の前から離れられない。そんな2人が、部屋の前に居たとしても護衛として機能するには────。敵の方から、部屋の前へと来てもらう。それを狙って、鷲津は1人や2人くらいなら流してもいいと言ったのだ。


「たとえそうなったとしても、仕事なのでやらねばなりませんね。私はともかく、貴女ならいけるでしょう?」


 杏樹が危惧していたのは、警備員全員が自分の命を失うことに恐れて逃げたりして、想像よりも多くの侵入者が部屋の前へとここに来ること。武器を持たぬ一般人が相手なら、たとえ1対30になっても勝つことができただろうが……。武器を持った殺し屋数十人が相手だとしたら、流石の杏樹でも話は変わってくる。命を狙って飛行船に潜入してくる人間だ、その道のプロと判断してもいいだろうと杏樹は考える。

 しかし、高いリスクには高いリターンが返ってくるもの。この作戦が上手いこといけば、侵入者を一掃できるチャンスとなる。……そして、上手くいかなかったとしても、きっと杏樹ならばどうにかしてくれる。これは、杏樹を仕事ができる人間だと判断し、同時に信頼しきらないとできない判断だ。


「ハハ、どうかネ〜」


「……きっと、大丈夫ですよ。部下は私の言うことを第一に聞きますが、同時に強くもあります。今の私の発言を聞いた彼らは、こう思うでしょう。『ああ言ってはいたが、そう簡単に先へ通すわけにはいかない』と。できる範囲内の、少しくらいの足止めくらいなら、してくれるはずです」


 武器を持った大人数を相手にすることなんて普段はないし、不安がったりはしないが、確実なことを言う返事を杏樹はしなかった。鷲津は、杏樹を元気づけるような発言を淡々と述べる。どうやら鷲津は、杏樹だけでなく、自身が指導した警備員達もしっかりと信頼しているようだ。


「さて。私は、少しばかりお嬢様方と話をしてきます。1分足らずで戻ってきます」


「おッけ〜」


 ヴェルデ財閥の執事でもある彼は、現時点の状況を姉妹に伝えなければならない。少しの間部屋の中で話をすることを杏樹に伝えると、スーツの内ポケットから部屋のカードキーを取り出して鷲津は部屋へと入っていく。

 飛行船内では、2つの箇所が戦闘の場と化していた。1つは、杏樹と鷲津、警備員達が殺し屋と戦う客室付近。もう1つは────、夏怜と少数の警備員がアナスタシアと戦う、操縦室前。この戦いの行方は、本人達のみぞ知る。













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