巻ノ四十四 上田への帰参
駿府にいる信之にだ、家康は温和な声で言った。
「源三郎殿は今は奥方がおられぬな」
「はい」
そうだとだ、信之は答えた。彼の周りには徳川の重臣達が居並んでいる・
「まだです」
「そうであられるな、さすれば」
家康jはそのことを聞いてだった、信之にあらためて言った。
「わしから世話をしたいが」
「徳川殿からですか」
「左様、実は」
ここでだ、家康は。
重臣達の中でも上位にある本多忠勝を見てからだ、そのうえで言った。
「平八郎の娘にはまだ夫がおらぬ」
「では」
「平八郎の娘をな」
まさに彼女をというのだ。
「真田殿の奥に差し上げたいが」
「何と、本多殿の」
「しかし真田殿は真田家を継がれる方」
驚く信之にだ、家康はさらに言った。
「家臣の娘が伴侶では不釣り合いであろう」
「いえ、それは」
「まあ聞かれよ」
ここでも温和な笑みの家康だった、そのうえでの言葉だ。
「悪い話ではない筈」
「ですか」
「左様、真田殿には大名の娘が相応しい」
大名の家を継ぐからというのだ。
「それで形式であるが」
「実はです」
その本多もだ、信之に言って来た。
「殿はそれがしの娘を養女にされ」
「そのうえで」
「そうじゃ、御主の妻としたい」
「ではそれがしは」
「そうじゃ、形式ではあるがな」
「徳川殿の娘婿にですか」
「そうなる」
こう信之に話すのだった。
「そのうえで妻に迎えて欲しいが」
「何というお気遣い」
「いやいや、真田殿は大名家を継がれる方」
だからこそというのだ。
「これは当然のこと」
「大名の女房は、ですか」
「それなりの格がなければならぬからな」
「それで本多殿の娘御を」
「わしの養女としたうえで差し上げたい」
「それでは」
「その様にな」
こうしてだった、信之は本多の娘を家康の養女という形で己の妻に迎え入れることになった。その話が決まるとだった。
家康は信之にだ、温和な顔のままさらに言った。
「そしてじゃが」
「はい、次は何でしょうか」
「真田殿は妻を迎えられたなら」
それならばというのだ。
「もう上田に戻られよ」
「領地にですか」
「そうされよ、お父上とは話を進めておる」
昌幸とも、というのだ。
「縁談の話と共にな」
「では妻を迎えれば」
「それと同時にな」
「上田に戻りですか」
「暮らされよ」
「重ね重ね何というお気遣い」
「ははは、真田殿には何も差し上げられなかったからのう」
家康がこう言って笑うとだ、信之は。
笑ってだ、こう返したのだった。
「とんでもない、箸を上にも置かぬ扱いで」
「そう言われるか」
「それに書も好きなだけ読ませて頂き鍛錬にもいつも付き合って頂き」
そしてというのだ。
「日々馳走に美酒、何と有り難い」
「いやいや、馳走なぞ」
そこはとんでもないと言う家康だった。
「真田殿は特別扱いしておらぬ」
「そう言われますが」
「麦飯や玄米の飯に粗末なおかずばかりで」
「どの飯も非常に心が篭っておりました」
それでというのだ。
「馳走でした」
「そう言われますか」
「はい、非常に」
実際にというのだ。
「まことに有り難かったです」
「ならよいが」
「まことに感謝しております」
家康に心から述べた言葉だった。
「実に」
「それでは」
「はい、このことは忘れませぬ」
絶対にというのだ。
「駿府でのことは」
「それでは」
「はい、それでは」
こう話してだ、そしてだった。
信之は婚姻と共に上田に戻ることになった、その話をした夜だった。
彼は酒井の屋敷に呼ばれそこで酒を馳走になった。見ればそこには四天王が全て集まっていてだった。
信之に酒を出してだ、共に飲みつつ話した。
「上田に戻られてもです」
「お元気で」
「そして日々文武に励まれ」
「ご自身を磨かれて下さい」
「はい、駿府にいた時と同じく」
信之は本多から杯に酒を受けつつ応えた。
「このことはです」
「忘れぬと」
「そう言われますか」
「その様に」
「そして実際にですな」
「励みます」
文武の修行にというのだ。
「そうさせてもらいます」
「それがしはです」
本多が信之に言って来た。
「真田殿に立派な武士になって頂きたいのです」
「文武の修行に励み」
「そして人としてもです」
「見事にですな」
「武士にです」
精神的な意味においてもというのだ。
「なって頂きたいのです」
「わかりました、それでは」
「はい、お願い申す」
義父となる者からの言葉だった、そしてだった。
榊原は肴の塩を舐めつつだ、こう信之に言った。
「政もですな」
「民の為に」
「励まれて下され」
「そのつもりです」
「真田殿は政の才もおありです」
文武だけでなくというのだ。
「ですから」
「そちらもですな」
「頑張って下され」
「さすれば」
「いや、政はです」
今度は井伊が言って来た。
「やはり最も大事ですな」
「民の為にも」
「ですから」
それでというのだ。
「そちらも励まれれば」
「いいですな」
「是非共」
「お願い申す、そしてその政は」
「民の為のもの」
「そうでなければです」
決して、というのだ。
「なりませぬな」
「ですな」
「近頃当家にも」
最後に言ったのは酒井だった。
「不埒者がいますが」
「まさか」
「はい、あの親子に」
これ以上にないまでにその顔に嫌悪を浮かび上がらせてだった、酒井は信之に話した。それは他の四天王達も同じだった。
「都から来た坊主です」
「崇伝殿ですな」
「あの者達はです」
本多正信と正純の親子、それに以心崇伝はというのだ。
「全く以て腐った者達です」
「それがしはあの方々とお話したことは」
「特にありませぬなな」
「ですからどうした方々かはです」
知らぬというのだ。
「だからどうかとは言えませぬが」
「お会いすれば必ずです」
「嫌なお気持ちになられます」
榊原と井伊も言って来た。
そしてだ、本多は特にこう言ったのだった。
「腹わたまで腐った者達です」
「左様ですか」
「あの親子は一門ではなく」
その本多一族ですらないというのだ。
「あの坊主は坊主ではなく」
「では、ですか」
「曲学阿世、企むばかりの外道です」
「それが崇伝殿ですか」
「あの様な者達にはお近付きになられますな」
決してという言葉だった。
「よろしいですな」
「それは」
「ただしです」
ここで酒井はさらに言った。
「天海殿につきましては」
「あの東国から来られた方はですか」
「どうも言えませぬな」
「かなりの学識がおありとか」
「そのお人柄はです」
どうもというのだ。
「わからぬものがあります」
「企みとは」
「縁がない様です」
「そうなのですか」
「至って穏やかで」
「掴みどころのない」
「そうした方ですか」
信之もこのことを聞いて言う。
「あの方は」
「何か我等ではわからぬ」
「そうしたものをお持ちの」
「深い方の様です」
「それが天海殿ですか」
「はい、あの親子や坊主と違います」
このことは確かに言うのだった。
「そのことはご安心下さい」
「わかりました」
「我が家は民のことを考え」
「そのことも非常に強いですな」
「殿への忠義と共に」
「即ち仁義と忠義ですな」
信之はこの二つの義を出した。
「それの強い家ですな」
「そして信義もなのです」
「しかしその信義は」
また言った井伊だった。
「今申し上げた連中にはないのです」
「全く、あの様な者達が当家にいるなぞ」
榊原は忌々しげな顔で酒を飲みつつ話した。
「腹立たしいことであります」
「ですから真田殿もです」
「信義は忘れないで下され」
二人で信之に言うのだった。
「この義も大事です」
「何といいましても」
「真田殿ならば全ての義を忘れられぬ」
義父となる本多も言った。
「それがしもそう思うからこそ」
「それがしにですな」
「娘を預け申す」
彼の人柄も見込んでのことだというのだ。
「そして何かあれば」
「その時はですな」
「轡を並べましょうぞ」
「さすれば」
信之も本多の言葉に頷いた、そしてだった。
彼は杯の酒を飲んだ、それからまた言った。
「この酒とは間もなく別れますが」
「はい、しかしですな」
「この酒の味はですな」
「忘れぬ」
「そう言って頂けますか」
「そのつもりです」
まさにというのだ、こう話しながら本多が差し出してくれた瓢箪から礼と共に酒を飲みだ。彼はあらためて言った。
「決して」
「それは何より」
「では上田に戻られましても」
「武士としてです」
「義を忘れないで下され」
「肝に命じました」
「それでなのですが」
また本多が言って来た。
「殿はです」
「徳川殿はですか」
「真田殿を非常に大事に思われているので」
「はい、有り難いことに」
「何かありましたら」
「その時はですか」
「殿を、当家をお頼り下され」
是非にという言葉だった。
「当家は決して真田殿を見捨てませぬ」
「何があろうとも」
「はい、信義に賭けて」
その信義を出した言葉だった、彼等が何よりも大事にしている。
「そう致します」
「有り難きお言葉、それでは」
「上田に戻られてもお元気で」
「畏まりました」
そうした話をした信之だった、四天王達とも。彼のこうした宴は知られなかったがそのおおよその動きはわかってだった。
それでだ、兼続は越後に戻る道中で幸村に言うのだった。
「兄君もです」
「そうですか、上田にですか」
「戻られるとのことです」
「それで、ですか」
「はい、源四郎殿もです」
その幸村もというのだ。
「お帰り頂きます」
「そうなりますか」
ここでだ、幸村は感慨を込めて言ったのだった。
「短い間でしたが」
「いやいや、こちらこそです」
兼続はその幸村に謙遜して返した。
「至らぬところが多く」
「何不自由ない暮らしでしたが」
「だといいのですが」
「鍛錬に学問に励むことが出来」
「我等もです」
「実によくしてもらいました」
十勇士達も言うのだった。
「ですから」
「何も不自由はありませんでした」
「まさに何もです」
「実によい暮らしでした」
「左様ですか、では上田に戻られましたら」
兼続は十勇士達にも言った、彼等の言葉を受けたうえで。
「是非です」
「はい、鍛錬と学問をですな」
「その両方を」
「生かして下され」
是非にというのだった。
「おそらくこれから多くのことがあるでしょうから」
「我等にはですか」
「だからですな」
「その試練に対して」
「越後での鍛錬、学問を」
「そうしたものを」
「生かして下さい」
是非にという言葉だった。
「天下の為に」
「若し戦になりましたら」
その時のことをだ、幸村は兼続に確かな声で答えた。
「それがし越後のこともです」
「生かされますな」
「そうします」
こう兼続にだ、はっきりと答えたのだった。
「是非」
「ではその様に」
「はい、していきまする」
約束した言葉だった、そうしてだった。
幸村は北陸の春日山への道中を進んでいた、道中は平穏であり春日山にも程なくして着いた。そしてその暫く後でだった。
幸村に文が届いた、景勝はそれを幸村に見せて言った。
「真田殿からな」
「父上からの文ですか」
「うむ」
相変わらず寡黙であった。
「それが来た」
「左様ですな」
「貴殿が読まれよ」
こう言ってだ、幸村自身に読ませたのだった。
その文を読みだ、幸村は景勝に述べた。
「上田にです」
「そうだな」
「上杉殿とのお話は」
「整っておる」
景勝は簡潔に述べた。
「こちらは問題ない」
「それでは」
「用意が出来次第だ」
そうなればというのだ。
「すぐに発つのだ」
「そうして宜しいのですか」
「今言った」
まさにというのだ。
「既に話は整っておる」
「では」
「色々と至らず」
景勝もだ、こう幸村に言った。
「済まなかった」
「いえ、何もかもがです」
「足りておったか」
「はい、不自由なぞです」
それこそというのだ。
「何もありませぬでした」
「ならよいがな」
「この越後でのことは忘れませぬ」
そこで得た糧はというのだ。
「そしてこれからこの地で得たものを」
「使うか」
「そうしていきます」
「わかった、ではな」
景勝も幸村のその言葉を聞いて言う。
「これからも進むがいい」
「それがしの武士の道を」
「その話も聞いてる」
今度は傍らに控える兼続を見ての言葉だ。
「よくな」
「では」
「その様にな」
「畏まりました」
こう話してだ、そしてだった。
幸村は景勝の前を退くとすぐにだった、己の屋敷に戻り十勇士達に告げた。
「帰ることになった」
「上田にですな」
「あの地に」
「うむ」
実際にというのだ。
「そうなった」
「では、ですな」
「今よりですな」
「身支度を整え」
「そのうえで」
「上田に戻る」
まさにという返事だった。
「よいな」
「ですか、遂にですな」
「上田に戻りますか」
「長い様で短かったですな」
「ここでの暮らしは」
「そうじゃな、よい暮らしだった」
幸村は微笑んでだった、この春日山での暮らしを思い出してだった。そのうえで十勇士達に対して述べた。
「ここでのことは一生じゃ」
「忘れられませぬな」
「何があろうとも」
「我等にとってよき糧となりました」
「ですから」
「まことにな、だからここで手に入れたものをな」
その頭と身体にである。
「全て持って行ってな」
「そして、ですね」
「上田に戻り」
「そのうえで」
「糧としていこうぞ」
こう行ってだった、彼は早速だった。
十勇士達と共に故郷に帰る支度をはじめた、そしてその支度が出来た時にだった。幸村はまた景勝に呼ばれた。
そのうえでだ、こう景勝に告げられた。
「明日じゃ」
「はい、明日にですな」
「戻るがいい」
「わかりました」
「送るがいい」
景勝は今も傍らにいる景勝に告げた。
「境までな」
「畏まりました」
「また会おう」
景勝は幸村にあらためて告げた。
「そして再び会う時はな」
「その時はですな」
「お互い今よりも大きくなっていようぞ」
「人として」
「そうなろうぞ」
「それがしこれからも精進していきまする」
幸村は景勝のその言葉に確かな声で頷いて応えた。
「上杉殿にもお約束します」
「その約束通りにな」
「次にお会いした時は」
「わしも約束する」
景勝もと言うのだった。
「互いにな」
「大きくですな」
「なろうぞ」
「さすれば」
こう互いに話してだった、そのうえで。
幸村は景勝の前を辞した後だ、兼続に伴われてだった。
まずは幸村主従が春日山で暮らしていた屋敷に向かった、その途中にだった。
後ろに控えて共に進む十勇士達を見てだ、こう言ったのだった。
「もう既にですな」
「はい、お暇する用意はです」
「出来ておるな」
「左様です」
「お流石です」
ここまで聞いて言った兼続だった。
「それではです」
「屋敷に戻りましたら」
「すぐにこの城を出て」
「上田に戻りまする」
こう兼続に答えた幸村だった。
「そうします」
「それではそれがしもです」
「境まで、ですか」
「お供しますので」
「ここに来た時と同じく」
「はい、そうさせて頂きます」
「有り難いことです、この越後にいる時は常に直江殿のお世話になっていますな」
幸村がこう言うとだ、自然にだった。
兼続は笑みを浮かべてだ、こう幸村に言った。
「いやいや、それはです」
「このことはですか」
「はい、当然のことなので」
「上杉家の方としてですか」
「それがしは上杉家の執権の責を殿に任されています」
それ故にというのだ。
「ですから真田殿のこともです」
「その一切をですか」
「させて頂きました、むしろです」
「むしろとは」
「また言いますが」
この前置きから言うのだった。
「やはり至らぬところが多く」
「申し訳ないと」
「はい、そう思っています」
「そうなのですか」
「それがしはです」
どうにもと言う兼続だった。
「真田殿にそう思っています」
「それがしはこれ以上ないまでにです」
「満足されていますか」
「何事につきましても」
「それならいいのですが」
「これまで申し上げた通りです」
まさにというのだ。
「ですからお気になされぬ様」
「それでは」
「はい、それよりもそれがしはです」
「ご自身のことで、ですか」
「鍛錬、学問に至らぬところはなかったか」
そしてというのだ。
「上杉家の方々に無礼はなかったか」
「いえ、全くです」
「失礼はありませんでしたか」
「何も、むしろ真田殿の礼儀はです」
幸村のそれはというと。
「非の打ち所のないものでした」
「それならいいのですが」
「礼儀も何もかもがです」
幸村の振る舞い全てがというのだ。
「実にお見事でした」
「田舎侍ですが」
「いやいや、とんでもない」
それはというのだ。
「真田殿程の方はおられませぬ」
「ならいいですが」
「それに真田殿は大器とです」
兼続はその幸村を見てこうも言った。
「それがしも思いまする、ですからさらにです」
「これまで以上に」
「はい、大きくなられます」
人として、というのだ。
「天下一の武士にです」
「ではそのお言葉にです」
「応えて下さいますか」
「その様に精進します」
「では」
「それがし達もです」
「その殿の家臣に相応しい家臣になります」
「天下の豪傑として」
そして、というのだ。
「天下の武士の家臣達に相応しい」
「そうした者達になりましょう」
十勇士達も言うのだった、そしてだった。
その話をしたうえでだ、彼等は。
屋敷に来てだ、そこで最後の掃除をしてだった。
城を発った、景勝は正門まで来て幸村主従を見送った、そこには上杉家の主な重臣達も揃っていた。そして。
兼続が主従を境まで送る、そこで。
ふとだ、兼続は幸村の横に己の馬を進めてきて語った。
「思えばです」
「行きもでしたな」
「こうしてでしたな」
「共にでしたな」
「この道を進んでいましたな」
「全くです」
こう感慨を込めて言うのだった。
「面白いことですな」
「はい、行きも帰りも共に歩くとは」
「これも奇しく縁ですな」
「まことに」
二人で話す、そして。
その中でだ、兼続は。
彼等が進んでいる道の左右の木々を見てだ、幸村にこうも言った。
「それでなのですが」
「はい、次にお会いする時は」
「おそらくそれはです」
「近いですな」
「そうでしょうな」
「真田殿はです」
幸村、彼はというと。
「上田におられても」
「それでもですか」
「何かと騒がしい運命でしょう」
「そうですか」
「そしてです」
「直江殿ともですか」
「またです」
それこそ近いうちにというのだ。
「お会いするでしょう」
「そうなりますか」
「そしてです」
「その時はですな」
「おそらく暫くは敵味方に別れないので」
それで、というのだ。
「共に轡を並べ」
「そして、ですな」
「共に戦いましょう」
「それでは」
「真田殿がお味方ならば」
兼続は微笑みこうも言った。
「これ以上に有り難いことはありませぬ」
「それがしがですか」
「はい、お味方なら」
それこそというのだ。
「有り難いです、ですが敵ならば」
「その時はですか」
「これ以上はない強敵ですな、しかし」
それでもとも言った兼続だった。
「それと共に真田殿と」
「それがしとですか」
「刀を交えたいとも思いまする」
幸村のその顔を見てだ、微笑んで言った兼続だった。
「是非共」
「そうなのですか」
「思う存分」
「ううむ、それがしはとても」
幸村は兼続の言葉を聞いてこう返した。
「直江殿にそう言ってもらえるまでは」
「ご自身はそう思われているだけです」
「では」
「はい、だからこそです」
「それがしと敵味方になった時は」
「思う存分戦いたいと思いまする」
「左様ですか」
「その時はです」
是非にと言うのだった。
「恨むことなく」
「お互いに全ての力と才を使い」
「戦いましょうぞ」
「その時は」
「それがし若し真田殿と戦えれば」
さらに言う兼続だった。
「そのことを誇りにします」
「そう言って頂けるとは」
幸村は兼続の言葉をここまで聞いてだ、そのうえで。
感銘を込めてだ、こうも言った。
「それがし余計にです」
「精進されますか」
「文武において」
「それがしもです」
兼続もと言うのだった。
「精進しますので」
「直江殿も」
「そして全力であたります」
「では」
「卑怯未練なぞなく」
「武士として」
「戦いましょうぞ」
微笑んでの言葉だった。
「その時は」
「はい、しかし」
「しかしとは」
「これから天下は泰平になりますな」
「全体としてはですな」
「そうなりますな」
「統一はです」
秀吉によるそれはというのだ。
「やはりです」
「決まっていますな」
「九州の後は」
「東ですな」
「関東、奥羽もです」
その二つ、即ち東国もというのだ。
「統一されまする」
「関白様の下」
「そしてです」
「天下は泰平にですな」
「なります」
「ですな、戦の世はこれで」
「終わりましょう」
このことは間違いないというのだ。
「そしてです」
「はい、必ず」
「この国は落ち着きます、しかし」
「それでもですな」
「完全な泰平にはです」
それが訪れる為にはというのだ。
「まだ戦があります」
「そうですな」
幸村も兼続のその言葉に頷く。
「九州でも東国でも」
「それで天下は統一されますな、しかし」
ここでだ、幸村は。
その目を光らせてだ、こう言ったのだった。
「問題はその後も」
「天下がですな」
「固まればいいですが」
「固まらぬうちにですな」
「関白様がご健在ならばいいですが」
そうであればというのだ。
「しかし」
「はい、あの方が」
「羽柴家で固まれば」
「その時にですな」
「天下は定まればいいのですが」
「それが出来なければ」
「危ういですな」
即ちだ、折角泰平になろうともというのだ。
「その泰平が」
「また乱れますな」
「その後でまたすぐに固まればいいですが」
「それが不十分ならば」
「また戦ですな」
「そうなりますな」
「戦の世はです」
馬に乗りつつだ、幸村は。
隣にいる兼続に対してだ、瞑目してそのうえでだった。こうしたことを言ったのだった。
「最早です」
「いりませぬな」
「全く以て」
「武勲もいりませぬか」
「それもです」
「求めておられませぬか」
「はい、それがしは」
これもまた幸村の考えだった。
「戦は恐れませぬが」
「それを好むことはですな」
「しませぬ」
戦がないに越したことはないというのだ。
「全く以て」
「泰平が最もよいですな」
「民達が平和で穏やかに暮らしていれば」
「それで、ですな」
「よいと思っています」
戦がなくとも、というのだ。
「別に」
「それでは」
「はい、戦がなくとも我等は生きていけます」
「武士としての道もですな」
「歩めます、ですから」
「戦は求められませぬな」
「あれば恐れず戦うのみです」
しかしというのだ。
「それだけです」
「ですか、では」
「戦を望まずです」
そして、というのだった。
「泰平を望みます」
「では」
「はい、その様にです」
こう兼続に言ってだった、幸村は彼と十勇士達と共に越後と信濃の境に向かっていた。そしてその時にもだった。
夜に十勇士達と鍋を囲み話をした、ここでは兼続はおらず彼等だけがいた。今彼等が食べているのは山鳥達と茸、山菜の鍋だ。
その鍋を食しつつだ、十勇士達に言うのだった。
「越後では充実していて上洛はよかったが」
「やはりですな」
「上田はですな」
「やはり懐かしいですな」
「我等の国は」
「うむ、懐かしい」
幸村自身も言う、その鍋を口にしつつ。
「実にな」
「そして故郷に帰りましたら」
「その時はですな」
「民達の為に政に勤しむ」
「そのうえで鍛錬と学問ですな」
「その二つにも励む、しかし」
ここでだ、こうも言った幸村だった。
「拙者は政については父上や兄上よりもな」
「劣ると」
「そう言われますか」
「うむ、あまりな」
どうにもと言うのだった。
「よくないな」
「殿はやはりです」
「いくさ人ですか」
「そう言われますか」
「ご自身のことを」
「戦は好きではないが」
泰平を求めている、しかしというのだ。
「だがな」
「政はですか」
「大殿や若殿よりもですか」
「劣る」
「そうだというのですか」
「拙者の精進が足りぬか」
政へのそれがというのだ。
「どうもな」
「では、ですな」
「このことをですか」
「政についても」
「精進されますか」
「これも学ぶことだ」
是非にというのだった。
「向き不向きがあろうともな」
「それは精進によって克する」
「そうするものですな」
「だからこそ」
「殿は」
「そうする、やはりそうせねばな」
どうしてもというのだった。
「ならん、政の方も精進しよう」
「ですか、流石殿ですな」
「至らぬとなれば精進」
「そうされるのですな」
「人は誰でも最初は出来ぬ」
何事もというのだ。
「歩くこともだな」
「はい、生まれたばかりですと」
「立って歩くことも出来ませぬ」
「しかしそれをです」
「立って歩く様になりますな」
「だからじゃ、拙者も政が至らねばな」
向いておらずとも、というのだ。
「学びそしてな」
「そちらも備える」
「そうされますな」
「そうじゃ、そうする」
是非にと言うのだった。
「わかったな」
「はい、それでは」
「それではですな」
「殿はそちらに励まれ」
「そのうえで」
「民の為に働こう」
上田においてもというのだ。
「是非な」
「では」
「その様に」
「うむ、ではな」
こう言ってだ、幸村は上田に戻ってからのことも既に考えていた。武士として政のことも考えそのうえでだった。
巻ノ四十四 完
2016・2・7