巻ノ五十二 島津四兄弟
幸村主従は島津家五万の軍勢が集結しているその場に来た、そこにいる軍勢はただ多いだけではなかった。
主従が感じ取った通りだった。その彼等は。
「ううむ、これは」
「何といいますと」
「物凄いですな」
「凄まじい気です」
「皆面構えがいいです」
「足軽ですらです」
只の雑兵である筈の彼等もというのだ。
「顔が違います」
「侍大将の様な顔をしていますな」
「兵の一人一人に至るまで」
「あの顔を見るとです」
「恐ろしい強さであるのがわかりますな」
「あの軍勢は」
「うむ、これはな」
幸村も島津家の彼等をだ、離れた場所から見て言う。彼等は山の木々の中に隠れそこから島津家の軍勢を見ている。
そのうえでだ、彼もこう言うのだ。
「武田家や上杉家の軍勢にもな」
「ひけを取らぬ」
「そうした軍勢ですな」
「うむ」
その通りだというのだ。
「恐ろしい強さじゃ」
「一騎当千」
「そうした者達ですな」
「まさに」
「そうじゃ、しかもな」
幸村は兵達だけを見ていなかった、さらにだ。
彼等の武具を見た、そうして十勇士達にこうも言った。
「やはり鉄砲が多い」
「はい、実に」
「普通の軍勢よりもですな」
「かなり多いですな」
「やはり種子島があるからじゃな」
鉄砲が伝わったこの島が領地にあるからだというのだ。
「鉄砲を多く造っておる」
「そして鉄砲を持つ者が多い」
「そういうことですな」
「その鉄砲も使う」
「だからこそさらに強いのですな」
「そうじゃ、流石に国崩しはないか」
幸村は彼等の軍勢を見つつまた言った。
「それはな」
「大筒ですか」
「確かにそれはないですな」
「鉄砲は多いですが」
「それは軍勢の中にはないですな」
「うむ、あるという話も聞いたが」
それでもというのだ。
「それはないな」
「しかし刀も槍もいいですな」
「手入れも行き届いていますし」
「武具も鉄砲だけではない」
「そちらでも強いですな」
「確実にな、関白様は二十万の兵を率いられるというが」
幸村は鋭い目のままで言った。
「油断すればな」
「その時は、ですな」
「下手をすれば敗れる」
「そうなりますか」
「そうなることも充分にある」
その島津の軍勢を見ての言葉だ。
「これはな」
「確かに、あの軍勢を見ていますと」
「それもありなんですな」
「どう見ても強いですから」
「油断は出来ませぬな」
「そう思う、しかしまだ見るぞ」
幸村は十勇士達にこうも言った。
「次はな」
「はい、それではですな」
「次は将帥ですな」
「そちらを見ますか」
「そうしますか」
「うむ、そうしようぞ」
こう言うのだった、そして実際にだった。
幸村は十勇士達にだ、今度はこう告げた。
「さて、ではな」
「はい、夜にですな」
「夜に彼等の軍勢に近付き」
「敵の本陣に忍び込み」
「四兄弟を見ますか」
「そうしようぞ」
こう言ってだ、そしてだった。
十勇士達を連れてだ、幸村は夜の闇の中島津家の軍勢に近付いた。夜であるがだ。
「凄い警戒ですな」
「夜であっても」
「物見の兵が多く」
「警護も厳重ですな」
「これは並の忍では近寄れませぬ」
「到底です」
「我等にしましても」
その主従にしてもだった。
「少し油断すればです」
「見付かってしまいますな」
「この夜の闇の中でも」
「迂闊なことをすれば」
「うむ、これは危うい」
まさにというのだ、そしてだった。
ここでだ、幸村は十勇士達に囁いた。
「わかっておるな」
「はい、変装をしてですな」
「そのうえで陣中に入り」
「四兄弟のところに行きますな」
「そうするが」
しかしというのだ。
「島津家の具足や服はあるな」
「ここに」
「丁度人数分あります」
「何とか薩摩で手に入れました」
「買って」
「そうじゃな、ではこれを着てな」
そしてとだ、また言う幸村だった。
「陣中に入るぞ」
「では」
「これより」
十勇士達も応えてだ、そのうえでだった。
主従は物陰に入りそこで素早く着替えてだ。何気なくを装い。
島津家の陣中に入った、そこで彼等は薩摩の言葉を使い先に進んでいった。
その陣中を歩いてだ、十勇士達は言った。
「複雑な陣ですな」
「まるで迷路です」
「普通の城よりも複雑です」
「やたら入り組んだ布陣です」
「これでは並の忍ではです」
「迷ってしまいます」
「うむ、これではな」
まさにとだ、幸村も言う。
「下手に入っては碌に前に進めぬ」
「到底ですな」
「本陣まで行けませぬ」
「陣までこうしているとは」
「島津家は違いますな」
「全く以て」
「そうじゃ、これは厄介じゃ」
幸村は十勇士達に囁いた。
「先に進むにもな」
「しかし本陣に近付くにつれです」
「兵達の顔が変わっていますな」
「如何にも強そうな兵達がいるようになり」
「兵の数も増えています」
「実に」
「うむ、それでわかる」
兵の顔や数でというのだ。
「本陣が何処かな」
「ですな、この迷路の如き場所でも」
「それでもですな」
「わかります」
「実に」
「そうじゃ、では気配を消すぞ」
十一人のそれをというのだ。
「ただこの格好になるだけでなくな」
「では」
「その様にして」
「そしてですな」
「本陣に行きますか」
「そうするぞ」
こう言って実際にだった、主従は気配も消してだった。そのうえで兵の顔が強くなり数も多くなっていく方に進んだ。
そしてだ、本陣に入りだった。
その奥の奥に行くとだ、四人の薩摩の言葉での話し声が陣幕の向こうから聞こえてきた。その声を聞いてだった。
幸村は主従にだ、こう言った。
「あれがな」
「はい、間違いないですな」
「ここがです」
「四兄弟のいる陣ですな」
「本陣の一番奥」
「そこですな」
「そうじゃ」
間違いなくというのだ。
「ここじゃ」
「では」
「これよりですな」
「話を聞きますか」
「ここから」
「うむ、気配は消したままじゃ」
言うまでもなくというのだ。
「よいな」
「はい、では」
「これより」
「そしてそのうえで」
「聞きましょう」
こう言ってだ、早速だった。
主従はその場で気配を消したまま聞き耳を立てて四兄弟の話を聞こうとしていた。だがここでその陣幕の向こうから声がした。
「ようこそ」
「!?」
「よく来られた」
こうした声が来た。
「入られよ」
「まさか」
「真田源次郎幸村殿と」
源四郎とも呼ばれなかった。
「家臣の方々ですな」
「それがし達だと」
「ははは、知っておった」
まさにというのだ。
「ここに来られた時かな」
「何ということか」
「もっと言えば見ておられた時から」
その時からというのだ。
「承知していた」
「では」
「待っていたのだ」
まさにというのだ。
「真田殿主従をな」
「何と」
「ははは、中に入られよ」
実に余裕のある落ち着いた声だった。
「この中にな」
「中にとは」
「今我等は敵同士ではない」
あくまでというのだ。
「だから刃を振るうことなくな」
「その、そう言われていますが」
「しかしです」
「幾ら何でも」
「いやいや、我等は薩摩隼人」
声は懸念する十勇士達にこう言った。
「ここで刃も毒も使わぬ」
「ではまさに」
「我等をここまであえて通し」
「そのうえで」
「お会いしたいと」
「その通り」
これが声の返事だった。
「それはわしが約束しよう」
「貴殿がでござるか」
「この島津義久が」
ここで声は名乗った。
「そうさせて頂く」
「島津義久殿というと」
幸村はその名を聞いて思わず声をあげた、小さな声であったが。
「島津家の」
「うむ、主を任されている」
「ではそこには」
「弟達も共にいる」
つまり四兄弟達もというのだ、島津家を率いその鉄の結束でこれまでの多くの戦を勝ち抜いてきた彼等がというのだ。
「四人で待っている」
「では」
「それでは」
「その中にか」
「入り」
「ここまで来るとは思っていたが」
それでもというのだ。
「途中兵に怪しまれればそれまでと思っていた」
「しかし我等はここまで来た」
「ならば我等の目に狂いはなかった」
まさにというのだ。
「貴殿達は見事ではな」
「これよりですな」
「酒を用意してある」
「そしてその酒を」
「共に飲もうぞ」
こう言ってだ、そのうえでだった。
幸村は実際にその中に入った、十勇士達を連れて。そこには篝火に照らされ大きな盆、酒が置かれているそこにだった。
四人の者達がいた、四人共橙色の具足に陣羽織を着ている。その者達がそれぞれ名乗った。
「島津義久」
「島津義弘」
「島津歳久」
「島津家久」
こう名乗った、皆精悍な顔立ちをしている。四人共太い眉に長身で引き締まった身体をしている。兄弟であることがよくわかる程似ている。
そしてだ、義久が四人を代表して言った。
「我等が島津四兄弟」
「お初にお目にかかり申す」
幸村は義久に頭を下げて名乗った。
「真田源次郎幸村と申します」
「そしてですな」
「この者達がです」
後ろに控える彼等を指し示しての言葉だ。
「十勇士です」
「天下に名高い」
「それは知りませぬが」
それでもというのだ。
「この者達はそれがしの家臣であり義兄弟であり友でもあります」
「左様ですな」
「はい、以後お見知り置きを」
「では」
「酒をですな」
「飲みましょうぞ」
こう話してだ、主従は四兄弟と共に飲みはじめた。その時にだ。
義弘は盃を手にだ、笑って言った。
「噂通りの方々ですな」
「我等がですか」
「そう言われますか」
「左様、天下の豪傑」
十一人共というのだ。
「その相がお顔にも出ていますな」
「確かに。気が違いまする」
歳久も言う。
「武勇はまさに水滸伝の好漢の如し」
「ははは、味方であって欲しいですな」
家久は笑ってこう言った。
「是非」
「今は敵でないにしても」
ここでだ、義久は言った。
「すぐに敵同士になるのが残念ですな」
「そのことですが」
幸村は飲みつつだ、義久に話した。
「関白様は降られ」
「薩摩、大隅、日向の三国でですな」
「満足されればよしと言われています」
「左様ですな、しかし」
「それでもですか」
「はい、それは出来ませぬ」
どうしてもという返事だった。
「我等にしても」
「そう言われますか」
「はい」
とてもという返事だった。
「それはおわかりですな」
「やはりそうですか」
「九州一統は我等の悲願を」
「その悲願を適え」
「そしてです」
そのうえでというのだ。
「関白様に」
「あくまでそうお考えですか」
「そうです」
義久は幸村に揺ぎのない声で答えた。
「それが島津家の決断です」
「戦いですか」
「そうです、九州を一つにしてからです」
「では」
「はい、若し関白様が来られても」
それでもというのだ。
「当家は戦います」
「あくまで、ですか」
「意地もありますし」
「武門の意地ですか」
「もっともその意地で家を潰すのは愚の骨頂」
このこともだ、義久はわかっていた。
それでだ、こう幸村達に言ったのである。
「意地で戦はしませぬ」
「勝てぬ戦は」
「九州統一は目指しますし」
「関白様とも戦うとなれば」
「戦います、むしろここで降ればどうなりますか」
秀吉、即ち天下と戦わずにというのだ。彼が攻めてきた時に。
「そうした者に関白様はどう断を下されますか」
「武門に相応しい行いではないので」
一戦も交えずに降る、武士として奮迅の戦いを見せずにだ。
「それでは」
「左様ですな」
「はい、どうしても」
「だからです」
「家を守る為にも」
「戦い当家の意地を見せます」
「そうされますか」
「島津家の戦とくとご覧あれ」
義久は笑って言った、そして。
彼の弟達もだ、笑って言った。
「我等も同じです」
「兄上と同じ考えです」
「あくまで戦います」
家を守る為にというのだ。
「あえて戦い」
「そして家を守る」
「その考えです」
「そうですか、九州を一つにし関白様に従うか」
幸村はまた言った。
「関白様と一戦交えたうえで強さを見せて家を守るかですか」
「その通りです」
「わかりました」
幸村は瞑目する様な顔になり四兄弟に応えた。
「それではそれがしはもう」
「言われぬと」
「そうさせて頂きます」
「では」
「はい、その様に」
こう言うのだった、そしてだった。
あらためてだ、彼は酒を飲みこう言った。
「それでお話を変えますが」
「何でしょうか」
「いえ、この酒はかなりです」
「強いと」
「はい、随分と」
実際にというのだ。
「他の国の酒より強いですな」
「これは焼酎ですが」
「その焼酎でもですな」
「特に強くしたものです」
「そうした造り方ですか」
「左様です、この酒を飲み」
そしてというのだ。
「我等は戦っています」
「島津家においては」
「そうしています」
こう幸村に話すのだった。
「かなり強い酒ですが」
「それでは」
「お気に召されたなら」
「より飲んでいいと」
「遠慮は無用です」
微笑んでの言葉だった。
「何しろ貴殿達は今はお客人ですから」
「だからですか」
「はい、肴もあります」
見ればそれも用意されている、質素なものばかりだが量は多い。
「どうぞ」
「そう言われますか」
「島津家は客人はもてなします」
このことも言うのだった。
「家訓としてありますので」
「では」
「はい、どうぞ」
こう言ってだ、主従に酒を勧めてだった、幸村達は四兄弟に言われるままだった。その申し出を受けてこの夜は飲んだ。
そしてだ、そろそろ朝になろうかとす時にだった。
幸村からだ、四兄弟に言った。
「では」
「そろそれですな」
「はい、名残惜しいですが」
それでもというのだ。
「これで」
「わかりました」
義久が応えた。
「それではです」
「はい、わかりました」
義久が応えた。
「それではどうぞ」
「次の機会に」
「次にお会いする時は」
義弘が言う。
「敵同士ですな」
「また九州に来れば」
その時はとだ、幸村は義弘に応えた。
「そうなるでしょうな」
「はい、その時は」
歳久が言う。
「お互いに悔いのない様に」
「戦いましょう」
「ではその時を楽しみにもして」
家久が言うことはというと。
「今はお別れとしましょう」
「さすれば」
幸村は四兄弟にも応えた、そしてだった。
主従は四兄弟と別れ深々と頭を下げ。
まだ暗いうちに気配を消して島津家の陣から出てだった。それから。
そのまま山に入りだ、まずは休み。
そしてだ、朝食を食べて出発したが。
幸村は山道を進みつつだ、十勇士達に言った。
「いや、四兄弟の方々は」
「はい、どなたもですな」
「非常に素晴らしい方々です」
「器が大きく」
「武士としてのお心も備えた」
「そうであるな、敵となるのが」
これからのことを考えてだ、幸村は言うのだった。
「惜しいな」
「左様ですな」
「敵同士となることが」
「どうにもです」
「残念です」
「全くだ」
また言った幸村だった、それも残念そうに。
「戦にならねければよいが」
「しかしです」
「四兄弟の方々のお話を聞きますと」
「どうしてもです」
「戦いは避けられませぬな」
「うむ、戦になる」
間違いなくとだ、幸村も言う。
「これはな」
「やはりそうですな」
「戦になりますな」
「島津家と関白様は」
「どうしても」
「ならぬ筈がない」
絶対にとだ、幸村はまた言った。
「若し島津家が九州を統一する」
「関白様はそれを許されませぬな」
「何があろうとも」
「それはです」
「あの方は」
「島津家を九州に与えられることは」
「それでは島津家の力が大きくなり過ぎる」
九州全てを手に入れてはというのだ。
「力が大きくなり過ぎる大名家はあってはならぬ」
「天下統一の折には」
「断じてですな」
「許されぬ」
「そういうことですな」
「そうじゃ、しかし島津家の歴史は古い」
それも非常にだ。
「島津家は数百年の間薩摩を預かっている」
「それだけ古い家となりますと」
「到底ですな」
「滅ぼせませぬな」
「名家であるが故に」
「とても」
「関白様は最初からそのおつもりはない」
幸村はそのことはわかっていた、秀吉に島津家を滅ぼすつもりがないことはだ。
「だからな」
「それで、ですか」
「三国だけにですな」
「守護を留め」
「九州の統一は許さない」
「それだけは」
「今島津家は肥前や肥後等も領有しているが」
しかしというのだ。
「それも許されぬわ」
「関白様は」
「とてもですな」
「では三国だけですか」
「やはり」
「そうなるであろう」
また言った幸村だった。
「やはりな」
「では」
「島津家も引きませぬし」
「どうしてもですな」
「戦は避けられませぬな」
「そうなる、そして戦になり」
そしてというのだ。
「島津家は戦い」
「あの家はですな」
「武士の意地も見せられる」
「そうされますか」
「間違いなくな、それが残念だ」
幸村はまた声に無念さを出して述べた。
「平穏にことが済まぬのがな」
「しかしそれがですな」
「戦国の世の習いですな」
「戦は避けられぬ」
「どうしても」
「うむ、そうなるからな」
それ故にというのだ。
「それが無念だ、しかし」
「あれだけの方々がですな」
「失われるとなりますと」
「やはりですな」
「残念ですな」
「そのことは」
「おそらく四兄弟全員がそうなることはないが」
しかしというのだ。
「四人のうちどなたかがな」
「命を失うとなると」
「それが残念ですな」
「確かに」
「見事な方々だけに」
「だからこそ」
「うむ、死ぬことがなければ」
それがというのだ。
「よいがな、どなたも」
「そうですな、確かに」
「そのことは我等も思います」
「あの方々に幸があらんことを」
「島津家にも」
「そう思う、ではな」
ここでだ、幸村は。
北を見た、そこには博多がある。まず彼等が目指すその方角を見てだった。そうして十勇士達に言うのだった。
「北に行くか」
「博多ですな」
「まずは博多に行き」
「そして、ですな」
「博多から大坂に戻りますか」
「関白様にお知らせする」
九州で見たもの全てをというのだ。
「そうしようぞ」
「はい、では」
「まずはあちらに向かいましょう」
「博多に」
こう話してだ、そしてだった。
主従は後は一路博多まで戻った、真田家だけが知っている忍道を通り。そして風の様な速さでだった。
一行は博多まで来た、その博多でだった。
主従は大坂に行く船を探したがだ、その中に。
来島水軍のあの船を見付けた、それでその船の停まっている場所に行くと。
船頭は驚いてだ、船から彼等に言った。
「おい、もう戻って来たのか」
「うむ、この通りな」
「速いな」
「ははは、驚いたか」
「こんなに速いとは思わなかったぞ」
船の前にいる幸村に言う、後ろには十勇士達がいる。
「しかも全員無事だな」
「この通りな」
「いいことがあったな」
船頭は主従十一人の顔を全て見て言った。
「どうやら」
「わかるか」
「務めは果たせたな」
「無事にな」
「そしてその他にもいいことがあったな」
「うむ、そうだ」
幸村は船頭に確かな笑みで答えた。
「何かとな」
「それは何よりだ、実はあれから少し下関に出てな」
「そしてか」
「すぐに戻って暫く休んでいた」
「この博多でか」
「御主達が戻って来るまで待てと言われてな」
「関白様にか」
「いや、殿じゃ」
こう幸村に話した。
「小早川のな」
「小早川隆景殿か」
「わし等は小早川隆景様の下におる」
毛利家の重臣、もっと言えば当主である毛利輝元の二人の叔父の一人である。もう一人の叔父は吉川元春だ。
「その方からの文が来てな」
「そしてか」
「ここで待っておった、しかしな」
「それでもか」
「こんなに早いとは思っていなかった」
また言うのだった。
「実にな」
「そうか」
「うむ、しかしな」
「しかし?」
「乗るな」
船頭は明るく笑ってだ、幸村に問うた。
「そして戻るか」
「うむ、大坂にな」
「よし、では早く乗るのだ」
「乗ってそうしてだな」
「大坂に行くぞ」
「わかった、ではな」
こう話してだ、そしてだった。
幸村主従は船頭の誘い通り船に乗った、彼等が乗り込むと船はすぐに博多を出た。そしてそのままだった。
一行は大坂に向かった、今度の船旅は特に海が荒れることなくだ。
大阪に着いた、そのうえで。
すぐに大坂城に入り秀吉に一部始終を報告した。その報を自ら幸村と十勇士から聞いてだった。
秀吉は確かな顔でだ、こう告げた。
「わかった、ではな」
「これよりですか」
「うむ、出陣じゃ」
「今すぐにですか」
「既に用意は整ってある」
「では」
「わしも出陣する」
幸村にこうも言った。
「これよりな」
「では」
「うむ、ご苦労であった」
幸村に労いの言葉も告げた。
「それではな」
「ではそれがし達は」
「褒美は用意してある」
それは既にというのだ。
「受け取るがいい、そしてその後で」
「上田に戻れと」
「ゆっくりとしておれ」
秀吉は暖かい笑顔でだ、幸村に温厚な声で告げた。
「暫しな」
「有り難きお言葉、それでは」
「大義であった、御主達が届けてくれた九州の報」
それはというと。
「実に細かいところまで見ておるな」
「九州のことを」
「何から何までな、これは大きな助けになる」
九州での戦においてというのだ。
「よくな」
「有り難きお言葉」
「特に島津家のことがわかった、そのことは大きい」
「左様ですか」
「よくな、しかし」
「しかしとは」
「島津家の軍勢は岩屋城に向かっておるか」
このことについてだ、難しい顔になってだった。秀吉は幸村と十勇士達に話した。
「五万の軍勢で」
「その用意に入っていました」
「では今頃はな」
その難しい顔でだ、幸村は話した。
「あの城は攻められておるな」
「島津家の五万の軍勢に」
「高橋紹運殿は会ったことはないが」
しかしというのだ。
「天下の猛将、獅子奮迅の働きをするが」
「それでもですな」
「敗れる」
秀吉は言い切った。
「確実にな」
「やはり」
「うむ、そして若し落城が早ければ」
そうなればというのだ。
「そのまま一気にじゃ」
「大友家も」
「そして龍造寺家もな」
この家もというのだ。
「既に島津に従属している様なものであるしな」
「飲み込まれますか」
「そうなるであろうな」
実際にというのだ。
「だから急ぐ」
「ご出陣を」
「先陣を送る用意は出来ておる」
「ではまずは先陣を送り」
「それからわしも出陣じゃ」
秀吉もというのだ。
「そうなる、御主の兄も一緒じゃ」
「はい、兄上もですね」
「出陣じゃ、ではよいな」
「わかりました、それでは」
「御主はその務めを終えた」
秀吉はあらためてだ、幸村に微笑んで告げた。
「よくやってくれた、後はゆっくりと休みな」
「上田にですな」
「帰るがいい、家臣達もな」
十勇士達のこともだ、秀吉は言った。
「皆戻って何より、しかしあれだけの豪傑が十人もおると」
それこそともだ、秀吉は笑みを浮かべて言った。
「まさに壮観じゃな、梁山泊もかくやじゃ」
「百八の英傑がいる」
「うむ、御主とあの十人がおればな」
それこそというのだ。
「梁山泊でも攻め落とせる」
「では若しそうした状況になれば」
幸村は秀吉の冗談めいた言葉にだ、真剣な面持ちで応えて言った。
「それがしがあの者達と力を合わせ」
「そしてか」
「梁山泊の様な場所でも」
「攻め落とすか」
「そうしてみせます」
「ははは、大坂城でも攻め落とせるか」
秀吉はあえてだ、幸村にこう問うた。
「わしが築いた難攻不落のこの城を」
「申し上げて宜しいでしょうか」
前以てだ、幸村は真剣な顔で秀吉にこう問うた。
「それがしの考えを」
「是非聞かせてもらおうか」
これが秀吉の返事だった、鷹揚な笑顔でのそれだった。
「それを」
「はい、この大坂城はまさに難攻不落」
「その通りじゃな」
「しかし決して攻め落とせぬ城はです」
「ないというのじゃな」
「はい」
こう言うのだった。
「それはどの様な城でもです」
「攻め落とせぬものはないというのじゃな」
「左様です」
「では御主と十勇士がいればか」
「いえ、我等十一人だけでは無理です」
「軍勢も必要か」
「この城を攻め落とそうと思えば」
幸村は鋭い目のまま秀吉に話していく。淡々としているがそこに宿っているものは炎よりも熱いものだった。
「守っている兵にもよりますが」
「それでもじゃな」
「二十万の兵が必要です」
「そう言うか」
「はい、しかも具足も武具も兵糧も充分に備えた」
そうした二十万の軍勢でというのだ。
「それだけ必要です、後は」
「まだ攻め方があるか」
「大坂城は堀と城壁、石垣により守られている城ですが」
もっと言えば多くの門と矢倉だ、その造り方と配置が実に見事でそれが余計にこの城を堅固なものにしているのだ。
「しかしその全てを埋め壊せば」
「攻め落とせるか」
「間違いなく」
「ははは、面白い攻め方じゃな」
「しかしそうすれば攻めます」
「ふむ、ではその二つ以外の攻め方はあるか」
秀吉は幸村にさらに問うた。
「あれば言ってみよ」
「その城を守る者の心を攻めれば」
「人を攻めるか」
「これまで申し上げたのはどちらも下計です」
それだというのだ。
「城を攻めますから」
「兵法にある通りじゃな」
「人を、その心を攻めるのが上計なので」
「だからじゃな」
「はい、城を守る者の心を攻めれば」
そうすればというのだ。
「先の二つの策よりもです」
「楽に攻められるな」
「そして攻め落とせます」
そうなるというのだ。
「それがしと十一人だけでも」
「半兵衛の様なことを言うな」
かつて秀吉の軍師だった男だ、竹中半兵衛である。かつて堅城と言われた稲葉山城今の岐阜城を僅かな者で掌握したことがある。
「それが出来るか」
「その心を攻めれば」
「成程な、わかった」
幸村の話をここまで聞いてだ、秀吉は今度はこれまで以上に笑った。
そしてだ、こう彼に言った。90
「御主の考えはな」
「如何でしょうか」
「確かにその通りじゃ、人の心を攻めればな」
「この大坂城でもですな」
「梁山泊でもな」
「攻め落とせますな」
「出来る、どれだけ堅固な城でもじゃ」
秀吉も言うのだった。
「守るのは人じゃからな」
「その人の心を攻めれば」
「それで勝てる」
まさにというのだ。
「この大坂城でもな」
「攻め落とせますな」
「そうなる、確かにこの大坂城は天下の堅城じゃ」
秀吉自らがその知恵を全て使って巨万の富を以て築かせた城だ。それだけに堅固さは他の城の比ではない。
しかしだ、その秀吉も言うのだ。
「しかし守る者がたわけではな」
「その者の心が攻められ」
「負けまするな」
「そうなる」
間違いなくというのだ。
「城の堅固さの問題ではない」
「ですな、ですから」
「そういうことじゃな、だからじゃな」
「はい、如何に堅城といえど」
この大坂城がというのだ。
「守る者次第です」
「うむ、見事じゃ」
秀吉は幸村のその言葉に確かな笑みになった。
そしてだ、彼にこうも言ったのだった。
「その通りじゃ」
「では」
「城は城だけで守れぬ」
「確かな人もいてこそ」
「その両方が必要じゃ」
「だから関白様は」
「人も育てておる」
ただ大坂城を築くだけでなくというのだ。
「佐吉や桂松をな」
「そうされていますな」
「人と城でな」
その二つにだった。
「それに富もじゃ」
「備えられますか」
「そうして天下を治めるぞ」
「畏まりました」
「では御主の兄は九州に連れて行く」
信之、彼をというのだ。
「そして御主はな」
「これで、ですな」
「帰るがいい」
「わかりました」
幸村は秀吉に応えてだ、そのうえでだった。
今は大坂を後にした、そして十勇士達を連れて上田に戻った。そうしてその地で九州のことを聞くのだった。
巻ノ五十二 完
2016・4・4