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第68話 合気道





 とある日常の一幕。

 めるの家のリビングに、スプーンと食器がカチャカチャと接し合う音が響く。


「……ん〜! やっぱり、めるが作ったカレーは特に絶品〜〜」


 ルンルンとした声色で声を放ったのは、新たにこの家に住み始めた紫雨だった。

 基本は杏樹と2人で住んでいた時から変わらず、作り置きをしたりして、各自が食べたい時間帯に食べる……という感じだが。今日はめるの仕事が休みの上、杏樹と紫雨も基本的に家に居るということで。紫雨の提案もあり、一緒の時間帯に、一緒の机を囲んで夕食を摂るということになったのだ。


「カレーなんか誰が作っても同じじゃない……?」


「いや〜、そんなことないよ? めるは料理上手だし……、家庭的な味? ってやつを感じるね」


 料理を褒め称えてくる紫雨の言葉に、満更でもないといった顔を浮かべながらも言葉を返すめる。姉妹だからそりゃそうと返されてしまえばおしまいだが、なんとも家族らしい風景である。


「…………」


 紫雨とめるが楽しそうに会話をしながらカレーライスを頬張る中。杏樹は、一言も発することなく淡々と食事を進めていく。

 きっと、元から食事は作業だと思っている節もあるだろうし。なにより、2人きりだと気まずくならないように話しかけなきゃいけないから、目の前で会話をしてくれている今は気が楽なのだろう。めるの目に映る杏樹の食事のペースは、心做しかいつもよりも速いように思えた。


「……あ、そういえば。お姉ちゃん、昼間は何してるの? 仕事は?」


 ふと紫雨のことについて疑問を感じためるは、紫雨に対して質問をする。

 とりあえず1ヶ月分は諸々込みでこれくらい〜、とお金はくれたし。物置として使っていた狭めの部屋を少し片付けて、そこに住んでいるだけだから、特に文句は無いのだが。定職に就いてるようには思えないし、その費用はいったいどこから出たのか気になったのだろう。


「あ〜、昼間はね〜……。街に出て仕事かな」


「……だから、その仕事は?」


「気になる〜? 言ってもいいけど……、めるに言ったら怒られそうだなぁ」


 仕事の内容を聞かれると、所々ぼやかしたような返事をする紫雨。


「……なに、犯罪行為? やめてよそういうの」


 していない……とは思うが、紫雨ならやりかねない。めるは、不審がるような視線を紫雨に向けながら問いかけてみる。


「いや〜、そんなんじゃないそんなんじゃない! ……そうだなぁ。『殴られ屋』って言葉で、めるは理解してくれる?」


「殴られ屋……?」


 スプーン一杯分のカレーライスを口に運び、咀嚼をし終わってから、紫雨はめるに自分のしている仕事についてのことを呟く。

 殴られ屋。文字通りその殴られ屋とは、殴られるのを仕事とする人のこと。好きに殴ってもらう代わりとして、秒数や分数、ルールに応じた金を貰うことで成立する仕事だ。もちろんしっかりとした職業ではないし、身体的な負担が大きく、最悪の場合死に至ってしまう職業である。

 なぜそんな仕事をしているのだ。紫雨から仕事を聞き出しためるも、会話を耳に入れていた杏樹も、殴られ屋をしていると言う紫雨には、そのような感情を抱いた。


「殴られ屋って言っても、実際に殴られたことは無いに等しいけど。攻撃の受け流しはアリで、3分間1000円、5分間1500円を路上で募集〜……みたいな感じ」


「え〜……、なにそれ……」


 紫雨から詳細を聞いためるは、思わず引いてしまう。当たり前の反応だろう。まだ格闘家やプロレスラーといった職業なら、殴り殴られることでファイトマネーを貰う仕事だからと説明がつくが。ただ殴られ、それだけで金を得る……というのは、めるには理解し難いものであったから。

 めるがドン引きしている傍ら、杏樹は静かに納得していた。握手から人間の体勢を完全に崩せるくらいなのだから、攻撃を受け流す技術も一級品であることくらいの想像はつく。そのような能力を持っていれば、小銭稼ぎとして殴られ屋を選ぶのは最適解と言っても過言ではないだろう。


「……あと。急に私の家に住むことになったけど、お母さんとお父さんにはちゃんと家出る〜って言ったの?」


 もう1つ聞きたいことがあったのだと、めるは紫雨の住居について聞いてみる。把握している限りでは、紫雨は実家暮らしをしているはずであったが……。


「え、言ってないよ。そもそも私、随分前に実家から追い出されてるし」


「え」


 紫雨は、めるの把握している情報を優に超えた発言をし始めた。実家に住んでいたはずが、もう既にその実家を追い出されていたという、衝撃のカミングアウトである。


「…………じゃあ、これまではどこに住んでたわけ?」


「殴られ屋とか単発バイトでお金稼いで、そのお金でネカフェとか漫画喫茶とかに泊まってた感じかな」


 殴られ屋……というのは一旦置いといて。単発バイトで金を稼ぎ、格安で泊まれる場所に泊まる。そういった限界ギリギリの生活をする人も、日本のみならず世界には一定数存在する。そして紫雨もきっと、そのうちの1人としてカウントされる存在だ。


「……もしかしてだけど。杏樹に手を出したのも、私の家に住む口実作りのため?」


「それは〜……理由として少なからずあるけど。めるのことが心配なのは本当だから、そっちがメインの理由かな。不意打ちしたのは悪いと思ってるよ、今更だけど……あの時はごめんね〜。杏樹ちゃん」


 初対面の杏樹にいきなり攻撃を仕掛けたのは、この家に住む口実を作るためなのではないか。紫雨を疑っためるだったが、決してそれが本来の目的ではないということを紫雨は伝える。

 そして同時に、今更ではあるものの、杏樹へ謝罪の言葉を入れる紫雨。不意打ちをしたのだし、謝るのなんて当然のこととはいえ……。彼女だって大人だし、いつまでも謝らないなんて子供じみたことはしたくないのだろう。


「……別に、そンな気にしては……」


 急に会話の流れの矛先が自分へと向いてくると、杏樹は適当に返事をしようとする……、が。


「……イヤ。やッぱ結構気にしてる」


「えっ……」


 全く気にしていないし、許す……という雰囲気から一転して。気にしてるし許さない、なんて雰囲気になり始める杏樹。

 杏樹が根に持つようなタイプではないということを知っているめるは、困惑した。謝罪を受け入れなかったことで、今この場が戦場になるとか、そんな馬鹿げたことは起こらないとわかっているが……。普通に考えて謝罪を今この場で断れば、気まずい空気が流れ始めてもおかしくはない状況である。困惑してしまうのも無理はない。


「別に、許してもらわなくても構わないけど……。杏樹ちゃんを疑ってるからここに住んでるわけだし、我儘は言えないよね」


 杏樹の言葉を聞いた紫雨は、謝罪を受け入れてくれなかったことに対して反発することはなく、意外とすんなりその事実を受け入れた。

 土下座をしたわけでもあるまいし。むしろ、したのは言葉での軽めな謝罪。許してもらうのが目的なのではなく、体裁上の謝罪を済ませただけ。紫雨にとっては、それだけのことなのだろう。


「まァでも、一緒に住む以上は気まずいのなンて嫌だよネ〜。あたし達だけならまだしも、めるちゃンまでその空気に巻き込むのは違うシ」


 ところが。ついさっきまで謝罪を受け入れるつもりなんてサラサラないという雰囲気だった杏樹は、この家の空気を鑑みて、謝罪を受け入れるというスタンスの言葉を発し始める。


「そうだなァ。何か1つお願いでも聞いてくれる……ッて言うンなら、許してあげるヨ」


 あくまで自身は、手を出された側の人間。つまりは、許してやる立場の人間……ということ。その立場を存分に利用して、杏樹は紫雨に何か要求をするつもりだった。

 別に許してもらわなくてもいい、と紫雨は言っていたが。めるを大切に思っている彼女のことだし、めるを気まずい空気に巻き込むなんてことはあまりしたくないだろう。

 自身の要求を、相手のペースを乱すに乱した上で、半ば強引に引き受けさせる。これは、杏樹が得意とする話術であった。


「…………はは、まぁ確かに。気まずい空気まで持ち込むのは違うよね〜」


 どうやら、杏樹が立場を盾にして何かを要求しようとしているということを、紫雨は勘づいてるようだったが。杏樹が言っていることも、至極真っ当なこと。ここは素直に要求を飲んで、仲直りをする選択肢を紫雨は選ぶ。


「それで、お願いっていうのは?」


「それはネ〜……」


 杏樹が何を要求するのか。めるも紫雨も、それはある程度察することができていた。

 その要求することとは、紫雨の体を欲するということ。めるは元より杏樹が女好きなことを把握しているし、紫雨も探偵を使って杏樹を調べたところ、杏樹が女好きであるということを把握している。

 姉妹共に、思っていた。お姉ちゃんが、私が────。杏樹に狙われているのではないか、と。


「お義姉さンの、握手で相手を崩す技術? みたいなノ、教えてもらいたくて〜」


 だが。2人の予想は、不正解という形に終わった。

 誰かに教えを乞うなんて、杏樹が最もしなさそうなこと。プライドが高いから、というよりは……、天才肌が故に何事も教えてもらわずとも覚えられたりするのが杏樹だから。

 しかし、初見殺しの技をくらったことで、何か意識でも変わったのか。他の人物の技術を吸収することで、より高みを目指していこうという意思を見せる杏樹。


「……想像してたようなお願いと違って、びっくりというか安心というか…………」


「全く同じこと思ってた!」


 予想とは全く違ったお願いを杏樹がすると、びっくりしたやらホッとしたやら、色んな感情が一気に湧き出てきて、めるは思わず横から口を出してしまう。同じ血が流れているから……、というのはあまり関係ないが。紫雨も、姉妹らしく全く同じことを思っていたと発した。


「……それで。杏樹ちゃんは、私にあの技術を教えてもらいたい、と」


「そォそォ、不意打ちを許す交換条件として。……どう?」


 そもそも紫雨からしてみれば杏樹は、めるの平和な生活をおびやかす極悪人であり、敵である存在。そんな存在に、自分の強力な武器を易々と教えられるかといったら、決してそんなわけはないのだが……。

 数日間一緒に過ごしてきて、紫雨は感じていた。想像しているよりも、杏樹は無害……というより、無干渉な人間であると。外に出ている時や食事の時以外は、基本部屋で過ごしているようだし。たまにリビングでゴロゴロしている時もあるが、誰かに話しかけたりすることは無いに等しい。

 正直、もっとめるをこき使ってるような人間だと思っていた分、ギャップは凄かったし。める自体も信頼はしているようだし……。もちろん疑いの心は持っているが、教えてみるくらいならいいのかもしれない。そう思う紫雨。


「いいけど……、そんな簡単に教えられる技術じゃないんだよね」


 教えてもいいが、その技はとても難しく、容易に教えられるようなものではないと杏樹に伝える紫雨。


「と言うと?」


「そうだなぁ。スポーツで例えるんなら、基礎の基の字もできてない素人に神業を教えろって言われてるっていうのと同じ感じで。杏樹ちゃんがどれだけ凄い身体能力を持っていたとしても、たかが数日とかでは身につかない技術だと思う」


 その言葉は厳しすぎるようにも思えるが、言われた側である杏樹は、素直に事実を受け止めていた。まぁ、当然と言えば当然。重力を好きに操作しているとしか思えないような能力なんて、どんな天才でも身につけられないものだろうから。


「ハハ、大丈夫。俄然興味湧いてきたワ」


 すぐに覚えられない、という理由だけで諦めることはなく。使える武器はなるべく多い方がいいし、たとえ長期的に時間をかけて覚えることになったとしても覚えてみせることを決意した杏樹。


「そう? ……じゃあ、契約成立ってことで。お互いに空いてる時間とかは公園にでも行って訓練しよっか。あと、お義姉さんってのはナシ。硬っ苦しいし、呼び捨てでもいいから名前で呼んでね」


「おッけ〜、……紫雨さン」


 杏樹の決意を認めた紫雨は、杏樹に技術を教える代わりに仲直りをする、という契約を結ぶ。それと同時に、家族になったわけでもあるまいしお義姉さん呼びは辞めろ……という忠告も。


「仲直りできたようで何より。お姉ちゃん、昔から習ってたもんね。……え〜と、……名前ど忘れした」


「今はもう習ってもないけどね〜。杏樹ちゃんでも名前くらいは知ってるかな?」


 自分の家族と、自分の同居人。この数日間はあまりなかったとはいえ、その2人が気まずくなるのは嫌だっためる。契約上とはいえ、2人が仲直りをしてくれるのは嬉しかった。

 同時に発されためるの発言によると、紫雨はなにか幼少期から習い事をしていたらしい。習い事、のレベルを超えすぎているようにも思えるが……。ボクシングや空手でもなければ、柔道でもない習い事。それは────。


「『合気道あいきどう』」











 日が落ちるのも、随分と早くなってきた。あんなに暑かった夏は終わり、葉が暖色に移り変わり始める秋がやってくる。

 ここは、聖ヴィヴァン教会。もう廃墟と化した、いわゆる廃教会という場所だ。心霊スポットでもなければ、特別廃れた上で美しいという場所でもないその教会に、とある女性が1人。


「ここも久しぶりやなぁ。ちょうど1年ぶり、ってとこやろか」


 藍色のセミロングヘアに、つばが広い黒色のハットを被った彼女は。以前にもここを訪れたことがある、巨大犯罪組織・百鬼の幹部。道楽京、という関西弁の女性であった。

 百鬼の幹部であると共に杏樹の友人でもある京が、以前ここを訪れた理由。それは、とある裏切り者の粛清のためだった。もっとも、彼女が到着した頃には、既に杏樹の手によって粛清が終わらせられていたのだが。


「ぁ〜、懐かし懐かし。そういえばこんなとこも来たわ〜」


 正面の木造扉を開くと、ズカズカと教会内を進んでいく京。古びた雰囲気も、赤色のヴァージンロードも、虹色の輝きを失ったステンドグラスも。全てが懐かしく感じられる中、京が向かう先は……、2階。

 2階にあるものはというと、教会ではなく、その教会を運営する人や関係者の居住スペース。飲食店でもたまにあるような、1階と2階で用途が全く違うという建築物である。


「……ここや、ここ」


 2階のとある部屋の目の前に到着すると、京は扉の目の前で立ち止まって呟き。両の口角だけを若干上げながら、静かに京はドアノブを握り、そのまま扉を開いていく。

 京が入っていった部屋には、机や椅子、本棚、ベッド等があり。個人で生活できるような私室であったことが推測できる。そんな部屋に入って、一言。


「元気しとった〜? 櫻葉のおっちゃん……と、その愛人さん」


 …………無論。返事は返ってこない。返ってくるわけがない。この部屋には、京しか居ないのだから。櫻葉も、櫻葉の愛人も、死んだその日の内に百鬼によって処理された。京もそれを知っているはずなのに、彼女はいったい何を言っているのか。


「なんてな、冗談冗談。どうせあの世でもラブラブしとるんやろ、分かっとるで」


 机の目の前に置かれていた椅子を、ベッドの目の前まで移動させて。椅子に座れば、ベッドを静かに見つめながら、京は独り言を続けていく。


「もう過ぎとるような気もするけど〜……、この時期は一周忌やからな。手向けや、貰っとき」


 秋の始まりでもあるこの季節は、百鬼の幹部候補生であった櫻葉が死んだ季節。彼が命を失った、明確な日付に来たわけではないが……、京は、片手に握りしめていた物をベッドの上に静かに置く。

 それは────、2本の白い菊だった。


「ウチも人のことは言えへんけど……。イカれた奴ばっかなあの組織で、唯一何事にも誠実だった櫻葉のこと。人間として好きやったし、立場が下の人間とはいえ少しくらいは尊敬しとったで」


 ベッドに菊を置くと、ほんの少しだけ寂しそうな顔を浮かべて、京は言葉を吐いていく。背中には、いかにもな哀愁が漂っていた。

 いつもならば、絶対に誰にも見せない姿。相手がもうこの世には居ない死者だからこそ、見せれる態度もあるものだ。


「…………あんま居すぎとったら、嫉妬されそうやな。ほな、ウチはそろそろ行くで〜。覚えてる内はきっとまた来るわ」


 10分どころか、5分すら経っているか危ういくらいの早さだが。クドクド何か話し続けるくらいの親密な関係ではなかったし、何より相手には愛人が居るし。ここらで退散しようと、京は椅子から立ち上がって部屋から出ていく。

 時が過ぎるのは早いのか、それとも遅いのか。感じ方は人それぞれだが。少なくとも、杏樹周辺に居る人物は、去年の今頃から濃い1年を送ってきたことだろう。どれだけ濃密な1年を送ったとしても、次の1年はまたやってくる。

 命の灯火が消えぬ、その限りは。






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