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通報

第64話 後悔





「こちら110番です。事件ですか? 事故ですか?」


 警視庁の地下に配置されている、通信司令センター……いわゆる110番へ、1件の通報が飛び込んでくる。事件か事故かを聞くのは、いち早く警察へと通報の内容を伝達するため。ここに配属される人間は、皆優秀な者ばかりだ。常に迅速な対応が求められるから。

 今回通報を受け取ったのは、通信司令センターに配属されてちょうど10年目くらいの、比較的ベテランの指令員。よほどのことがない限りは焦ったりしない指令員、だったのだが…………。通報の内容を聞いた瞬間、彼は自分の耳を疑った。


「……銃乱射、ですか!? 学校で?!」


 思わず、少し大きめな声で反応をしてしまう指令員。当然と言えば当然だ。聞き慣れているような窃盗、強盗、傷害、詐欺、その他諸々。それらと銃乱射事件とでは、全く違うのだから。

 この日本で、学校で銃乱射事件が起きたという記録は、どれだけ探しても遡ったとしても無い。アメリカやヨーロッパ諸国の学校で銃乱射事件が起きました、というニュースを見たことは、1回くらいならきっとほとんどの人があるだろう。しかし、日本国内にある学校で銃乱射事件が起きました────というのは? そう。誰に聞いたとしても、見たことも聞いたこともないという解答が返ってくる。それもそのはず。銃乱射事件というのは、本来日本では起こるわけのない事件なのだ。理由は単純で、日本が銃社会ではないから。


「……わかり、ました。もう少しお伺いすることがあるので、電話はそのまま繋いでいてください」


 電話の主の、妙にリアルな焦り方。なんとなく周りがザワザワとしているのか、所々で通話にノイズが入る。ベテランの勘が光る。これは、悪戯なんかではなく、本当の通報だ。

 聞いた時こそ内容が非日常すぎて焦ってしまったものの、指令員は深呼吸をして、一度思考をリセットさせる。問題なのは、事件が起きたか起きてないか、とかではない。いかに迅速に警察に連絡をして、現場に派遣をするか────。それこそが、彼にとっての問題なのだ。


「簡単にお答えしてください。まず、事件が発生した場所は…………」


 冷静になった指令員は、電話の主へと質問をし始める。どこで、いつ、誰が、その犯人の特徴、被害状況、電話主の氏名や電話番号、などなど……。それら全て、警察に事件が起きたと伝える前に聞いておかなければいけないことである。

 場所は、東京都立小華和高等学校。5分程度前に1度目の発砲、現在進行形で、校内で事件が起こっている。容疑者はその高校の生徒、とのこと。茶髪で眼鏡をかけており、人間の胴体程度の大きい銃を所持。既に何名かは撃たれており、負傷者も出てきている。その内の最初に狙われた1名は頭部を撃たれたらしく、被害はかなり大きそうものになりそうだ。電話の主は、高校の教員。

 その他の様々な情報を聞き出し終わると、指令員は警察へと連絡する前に、通報をした教員へとあることを伝えておく。


「これから警察を出動させますが……、教師も生徒も、危険なので絶対に校舎内には戻らないようにしてください。それから、保護者への緊急連絡もよろしくお願いします」


「わかりました」


「それでは、失礼します」


 必要なことを話し終えると、すぐに教員との電話を切り、警察への連絡を始める指令員。そんな彼の脳には、少しだけ嫌な記憶が蘇ってきていた。

 通信司令センターに配属されてまだ1年が経っておらず、彼がまだ新人だった頃。今の状況と同じように、都内の学校でとある事件が起こった。その事件が社会に与えた影響は、凄まじいもので────。今の治安が悪い日本を作ったのは、その事件の犯人であるといっても間違いではないだろう。

 そのような犯人を、生ませないためにも。近頃またもや悪くなってきているこの日本の治安を、これ以上悪くしないためにも。覚悟を決めてから、警察に連絡が繋がった指令員は、迅速に事件の内容を伝えるのであった。











「……ふィ〜。治安が悪いッて嫌だネ」


 一方。現場に到着した杏樹は、早くも事件を解決し終わっていた。

 杏樹が頼まれたのは、都内のとある民家で起こっている人質立てこもり事件の解決だったが……。犯人に対して警察が交渉をしている間に、裏口から音も立てずに侵入し。警察に気を取られている間に、気づかれぬまま杏樹が犯人を射殺。そのような形で、立てこもり事件は幕を閉じたのだ。


「さて、と。知ッてる子も居なさそうだシ……帰るとしますか」


 遊馬や岬、黒音といった知人の警官が居なさそうということを確認すると、帰るためにバイクの方へ歩いていく杏樹。事件解決に要する時間よりも、家と現場の間を移動する合計時間の方が長いなんて、今まででもザラにあったことだが……。頻度が多くなってくると、それにイラついてきてしまうのも仕方がないこと。杏樹は、ほんの少しイラついていた。

 まぁとはいえ、早く帰れるのはいいこと。最近は事件数こそ増えているものの、強敵と対峙することは少ないし。いつだってポジティブポジティブ……、なんて脳内変換をして、バイクに跨った瞬間。自身の携帯が鳴っていることに気づく杏樹。


「…………岬ちゃン? ……な〜ンか嫌な予感……」


 自分に電話をかけてきた人物は、まさかの人物。岬だった。携帯に映る名前を確認した杏樹は、少しだけ厄介そうな表情を浮かべる。

 それもそのはず。岬から電話がかかってくる時は、大抵2つの内の1つのことを言われる。1つは、どこそこで事件が起こっているから、まっすぐ現場へ向かってくれ、ということ。そしてもう1つは、事件に関しての話をしたい・聞きたいから、警視庁に来てくれ、ということ。……そう。岬から電話がかかってきた時点で、杏樹がどこかへ向かわされることは既に確定しているようなものなのだ。


「……はァ〜い。もしもし」


 向かわされる先が警視庁とか、もしくは今居る場所の近くとか……それくらいだったらいいな、なんて思いつつ、杏樹は応答のボタンを押す。


「仕事は終わったようだな、お疲れさん」


「ン。ありがと〜」


 杏樹が連絡するよりも前に、部下から連絡を受け取っていたのであろう。岬は、杏樹との電話が繋がると同時に労いの言葉をかけた。


「……仕事が終わって早々悪いんだが……、仕事だ」


「まァそうですよネ〜……」


 杏樹が予期していたとおり。この電話はやはり、仕事の依頼に関するものであった。電話をかけてきた岬ですら、気まずそうというか、申し訳なさそうというか……。そんな声色になってしまっているのが、最近の正義執行人の多忙さを物語っている。


「都内の、小華和高校って所で銃乱射が起こってるらしい。詳しい住所は送っておく、今すぐ八王子方面に向かってくれ」


「八王子ネ〜、了解。……小華和高校、ッて……聞いたことあるようナ」


 岬が発した、小華和高校という高校の名前。きっと行ったこともないし、日本国内に名が知れてる高校、というわけでもなさそうだが……。杏樹は、どこかその高校の名に聞き馴染みというか、聞き覚えがあった。

 自分や自分の知人に関係していることでない限り、あまり物事を覚えたりはしないのだが。なぜ知っているんだ……と、杏樹は自分の記憶を探っていくが。杏樹がその記憶に辿り着く前に、岬はそれについてのことを呟く。


「……鈴佳ちゃんが居る高校だ。小華和高校は」


「……ォ〜ッふ。マジだ……」


 杏樹は、岬に事実を知らされてしまったことで、思わず声を出して反応してしまう。そう。そうだ。どこか聞き覚えのあるその小華和高校とやらは、鈴佳が通っている高校だ。直接言われたわけではないが、鈴佳が誰かと会話をしている時に耳に入った言葉……とか。そういった経緯で脳に入った言葉なのだろう。


「…………なるはやで向かうケド〜……。こッから八王子ッてなると、それなりに時間はかかる。やれるコトはやッといてネ」


 鈴佳が居る学校となると、一層早く向かいたくなるが……。杏樹が今居る場所は、わかりやすく例えるならば、東京都の右側。それに対して、小華和高校がある八王子市は、東京都のやや左側。どんな移動手段で、危険を顧みずに向かったとしても、30分……否、40分はかかってしまうことが予測される。

 銃を持っている状態で30分という時間があれば、銃を扱うのが初めての日だったとしても、次第に慣れてきて確実に10人以上は殺せるだろうし。その被害者の中に鈴佳が含まれないようにするために、あたしが居なくても警察だけで止めれるなら事件を止めておけよ────。杏樹の言葉には、そういった意味があった。


「……ああ。わかってる」


 前々から「正義執行人が居なくても大丈夫な組織になる」というのが目標だったが、本人からそういった意図の言葉を聞けば、心に火がつくのも当たり前で。目に決意を宿しながら、携帯の先の杏樹へ返答をする岬。


「ンじゃ。切るヨ」


 やってやる、という感情のこもった岬の返事を聞けば、杏樹は返事も聞かぬまま通話を切って。バイクに跨り、豪快なエンジン音を鳴らし────、巣へ飛んでいく鳥のように走り去っていく。

 正義執行人が来るまでの、およそ40分間。高校という一緒の空間にショットガンを持った人間が居る中、鈴佳は生き残れるのであろうか?











「…………、」


 舞台は、小華和高等学校へと戻ってくる。

 目の前の廊下に倒れている女生徒を助けるか、それとも助けないか────。すぐ近くの教室に尻もちをついたような形で座っている鈴佳は、優柔不断に決めあぐねていた。

 人道的に考えれば、助けた方がいいなんてこと、分かりきっている。しかし……、すぐそこには多分、銃を持った人間が居る。捻挫をしている状態で助けに行ったって、自分も被害者の内の1人になるだけなのではないか……。そんな疑念は、捨てられなかった。

 目の前の人間を助けるか、目の前の人間を見捨てるか。それを選ぶにあたって、死というリスクも考えなければいけない。優柔不断な鈴佳が決めあぐねている間にも────。1秒、また1秒、と。無情に時は流れていく。


「ッぁ゛」


 タイムリミットは、冷酷にやってきた。

 何回目かすら分からぬ轟音が、鈴佳の耳に到達すると同時に。悲鳴にすらなってない小さな悲鳴と共に、口からは血を、目からは涙を吐き出した女生徒。確実に殺害するために、2度目の銃弾を撃ち込まれたのであろう。


「っ、ッ゛…………」


 目の前で人が死んでいく様を見た鈴佳は、今の体の姿勢も相まって、腰が抜けてしまいそうであったが……。生命体として、生きるという本能が働いたのか。体を隠せる場所へ、体が半ば勝手に動き始めた。

 スラッとした体型の鈴佳が隠れられる場所。教室にある空間なら……、掃除用のロッカーとか、カーテンの裏側とかが思い浮かぶだろう。だが、生憎ロッカーは教室の後ろ側にあり、鈴佳が今居る場所は教室の前方のため、音を立てずに行くのは難しい。頭隠して尻隠さずと言うべきか、カーテンの裏側に隠れるなんていうのは非現実的。

 では、鈴佳が隠れたのはどこかというと────。教師が物を置いたりするのに使う机。教卓の中であった。普通の勉強机よりも縦に長く、教壇側から覗き込まない限り中が見えない構造の教卓は、鈴佳が隠れるにはピッタリな空間である。


「……………………〜〜、…………」


 もはや完璧に、一切の物音すら立てずに教卓の中へと逃げ込んだ鈴佳は、体育座りのような体勢で身を屈め、両手で口を抑えながら必死に息を殺す。今この校内の中じゃ、息遣いの音すら命取り。

 心臓の鼓動がバクバクと耳にまで到達してくる。今にでも、口を抑える両手を離して、何度も深呼吸をしたいくらいだが。今だけは、我慢。この場を完璧にやり過ごすまでは、我慢。


「…………〜〜殺して、……〜〜死ぬ、…………」


「…………、……?」


 教卓の中に身を潜めていると。体内の心臓が跳ねる音と同じくらいのボリュームの声が、廊下から聞こえてくる。その微かに震えているような声は、若干幼さが残る男性の声で。呟いている言葉の内容から、彼がこの騒ぎの原因の人物であるということは推測できた。

 誰かも分からぬ彼が、いったい何を呟いているのか。鈴佳はほんの少し気になってしまって、聞き耳を立てる……の、だが。物騒なワードである、殺してだとか、死ぬだとか。そういった言葉は聞き取れたが、彼が喋っていることを詳しく聞き取ることはできなかった鈴佳。

 何かブツブツ喋る声、力無いペタペタという足音。じきに、それらは遠ざかっていき────。鈴佳の存在に気づくことなく、銃を持った彼はどこかへと去っていってしまった。


「…………っふ、……は……ぁっ、」


 危険が去ったのだということを認識しても、鈴佳は1、2分ほど口を抑えた体勢のままで。響いてくる声や銃声が違う階層から聞こえてくるものに変化すると、そこでようやく鈴佳は教卓の中から這い出て、大きな音を出さないようにはしつつも必死に息を整えた。

 犯人が気配に敏感だったら────。もしくは、教卓の中へと逃げ込む時、物音を鳴らしてしまっていたら────。自分は、確実に殺されていた。そう考えてみれば考えてみるほど、身の毛はよだつし、冷や汗も止まらなくなる。死と隣り合わせな日常を過ごす人物が身近には居るが、自身がそんな日を送ったことは一度もない鈴佳は、明らかに焦るというか、そういった感情であった。


「…………、ぁ、……!」


 呆然としながら息を整えていた鈴佳は、ハッとしたような顔で廊下の方を振り向く。もしかしたら────。心臓マッサージとか、止血とか、AEDとか……。そういった方法で、先程倒れていた彼女を助けられるかもしれない。なんて思って、捻挫した足の痛さに耐えながらも廊下の方へと向かっていく鈴佳。

 しかし。現実は、そんなに優しく、生ぬるいものではなかった。口端から、胴体から、1人では抑えきれない程の箇所から血を垂れ流している彼女。目つきは朦朧……というか、空虚とか、空っぽと形容できるような瞳で。首筋を触ってみても、胸を触ってみても、腕を触ってみても、心臓が揺れ動く音はピクリとも聞こえない。

 人が死ぬ様を目の前で見たことがない鈴佳でも、流石に理解できた。────目の前に倒れる女生徒は、もう既に死んでいた……。


「……っ゛、う」


 さっきまでしっかりと目が合っていた彼女が亡骸になってしまったのを認識すると、強烈な吐き気が一気に押し寄せてきた鈴佳。自分の命を守るためには仕方がなかったこと────、とはいえ。目の前の人だったソレは、自分のせいで亡骸と化したのだ。

 ただでさえ白い顔を、もっと白くなるほどに青ざめて。鈴佳は片手で口を抑えながら、廊下の壁をもう片方の手で触り、自身が倒れたりしないように体勢を保つ。


「…………私が、……あの時飛び出せてたら…………」


 心優しい鈴佳は────。友達でもなければ、まともに話したこともない彼女が死んでしまったことにすら、自責の念を抱いていた。

 たしかに、鈴佳が飛び出していたら、女生徒が死ぬ確率はほんの少しでも下がっていたかもしれないが。圧倒的な強さや武器を持っていなければ、足首も捻挫しているし。飛び出したとしても、結果撃たれて彼女共々死んでいた……。そういったことが予測できる、のだが。

 心優しい鈴佳だから────。どうしても、見逃せなかった。助けられたかもしれないのに、自分が動けなかったせいで人が死んでしまった……、ということが。


「………………どうすれば、よかったんだろう…………」


 このまま廊下に立ち尽くしていては危険と踏んだ鈴佳は、ふらふらと教室に戻っていきながら呟く。

 自分だって、自分の命を守るために隠れたのだし。悪いことはしてない、ただ、仕方がなかっただけのこと────。そうやって自分を騙そうとしても、上手くはいかなかった。あの時、彼女を助けられたのは、ほかの誰でもなく自分しか居なかったのだから。

 惨状を目の前で見た人物は────。後の人生が狂ってしまうほどの心的外傷、トラウマを得てしまうことがある。国のために戦ってきた軍人がPTSDを起こす等が例としては分かりやすいだろう。

 今の鈴佳の頭の内には、どうすればよかったのだという後悔ばかりが渦巻いて。今後その、PTSDを引き起こしてしまうのではないか、といった精神状態に陥ってしまっていた。






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