船はゆっくりと潮風の中を進み、夜が明ける頃に港に到着するとクイードが言った。月夜の綺麗な晩、こんな夜は人魚が出るのだと伝説があるらしい。
クイードは、船のことを調整しながら、息子と静かに話を始めた。息子のことは、海から拾い上げたその時から知っている。だから、なんでもとは言えないが、ある程度のことは分かっているつもりだ。
この子が国花選定師になるべくして生まれてきたことも、理解していた。理解していて、我が子として育てたのである。普通の子として、普通の両親のもとに生まれた子として、育てたつもりだった。
しかし国は、そんな彼すらも毒に侵し、多くの未来を奪った。この子は夢も希望もなく、儚い人生を送るかもしれなかったのだ。だが、考えてみればそれもよかったのかもしれない。国花選定師になれば、苦難の日々がやってくる。家族と過ごすことも許されず、最悪の場合、一生王宮から出ることはできないとも聞いていた。
そんな目に我が子を合わせたい、と思う親がいるだろうか。
セインは普通に成長し、普通に成人した。しかし海に出ることも、国外に出ることも、何かを成し遂げることにも興味のない、儚い青年に育った。まるでそれは、海を漂う海の花のように。
「セイン、俺はお前をずっと息子だと思っている」
「俺だって、父さんや母さんのことを大事に思っているんだ。2人がいてくれて、俺がいるんだから。でも俺が国花選定師になって、この国を変えたなら……母さんのような人は差別をされることはなくなる」
「そうだな」
「母さんのような病に苦しむ人も助けられる。海の花を栽培できれば、物流もよくなるだろうし、国も潤うはずなんだ。俺にしかできないことを、今からできると言ってもらえたから……やってみようと思った」
クイードは、俯く息子を抱きしめた。我が子とはこんなに愛しい存在なのだ。愛しくて、愛しくて、海から拾い上げた子であったことを忘れてしまうくらいに、大切な存在だった。死んだ我が子のことも思うことはある。しかし、その分をセインへたくさん愛情として注いだ。
家族の形は、これから変わるかもしれない。けれども、それが多くの人を助け、妻のような病に苦しむ人を救うことになるかもしれない。その希望にかける気持ちを持てたセインは、もう毒が抜けているのだ。
「国花選定師になっても、父さんが海に連れて行ってよ」
「そうだな」
「さすがに俺1人じゃ、頑張れないかもしれないからさ」
「弱気になるなよ、男だろ」
そう言って息子を励ましたが、もしもこの子が戻りたいと言うのならば、クイードは命を懸けてでも守ってやるつもりだった。一度失った我が子が、また海から来てくれたのだ。命を懸けても惜しくはない。
月夜の中、父と息子は話を続けた。幼き日のことから、クイードの若き日のことまで。母との出会いや、先に死んだ子のことも。クイードは包み隠さず、話をしてやった。
朝になり、船が港に到着する頃には、セインの顔は晴れ晴れとしていた。しかしここからどうやって、国王や現在の国花選定師に話をすべきか。メインも悩んでいたところだったが、すでに港には使者が来ていた。
美しい銀髪の老婆がそこにいた。それを見て、彼女が国花選定師であることは、すぐに分かる。
「あなたが現在の国花選定師ですね」
「はい。あなたは東の国の国花選定師。島まで行ったと、リナリア様から聞きました」
「え、聞いたって……」
「海はつながっていますから。まだお時間はございますか。もしよければ、私の仕事を見ていってください。酷いものだと罵られる覚悟はできております」
銀髪の老婆はメインに頭を下げた。周囲の者たちも同じように、礼儀を尽くす。こうしてメインはやっとこの国の国花選定師と会うことができたのだ。
彼女は、老婆でこそあるがまだしっかりと自分の足で歩いているが、その歩く後には鱗が落ちた。周囲の者たちは、それを隠すように拾っていく。この国で人魚と人間の間の子が、どんな扱いを受けるのか分かっているからだ。たとえそれが、この国の中枢であったとしても、同じである。
王宮の側にある老婆の屋敷に、一行は招かれた。穏やかな造りの屋敷は、一見普通の自宅のように思えたが、その裏に多くの植物を栽培し、管理し、研究していると言う。部下たちを下がらせた老婆は、メインに向かって話した。
「私は、リナリア様から国花選定師を育てる為に、あの島から派遣された最初の間の子です。私は国花選定師でありながら、次の子を育て、もしも間が空けばそれを埋める役目も担って参りました」
「つまり……途中で亡くなった国花選定師もいたんですね」
「はい。人魚と人間の間に産まれたとはいえ、すべての子が長く生きるわけではありません。人魚の特性をほとんど持たずに生まれてきた者もいます。ですが、リナリア様と私は特性を強く持って生まれましたので、大変長く生きました」
しかし、その終わりが近いことを老婆は分かっていた。美しい女性のままであるリナリアと、老いていく彼女。明らかに彼女の人生が終わりに近づいている、と誰もが気づいたのだ。
「次の国花選定師は長く現れませんでした。それもリナリア様のお考えだと知っています。だから待ちました、今日まで」
「長くお待ちになられましたね」
「はい……でも、分かっていましたから。いつか必ず、次の子が来ると」
彼女はどうしてそんな希望を持つことができたのだろうか。国中が毒され、覇気をなくし、夢も希望も持たないような思考になっていたというのに。メインはそれも不思議に感じるところだった。
お茶や焼き菓子を振舞われたが、今回のことを知っている面々は口をつけようとしない。メインは毒が入っていないことを理解し、お茶を飲んだ。
「毒は入っておりません。今、国中に流通させている毒は、基本的に肥料を介している弱いものです。でも、魔力の強い人や人魚の血筋の人などは、強く作用することもあるでしょう。もう私の手元に毒など、ないんです」
「つまり、もう精製方法を流通させてしまったんですね?」
「……同じ、間の子にだけです。それもごく一部。でも、皆、リナリア様の指示がなければ動きません」
多くの間の子たちが、リナリアを支持しているのだろう。彼女はゆっくりと椅子に座り、お茶を飲んだ。スッキリとしたハーブティー。温かいそのお茶を飲んで、メインは母の淹れてくれたお茶を思い出す。遠い日の思い出だ。
「このお茶は」
「昔、よその国からいらっしゃった国花選定師の女性に、ハーブを分けてもらいました。それからずっとうちで育てて、こうやってお茶にしているんです」
「……私の庭にも、あります」
「そうですか。あのハーブは、故郷にあるんですね」
メインは、母のことを知ることができて、嬉しく思った。この海の国は、母が訪れたと明確に分かる国だったのだ。メインがお茶を飲んだのを見て、他の者たちも飲み始める。温かくて、落ち着く香り。喉をゆっくりと流れ、体を温めてくれるもの。
「その子が、次の国花選定師ですね」
老婆の目が、セインを見た。クイードが拳を握るのが分かったが、レンカが押さえる。
「俺が、そうであるなら……」
「あなたの目は、とても懐かしい。海の花の声が聞こえたでしょう?」
「は、はい」
「海の花にも触れましたね?」
「はい……」
「海の花は、すべての間の子を愛しているわけではありません。毒が強いので、合わない者も多いのです。その中であなたが触れられたのなら、あなたはこの国の国花選定師ですよ」
はっきりと言われて、セインは唇を噛みしめていた。