「俺はさぁ、国のみんなが不自由なく暮らせれば、それでいいと思うんだよねぇ」
まるで夢を見ているかのように、現実味のない口調で、彼は言う。彼には、国というのは国民から成り立っているという甘い意識しかないのだ。国の政や、権力争い、自分も巻き込まれている現状が、はっきりと理解できていない。もしかしたら、そういった面倒なことを理解したくないという思いも、少なからずあるのかもしれなかった。
ヒーサヤングにとって、この国は非情な国だろう。
血筋で決まるはずの国花選定師でありながら、正当な後継者だとわかっていながら、彼は王宮を追われた。地位をはく奪され、なんのためにここに住んでいるのかわからない。ヒーサヤングにとって、ここでの生活は国花選定師としてふさわしくないはずだ。かつて自分の母がどのように生き、死んでいったのか。母がいないことでそれを理解したはずではなかったのか。それとも、それを理解できないほどに、彼は呆けてしまっているのだろうか。
レンカは、目の前の男が国花選定師だとは思えなかった。態度はおどおどしていて、緑色の髪は伸ばしっぱなし。清潔感もなければ、知的にも見えない。どの国の国花選定師でも、その秘めたる能力が開花された時に、すべてが明確になる―――しかし、この男にそれはないのだ。明確になることもなく、秘めているものも感じられない。だからこそ、正当な国花選定師でありながら地位を追われたのではないか、と思ってしまう。
基本的に、国花選定師は国の最たる存在だ。国王に意見することを許され、政治への明確な関与は許されないが、実質大きく関わってくる。それは長年姉の側でそれを見てきたレンカだからこそ、はっきりと分かっている話だ。しかしながら、この男にはそのどれも感じられない。花の交配は上手くできるというが、それは国花選定師ならば当たり前のことだと思う。厳しいことばかり並べてしまったように感じられたが、正直なところ、不幸なのはこの男だけではない。この男を信じ、ついてきてくれた者たちさえも、不幸にしてしまう。
特に、目の前にいる金髪の男はそうだろう。金髪を短く切って、常に彼はこの男を守ることだけに専念してきたはずだ。そんな目つきをして、そんな仕草を常にしている。それが与えられた家業なのかもしれないが、それだけでやっていけるほど、人間は甘くない。ヒーサヤングという国花選定師を信じ、愛し、支えようという強い精神力があってこその所業なのだ。
自分はそれができなかった―――姉をあの国において、自分は出てきた。本来ならば重罪人でありながら、きっとメインや姉の力があって、今も生かされている。この命がいつまで続くかはわからないが、姉のもとへ帰るまでは、メインに尽くすと決めていた。
「では、ヒーサヤング様は王宮へ戻るべきでは」
「今はまだその時じゃねぇ」
レンカの問いかけに、コリーンが言い切った。鋭い眼光がこちらを睨んでいる、とレンカはすぐに分かる。この男、王宮で何が起きるのか、すでに把握しているのだ。
「今戻れば、ヒーサヤング様は殺される」
「ええ!?俺って殺されちゃうのぉ!?」
「少し静かにしていてください、ヒーサヤング様」
「はいぃ……」
コリーンの一喝を受けて、ヒーサヤングは黙った。この男がすごいのか、気にしないヒーサヤングがすごいのか、わからない。しかし彼はとにかく、今の王宮について話を始めた。
「今の王宮は腐っている。主に国花選定師を名乗っているヤツを中心として、幼い国王を言いくるめているのさ」
「でも、それだけならそんなに危険では……」
メインもそんなことを言うと、コリーンは静かこちらを見る。
「国花選定師は、本来2人もいらない」
その言葉に、メインはギクリとする。国の重要な存在である国花選定師は、2人つまり、親子で存在する時代が限りなく短い。それは、例え親子、師弟関係であったとしても、上手くいかなくなるものだと考えられているからだ。血族で決まっている国花選定師に関して、同じ時代に2人存在するということは、必ず親と子である。つまり、国花選定師は長期間親子の時間を持つことができない―――
「そうなんか?でもアインスのオッサンは先代とだいぶ長くいたんだろ」
アシュランの問いかけに、メインが答えた。彼女はその答えをすでにアインスから聞いている。
「それは……アインスさんは、長らく国花選定師を正式に引き継いでいなかったんです。先代が動けなくなるまで、とかなんとか言って。つまり、先代の国花選定師を守っていたということになります。アインスさんが正式に襲名すれば、先代は引退したものとみなされますから……」
後継者が出てくれば、先代は自動的に引退となる。多くの場合、先代はなんらかの理由で引退するのだが、その末路として多いものは【死】だった。引退した途端に、病気に見舞われたり、事故に遭ったりなど、不幸が続く。そうでなくとも、メインのように物心ついた時には【母である国花選定師がいない】という状況も多かった。
「国花選定師は特殊な能力を持っている人が多いので、そのせいで寿命が短いのではないか、と言われています」
「言われてるって言ってもよ、そんなの偶然だろ?」
「偶然だからこそ、恐いのかもしれません」
偶然という、恐怖。
それは、国花選定師が温かい家庭や人間関係を、そもそも長く持てないことを意味する。
「同時に、今ヒーサヤング様が殺されれば、跡継ぎがいなくなって、国が亡ぶ」
後継者問題は、どの国でも大なり小なりある問題なのだが、国花選定師の場合はとにかく大きな問題なのだ。彼らにとって、血族以外の存在は跡を継げない。継げないからこそ、重要でもある。特殊な体質や能力が、先祖代々引き継がれ、これから先の未来にも引き継がれるのだから。
「つーか、それなら、さっさと殺せばいいのに、なんでこんなところで生活させてるんだ?」
アシュランの言葉に、コリーンが大きなため息をついた。
「つまり、王宮の人間もヒーサヤング様が正当な国花選定師だとわかっての所業ってことさ」
「彼がいなくなれば、国が衰退する……でも権力は欲しい……身勝手な国だな」
毒を吐くように言ったのは、レンカだ。彼自身国花選定師の家系に生まれ、もしも才能さえ認められれば、その地位だったかもしれない。しかし、姉がいたからそうなることはなかった。ただ、それだけが事実。それ以上でもそれ以下でもない。レンカにとって、もしも姉がそんな立場にされ、そんな扱いを受けていたなら、辛すぎる。
「俺の姉は国花選定師だが」
「え、姉ちゃんいるの?姉ちゃんも金色の髪?」
急にその話に食いついてきたのは、ヒーサヤングだった。女性の話になると、こうやって食いついてくるので、変な噂を立てられるのである。
「……俺と姉は似ておりません。姉は黒髪に褐色の肌。砂の国の一般的な女の見た目です」
「うわぁ、いいなぁ、会ってみたいなぁ」
子どものようにニコニコしているヒーサヤングを見て、彼はどれだけ純粋な人間なのだろう、と思った。
こんな人間が作る国ならば―――本当はもっといい国のはずなのに。
そう思えて、ならない。