「よかったです。国花選定師は国花選定師にしかなれませんから」
「嬢ちゃん……」
「国花選定師は、ただの世襲制ではありません。特殊な能力を持って、受け継がれていきます。セインさんの場合もそうです。時にそれは、自分自身を苦しめたり、孤独にしたりもします」
だから、とメインは言った。国花選定師になることは、不幸なことではない。生きるべき道がそれであった、というだけのこと。他に選択肢がなかったのか、と言われるとそう言った話とも違う、と言った。
国花選定師は、異能を持って生まれる。逆にそれがなければ国花選定師になれないほどのものだ。しかしそれは、他者に理解されるものでもない。むしろ、理解されず、孤立してしまうきっかけにもなりかねない。他者が理解できない者を持って生まれることも、不幸ではない。それならば、合った生き方をすればいいからだ。それが、国花選定師であるというだけ。
「本当は、そういったことを伝えるのは先代の役割なんです。でも、先代だってそう上手くいかない。私の母だって、大事なことは何も伝えられずに、死にました。だから私は、何が大切なのか、何があるのか、別の国花選定師が教えてあげたっていいと思うんです」
「じゃあ、アンタはセインに教えてくれるのかい?」
「はい、もちろんです!」
花のように笑う彼女は、優しかった。クイードは彼女のこの優しさは、先代から受け継いだものなのではないか、と思う。
国に近しい場所で生まれれば、その「楽さ」と「落差」に気づく。国に近いところにいれば、楽で金も地位も手に入る。しかしそれが外に出れば違うのだ。立場が違えば、まったく違う。同じ船に乗っていても、違う者など山のようにいた。
一等航海士として、国からも重宝され、部下を持ち慕われ、高い給与を得るクイードと、知識も経験もない、地位も得られない甲板夫ではまったく違うのだ。彼らは、海の男だが国からは遠く存在している。そうなれば、手に入れられるものも少ない。それを知っているクイードは、国花選定師がどれだけよい地位であり、それを独占することができるなら、どれだけの利益が自分の手元に舞い込むか想像もできない、大きなものがやってくることを知っていた。
だが、メインはそれを理解しているのか、していないのか。それとも、理解していて、口にしないのか。はっきりとは分からないが、彼女は国に近くて、どこか遠い娘だと、思う。
「私は、やっぱり母に生きていて欲しかった」
「そうかい」
「父も寂しいですし、紙や残されたものから母の想いを受け取るのは、とても時間がかかって、苦しいものです」
「そうだな……アンタの中の母親は、どんな人だったんだい?記憶はあるんだろ、少しくらいはよ」
「私の母は……」
メインは、自分の記憶に残る母を思い出す。それは、鮮明なものではない。ぼやけている記憶だし、日ごとに薄れていっているようなものだ。赤い髪を長く伸ばしたその人は、いつも植物の匂いがした。花や草の香りがして、自分を抱きしめてくれると、その香りが溢れかえる。
「母は、花や植物の匂いがしました」
「そうかい。じゃあ、アンタは抱きしめてもらったことがあるってことだな」
「あ……そう、ですね」
「あの2人はそんな話しないだろ?」
クイードが言うのは、アシュランとレンカのことだ。2人の話はある程度は聞いている。どちらも生まれた境遇に恵まれなかった者だ。親を知らないアシュランと、差別の中で育ったレンカ。2人は、親の存在を理解していても、抱きしめられたと考えられる表現はしない。
「親のいない子は多い。きっと、これから先もたくさん出会うぞ」
「はい……」
「でも、それは不幸なことじゃねぇ。幸せの形が違うってだけだろう」
「クイードさん……」
「可能なら、アンタの旅にセインを連れて行ってくれないか?それから国花選定師になっても遅くはないんだろ?」
その提案に、メインは少し困ったように微笑んだ。割って入ってきたのはレンカである。彼は砂の国の国花選定師を姉に持つ男。彼は国花選定師のことをよく知る、存在である。
「国花選定師は国外へ出ることはできない」
「そうなのか?」
「厳しい許可、国花選定師として着任した期間、国王の許可、国の情勢、植物の管理を他者に任せられる環境が整うかどうか、多くのことが基準になる。それらを解決できれば、国外へ出ることが可能だ」
「……じゃあ、セインは」
「下手をすれば、一生国外へは出られない」
なぜ、と聞かずとも誰もが分かっていた。それは海の花の栽培。海の花の栽培ができるのは、リナリアとセインだけなのだ。島にいるリナリアがセインに代わって海の花の面倒を見ることはないだろう。栽培が本格化すれば、セインは一生花の側から離れられない。
「……アイツは、それすらも分かって返事をしたんだろうな。父親の方が馬鹿だったよ」
「そんな……きっとセインさんは、いつの日か自分のような特殊な肌がなくても、海の花を栽培できるようにするつもりだと思います」
メインは、それこそがこの国の将来をかけたことになるだろう、と思った。海の花は、そもそも流通させることが難しいものだ。島でのリナリアの存在があって、年に数回、もしくは国花選定師の代替わりの時に花が海に出る。
自然に任せてそれを成している状態だが、島での手入れはリナリアが丁寧に行っていた。残された種の確認、海から芽が出るまでの期間を確実に守り、花が咲けば海に出て行くまでを見守る。強い風も、嵐もあるだろう。そんなものにあたれば、あの花はすぐに散ってしまう。しかし的確な時期、気温、そして海流を読んで、リナリアは花を海に流している。
その経験や知識、栽培している環境の把握ができれば、栽培量は増える。そして毒性の解明―――母がしようとしていたことは、これだった。本来ならば、毒性の強い植物は国花選定師の厳しい管理下になければいけない。国民や国家の安全の為だ。その為に、母はわざわざ旅をして、あの島までたどり着いたのである。しかし、それを解明することをせず、母はあの島を離れた。解明してしまえば、リナリアや人魚と人間の間に産まれた存在が、生きる場所を追われると判断したからだろう。
「海の花は、割と早い周期で咲きます。流通量が少ないだけで、定期的に咲くことが可能であれば、運がよければ数年で多くのことが解明できるかもしれません。今であれば、リナリアさんの協力だって得られるかも。でも、それができるのはセインさんだけです」
母が断念した理由のもう1つ。それは、リナリア―――つまり、人魚と人間の間に産まれた存在。その存在を説得し、協力を得る為には時間が足りなかった。また、その存在から国花選定師が出ているのならば、より母は入り込めない。国家同士の争いは、国花選定師が最も恐れることだ。戦争が起きれば、植物は荒らされる。毒を撒き散らせば、植物が育たない大地を何十年分も作ることが容易だからだ。そうならない為に、国花選定師同士は争いを好まない。
「彼がこの数年で得るものは大きいはず。それから旅に出ても、遅くはありません」
「そうか、ありがとよ、嬢ちゃん」
「それに、この国にいる間は、ご両親がいるじゃないですか!」
セインにとって、両親がいること。それはこれから先、国花選定師として辛く長い人生を歩む大きな希望になる。海で拾われた子が、海ではなく大地で暮らす為には、大きな理由がいるのだ。