巻ノ四十二 大谷吉継
大坂に着いてだ、十勇士達は目を見張って驚きの声をあげた。
「何と」
「これ程までか」
「ここまで栄えておるとは」
「前に来た時以上ではないか」
「いや、比べものにならぬ」
数年前に彼等が来た時よりもというのだ。
「この賑わい」
「人の多さに店の数」
「橋という橋に人が行き交っておる」
「川や堀にはいつも舟がある」
「都よりも遥かにじゃ」
「栄えておるではないか」
「全くじゃな」
幸村も言う。
「この賑わいはな」
「はい、まさに天下の中心」
「そう言っていいですか」
「それに城もです」
「あの城もですぞ」
その大坂の中心にある大阪城、そこもだった。
「実に大きいですな」
「あの見事な天守といい」
「我等が前に来た時は土台だけでしたが」
「今ではです」
「見事な城になっていますな」
「あの様に」
「見事な城になると思っていた」
幸村はまた言った。
「しかしな」
「その殿のですな」
「思われていた以上でしたな」
「あの城は」
「そうでしたな」
「うむ、天守はな」
その天守閣も見て言った。
「壁は黒くな」
「瓦は全て金箔ですな」
「何と豪奢な」
「ただ大きいだけでなく」
「実に見事です」
「そうした天守ですな」
「全くじゃ」
こう言うのだった。
「これ以上はないまでの」
「見事なですな」
「天守ですか」
「まさにこの大坂の真ん中にある」
「それに相応しいですな」
「大坂は町もよく」
幸村はさらに言う。
「そしてな」
「はい、城もですな」
「とてつもない巨城で」
「そしてですな」
「天守もまた」
「そこにあるに相応しいですな」
「この町と城の真ん中に」
十勇士達も言うのだった。
「そこまでのものですな」
「まさに」
「殿もそう言われますか」
「うむ」
その通りという返事だった。
「拙者もな」
「まさに天下の町になっていますが」
この大坂はというのだ。
「そして城もですな」
「天下の城」
「そして天守もですな」
「天下の天守閣ですな」
「そうなっておる、それで時間があるからな」
だからと言う幸村だった、ここで。
「少し大坂を回ってな」
「そしてですか」
「そのうえで」
「城も見たい」
町が囲んでいるその城もというのだ。
「よいな」
「大坂城もですか」
「あらためて」
「うむ、間違いなく天下の名城じゃ」
そう確信するからこそというのだ。
「よく見たい、よいか」
「はい、それではです」
「我等はお供します」
「これまで通り」
「そうさせてもらいます」
「ではな」
それではと応えてだ、そしてだった。
幸村と十勇士達はそのうえでだ、大坂の町を回りその賑わいを見ると共に。
城を外から見た、城は確かに巨大でだ。
堀は広く深い。しかも城壁も石垣も高く門は堅固で高い櫓が数えきれないまでにある。その城を見回ってだ。
幸村は十勇士達にだ、こう言った。
「この城はそは陥ちぬ」
「やはりですか」
「そうですか」
「難攻不落」
「そうした城ですか」
「うむ、相当な数で囲んでもな」
それでもというのだ。
「容易には陥落ちぬ、四方を幅のある堀と川に複雑に囲まれておるしじゃ」
「城壁も石垣もですな」
「実に高くほぼ垂直です」
「我等なら登れますが」
「忍でも未熟ならば」
「登られぬな」
その城壁や石垣をとだ、幸村も言った・
「とても」
「左様ですな」
「とてもですな」
「しかも門はです」
「櫓がよい場所にあり」
「鉄砲や弓矢もです」
「門の二階から撃てますな」
そうなっていた、門の造りは。
「そうじゃ、しかも櫓からも撃たれる」
「門を進もうにも」
「そうしてもですな」
「あの門も抜けにくい」
とてもというのだ。
「しかも外でこれで城の中はな」
「まだ見ていませぬが」
「そこもですな」
「おそらくは」
「相当ですな」
「それは見てからじゃ、しかし」
それでもというのだ。
「天守が高いな」
「その高い天守からですか」
「攻めて来る敵の動きが見える」
「それで、ですな」
「守りやすい、この城を攻め落とすことは難しい」
これが幸村の見方だった。
しかしだ、ここでこうも言った幸村だった。
「しかし難しいがじゃ」
「それでもですな」
「攻め落とすことはですか」
「不可能ではない」
「そうですか」
「うむ」
その通りという返事だった、
「決してな」
「攻め落とせない城はない」
「殿は常に仰っていますが」
「この城もですか」
「大坂城も」
「そうじゃ」
まさにという返事だった。
「そんなものはない」
「絶対はですな」
「そのこと自体が」
「ない」
「そしてですな」
「うむ、この城もじゃ」
大坂城もというのだ
「攻め落とせる。そしてじゃ」
「この城を攻めるのなら」
「どうすれば」
「南じゃ」
その方角だというのだ、幸村は今もこう言ったのだ。
「三方は海と川、堀でな」
「複雑にですな」
「幾重にも守られ」
「非常に攻めにくい」
「しかしですか」
「南も堀があるが」
しかしというのだ。
「そこは開けておりまた堀も入り組んだ形ではない」
「だからですか」
「その南からですか」
「大軍で攻めればですか」
「攻め落とせますか」
「相当な、それこそ十万かそこいらで攻めればな」
その南からだ。
「いけるやも知れぬ」
「十万ですか」
「それだけの大軍となりますと」
「どうにもです」
「そもそもその数を集めるだけでも」
「相当ですが」
十勇士達は幸村に言った。
「しかしその十万の兵で、ですな」
「南から攻めれば」
「あるいは、ですか」
「そう思うがしかしその南もな」
大坂城のそこはというのだ。
「堀は深く幅が凄い」
「ですな、その南の堀も」
「そうそうです」
「渡れるものではなく」
「やはり城壁も石垣も高く険しい」
「堅固でありますな」
「だから十万でも難しい」
それだけの兵でその南から攻めてもというのだ。
「実際にはな、しかし弱点であり特にじゃ」
「特に」
「特にといいますと」
「南東じゃ」
そこだというのだ、南の中でも。
「あそこが一番の弱み、そこの守りを固めれば違う」
「ですか、大坂の城は」
「この城は」
「そうじゃ、まあこの城はとにかく川が入り組んでいてな」
ここでこうも言った幸村だった。
「堀がある、裸とは程遠い城じゃ」
「ではその堀がなくなれば」
「その時は」
「そうなればどんな城でもな」
それこそとだ、幸村は十勇士達に答えた。
「攻め落とせる」
「そうですな、では」
「この城を確実に攻め落とすには」
「堀を埋める」
「そうすればよいのですか」
「うむ、しかし自ら堀を埋めるなぞ」
このことはだ、幸村は言った。
「少しでも戦を知っている者がするか」
「いえ、全く」
「その様な愚か者は知りませぬ」
「聞いたことがありませぬ」
「自ら城の堀を埋める馬鹿者なぞ」
「これまでいたとは思えませぬ」
「拙者もそうした者は知らぬ」
幸村も言う。
「これまでな」
「ましてや関白様です」
「あの方は大層頭の回転の早い方」
「その方がその様な愚かなことをされるか」
「想像もつきませぬな」
「それはない」
秀吉ならばとだ、また言った幸村だった。
「到底な」
「では、ですか」
「この城はですか」
「陥ちませぬか」
「やはり」
「まずない、そこまでの馬鹿者が城を仕切らねば」
それこそというのだ。
「ないわ」
「ですか、では」
「この大坂城はですな」
「まずは、ですな」
「陥ちませぬな」
「そうなる、この城を攻めても陥ちぬ」
幸村は言い切った。
「その南から攻めてもまずな」
「南東もですな」
「攻めてもですな」
「そうじゃ、そのことがあらためてわかった」
この度見回ってというのだ、その周りを。
「守る者は相当な愚か者でもないと攻め落とすことは無理じゃ」
「自ら堀を埋める様な馬鹿者が主でなければ」
「とても」
「そういうことじゃ、では宿に戻りな」
「はい、そして」
「明日にはですな」
「この城に入ろうぞ」
大坂城にというのだ、こう話してだ。
幸村はこの日は宿に入り休んだ、そしてその次の日だった。
幸村は十勇士達と共に景勝のところに来た、その彼に兼続が言った。
「では」
「これよりですな」
「はい、参りましょう」
こう幸村に言って来た。
「城の中に」
「では」
「あの城は大層広いので」
「迷わぬ様にですな」
「しかとです」
実際に強い声で言う兼続だった。
「ついてきて下され」
「それでは」
「本丸まで行き」
「その本丸で」
「関白様と会います」
「いよいよですな」
「はい、しかし」
ここでこうも言った兼続だった。
「その前に少し時間がありまして」
「関白様のご都合で」
「あの方もお忙しいので」
天下人故にだ、この国を預かっているだけあり多忙である。このことは幸村でなくともわかっていることである。
「ですから」
「少しですな」
「時間があります」
「それで、ですか」
「その待つ間です」
こう幸村に言うのだった。
「ここでもお会いしたい方がおられまして」
「その方が、ですな」
幸村はそれが誰なのかすぐに察して言った。
「大谷吉継殿ですな」
「左様です」
「やはりあの方ですか」
「はい、そしてですが」
「その大谷殿とですな」
「お会いされますか」
「はい」
一言でだ、幸村は兼続に答えた。
「喜んで」
「それでは」
「はい、そうさせて頂きます」
こう答えてだった、そしてだった。
幸村は今度は大谷吉継と会うことになった、ここでもだった。
兼続は十勇士達にもだ、こう言った。
「それでは貴殿達も」
「この度もですか」
「我等もですな」
「殿と共にですな」
「その大谷殿とですな」
「お会いして頂けますか」
その十勇士達への言葉だ。
「宜しいでしょうか」
「はい、それでは」
「大谷殿さえ宜しければ」
「その様に」
「はい、お願いします」
こうして十勇士達もだった、大谷吉継と会うことになった。その話がまとまってからだった。
幸村は十勇士達と共に大谷吉継と会う部屋に入った、そこにも兼続が同席していた。そしてその場にだ。
丸い温和な顔立ちだがその発する気はかなり強い、その者がだ。
部屋に入って来てだ、まずは幸村達に深々と頭を下げた。無論幸村達も応じた。
それからだ、こう名乗ったのだった。
「大谷吉継です」
「貴殿がですな」
「はい、真田幸村殿ですな」
「左様です」
その通りだとだ、幸村も答えた。
「それがしがです」
「そうですな、噂通り」
その幸村の顔を見てだ、大谷は言った。
「よいお顔ですな」
「それがしの顔が」
「はい」
はっきりとした返事だった。
「これ以上はないまでに」
「だといいですが」
「話は佐吉から聞いております」
石田の名もここで出した。
「非常に立派な方だと」
「石田殿からですか」
「早馬で」
「文をですか」
「受けていました、それで聞いていましたが」
「それで、ですか」
「はい、あの者は嘘を言いませぬが」
石田のことを知っている言葉だった、誰よりも。
「しかし文から聞いた以上ですな」
「それがしは」
「顔の相、そして気が違います」
幸村の身体から放たれるそれまでもというのだ。
「まさに」
「そうしたものも」
「全く違います」
常人とは、というのだ。
「これはまさに天下の方、これでは」
「これではとは」
「必ず天下に名を残されます」
間違いなく、というのだ。
「そしてです」
「そのうえで、ですか」
「大きなことを為されますな」
「それは何処においてでしょうか」
幸村は大谷にあえて問うた。
「それがしが」
「そこまではわかりませぬ、しかし」
「それでもですか」
「非常に立派な相と気なので」
その二つを見るからだというのだ。
「間違いなくです」
「天下にですか」
「名を知られ」
「大きなこともですか」
「為されますな、それで関白様とお会いした後で」
そこからのこともだ、大谷は幸村に話した。
「再びそれがしとお会いして頂けますか」
「大谷殿とですか」
「はい、そうしたいのですが」
「わかりました」
二つ返事でだ、幸村は大谷に答えた。
「それでは」
「お願いします」
「その関白様ですが」
「今は利休殿とお話をされています」
「千利休殿ですか」
「はい、あの方とです」
茶道の祖であり秀吉の政における相談役でもある、秀吉は内儀についてはよく彼と話をして決めているのだ。
「お会いしていますので」
「では」
「そのお話の後でとなりますが」
それでもという言葉だった。
「お願いします」
「さすれば」
こうした話をしてだった、大谷は。
礼儀正しくだった、幸村の前を後にした。その彼が去ってからだ。
猿飛がだ、こう言った。
「いや、実に」
「大谷殿はじゃな」
「出来た方ですな」
「全くじゃ」
望月も言う。
「謙虚でな」
「それでいて器が大きいな」
海野は大谷から発せられる気を見てから言った。
「あの方は」
「うむ、只者ではない」
清海も言う。
「間違いなくな」
「あれだけの方はのう」
根津が言うことはというと。
「そうそうおられぬな」
「石田殿もそうであられたが」
穴山が言うことはというと。
「あの御仁の器もまた天下のものであるな」
「お二人で羽柴家の奉行衆でも要というが」
筧が言うことはというと。
「あの気はそうじゃな」
「しかし石田殿とは個性がまた違いまする」
伊佐の言葉は穏やかなものであった。
「穏健でかつ慎みがある」
「そうした方じゃな」
霧隠は伊佐の言葉に頷いた。
「あの方は」
「あの方なら」
由利が言うことはというと。
「必ず羽柴家を支えられるな」
「そうじゃな、石田殿それに長束殿もおられるが」
「大谷殿もですな」
「天下の才」
「羽柴家の天下を支えられる」
「そうした方ですな」
「そうじゃ、拙者にもわかった」
幸村も言うのだった。
「あの方はまさにじゃ」
「その奉行衆のお一人として」
「羽柴家を支えておられる」
「そして、ですな」
「これからも」
「うむ、大きくなられる」
それが大谷だというのだ。
「その責務もな」
「石田殿と並びですか」
「そうなられますか」
「その通りです、しかもです」
ここで兼続が一同に話した。
「あの御仁は御覧になられた通り」
「ご気質がですな」
「穏やかで誰からも好かれます」
「そうした方ですな」
「佐吉殿はです」
兼続は彼の親友でもある石田のことを話した。
「あの御仁、決して悪い方ではないのですが」
「一本気過ぎるが故に」
「はい、己を曲げませぬ」
困った顔での言葉だった。
「誰にも遠慮なく厳しいことを言います」
「それがその人の為になると思えば」
「そのせいで、です」
「敵もですな」
「今はそれ程多くはありませぬが」
それでもというのだ。
「やがてはです」
「敵が多くなる」
「そうした困ったところもあります」
「左様ですか」
「裏表がなく腹は奇麗ですが」
あまりにも一本気で遠慮なくものを言うからだというのだ。
「あの方はです」
「あまりにもですな」
「敵が多くなってしまいます、しかし」
「大谷殿はですか」
「慎みがあり言葉も少なく」
「誰にもですな」
「好かれる、そうした方なので」
「それがしもですか」
幸村はあえてだ、兼続に問うた。
「あの方と」
「お近付きになられ」
そしてというのだ。
「これからもです」
「親しくですな」
「お付き合いされればです」
「有り難いと」
「左様です」
まさにという返事だった。
「如何でしょうか」
「はい」
すぐにだ、幸村は答えた。
「そのお言葉しかとです」
「受けて頂きますか」
「そうさせて頂きます」
「それは何よりです」
「それでは」
こう話したのだった、そして。
話が終わった時にだ、ここでだった。
ふとだ、部屋にだった。
小姓が一人入って来てだ、一同に言って来た。
「お待たせしました」
「それでは」
「はい、これよりです」
小姓は兼続に応えた。
「ご案内致します」
「それでは」
兼続が応えてだ、そしてだった。
彼等は御殿の中でも特に見事な部屋に案内された、その部屋の奥にだった。みらびやかな着物を着た小柄な猿面冠者がいた。
その彼がだ、小姓に言われた。
「ご案内しました」
「うむ」
男は応えた。
「ご苦労」
「はい」
「ではじゃ」
「はい、それではそれがしは」
「休んでおれ」
猿面の男は小姓に言ってだった、彼を下がらせてだった。部屋に彼と幸村と兼続それの十勇士達だけにさせた。
そのうえでだ、彼はまずは兼続を見て言った。
「久しいな」
「申し訳ありませる」
「謝ることはない、越後におるならな」
それならというのだ。
「それも当然じゃ」
「そう言って頂けますか」
「だからな」
こう言うのだった。
「だからじゃ」
「お許し頂けますか」
「許すも許さぬもない、しかしな」
「それがしが、ですな」
「いつもこの大坂におれば」
「常にですか」
「わしも御主に会えるのだがのう」
こう無念そうに言うのだった。
「返事は同じか」
「それがしは上杉家の者です」
兼続の返事は毅然としたものだった。
「ですから」
「そう言うか、ならよい」
男も納得した声で返した。
「むしろそう言ってこその御主じゃ」
「上杉家の者だと」
「そうじゃ、上杉殿はよい家臣を持たれておるわ」
こうも言って笑ってだ、そして。
次に幸村達に顔を向けてだ、そのうえで彼等に声をかけるのだった。
「さて、それでじゃ」
「はい」
「わしのことは知っておろう」
「関白羽柴秀吉公」
幸村は彼の官位と名を呼んだ。
「そう見受けますが」
「その通りじゃ、わしが羽柴秀吉じゃ」
明るく剽軽ささえ感じられる声でだ、秀吉は幸村に答えた。
「帝より本朝の政を任されておる」
「この大坂において」
「そうじゃ、そして御主がじゃな」
「真田源四郎幸村にございます」
ここで幸村も名乗った。
「真田家の者です」
「次男であったな」
「左様です、そして」
後ろに控える十勇士もだ、幸村は秀吉に紹介した。
「この者達はそれがしの家臣でありますが」
「この者達もわしは呼んだ」
「この場に」
「御主のことは聞いておる」
笑ってだ、秀吉は幸村に話した。
「知勇兼備にして仁愛も兼ね備えた者としては」
「それがしをですか」
「聞いておった、そして後ろの者達は」
十勇士達も見て言うのだった。
「その御主に仕える剛勇と忠義を持った者達」
「その様にですか」
「聞いておる、確かにな」
幸村主従を見回してだ、秀吉は話した。
「皆よい目をしておる、特に御主はな」
「勿体無きお言葉」
「御主、ただ武芸に秀でているだけではないな」
秀吉は幸村にさらに言った。
「古今の書を常に読み学問も修めておると聞いておる」
「それが務めと思いまして」
「武家のか」
「はい、戦の兵法人としてあるべき姿、政を学ぶ為に」
「そうじゃな、だからこその知勇兼備じゃな」
秀吉もここまで聞いて納得した声を述べた。
「日々努めておる」
「それを怠れば」
「やはり武家ではないか」
「そう考えております」
「そうか、見事じゃ」
秀吉は確かな笑みになった、そして。
そのうえでだ、幸村にこうも言ったのだった。
「御主、三万石を欲しいか」
「三万石ですか」
「はじまりはそれだけじゃ」
その三万石はというのだ。
「それから手柄次第で増える」
「三万石からですか」
「御主の手柄でな、そして励めばな」
手柄をさらに挙げていくと、というのだ。
「国持も夢ではないぞ」
「まさか」
「ははは、わしは才ある者を愛する」
だからだというのだ。
「御主がそれだけの手柄を挙げればじゃ」
「国持大名ですか」
「そうもなる、どうじゃ」
この誘いを耳にしてだ、幸村をだった。
兼続、それに十勇士達がだった。彼を無言で見た。それは既に決まっている問いを確認するものだった。そして。
実際にだ、幸村は秀吉にこう答えた。
「お言葉ですがそれがしは真田家の者です」
「だからか」
「真田家の者として生きまする」
「御主は今は二千石じゃったな」
「はい」
「それが三万石となり一城の主となるが」
「それがしはそうしたものには興味がありませぬ」
秀吉にもこう言うのだった。
「石高にも地位にも官位にもです」
「では好きな宝を言え」
今度はこれでだ、秀吉は幸村を誘った。
「御主の言葉次第でどの様な武具も茶器も手に入るぞ」
「宝ですか」
「金も銀もじゃ」
こうしたものも話に挙げてきた。
「千金でもどれだけでも出すぞ」
「そしてですか」
「御主に苦労はさせぬ」
富においてというのだ。
「好きなだけやる、それでもか」
「宝や金銀にもです」
「銭もか」
「全てです」
それこそという返事だった。
「それがしはです」
「興味がないか」
「折角の申し出ですが」
「そうか、全ていらぬか」
「義だけをです」
「義か」
「家への、そして天下の大義への」
そうしたものへのというのだ。
「それがあります」
「禄も地位も宝もか」
「全てです」
「いらぬか」
「どれも必要なだけあればです」
「それでよいか」
「それがしはそう考えていますので」
こう秀吉に言うのだった。
「申し訳ありませぬが」
「わかった、ではじゃ」
秀吉はここまで聞いてだ、確かな笑みになってだった。
幸村に対してだ、こう言ったのだった。
「御主は求めぬ」
「左様ですか」
「当家にな、真田家におれ」
「それでは」
「わしに心がないなら仕方ない」
幾ら優れた者であってもというのだ。
「そうした者を求めても充分に働けぬからな」
「だからですか」
「御主は真田家におれ、そしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「真田家において義を求めよ」
「それをですな」
「そして天下一の武士になるのじゃ」
「そうさせて頂きます」
「御主ならなれる」
その天下一の武士にというのだ。
「わしにはわかる、御主は天下人になる者ではないがな」
「それでもですか」
「天下一の武士になるものじゃ」
「そうした者ですか」
「器には大きさもありじゃ」
よく言われることだ、器の大きさは人それぞれだ。だが秀吉はその器においてこう言うのだった。
「色や形もそれぞれじゃからな」
「だからですか」
「御主の器は天下人の器ではないのじゃ」
「そうした種類ではなくですか」
「優れた武士になるな」
「そうした器ですか」
「そしてその器が大きい」
武士としてのそれがというのだ。
「わしの天下人としてのそれと同じだけな」
「関白様のものと」
「だからじゃ」
「それがしはですか」
「天下一の武士になるな」
「間違いなく、ですか」
「相当な精進を積んでおるな、ではその鍛錬をさらに続けじゃ」
そのうえでというのだ。
「天下一の武士として名を残せ、よいな」
「さすれば」
「わしが御主に求めるものはそれになった」
まさにというのだ。
「思う存分精進せよ、よいな」
「それでは」
「そしてじゃ」
「そしてとは」
「天下一の武士には必要なものがある」
楽しげに笑みを浮かべてだ、秀吉はこうも言うのだった。
「家臣、武具、馬にな」
「それ等は既にあります」
「しかしじゃ」
「その他にもじゃ」
さらにというのだ。
「もう一つ必要じゃな」
「それは」
「わかったであろう」
「それがしはまだ一人です」
幸村もだ、秀吉の言わんとすることを察して言うのだった。
「だからですな」
「そうじゃ、御主に天下一の女房を用意したいが」
「天下一のですか」
「うむ、どうじゃ」
「その方は」
「後で話がある、わしからは言わぬ」
秀吉のその口からはとだ、ここではこう言った秀吉だった。
「しかし御主にな」
「妻をですか」
「与えよう、そしてよき女房を得てな」
そのうえでというのだ。
「家も得てそのうえでな」
「天下一のですな」
「武士を目指せ、よいな」
「さすれば」
幸村は秀吉の言葉に素直に頷いた、そしてだった。
その彼だけでなく一同にだ、秀吉は言った。
「ではこれでじゃ」
「お話は、ですか」
「終わりじゃ」
まさにというのだ。
「わしは今度は小竹と話がある」
「だからですか」
「そうじゃ、御主達との話は終わりじゃ」
明るく笑っての言葉だ。
「ご苦労じゃった」
「それでは」
「うむ、また会おうぞ」
秀吉は気さくに笑ってだった、彼等と別れた。秀吉が退室した後幸村達も控えの間に案内された。そしてだった。
その控えの間にだ、一行が入って暫くしてだった。羽柴家に仕える若い小姓が幸村のところに来てだった。
彼にだ、こう言って来た。
「あのお一人でいらしてくれますか」
「一人で、ですか」
「はい、茶室にです」
この本丸にあるというのだ。
「そこに来て頂けますか」
「どなたかがですな」
「真田殿にお話したいことがあるとのことなので」
「そうですか」
ここで察した幸村だった、だが。
それは隠してだ、そのうえで言ったのだった。
「わかりました、では」
「はい、ご家臣の方々はです」
十勇士達はというと。
「茶室の隣の間で休んで頂くということです」
「我等は殿と常に一緒」
「隣の間においてです」
「殿をお守りします」
若し何かあればというのだ。
「ではここで」
「どなたかとです」
「お会い下され」
「うむ、ではな」
幸村も彼等に応えて言う。
「行って来る」
「はい、それでは」
「行ってらっしゃいませ」
その茶室にとだ、十勇士達は応えた、そして実際に彼等は茶室の隣の部屋で詰めて控えてだった。
幸村は茶室に入った、するとそこには。
大谷がいた、大谷は幸村が部屋に入ると微笑んで迎えてきた。
そのうえでだ、こう彼に言ったのだった。
「この度はです」
「先程のお話とは違いですな」
「先程のは挨拶でした」
それだったというのだ。
「しかしです」
「この度はですか」
「真田殿にお願いがあってです」
そのうえでというのだ。
「おいでになって頂きました」
「左様ですか」
「そのことはもうお察しだと思いますが」
「違うと言えば嘘になります」
これが幸村の返事だった。
「そのことは」
「やはりそうですか」
「大谷殿の、ですな」
「娘がおりますが」
大谷から切り出してきた、その話を。
「まだ独り身でして」
「それで、ですな」
「聞けば真田殿もお一人のこと」
「だからですな」
「是非にと思っております」
「大谷殿の娘殿をそれがしの」
「妻にして頂けますか」
こう幸村に申し出たのだった。
「是非共」
「願ってもない申し出、しかし」
「このことはですな」
「父上、そして誰よりもです」
「関白様にですな」
「お許しがあった上で」
幸村は慎重な口調で大谷に述べていく。
「そうして」
「進めていきたいと」
「はい、そうしたいですが」
「武家としてですな」
「武家の婚姻は主の許しがあってこそ進められるもの」
これは諸大名の分国法にもある、真田家が仕えていた武田家の法においてもこのことは確かに定められていた。無闇な婚姻で家臣達が下手に力をつけて主家に対したり他国の者が入り込むのを防ぐ為だ。
「ですから」
「そのことはそれがしも承知しております」
これが大谷の返事だった。
「既に関白様からはお許しを頂いています」
「だからですか」
「関白様にもですな」
「言われました」
幸村はこのことも答えた。
「何処となく」
「それではです」
「はい、後はですな」
「そちらのお話になります」
「わかりました、それではです」
幸村も大谷に応えて言う、
「父上に文でお伝えしてです」
「そのうえで」
「お話を進めるということで」
「そうお考えですな」
「はい、それでは」
こう話してだ、大谷は。
幸村に自分が淹れた茶を差し出してだ、そうして。
その茶を飲む幸村にだ、こうも言ったのだった。
「それがし探しておりました」
「娘殿の婿になる方を」
「これまで」
「そうでしたか」
「娘がいとおしく」
父としての愛情も見せた。
「長い間その相手を探していたのですが」
「そのお相手がですか」
「そうでした」
これまではというのだ。
「娘には天下の英傑をと考えていたが故に」
「では」
「真田殿ならばと思いまして」
「お声をかけて頂いたのですか」
「はい、買い被りだと思われますが」
「それがしはとてもです」
謙虚さ故にだ、幸村は大谷が見ていた通りの返事で返した。
「そうした者ではないと思います」
「そうですか、しかしです」
「大谷殿が見られると」
「そう思いまする」
幸村は天下の英傑であるというのだ。
「このことはおそらく関白様も同じでしょう」
「だからですか」
「この話をお話した次第です」
「そうですか」
「ではこのお話を進めさせて頂きます」
「関白様にも正式にお話をされて」
「そして真田殿にもです」
幸村の父である昌幸にもというのだ。
「そうさせてもらいますので」
「では」
「娘をお願いし申す」
今から頼むのだった。
「そして共にです」
「歩めとですな」
「そう願っておりまする」
「わかり申した」
幸村は茶を置いて大谷に答えた。
「では話が整えば」
「はい、その時は」
「それがしも誠心誠意を以て応えます」
「さすれば」
「しかし、それがしは」
幸村はあらためて言った。
「これまで妻を迎えることについては」
「考えてこなかったと」
「そうではありませんが」
「強くはですな」
「これまで見聞を広め家臣を集め戦をし」
「上杉家にもおられ」
「そうしたことはです」
その妻を迎えることはというのだ。
「考えてきませんでした」
「考えるにはほかに何かとあってでしたか」
「そうなるでしょうか」
「こうした時は刻限かと」
「考えるべき時が来れば考えるものですか」
「そして得られる時にです」
大谷は幸村に話していく。
「まさにその時にです」
「得られるものですか」
「それがしがそう思いまする」
「そうなのですか」
「そして真田殿にとってはです」
「今ですか」
「そうではないかと」
幸村の目を見つつの言葉だった。
「ではそれがしから関白様にお話し」
「父上にもですか」
「文を送りますので」
「さすれば」
「それでなのですが」
あらためてだ、大谷は幸村に言って来た。
「若しそれがしの娘と夫婦になればそれがしは真田殿の義父になります」
「ですな、確かに」
「即ち羽柴家とも縁が出来まするな」
「では羽柴家と」
「いえ、義を貫かれるべきです」
「義ですか」
「それがしの義は羽柴家にあります」
大谷は己の義もだ、幸村に話した。
「忠義がです」
「それが大谷殿の忠義ですか」
「そして佐吉、つまり石田殿にもです」
「お二人はずっと友人同士でしたな」
「そうです、信義があります」
「石田殿に対しては」
「この二つの義があり」
大谷は穏やかだが確かな声でだ、幸村に話していった。彼のその義を。
「それを守っていくことを考えております」
「忠義、信義ですか」
「主と友に。そして仁義を」
「その義もですか」
「家臣、民達に対して」
「民達ですか」
「天下泰平、それもです」
天下と民達を想う、その心もまた語るのだった。
「大事にしております」
「それが「仁義ですな」
「二つと言いましたが三つになりますか」
「大谷殿の義が」
「はい、しかし真田殿の義は」
己の義を話してからだった、大谷は。
幸村を見据えてだ、強い声で語った。
「それがしの義とはまた違いますな」
「ではどうした義でしょうか」
「上に何も付かぬ大きな」
まさにというのだった。
「義、ですな」
それだと言うのだった、大谷は今幸村自身に彼のその義を話した。
巻ノ四十二 完
2016・1・22