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第31話

「毒を抜くべきかどうか、それはこの国の国花選定師に任せます」


メインは、憂いを持ったリナリアの目を見て言った。それは、この国の行く末はこの国の者が決めるべきだと、言っているのだ。その意味が、聡明なリナリアにはすぐわかった。


「……この国は、もうじき亡びるわ」

「え、そうなんですか」

「毒が国中に蔓延し、これから先、誰も夢を見ない。むしろ、今いる世界が夢だと思うようになる。綺麗な廃人になるだけ。それは、国として滅亡したと同じこと」

「それを、国の人が望んでいるんですか?」

「……望む場もなく、普通という現実に溺れていく。外の世界を知らず、他者との違いを考えず、ただ生きていく木偶。それでいいのよ」

「そんな……でも、それをこの国とこの国の国花選定師が望むなら」


国の民は、支配されている。どの国でも、それは変わりがないことだ。ただ言葉が綺麗なのか、綺麗ではないか、表現が緩やかか、厳しいか。その程度の違いだ。


「……次の国花選定師はいない」


リナリアはそう言って、メインの瞳の奥にいるあの女性を思い出す。快活な女性だった。植物を愛し、それに関わる者も大事にしていた。美しい女の中に、力強さを秘め、国の為、植物の為、多くの人の為に生きていた。それが、娘であるメインに見える。


この国花選定師は、きっといい国を作る。国王や貴族に支配されず、左右されることもなく、正しき道を進むに違いない。それが分かると、少し寂しくも思った。


自分の国には、そんな国花選定師はいない。人を思うことも、植物を思うこともできない。何もできない、ただの木偶。それがリナリアの創り出した、国花選定師なのだ。この国へ復讐する為の存在として、操り続けた。

でも、それが。でもその存在が愛しい存在に変わった時。リナリアは人の心を取り戻していたのだろう。それは、抱きしめることもできなかった我が子への愛。復讐や、国や、植物や、利益や、戦争など、さまざまなことを軽々とまさっていくもの。

それが、我が子への愛。


「いないんですね」

「ええ、いないわ」

「本当にいないんですか?」

「ええ、いないわ」

「……では、いずれこの国は本当に滅亡します。それでも」

「ええ、いないのよ。国花選定師は、今の者が倒れれば終わり」


終わりが見えている国。

それを聞いて、クイードは悩んだ。妻や息子はこの国にいるのだ。そして、彼女の言う次の国花選定師はセインだと考えられる。偶然、海に流れていたのかもしれないが、そんな偶然、海に詳しいクイードは有り得ないと分かっていた。


だが、息子を国花選定師にすれば、きっと二度と会えなくなる。二度と家族で過ごす時間はなくなるのだ。しかし、もしもセインが真っ当な国花選定師となれば、この国は滅亡することもなく、多くの人が救われるだろう。


毒の消し方や抜き方など、メインに聞けばいいことだ。彼女ならば喜んで手伝ってもくれるだろう。アシュランやレンカも協力してくれるはずだ。妻の病も治るだろうし、正常になった国の人々がいれば、これから国は大きく発展していくに違いない。


その中で、差別や偏見を少しずつ消していけばいいことであるし、そもそもセインはこの島から流れてきた子だ。そうなれば、この子はきっと人魚の血を持った子。人間と人魚の間に産まれた子が、国花選定師になるならば、人魚の血を持つ存在への差別はできなくなるだろう。


この子は、ただの青年ではない。

この子は、この国を左右する子。


けれども、クイードにとって、かけがえのない息子だった。


「……オッサン、気分が悪そうだけど、大丈夫か」

「ああ、すまねぇな……大そうな話を聞いちまってよ」

「そーかね。どの国でもよくある覇権争いだろ」


アシュランは目の前で起きていることを、どこの国でも起こることだと言う。さまざまな国を見てきた彼ならば、そう感じるのか。しかし横にいるレンカも同じ顔だった。


「……国は王だけが創り上げているわけではないからな。特に国花選定師の役割は大きい。国を左右するとも言われているのが事実だ」

「お前のねーちゃん、そんな太い性格じゃなかったもんな」

「姉さんの話はするな、馬鹿者!あの方は、幼い頃から国花選定師になる為に、厳しい勉学に励み、俺を育て……」

「ねーちゃん自慢するなよ」


クイードの目の前で、いい年をした青年2人が睨み合っていた。睨み合っているのに、どこか息があっていると言うか、馬が合うと言うか、そんなところだ。

彼らも多くを見てきたから、言えること。それは国花選定師の側でしか見られないものだ。


側にいるだけで、それだけ感覚が変わる。家族の為に一等航海士を捨てたクイードには分からない世界だった。


「砂の国は血統を重んじる。それは国花選定師以外もそうだ。しかし国花選定師は必ず血族でなければ、能力が発揮できない」

「アンタもなんかできんのかよ?」

「アンタではない!レンカ様と呼べ!」

「いいじゃねぇかよ!大した違いはねーだろ!」


大きな違いだ、とレンカが怒鳴る様子を見て、クイードはかつて自分が船の上で仲間たちと過ごしていた日々を思い出す。仲間は、1人、また1人、と船を降りていく。それは地上に降りるならばいいのだが、地上に戻れず、海に消える仲間もいたことを指す。

海は、多くの仲間を飲み込んだ。それはきっと、この島で起こったさまざまなことと一緒だ。花が咲くこと、人間と人魚の間に命が生まれること、とにかくたくさんのことが、この海では生まれて消えていく。


この海で生まれたならば、この国に生まれたならば。

それから逃れることもできないのだろう。

それくらいに、海は偉大で、どこまでも続いている。


「オッサン、本当に大丈夫か?」

「あ、ああ……」

「アイツに薬をもらったらどうだ?でも、アイツの薬は高けぇんだよなぁ」


ブツブツ言いながら、アシュランは頭を抱えている。隣でレンカが、国花選定師の作った薬が安いわけがないだろう、と言った。

もしもセインが、環境に恵まれたなら。彼らの弟のように、大事にしてもらえたのだろうか、とクイードは夢を見た。楽しそうに、メインを囲んで共に旅に出る。セインは料理が上手いから、食卓を囲めばみんな笑顔になるはずだ。


しかし、その裏で、多くの人が苦しみ抜いて死んでいく。いや、それが苦しみだと気づくことなく、生涯を終えるのだ。それは幸せなのか。箱庭の幸せというものなのか。それとも。


「いや、海は、箱庭じゃない」


クイードは呟いた。その言葉に、リナリアが目を開く。


「その言葉、嫌いじゃないわ」

「……海は、箱庭じゃない。俺は海から大事なものをもらい、大事なものを奪われることもあった。それでも、この海が箱庭じゃないと知っている。時に嵐は多くを奪うが、その後の大漁をくれる。水も確保できる。波は心地よく心を癒すこともあれば、心をかき乱して狂わせることもある。そのすべてが海だった」

「そうね。その中で、民は根付き、生きてきた。それは間違えじゃないわ」


リナリアの澄んだ目が、セインと重なる。クイードは、涙をこぼした。長い月日をかけて、家族になったから、これからも家族であるはずだ。たとえ住まう場所が変わっても、たとえ与えられた役目が違っても。あの子は生きていけるはずだ。クイードはこの国の未来と、我が子を考えた。


この子がどんな道を歩むのか。

歩む道は、きっと海の路なのだろう。


風を切って進んだ、あの清々しい日々。

クイードはそれがとても懐かしく感じた。


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