国花選定師は、継承することによって先代までの知識をすべて受け取ることになっている。時にそれは、完全に行われることがないまま、次の国花選定師が選ばれることもあるのだ。
武人の多い山の国は、国花選定師を常に守っていた。同時に、現国王は国花選定師を守る一番良い方法として、自分の子どもを産ませたのである。本来ならば正式に結婚し、家庭を持って次の国花選定師を育てるべきところだ。しかし国王は手っ取り早く国花選定師を生み育て、守り抜く方法として「我が子」にすることを選んだ。
運がよかったのは、国王と国花選定師であるアインスの母は、普通に愛し合うことができた。妻になることは叶わずとも、彼女は子どもがいるだけで十分に幸せになれた。側室になることもできないのに、彼女はそれでいいと言ったのだ。ただし、国花選定師としての役目を果たすことと、子育ては大変なものがある。だから、離れに宮殿を望んだ。
国花選定師の工房は、国王の命令があれば自由にできた。安全の確保ができれば、難しい規律はなったのだ。だから、国王は王宮の離れに宮殿を準備し、植物と母子を住まわせることにした。
側室がいない、となれば、王妃の次に地位が高い女性は、アインスの母だった。国花選定師である彼女は、王宮の中で王妃に次ぐ地位である。離れをもらっても、誰も文句を言わない。むしろ、言えなかった。
アインスの母は、側室のような顔は一切せず、国王の子を産んだ国花選定師として生きるだけ。その真っすぐさは、息子にもよく見えていた。父から離れて暮らしているのに、一切文句も言わず、国のために尽くす母。その母の姿があったからこそ、アインスは母から国花選定師を承継する気になれた。
なぜ、なれたという表現なのか、と言うと、アインスの聡明さは母によく似たが、彼は父にもよく似たのだ。つまり、武人としての才能もあった。それは他の王子たちに負けず劣らず、むしろ秀でているくらいの才だった。
聡明さを持ち合わせたアインスは、武人としても上手くやれるのだ。だから、彼は幼い頃から自分も将来は、武人になるものだと思っていた。将軍にはなれずとも、軍の中でそこそこの地位になって、それなりに給料をもらえればいい、と思っていたのである。
しかし、言われたのは母の跡を継いで国花選定師になること。
アインスは衝撃が走った。それまで、自分が母の跡を継ぐなど一度も考えたことがなかったからだ。男なら武人。強き男になり、軍人になるのが一般的だと思っていたからだ。それなのに、自分はこの国で三番目に権力があるとされる国花選定師。まさかのまさか、と彼は思い、最初は乗り気ではなかった。
そんなアインスを変えたのは、他国の幼い国花選定師を見た時である。その少女は、幼くして先代の国花選定師を流行り病で亡くした。他者の薬を優先し、自分にまでそれが回ってこなかった、という話である。
残されたのは幼い娘。しかし彼女は、その国の国花選定師としてすでに生き始めていた。小さな手で花を咲かせ、植物の世話をする。母の残した資料を読み、分からないところをアインスの母に尋ねた。国王同士の盟約により、アインスの母は1年間だけメインに付き添い、国花選定師の基礎を教えた。少女はその小さな目で、アインスの母をしっかりと見つめ、真っすぐに育つ。同時に、その横にいたアインス自身も、学ぶきっかけとなった。
それが、メインとアインスの始まり。
国花選定師としては、ほぼ同級生と言ってもおかしくはなかった。
「アイツのお袋さんがよ、早くに死んじまって。親父が気ィきかせて、ちょっと面倒見てやったんだ。まあ、そうやって俺を焚きつけるのが一番の目的だったんだろうがな」
「あの頃のアインスさんは、いい人でしたけど、国花選定師になるの嫌がってましたもんね」
「こんな穴蔵みたいなところにこもって、植物育てて、研究なんざ、俺に似合わねぇって思ってたんだよ。まあ、今はそれなりに楽しくやってるけどなぁ」
アインスが話している横へ、カブルが料理を運んできた。魚にハーブなど香辛料となるものを載せて、蒸し焼きにした料理。白身魚の身はふっくらと柔らかく、肉厚。ハーブが効いて、臭みも感じない。
「これ、変わった味ですね……」
「お、気づいたか?ちょっと面白いモンを仕入れてよォ!発酵した塩を使ったんだわ。菌と塩、少しの水を混ぜて発酵させた調味料だ」
「え、何ですかそれ!?菌!?」
「食っても体にいいモンだな。発酵食品は体にいいんだぜ?」
発酵食品、という者がその場にいる誰にもよく分からなかった。しかし、アインスが分かりやすく説明してくれる。それを聞くと、砂の国で食べられているパンも酵母が使われているし、野菜を長期間保存することもできるようになる、などさまざまな利点があった。
「難しいのは温度の管理でな。調味料の一部は放っておいてもいいが、他のモンはなかなかそうはいかねぇ。その研究も面白いぞ」
「あなたは……武人としての才能もあれば、国花選定師としてもとても立派なのですね」
レンカの言葉に、アインスは笑う。子どものように明るい笑顔。たてがみのような髪が、ゆらゆら揺れた。
「お前さんこそ、カブルを倒したんだって?さすが、砂の国の将軍様だ」
「いえ、それほどでも……」
「おいおい、カブルを甘く見てもらっちゃぁ困るぜ。なんたって、毎日俺の鍛錬を受けて、俺の身の回りの世話をしてくれてんだぁ。それが弱い男なわけがないだろ?」
「そ、そうでしたか……失礼を」
「姉ちゃん、元気にしてるって話だ。気にすんなよ」
膝の上に置いた手が、拳を作る。レンカは姉のことを聞けて、安心できた。同時に自分は前に進まねばならない、と強く思う。
「あの国は、お袋も難儀したからな。お前の祖母さんとも、だいぶやり合ったんだぜ、俺のお袋は」
「そ、そうでしたか……」
「お前の曽祖母さんを知ってるか?」
不意にそんなことを聞かれて、レンカは目を丸くする。実のところ、レンカは自分の細かい血筋を知らなかった。なぜ自分だけが見た目が違うのか。どこからその血が来ているのか、など、聞いたことがなかったのだ。
「いえ……」
「お袋が言ってたんだ。お前の祖母さんの父親、要は曽祖父さんは、異国でそれはそれは綺麗な美女を国に連れて帰ったんだと。金色の髪が美しい乙女だったと、お袋が言っていた。お袋はそんな話を聞いたらしい」
「曾祖母……」
「お前の曽祖父さんは将軍で、遠征に行った先でお前の曽祖母さんを見つけた。当時はすでに国に妻がいたが、2人目の妻として迎えたんだ。国の妻には子が生まれず、2人目の妻が子を産んだ。それがお前さんの始まりだよ」
「ま、まさか、そんな」
自分以外にも、自分と同じ容姿の人がいたのか。しかもその人は愛されるために、砂の国へ連れて来られていた。将軍が2人目の妻としてでも、迎え入れたいと願うほどの女性。それがどれほどの人であったのか、レンカは聞いたこともなかった。
「でもまあ、2人目の妻だからな。よくは思われなかったんだろうよ。元は差別の国だ。人を見た目で差別する文化なんざ、昔から根付いてる」
「し、しかし、それでは国花選定師の血筋が……おかしくはありませんか」
「ああ、国花選定師の血筋は、お前の曽祖父さんの方だ。だから安心しろ」
ニカ、という音が聞こえるような雰囲気で、アインスは笑った。彼が聡明なのは、そうやって周囲以外のことにも知識が深いからなのかもしれない。メインはその聡明さが、今も健在なのを見ることができて、安心するのだった。