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第32話

「次の国花選定師は、セインだ」


クイードの言葉に、その場の誰もが目を丸くした。しかしそうしなかったのは、リナリアとメインである。


「お、親父、何を急に」

「いいから、話を聞け」

「親父!」


今までほとんどしゃべることもなくついてきたセインが、やっと口を開いた。彼にとって海は何も知らない土地同然で、子どものように好奇心旺盛なのだ。毒が抜けた後の姿は、こうなる。クイードはそれを見て、やはりそれがこの国のあるべき姿だ、と思った。


「お前は海から流れてきた。海の花と一緒に。本来ならば国に報告し、伝えねばならなかったが……その時俺は、息子を亡くしていて」


本当の息子を亡くした直後。妻も傷心しきっていて、家の中は重苦しく、哀しみに飲まれていた。妻の哀しみは大きく、このままでは夫婦が壊れてしまうのではないかと思うほどに、失ったものは大きかったのだ。

そんな時、海から流れてきたのがセインだった。


「本来、一等航海士のもっとも重要な役目は、海路を知ることじゃねぇ。いつの日か流れてくるであろう、次の国花選定師を拾い上げることだった」

「お、俺は……」

「すまないな、セイン。俺は海から拾ったお前を見て、我が子を思い出したんだ。あの子が帰ってきてくれた……そう思っちまった」


父の目に、涙があふれて落ちていく。リナリアは表情こそ変えなかったが、メインは彼女の腕が一瞬だけ震えたのをしっかり見ている。

次の国花選定師を決めるのは、時にとても苦労する。そもそも血族による世襲制ではあるが、時折次の国花選定師がいなかったり、デキなかったりするのだ。その場合は、血族の中から選ばれる。それが決められたことであり、それを越えて別の人間が国花選定師になったとしても、その重い役職に耐えうる人間は少ないだろう。


「処罰は受ける」

「処罰はないわ。別に産まれたばかりの国花選定師を、必ず連れて来いと言われているわけではないはず。あなたはあくまでも、その子を育てただけに過ぎないわ」


リナリアはそう言った。彼女の言葉は、この国の言葉になるのだろう。それだけ、間の子は国の中枢、奥深くまで入り込んでしまっているのだ。


「リナリアさん、今の国花選定師はどのような人ですか」

「……そうね。国家に必要な薬を研究するように言いつけているわ。何よりも大事なのは、どうやってこの国を支配するかだったから」

「では、今後はセインさんが国花選定師を引き継がれてはいかがでしょうか。早めに継承することによって、これから先のことはセインさんの意志で決めることができます。先代はそのまま指南役とリナリアさんの連絡係として残ってもらえばいいはずです」


真面目な話をしているメインを見て、レンカはこの国のことはこの国の人間に決めさせるのだろう、と理解した。この国は、これからどうなっていくか分からない。その為にも、まずは国花選定師の交代が必要だ。それくらいのことを起こさなければ、すぐに変化は訪れない。


「ちょ、ちょっと待ってください!俺が国花選定師なんて、できるわけ……それに、国花選定師だって保証も……」

「確かに、保証はありません。ですが、この国の習わし通りならば、あなたが次の国花選定師です。あなたは、この国を変える好機をもらえますが、どうしますか?このままこの国を支配され、夢も希望もない毒された国にしておくこともできます」

「え、そ、それは」

「こんな幸運は、国花選定師の血筋でもなければやってきません。国花選定師は植物に選ばれ、運命にも選ばれると言われています。血筋はそれを色濃く伝えるものです」


セインは、今までの自分を振り返る。特に大きな功績があったわけでもなく、行きたい場所も欲しいものも、大してない。好きな女性もいなければ、何かをしたいという欲もない。家である酒場が繁盛して、家族がつつましく生きられればいいと思ったのだ。

しかし、世界はそうではないことを知った。それを知ると、子どもの頃に父が語ってくれた海の話を思い出す。海は広くて、深くて、美しく、偉大なのだ。その海に出る―――その決心をした父が素晴らしい男だと思っていた。

でも、そんな大事なことさえ忘れてしまっていた日々。それはいいことだったか、と自分に問いかけると、違うと返事が帰ってきた。自分にとって、世界は変わらないもので、帰る必要性がないもの―――そう感じていた。

感じさせられていたのだ。本当は、違うのに。本当は、もっと夢を持ち、希望を持って一歩を踏み出してよかったのに。


「俺は……」

「私はまだ旅の途中ですが、セインさんもいつか旅に出るといいと思いますよ!そうやって国花選定師は成長していくんです」

「お、おれは、両親が心配だし……そんな、国花選定師なんて」


成人してから国花選定師の学びを開始するなど、聞いたことがない話だ、とレンカの方が思う。姉は幼少期から次の国花選定師としての教育がすでに始まっていた。厳しいと言えば、厳しいかもしれないが、それよりも環境が違う。国花選定師は常に植物と共に過ごし、植物の研究などが行える場所で生きる。姉と長く引き離されていたわけではないが、明らかに待遇が違うのはレンカが体験済みだった。

それだけ国花選定師にとって環境は大事なのである。国の行く末を左右するとまで言われる存在。それを今から育てることなど、可能なのだろうか。


「俺は、国花選定師なんて、大そうなものにはなれません……」

「セイン、何を言ってるんだ!」

「だって父さん、俺は母さんと2人を置いて、行くなんて……」

「俺たちのことは気にしなくていい。俺たちは今まで通り暮らしていくだけさ。お前のことを忘れたりなんかしねぇよ」


クイードはセインを抱きしめた。しかし、セインにとって突然すぎる事実は、受け入れがたいものである。抱きしめられても、分からない。何を言われても、理解が難しい。


「……そろそろ時間だわ」


リナリアがそう言うと、室内にも分かるほど潮風が吹いてきた。今までとはまったく違う風だったが、クイードには分かる。


「今、帰らないと戻れなくなる……」

「ええ。ここへは数ヶ月に1度来れるか来れないか程度。このままここで過ごすなら、長くここにいることになるわよ」


それはさすがに困るな、とメインは思った。自分には国王と決めた時間がある。それを越えてしまえば、強制的に迎えが来る可能性があった。最悪の場合、国家反逆者とみなされてしまう。


「えっと、色々考えることはあるかもしれませんが、まずは帰りませんか?薬に必要なものは手に入りましたし、海の花の生態も記録できました」


メインたち一行は帰ることにし、クイードとセインもそれに従った。船に戻る時、リナリアがセインを呼び止める。


「あなたは、どの道を選ぶの」

「それは……」

「あなたとよく似た人は、ちゃんと道を選んだわ」

「そう、ですか……」

「あなたにはずっと……海がついている」


海。一言で言えばそれで終わってしまうこと。しかしそれが多くの人にとって、さまざまな意味を持っていることも分かっていた。

セインは、最後まで島を見つめた。二度と来ることのない島かもしれない。しかし、自分が国花選定師の道を選べば、来るかもしれない。それがはっきりしないのだ。この島は居心地がよく、悪い感じはしなかったが、居場所ではないと感じる。


こんな時、すぐに母の手料理や、店にやってくるお客たちの笑い声が思い出されるのだ。そしていつも自分を大事にしてくれる父。一等航海士に憧れないわけではなかった。海の男は大きくて、格好いい。


でも自分は、国花選定師だと言われた。どうして、自分が。そんな才能があるわけもないのに、と思いながら晴れる霧を見た。


霧が晴れた瞬間―――目の前は一面の海の花。


海の花たちはセインに言った。それははっきりとセインの耳に届く声。優しくて温かい、まるで母親のような声だった。


―――ずっと、愛してる。



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