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第68話

母がどんな女であったのか、息子のアインスはよくわかっているつもりだった。国王である父を愛し、植物や花をこよなく愛する、少しか弱い国花選定師。あの母から生まれたこともあって、アインスは武人であることも捨てきれなかった。国花選定師は、一国に必要な存在だ。必要な存在だからこそ、自分は国花選定師でなければならなかった。武人である父を見ながら、母のもとで学ぶ―――それでいい、と自分に言い聞かせた。


どんなことがあったとしても、アインスにとって母は大事な女性であり、唯一の師匠である。母だからではなく、近くですべてを学んできたからこそ、あの人の強さも弱さも理解できた。つらいことがあれば、つらいと泣くし、笑って、楽しそうにしながら、最期には毒で死んだ。か弱すぎた国花選定師。しかし、それでも大事な人だと、国王である父を見ればよくわかる。母の死後、父はめっきり弱った。王位継承権を持つ兄たちが躍起になるほど、父は弱り、正妻や側室たちがやっぱりと口々に言うほどだ。


国王にとって、国花選定師であるリュシオルは特別な存在。それは、国のために突き進む国王を、唯一とどまらせることができた女だから。そこに、国花選定師であることなど関係なかった。父はそれを【愛情を教えてもらった】と言う。人を愛することの深さ、重要性、ともに歩むことの力強さ、信頼。すべてのものをあの国花選定師に教えてもらった、というのだ。

だからアインスもそういうものだと、思っていた。2人の間にあるのはそういうものであって、まさか2人の思い出の地に【毒】が関与しているなど、想像もしていなかったのである。2人にとって、この地はただの思い出の地ではない、ということだ。


少し面倒なことになったな、とアインスは思いながら、メインの横顔を見る。そもそも彼女とここに来ることで、植物の生態を短期間で追究することができると踏んでいたのだ。そうすれば、早く片が付く、と。しかし実際はそうでもなさそうである。【毒】の保有期間が長い植物は、逆算してそれと同じ期間の調査が必要だ。そうなれば、短期間でも10年、もしかするともっとかかる。それだけの時間を費やすことは、1人の国花選定師の人生を捧げることになりかねない。


そこに、メインを巻き込むことはできない、と彼は思った。どんなに優秀で、どんなに過去助けた娘であっても、これ以上は国が違う。彼女はやがて故郷へ帰らねばならないし、もしも今回の【毒】に国王や国花選定師が関わっていたとなれば、大きな問題になる。また砂金があることも、厄介だ。砂金は国家の資源として扱われるが、それをすでに他国の国花選定師やその一行に見られている。彼らが何かを言い出すことはないが、本来ならば危険なことだ。他国に自国の資源の出どころを知られれば、戦争が起きかねない。


「アインス様」

カブルがアインスの前に立つ。何か言いたげな彼の表情に、アインスはため息をついた。

「なんだ、カブル」

「お考えのような顔をしておられましたので」

「あったり前だろぉ、考えるわ。これからどうすっかな」

「……後日、ここには我々だけで戻りませんか。これ以上メイン様を巻き込むわけには」

「そーだな。お前は俺の考えをよくわかってくれてて、助かるわ」

そう育てた自覚もある、とアインスは思う。世が世なら、彼も本当は国王の息子、王子なのだ。しかし母親の出自がそうでもなかったこと、国王が彼に関心を向けなかったことからの、今だ。兄であるアインスを兄とも呼べず、小間使いとして生きながらえているだけ。その人生に、カブルは不満もなく、むしろ感謝して生きている。

「カブルよ」

「はい」

「お前は、ガキの頃より強くなったな」

「いえ、アインス様には及びません」

「そろそろ好きな女を連れてきて、所帯を持ったらどうだ。まあ、当面の金くらいは、俺が見繕ってやるからよ」

「な、なんですか、急に!?」

今まで、そんなことを言われたことがなかったカブルは、大慌てでアインスに言った。アインスからすれば、腹違いの弟の幸せを願うことは、悪いこととは思わない。しかし、そんなことを考えたこともなかったカブルは、慌てふためいていた。

「しょ、所帯は……まだ、持ちません」

「おお、そうか」

「アインス様は、まだお手がかかりますので」

「おい、お前、そこに並べ。一発殴る」

「構いません。それでも、俺はまだ、アインス様の側にいたいのです」

母が死に、父に忘れられ、カブルは【王宮の中の孤児】になった。その時の苦痛を思い出せば、アインスから殴られる程度のこと、大したことがない。例え殴られたとしても、側にいられるなら、そちらの方がいいと思ってしまう。

「俺はそんなに手がかかるんかい」

「はい。それはもう」

「はぁ、お袋に合わす顔がねぇなぁ」

リュシオルは、別の女が産んだ子でも大事にしてくれた。それは、やはり国王を愛していたからだろうか。それとも、もっと違う何かがあるのか。今となっては、誰にも分らないことなのだが、アインスは考える。

「よし、花を採取してここを出るぞ」


メインは、花の採取を行った。この花は、砂漠の花とも似ているし、海の花とも似ている。似ている点が多いが、違いもあった。これ以上はしっかりと研究や観察をしなければ、答えが出ない。だからこそ、確実にこの花たちを持って行かねばならない、と思った。

「アシュランさん、この花を持って行けますか?」

「こんなもんでいいんか?」

「はい。残りはレンカさんの荷物に」

分散して持って行くことで、今後の危険を減らせる。同時に、狙われる人間も増えてはしまうが、仕方のないことだった。メインは、その花の研究を進めることで、他の場所にあった植物たちとの関連も得られるのではないか、と期待している。そうすれば、砂漠の花のように死体を養分にすることもなく、海の花のように栽培に苦労することもないだろう。

苦労が減れば、流通しやすくなる。流通しやすくなれば、薬や薬品として、加工もできるようになるはず。各国の国花選定師が、さまざまな形でそれらをちゃんと活用できるはずなのだ。その日を目指して、自分は前に進もうと、メインは思った。

「メイン」

「アインスさん、どうしました」

「その花は、この国から出すことはできん」

「はい。では、研究や調査はアインスさんの側で……」

「いや、お前はもう先へ進むべきだ」

え、とメインは思う。アインスならば、自分と一緒に研究をしてくれるのではないか、と勝手に思っていたのだ。そうすることで、結果も早く出るだろう。メイン自身も、アインスからさらに学ぶことができる―――そんな期待を抱いていた。

「部族のところまで戻ったら、二手に分かれる。お前らは次の国を目指せ」

「そ、そんな……!」

「調査の結果はお前にも知らせる。また時間を作って、俺のところには寄りゃいいだろ」

いいだろ、と軽く言っているようにも聞こえたが、この花の研究はもしかしたらアインスの一生で最後になるかもしれない。それくらい、長い歳月を必要とするものかもしれない―――メインはそう思い、彼を見た。


しかし、そこには。

いつものように、余裕のある顔をしたアインスがいるだけだった。


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