「…………あの子を殺したのは、……私、なのかも」
誰も居ない教室で鈴佳は、自問自答を繰り返していた。今廊下に倒れている、骸と化した彼女。彼女を直接的に殺したのは、自分ではなく銃を持ったあの男だが……。間接的に殺したのは、間違いなく自分。鈴佳は、そう捉えていた。
人に優しくあれるということは、素晴らしいことではあるが。優しすぎたりすると、他人はよくても自分を追い込んでしまうことがある。鈴佳は今、まさにそんな状態であった。
「…………私だけ生き残ったとしても、……遺族の方とかには顔向けできないし……」
まだ生き延びれるか、それすらもわからないのに。考えなくてもいい先のことまで、鈴佳は考え始める。
「…………私も皆みたいに、悪い人を倒せる力があれば……」
唯一できる手向けといえば────。自分が犯人を確保して、ヒーローになる……ということ。もう死者が出ているし、完璧なヒーローになんてなれないことはわかっているが。一度人を見捨て、間接的に人を殺してしまった彼女からしてみれば、唯一できる罪滅ぼしの行為なのであった。
鈴佳の周りには、人助けができる人間が沢山居る。正義執行人として事件を解決する2人。国の治安を守るために尽力する警視庁陣。それから……、父が居なくなっても道場を守ろうとしている桜李なんかも。……自分も、そんな存在に、なってみたかった。誰かを、何かを守れる、1人の人間に。
「…………見捨てたっていう事実は、変わらないけど。…………それでも────……、」
ゴクリと生唾を飲んで、鈴佳は決意をする。命を賭してまで誰かを守れるような人間に、自分もなるのだ、ということを。
偽善? 自己陶酔? 罪滅ぼし? なんだっていい。自分が命を落とす可能性があったとしても、もはやいい。優柔不断で物事を選ぶことができず、後になって悔やんでしまうなんてこと、もうしたくはない。正気でも、冷静でもないなんて理解している。それでも、その上で鈴佳は決心したのだ。自分の人間的に弱い所を克服する、ということを。
腹を決めると、教室の隅に置いておいた自身の竹刀の方へと向かう鈴佳。教室に置いてある物の中で、唯一護身に使えるのはそれ以外無かった。黒色の細長い袋から竹刀を取り出していくと同時に、鈴佳は何やら呟き始める。
「…………『自分を含め、人の身を危険から守るために、強くなりなさい』……」
その言葉は。鈴佳が道場に入門した頃、まだご存命だった当時の館長である九十九豹仁がよく言っていた言葉であった。自分の身は自分で守るために強くなる、ということを目的に道場へ入門した鈴佳でも、その教えは未だに覚えている。「強くなる」ということは、自他を守れるような人間になること。それが、九十九道場の基本とする理念のようなものだったから。
「……私が、止めなきゃ」
目付きを少し鋭くして、竹刀を片手に持って。鈴佳は教室から足を踏み出し、度々聞こえてくる銃声の方へと向かっていく……のだが。
決意のあまりに、犯してしまった罪から目を背けてしまうのも、自分らしいことではない。見捨ててしまった彼女の方へ振り向くと、鈴佳は上に着ていた服を脱ぎ始め、脱いだ服を頭部の上に置き……。静かにその場に屈みながら、そっと両手を合わせる。見捨てたことへの謝罪、そして、安らかに眠っていてほしいという願いを念じながら。
「…………行こう」
短めに弔いを終えると、足首に負荷がかからないように立ち上がってはどこかへ向かう鈴佳。彼女が向かう先は、茨の道……というよりも、茨よりも危険な、銃弾の道。どんなに危険な道でも、彼女は行く。誰かを助けに、誰かを救いに。
皆が逃げた先はきっと、教師が言っていた校庭。しかし、銃声は外からでなく内から聞こえてくる。誰かを狙った殺人なのであれば、犯人はきっと標的を探しに校庭へ行くであろうし。最後に聞こえた銃声は、校庭に近い1階の玄関の方ではなく、むしろ校庭からは遠い体育館の方。であれば、無差別殺人とか、その類か────。なんてぼんやりと考えつつ、体育館の方へ向かっていると……。
「キャアアァァァッ!!」
と、教室や廊下等ではなく、間違いなく体育館の内側から悲鳴が上がってきた。そして悲鳴に加え、銃声も遅れてやってくる。
早く行かねば、犠牲者は増えるばかりだ。自分の体のことなんか気にしちゃいられない。捻挫した足首を気にするのなんて辞めて、鈴佳は体育館の方へと走り出し始める。
「…………、」
体育館前に到着した鈴佳は、閉じられている扉の目の前で少しばかり立ち止まった。この扉を開いた先は────。大量に死体が転がっているかもしれないし、確実に銃を持った人間は居るだろうし。自分にとってはショッキングで、見るのすら耐え難く、命を失ってしまう可能性すらある空間が広がっている。
それでも、鈴佳は行かなければいけなかった。今更逃げ出すなんてこと、したくはない。また誰かを見捨てるなんてこと、したくはない。自分が命を落とすことになっても────。誰かのために死ねるのならもはや本望だ。
なるべく音を立てないようにしながら、鈴佳は体育館の扉を開いていく。
「…………あれが、……?」
鈴佳が体育館に入ってすぐさま目に入ってきたのは、予測どおりのもの。床に横たわる5つ、6つ程度の死体だった。死体を見るのは先程に続いて二度目のことだったが、二度目で完壁に慣れるわけもなく、極力視界に死体が入らないように眉間に皺を寄せ、若干瞼をいつもより閉じる鈴佳。
体育館の奥側には、ステージや器具室、放送室が置かれており。パッと見たところ、ステージの上や器具室の前には誰も居ないのだが……。放送室に続いていく扉の目の前には、白いTシャツを着た茶髪の人間が立っていた。
「……………………」
剣道の有段者でもなければ、むしろ入門して1年も経っていない自分が竹刀でできることなんて、かなり限られているが。……完全に気づかれることなく、完璧な奇襲を仕掛けることができたのならば。たとえ銃を持った人間が相手だったとしても、気絶させることくらいはできる……かもしれない。
「開けろ、開けろ、開けろ…………」
銃らしき物を持っているし、目の前の男が犯人なのは間違いないだろう。鍵でもかけられたのか、扉を無理にでもこじ開けようとしている彼。彼が放送室の扉に気を取られている今こそがチャンス。
どうかこのまま、気づかれませんように。気づかれたらきっと、その時点で死が確定するようなものなのだから。心の中で必死に気づかれないことを願いつつ、鈴佳は静かに犯人の男へと近づいていく。
──────しかし。どんなに物音を立てずに近づいても、犯人の男には一つだけ、鈴佳が居ることに気づく術があった。放送室の扉には、本当に一部分だけ、鏡になっている部分がある。その鏡は────、ちょうど、犯人の男の目線の高さにあった。
「…………居る」
残り8メートル程度、といったところで。背後から近づいてくる鈴佳に気づいた彼は、ゆっくりと後ろの方へ振り向いていく。
何故気づかれた、と思う刹那。鈴佳の全身には、一気にビッシリと汗が流れ始めた。まだ銃を構えてはいないが、存在に気づかれた今、彼は今自分を殺そうと思えば殺せる。死という概念の恐怖が、鈴佳を支配しようとしていた。
振り向いた彼と目が合った瞬間、恐怖すると共に、鈴佳はあることに気づく。彼の姿を、鈴佳はたしかに見たことがあった。死ぬかもしれない状況、冴え渡った脳の中から、1つの情報を導き出す鈴佳。
「……芳村、くん…………?」
明るくはない茶髪で、眼鏡をかけており、そばかすが特徴的な彼は。鈴佳が放った芳村という苗字の、ここの生徒である人間であった。
鈴佳は図書委員会に所属しており、授業が始まる前に図書室で貸し出し作業や本の整理をしたりすることがあるのだが……。その際毎回見かけていた、きっと本が大好きな生徒。その生徒が芳村で、鈴佳は貸し出し作業の際の確認等で名前だけは認知していたのである。
「…………図書委員、の……」
鈴佳と目が合った芳村は、即座に銃を構えようとする……が。目が合っている彼女は見覚えがあるということに気づいたのか、ぽつりと呟きながら銃を構えるのを辞める芳村。
ちゃんと話したことはないとはいえ、まさか顔見知りだとは思わなかったが────。何にせよ、彼が銃を構えないということは、対話での解決ができるかもしれないということ。緊張しながらも、鈴佳は対話をするために口を開こうとする。……のだが。
「…………君もか。君も、君も…………」
芳村が鈴佳を見る目付きが、どんどん変わっていく。味方を見つけたような、希望を見つけたような、鈴佳を見つめる瞳が────。どんどんと言葉を吐くにつれ、暗く、黒く、闇に囚われていく。
「…………敵なんだ……」
そして────。鈴佳を完全に敵であると判断した芳村は。両手から離し、肩にかけていたショットガンを両手に取って。誰にも向けていなかった銃口を、鈴佳に向け始めた。
結局、説得も武力行使もできずに、死んでしまうのか。…………そんなのは、嫌だ。芳村に銃口を向けられた瞬間。鈴佳は、片手に持っていた竹刀を両手に持ち替える。そして、引き金を引くだけで殺せるという状態にはさせないために、即座に体の位置を変えるような動きで芳村に近づいていく鈴佳。
「…………死ねぇっ……!!」
しかし。体育館の角側に居る芳村に近づくということは、近づくほどに的が絞りやすくなるということ。オマケに、足首を捻挫しているから動きはかなり遅いと来た。
竹刀で攻撃できるような間合いに鈴佳が到達する前に────。しっかりと銃を両手で握った芳村は、竹刀を持って自分に襲いかかろうとしてくる鈴佳に照準を定め……。
容赦なく、人差し指で引き金を引き。体育館内には、雷が落ちたかのような、耳をつんざく程の銃声が響いた。
小華和高校近辺。騒がしいエンジン音が、段々と高校の方へ近づいてくる。そのエンジン音を掻き鳴らすバイクに乗っているのは、誰かにとってはスーパーヒーロー、違う誰かにとっては悪魔にすらなり得る存在。正義執行人の杏樹だった。
「…………岬ちゃン。どういう状況?」
学校の前に到着した杏樹はバイクを停めると、高校の敷地内へと入っていき、後方で立っている岬に話しかける。
学校から出たすぐそこにある道には、複数……というか、それどころではない数の生徒と見られる人達が居たが。それは決して、容疑者が捕まり事件が終わりを迎えた、ということにはならない。まだ容疑者は校舎内に居る、と考えるのが自然であろう。
「……来てくれたか、お疲れさん。一足先に警察を潜入させた。銃声が鳴らなくなって10分程度経ったし、弾切れか……もしくは、……自殺でもしたかだな」
杏樹に話しかけられると、岬は今の状況を軽く説明する。突入の準備ができた警察は、さっそく学校内へと入っていった。最後の銃声は10分程前で、銃声の方向は玄関から離れた体育館の方。無線での連絡が来て、もし杏樹の武力が必要であれば突入させる……。そういった旨のことを岬は伝えた。
「……鈴佳ちゃンは? 見た?」
仕事の連絡が終われば、ここからは少しプライベートなことについて。この小華和高校の生徒である鈴佳が、無事に避難できたか。杏樹は、少しばかり心配そうな顔で岬に質問した。
「…………まだ見てない、が。冷静な彼女のことだし、大丈夫だろうとは思う……」
「……ふ〜ン」
まぁ流石に、公務をしている最中に個人の感情を優先して人を探すような真似はしないか。優しい人間であるとはいえ、そのようなことを岬はしない。聞くだけ無駄だったか……とは思いつつ、腕を組んでどうしようかと考える杏樹。
基本、警視庁による指示が下ってから現場に入るものだが。鈴佳が心配だし、無理を言って校舎へと入って手早く犯人を殺してしまう……というのもありか。なんて思っていると…………。
「こちら咲沢、現場からです。聞こえますか清水さん」
岬が携帯していた無線から、声が聞こえ始めた。その声の主は、杏樹も聞き覚えがある、岬の部下である黒音。現場に突入できるくらいに成長してるんだなと杏樹が薄々感じている中、岬は無線を手に取り応答をする。
「こちら清水、聞こえてる。どうぞ」
「マル被と思われる人物、確保しました。マル害は多数見られ、マル目は今のところ1人、気絶した状態で見つかってます。どうぞ」
「……了解」
無線越しの、岬と黒音による会話の内容はというと……。マル被というのは被疑者、犯人。今回でいう芳村であり、彼を確保できたということ。多数居るマル害は被害者で、1人だけ見つかったマル目は目撃者という意味。あの体育館に居た芳村以外の人間には、1人目撃者が居たということになる。それが鈴佳か、それとも放送室やどこかに隠れていた人物かはわからないが。
「…………ここまで来てもらって悪いが、被疑者はもう捕まったらしい」
「あらら、そォ。……まあソレはソレで、疲れなくて済むから別にいいか……」
校内に入って犯人を撃退する、というお決まりの展開には、どうやらならなかったようで。犯人が捕まったことで、無駄に労力を割かなくて済むとはいえ。じゃあここまで来た意味は……と考えると、仕方の無いこととはいえ、気分は下がってしまう。
自分がもし遊馬さンみたいに煙草を吸っていたら、きっと煙草でも吸ってイラつきを解消していたんだろうな。なんて思いつつ、杏樹は少しばかり岬から離れて、校舎の方へと寄っていく。
「ォ、来た来た。…………アレが犯人で〜……?」
暫くすると、何人かの武装した警察官が校舎から出てくるのと同じくらいのタイミングで、2人の警官によって連れていかれている茶髪の男が目に入ってきた。あんなにナヨナヨした男なら、持っていたのが拳銃だろうとショットガンだろうと狙撃銃だろうと、楽に勝てていただろうな……なんて想像を浮かべつつ。興味があるのはそっちじゃないよと、杏樹はすぐさま視線を別の方向に移す。
「…………ン〜。……鈴佳ちゃン、っぽい人は……」
次に運ばれてくるのは、担架の上に置かれた、黒い袋に包まれたナニカ。杏樹からしてみれば、その袋に包まれているものは察しがつくものであり、見慣れたものである。
できるのは、あの中に鈴佳が居ないことを願うだけか────。そう思いながら、ポケットに手を突っ込んで運ばれていく担架を眺めていると。担架の上に、黒い袋ではない誰かが乗せられながら運ばれているということに気づいた。担架に乗せられているのが人間だと気づくと、杏樹は邪魔にならない程度に近づいていき、担架の中を覗き込んだ。
「…………はァ〜〜。……よかッた……」
その担架に乗せられていたのは────。鈴佳だった。