セインは、自分が国花選定師であったとしても、それが決められた運命であることをまだ気づいていなかった。メインは、母から娘へ受け継がれてきたもの、今までの祖先から引き継いできたものがあるので、理解できる。しかしそれを知らない彼は、自分自身の決断を持って、国花選定師になるのだ。
そんなセインの姿をレンカが見つめる。それは、幼き日と同じだった。姉が国花選定師への道を進む時、自分はただそれを見つめていたのだ。美しい姉の黒髪が、まだ肩くらいまでしかなかった頃。あの頃、自分は国の為に生きると決めた姉の背中を、幼い自分は見つめるだけ。
見た目の違う自分は、その背中を見れただけでも幸運だった。本来ならば、屋敷に幽閉されて、外に出ることもできず、食べることも満足にできなかったはずだ。しかしあの日だけ。姉の晴れ舞台だから、と特別に外に出ることを許された日。
そんな過去のことを思い出しながら、レンカは悩んだ表情のセインを心配していた。逆にアシュランは、彼がこんなにセインを心配するとは思っていなかったので、驚く。いや、最初からレンカはセインに興味を持っていたし、あの島に行った後からは特にそうだ。
自分から関心が外れたことは、嬉しい。あんな男にずっと付きまとわれていても、困るからだ。しかし、なんとなくだが自分の心に寂しさのようなものがある。まるでそれは、おもちゃを盗られたような。いや、仲のいい兄貴分が別の弟を連れてきた時のような。
そんな気持ちが自分にあるとは思っていなかったアシュランは、不貞腐れたようにテーブルに並んだ焼き菓子を口にした。甘いそのお菓子たちは、少しずつハーブなどの香辛料が入っている。いい香りだな、と思うとアシュランの気持ちは緩くなっていった。
その様子は、クイードも同じである。息子を手放すと決めたこの人は、とても苦しみ抜いた上で、その答えを出している。しかし、その苦しみがどれだけのものなのか誰にも計り知れないだろう。しかしそんな彼も、クッキーとお茶に手を伸ばし、少しだけ自分の気持ちを落ち着いて見つめることができたようだ。
メインは、お茶とお菓子の様子を見た。国花選定師の作るもので、植物が関わっていればその効能は通常以上のものである。特に口にするものや、薬などは、効果が高くある。効果が高いということは、結果が早いことでもあった。口にしてすぐやんわりと気持ちが落ち着くならば、その効果がとても有効なものであって、とてもよく効いているのだ。
それだけのものを作り出すことができる国花選定師は、とても優秀であり、同時に経験が豊富なのである。料理や調合の基本は、経験やちょっとしたセンスの問題だ。そのちょっとした部分ができるかできないか、で結果は大きく変わっていく。
綺麗に焼かれたクッキーや小さなケーキたち。美しい彩の花が添えられている。美味しい、とメインは思いながら自分はここまでまだできないなぁ、とも思ってしまう。あまり料理は得意ではないのだ。薬の方がまだ楽に作ることができる。
「クイードさんは、セインさんが国花選定師になったら、寂しいと思いますか」
「嬢ちゃん……そりゃ、まあ……寂しいっちゃあ、そうだが」
「でも国花選定師の仕事は、この国土全部に広がりますよ。特にこの国は海があるから、海を渡ってあの島まで、きっと」
メインの言葉を聞いて、クイードはそういう考え方をしたことがなかった、と思う。自分にとって手の届く範囲、目に見える場所だけが、大事な場所だと思っていた。そこにあるものは自分が守り抜くと、しっかりと心に決めているもの。それを手放してしまう、と思っていたのだ。
セインが成長すれば、いつかはそうなる。けれどもそれは、まだまだ先だと思っていた。もっと先で、もしかしたらそんな日は来ないかも、とも。しかしその日はついに来てしまったのだ。
妻にはまだ話ができていない。
彼女はきっと、ひどく落ち込んで、泣くだろう。哀しみにくれるかもしれない。産んだ子が死んだ時だって、抜け殻のようになっていた。だから、とても不安だ。彼女の心は、セインがいたことで保たれていたのではないだろうか、と。
「クイードさん、奥様にセインさんのことは話したことがありますか?」
「え、あ、ああ……いや、アイツには、海で引き揚げたことは話していない。海で死んだ部下の子を引き取った、と説明している」
「そうですか……でも、奥様はご存じだったみたいです。セインさんに自分と同じ血が流れていることに」
「え?」
そんな会話を妻としたことはなかった。息子の成長の話や、家族のことは話したが、それ以外のことはお互い触れなかったのだ。
「奥様は、セインさんの肌が稀にとても強い鱗になることを知っていました。それは稀にであって、定期的でもなければ、何が原因か分かりません。でも確かに彼には自分と同じ血が流れている、だから守りたい、と思っていたようですね」
「あいつが……」
「はい。だから自分の薬を求める反面、それが息子にも使えないだろうか、と思っておられました。正直なところ、はっきりとはわかりませんが……でも、不要じゃないかな、とも」
国花選定師として、海の花を栽培する為には、その強固な皮膚がいる。それがあって、あの花は育てることができるのだ。美しい花でありながら、種はその場に置いて流れていく花。それが分かっているからこそ、栽培はより難しい。毒の問題だけではなくなる。
「そうだな……アイツが、このまま国花選定師になるなら」
「寂しそうな顔ですね」
「嬢ちゃん、言わないでくれよ」
「ふふ、私の父も私が旅に出るって言った時は、そんな顔をしていました!だから世の中のお父さんって、みんなそうなんだなって」
この娘にも父親がいる。それを聞いて、クイードは少しだけ驚いた。国花選定師の話をしていた時は、母親のことばかりだった。だから、母親の印象しかなかったのである。
でも、この子にもちゃんと父がいて、彼女の無事を願っているのだろう。大人になる娘を手放すことは、男親にとってとても辛いものがあったのではないだろうか。
「1年だけなんです」
「ん?」
「私が、外の世界をこうやって見られるのは。母の時は自由だったんですけど、色々あって、私は1年だけと決められています」
「1年って、短くないか?」
「短いんでしょうか?私にはよく分かりません。私は、母が死んだ直後から唯一無二の国花選定師として育てられました。私が死ねば、次はいませんから。国にとって、牢屋に閉じ込めたいくらいだったと思いますよ」
「そんな……国なのかい」
「いいえ!東の国は、気候はいいし、植物も多いですし、人もいい人ばかりですから、いい国ですよ。でもそれを支える国花選定師が、どうしても必要なんです」
その目を見て、それはどこかセインと重なる。自分の道を見つけたと思って、本当は敷かれたものだったなら。もしも世界が、もっと広くて、もっと楽しいものなら。それを知らない自分は、とても寂しい存在ではないだろうか。そう感じさせてしまうような目だ。
クイードはメインの頭を撫でた。小さなこの頭には、多くの知識や経験が詰まっている。詰まっているから、これから出し入れをして、更に膨らませていくのだ。いい子だな、と思いながら、うちの子だって負けちゃいない、と思う。
「嬢ちゃん」
「はい」
「アンタは、国花選定師になってよかったかい?」
その問いかけにメインはゆっくりと答えた。