「…………ん、…………、」
軽く呻き声を上げながら目を覚ましたのは、今回の事件の舞台となった小華和高校の生徒である鈴佳。彼女が次に目を覚ましたのは、完全に意識が消えた体育館内ではなく……。全体的に白色が目立つ部屋の、ベッドの上だった。
目を覚ますと同時に、鈴佳の脳内にはある光景と音、感覚がフラッシュバックしてくる。銃口を向けられ、そして引き金を引かれ────。強烈な音が鳴ると同時に意識が消える、という感覚が蘇ってきた鈴佳は、思わず焦ってしまいながら考えた。ここは死後の世界か、と。
「ァ、起きた。オハヨ〜」
しかし、鈴佳が寝ている部屋には、ここが死後の世界であるという考えを否定するかのように、聞き慣れた声で言葉をかけてくる人間が居た。
「……く、朽内さん…………!? ……っ゛た、」
起きてすぐに声をかけられ、しかもその人物は杏樹と来た。驚愕してしまうのも仕方がないだろう。上半身を起こして、話しかけてきた杏樹の方へと体を向けようとする鈴佳だったが……。
体を起こした瞬間、鈴佳の体の至る所にピシリと激痛が走り始める。限界まで痛みのレベルを引き上げた筋肉痛のような苦痛に、顔を歪めながら悶絶し続ける鈴佳。何が起こっているのかは理解できないが。両腕、肩、胸、太もも、脚。そこら辺が特に痛い、ということだけは理解できた。
「無理に動かない方がいいヨ、所々ヒビ入ッたりしてるらしイ」
「…………はぃ゛……」
眉間に皺を寄せて体中の痛みに悶絶している鈴佳に、杏樹は遅めの忠告をする。……銃弾って、ヒビで済むものではなくない……!? とツッコミたいところではあったが、至る所がズキズキと痛むものだから、鈴佳は大人しく起こしていた上半身を後ろ側に傾け、寝ている時の姿勢へと戻っていった。
そういえば、言われてみれば……。痛みを感じる所全部分には、何かが巻きついてるような感覚がある。きっと包帯とかギプスとか、怪我する時につけるような医療用具が装着されているのであろう。
「ちょッと待ってネ〜。こうすれば〜……」
流石に、天井だけを見つめながら言葉を交わすというのも寂しいものだろうし。鈴佳の美貌を見ながら会話するというのも、なんだか健康に良さそうだし……。鈴佳が寝るベッドに近寄ると、杏樹はベッドを傾斜させるボタンを押した。
小さな機械音と共に、鈴佳の上半身が少しずつ起き上がっていくように傾いていくベッド。これなら、鈴佳が体を痛めることなく目と目を合わせて会話することができる。これくらいかな、といった傾き具合になると、杏樹はボタンからパッと手を離して、座っていた椅子の方へと戻っていく。
「ぁ、ありがとうございます……」
ベッドが傾いて、ようやく天井以外の空間を落ち着いて見れる状況になって。薄々気づいていたものの、鈴佳はしっかりと確認することができた。自分が今居る場所が、病室であるということに。
ベッドのすぐそばに置かれている小さめの机とか、テレビとか、部屋の間取りとか……。設備がしっかりとしているのを見る限り、簡易的につくられた病室ではなく、とある病院のとある1室である、ということが予測できる。
杏樹が椅子に座ると同時に、カラララと音を鳴らしながら、何者かによって病室の扉が開かれた。
「飲み物買ってきたぞ……、って。……どんなタイミングで起きてるんだ……」
自販機で売っているようなペットボトルの麦茶を2本持って現れたのは、岬だった。鈴佳が寝ていたこの病室には、どうやら杏樹1人だけでなく、岬も見舞いに来ていたようだ。飲み物を買うため席を外している間に鈴佳が意識を覚ますなんて思ってもいなかったからか、岬は若干驚きながら言葉を吐く。
「わ、清水さんまで…………。……心配かけて申し訳ないです……」
岬が病室に入ってくると、彼女と同じように少し驚きの感情を残してから、申し訳なさそうな表情を浮かべて呟く鈴佳。
「いや、……たしかに、心配はとてつもなくしたが。……とにかく。無事でよかったよ、ほんとに」
鈴佳に心配をかけたと謝られた岬は、色々言いたいことがありながらも、それら全てを噛み締めて、まずは無事でよかったと鈴佳に伝える。目を覚ました瞬間に立ち会えなかったとか、そういったことは、今はどうでもいい。ただ、事件に巻き込まれた鈴佳が生きている……。警察として多くの人の死に立ち会ってきた岬は、これがどんなに喜ばしいことか知っていた。
「ンまぁ、たしかにそうだネ。普通なら骨折とかじゃ済まなかッた状況だッた、って聞いてるシ」
隣の椅子に座った岬の言葉に同調するようなことを、杏樹も口にしていく。そう、そのとおり。鈴佳は、骨折することはおろか、命を失ってしまってもおかしくない状況から生還したのだ。
他の周りに居た人間は全員が全員死亡していた中、芳村と鈴佳だけが、互いに失神している状態で見つかり。現場検証から推測されたのは、鈴佳が銃を持っている芳村に竹刀で応戦して、何らかが起こり両者気絶するという形で終わった……ということ。銃相手に一般人が竹刀だけで応戦するなんて、普通はできない。九割九分九厘、死んでしまうことが想像できるから。
「……私も。今自分が生きてることが不思議でたまらないです…………。銃で撃たれたその時から記憶は無いし、死んだはずだって思い込んでたんですけど…………」
これが夢だと言われても、やはりそうだろうなと思ってしまうほどに。鈴佳は、自分が生きているということを信じきれていなかった。銃で撃たれるその瞬間までを覚えているのだから、当然といえば当然だが。
自分でも自分がなぜ生きれているのかを理解できてない鈴佳の言葉を聞くと、杏樹と岬は顔を見合わせ、やはり不思議であるといった表情を浮かべ合う。
「……1つ聞きたいコトあるンだけど〜……イヤじゃなければ聞いてもい〜い?」
「ぁ、そういうのは全然大丈夫ですよ……! 聞いてください」
岬と顔を見合わせた後、再度鈴佳の方を向いて、配慮をしながらも杏樹は質問をしようとする。
今のところは、事件についてのことや特定のことを思い出すと嫌な気分になるとか、そんな症状は出たりしていないし。きっと大丈夫ということを伝えてから、鈴佳はどんな質問でも答えるという意思を見せる。
「あの時の体育館ッて、犯人の子と鈴佳ちゃン以外の人間とか居たりした?」
質問の内容は、至ってシンプルなもの。事件当時の体育館に他の人間が居たか、それとも居なかったかを問う質問であった。
「…………私が覚えてる限りは……。……少なくとも、周りには居なかったと思います。けど……、鍵がかかってた放送室には……誰か居たかもって感じです」
鈴佳は、10秒ほど使って事件の際の体育館を思い出すが……。やはり、あの空間に実は生きていたという人間は居なかったように感じるし。自身のように、後から入ってきたという人間も居なかったように感じる。
唯一自分達以外の人間が居た可能性がある場所は、芳村が気にしていた放送室。何度も開こうとしていたが開けなかったという状況から考えられるのは、誰かが中に逃げ込んで内側から鍵を閉めた……ということ。それらのことを鈴佳は杏樹に伝えた。
「たしかに、放送室の中には何人か居たが……。……やっぱり、他に居なかったんならそういうことかもな」
「ン〜。まァそうだろうネ」
状況を説明され終えると、岬も杏樹も、やはりなにかの仮説が合っているのではないかという顔になって言葉を交わし合う。
「……鈴佳ちゃンも気になッてる〜、今鈴佳ちゃンが生きれてる理由。知りたくなければ別にいいンだケド〜……、……知りたイ?」
「……えっ。……それってもう判明してるんだ……」
警察の捜査力や考察力というのは、凄いものだ。杏樹の問いに対し、自分も知りえないようなことを知っているのか、と感心する言葉を鈴佳は呟く。
「確定、ッてワケじゃないけどネ。1番可能性が高いシ、むしろそれ以外理由が見つからなイから」
「なるほど……。……じゃあ、……知ってみたい、です」
たとえ、本当の答えが違うものだったとしても。鈴佳はとにかく、ひとまず知ってみたかった。自分が今生きている最大の要因を、理由を。
自分以外の誰かが救ってくれたのなら、その誰かに感謝するし。とんでもない偶然が起こっていたのだとしたら、その偶然に感謝をするし。どんなことを話されても、鈴佳は受け入れる準備を既に済ませている。
「……ンじゃぁ〜、遠慮なく言ッちゃうケド。今鈴佳ちゃンが生きれてるのは…………、鈴佳ちゃン自身が犯人を撃退シたからかナ」
「………………、? ……ん? …………え?」
どんなことを話されても受け止める、はずだったが…………。1番無さそうな可能性を杏樹から聞いた鈴佳は、思わず困惑してしまう。そりゃあそうだ、困惑してしまうのだって仕方のないこと。鈴佳の脳には、芳村を撃退した記憶なんて本当に一切ないのだから。
困惑した勢いのまま、それは違うのではないか……といった言葉が、喉元まで出かかった鈴佳だったが。その言葉が発される前に、杏樹は更なる言葉を鈴佳にかける。
「鈴佳ちゃン自身が、ッて言ッても。君が撃退シたンじゃなくて〜……。鈴佳ちゃンの中に居る、もう1人の鈴佳ちゃン。包み隠さず言うと……『八尺様』が犯人を撃退シた可能性が高いンじゃないか、ッて」
杏樹が放った言葉は、現実性なんて微塵も感じられないようなこと。鈴佳の中に居る八尺様が、鈴佳の代わりに犯人を撃退した……。そんなことを杏樹は口にする。
「…………ありえない……」
杏樹の仮説を聞かされると、ぽつりとそう呟いて、絶句してしまう鈴佳。彼女にとって、その仮説はかなり受け入れ難いものであった。理由は単純。当時は村長に好き勝手操られていたとはいえ、八尺様状態の自分は、時に子供を連れ去り、時に邪魔な人間を葬り去るような、れっきとした犯罪者であったから。鈴佳は、受け入れたくなかったのだ。八尺様としての自分を。
村長が死に、あの村から離れ、東京で暮らし始めてからは。もう二度と現れることもないだろうしと、八尺様の存在を記憶ごと消していた……のだが。忘れようとしても、脳の制限を解放するという能力があるというのが事実。鈴佳の中で、八尺様は密かに生き続けているのだ。
「……どういう経緯でその八尺様が出たのかはわからないが。犯人も、鈴佳ちゃんにやられたって答えてる。銃を撃った瞬間、いつの間にか目の前から消えてて、次の瞬間には竹刀で強くうなじ周辺を叩かれてた……ってな」
どうも信じられないという鈴佳に対して、事実を述べて信憑性を高めさせていく岬。
「外的要因が何1つ無いのに、至る所の骨にヒビが入ったりしてるのも……。一瞬だけとはいえ、八尺様の能力を使ってしまった代償だろう」
撃退された芳村の証言や鈴佳の体の状態を見る限り……。さっき杏樹は確定ではないと言っていたが、鈴佳の中に居る八尺様が鈴佳を救ったというのは、ほとんど確定的な説なのであった。
まだ、他人が死んでしまいそうな時等、人助けを目的に能力を使ったのなら納得はできたのかもしれないが。自分の身を守る、ただそれだけの為に能力を使ってしまったというのも、鈴佳が納得をしきれない要因となっている。
「……そ、そうだ。……あの、……芳村くんって……?」
これ以上自分のことについて話していたら、気分も落ち込むだけだし、脳のパンクもしてしまいそうだし。数秒の間を置いてから、鈴佳は話題を変えようと、顔見知りでもあった犯人の芳村についてを聞こうとする。
「……芳村……ッて? 犯人?」
「そうだ。……知り合いなのか?」
「知り合い、って言うか……。まぁ、委員会の仕事してる時によく見た同級生、ですかね」
杏樹も岬も、鈴佳が犯人の芳村と顔見知りであることは把握していなかったらしく。2人とも、予想外といった顔をしながら鈴佳に問いかけた。
顔見知りというだけで、鈴佳の言葉から察せられるとおり、なにか特別な感情や思いを互いに持っているわけではなさそうだが……。なにか複雑そうな表情を浮かべてから、岬は目を閉じつつ口を開く。
「…………家では虐待されて、学校でも教師にバレない程度のいじめを同級生から受けていたそうだ。統合失調症も持っていたらしく、誰にも相談できなかった結果があの銃乱射事件……、って感じだな」
「…………そう、……ですか……」
少年は────。事件の加害者であると同時に、虐待やいじめといった社会問題の被害者であった。
それを聞いた鈴佳は、酷くショックを受けたような顔になって相槌を打つ。いつも図書室の隅で1人で本を読んでいたのは、1人が好きだからとか落ち着くなんて理由ではなく、いじめっ子に見つかれば嫌がらせを受けるかもしれないから。極端に服のレパートリーが少なかったのは、ファッションに興味がなかったからではなく、親に服を買ってもらえないから。腕や頬に痣が見えたのは、虐待やいじめの影響……。
全て、繋がっていく。彼を図書室で見た際に思っていたことが。
「まァ、気づけなかッた〜……ッて気を病む必要は無いンじゃなイ? そンな簡単に気づけるなら、この世の中事件なンて起こらないシ」
岬から事件の詳細を聞いた後、なにか気にしている様子の鈴佳を見ると、杏樹は気遣いの意味を込めた言葉を鈴佳にかける。その言葉には、鈴佳に手を出したい〜、とか、そういった魂胆は特になく。かといって、慰めてあげようという善意も特になく……。杏樹はただ、思いついた言葉を吐いただけだった。
「そうだな。杏樹の言うとおり、気にしすぎるのもあまり良いことじゃない」
「……まぁ、そうですよね」
杏樹に加え、岬にも同様のことを言われると、少しばかり俯きながらも認識を改める鈴佳。
鈴佳が芳村を止めたことには変わりないが、鈴佳も事件の被害者の1人。事件の後の被害者は、心が荒んでしまいがち。メンタルが不安定な鈴佳には今、メンタルケアが必要だった。本来ならば、心を許せるような親友が居ればいいのだが────。その存在が居ない今、専門医が一番良くはあるが、杏樹や岬といった信頼できる知人が進んでメンタルケアをするべきなのである。
「……ァ、そォいえば。あのショットガンはドコからのモノ?」
ふと気になった杏樹は、芳村が持っていたショットガンについてのことを岬に聞く。
「それは……、まだ不明なんだよ、実は。芳村によると、よく話や相談をしていたネットの人から貰ったものらしいが……。飛ばしの携帯が使われててな。今捜査中って感じだ」
岬が言った飛ばしの携帯とは、本人確認がされずに契約された携帯電話のこと。特殊詐欺や闇金等、犯罪行為に使用されることが多いのが、この飛ばし携帯という物である。
芳村がよく関わっていたネットの人物というのも、身元を隠すためにその飛ばし携帯を使用していたらしく。捜査は難航中……とのことだった。
「ン〜……そッか。治安が悪いノは嫌だネ〜」
「そうですね……」
今の日本は、治安悪化の一途を辿るばかりだが……。杏樹も鈴佳も岬も、とりあえず今は、この平穏な病室で夜の平和を願うばかり。