目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第30話

「ほら、これが種よ」

「本当だ、海中に根が伸びて、そこに……。そもそも花畑自体が海中とつながっているんですね」

「海水で育つのよ、この花は。元々は、人魚が海中で咲く植物を少しずつ陸地に上げて育てたと聞くわ。だから毒性はありつつも、薬になるようね。人魚も自分たちの薬を生成する為に、陸に上げたみたい」


リナリアが見せてくれた場所は、海水の中に根を張っている海の花であった。根の先に種ができる。だから花を回収しても、種は手に入らない。美しい花の役割は、酸素の供給らしい。


「この花が咲くことで種に酸素が行き渡るの。それを合図に種が大きくなり、花と別れるのよ。薬になるのは種と別れた花だけ」

「つながっている花は薬にできないんですか?」

「できないと言うよりも、毒性が強くておすすめできないわ。もとは人魚の鱗が手入れをしていた植物ですからね。それくらいあれば平気だけれど。だから私が管理できているのよ」


そう言う彼女の手は指先まで鱗に包まれていた。一瞬見ただけではわかりづらいが、しっかり見てみると、鋭い鱗が見える。その手であれば、この花の手入れができる。毒が体内に入ることを防ぐのだ。


「鱗以外では防げない毒なんでしょうか」

「今のところはそう認識しているわ。以前やってきた国花選定師も、この花には触れずに簡単な調査だけしていったの」

「そうでしたか……」


メインは潮風に揺れる花とその種を見た。まるで母と自分のようだ、と思う。母は花のように流れていき、自分は種として今、ここにいる。母が辿った道を歩むことは、まるで母と共に歩んでいるかのようだった。

母は、多くを残してくれたわけではない。研究半ばの資料も大量にあったし、中途半端に書き記しているものさえもあった。特にメインに残す為に書いていたわけではない、と思うような手記も多くある。それを見て、メインは母があの流行り病で死ぬつもりではなかったのだ、と実感する。


「海の花が欲しいのですが、いただけますか」

「構わないけれど、流せる花は時期をずらしているの。今年の分はもうすぐ終わりよ」

「もうすぐ……」

「薬にするのは勝手だけれど、この土地にあの花ばかりを集めれば、土地の毒性が上がりすぎる。それを私は防ぎたい」

「あの、その毒は……国の作物に影響を与えているものでしょうか?」


その問いかけを聞いた時、リナリアは目を丸くした。長く生きた彼女にとって、目の前にいる女性は子どものようなものだ。少女といっても過言ではない。どんなに国花選定師と言っても、まだまだ未熟な存在だと勝手に思っていたのだ。

しかし、中身は違う。中身は、どの国の国花選定師にも負けない存在。知識と経験、意欲があり、勘もいい。他者との交流も厭わず、正直者。まさに絵にかいたような国を守る存在。

その存在は、確かにあの女に重なる。突然島にやってきて、海の花を眺めては笑顔だった女。自分にあの男を与えてくれた女。そして、彼女は二度とここに来ることなく死んだという。その面影を、娘に強く見る。


「私は国花選定師がどうするのか、任せきりだわ。ただ欲しいというのなら、海の花は渡している。その為に栽培していると言ってもいい。この花は貴重なものだし、管理が難しいから、人魚の血筋でなければ扱えないわ」

「母は、この花を使った薬を完成させています」

「え?」

「現存している国花選定師の薬は、すべて登録されています。その中に、母はこの海の花を使った薬を完成させているんです」

「そう……それはとても優秀な国花選定師だったのね。私にとっては花も毒も薬も、同じようなものだわ」


メインはリナリアが、国中を蔓延させている毒に関心がないことに気づく。人魚と人間の間に産まれた子が、国を順調に支配する為には、それくらいのことが必要だと分かりながら、その結果を理解していない。

多くの若者、多くの民が、その毒に侵されて、人生を生きていく。その儚さを自分たちが受けた苦しみと相殺しているのだろう。しかし、そんなことは本来ならば国花選定師には許しがたいことだ。植物は、そんなことの為に使ってよい命ではない。


「あなたはそう感じていても、国民は違います」

「そう。でも今更、毒抜きなんて簡単にできないでしょう?」

「時間はかかりますが、できますよ。でもそうすれば、国は大きく変化します。人の出入りが激しくなり、海は荒れるでしょう。かつての悲劇がまた起きるかもしれない」


悲劇が起きた時。誰がその責任を背負うのか。それをメインもリナリアも考えている。

横で聞いているレンカは、揺れる2人の心を姉に重ねていた。姉も決断を迫られる度に心を悩ませ、涙をこぼしていたものだ。心優しい姉には、その決断は重くのしかかり、時に弟を救う為に、他者を犠牲にするという決断さえしてしまう。


「あなたがその責任を背負うの?」


当たり前の言葉が、リナリアの口からこぼれた。この島の未来、人魚と人間の間に産まれた存在の未来。それをメインが背負えるのか、という。


「私には背負えません。それは、皆さん個人が背負うべきものなんです」

「それは勝手じゃない?この国は、間の子に殺戮をした。それを止めるべく、今の手法をとった。それで平和なら、いいじゃない。それを壊すというのなら、あなたが責任を負うべきよ」

「いいえ、責任とは、各個人が負うべきものです。だから、選ぶのも皆さんです。国が殺戮を命令しても、拒否するような、強い精神を持った存在を育てることが大事なんです」


メインの言葉は、リナリアよりもレンカに響いていた。レンカは、自分は国を捨てた存在だと常に考えている。姉を捨て、国を捨てた、将軍の地位も何もかもを、自分の命惜しさに生きているのだと。

しかし、それは彼を悩ませ、彼の心を少しずつ押し潰そうとしていた。だが、本来はそれも自分の意志で決めたこと。姉や国の為に死を選ぶのではなく、自分で生きていくと決めたのだ。

その強い意志をはっきりと持った時、レンカは自分自身の呪縛から解き放たれた。自分はこれから先、長い時間をそうやって生きていく。国に戻ることも叶わず、姉にも二度と会えないかもしれない。しかし、生きることには代えられないのだ。


「あの女の娘らしいわね……。ここで起きた惨劇を気にもしない。本当、あなたみたいな存在がいるから、私たちは困るのよ」

「困るんでしょうか……」

「困るわ。だって、また夢を見てしまうじゃない。もしかしたら、と。もしかしたら、また愛しい人と会えるかもしれない。また誰かを愛せるかもしれない、そんな愛を持ってしまう」

「それは悪いことではないはずです」

「そうよ、悪いことではなかったのよ。かつてそうやって、たくさんの愛が生まれ、私も生まれ、多くの命が誕生した。でも、誰もがその最期までの責任を取らなかった」


私たち自身もね、とリナリアが寂しそうに言う。それを聞いて、メインは静かに言った。


「毒は、人魚と人間の間に産まれた人にも、作用しているんですね」

「……そうね。きっと私なんて、もう毒が抜けないくらい、毒とともに生きてきたんだわ」

「リナリアさん……」


一瞬だけ、リナリアはセインを見た。彼にある面影を見ながら、かつての美しい思い出が蘇る。あの人と共に歩んだ砂浜、雨の日も、風の日も、一緒に過ごした。長く生きられないと知っていながら、きつい言葉を放ったこともある。しかしそれでも彼は、笑顔だった。

自分に愛を向けてくれていた。あの時だけ、自分は毒が抜けていたと思う。


毒は、必ず抜けることを、リナリアは知っていた。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?