巻ノ五十三 九州のこと
幸村は上田に戻ると彼の屋敷に入り妻との暮らしに戻った。だが兄がいない間は彼が兄の分まで働いた。
政も見ているがだ、彼は昼に十勇士達と共に飯を食いつつこんなことを言った。
「どうも拙者はな」
「政はですか」
「どうにもですか」
「殿にとっては」
「うむ、政は父上や兄上に比べてな」
どうしてもというのだ。
「落ちるな」
「そうでしょうか」
「殿も励んでおられますが」
「よい政かと」
「民のことを考え」
「善政と思いますが」
「いや、善政もな」
それもというのだ。
「やはり父上、兄上の方がじゃ」
「優れていると」
「そう言われますか」
「その様に思われていますか」
「実にな、やはり拙者は政は落ちる」
昌幸や信之と比べてというのだ。
「政に関してはな」
「人には得手不得手がありますが」
「殿は政はですか」
「今一つだと」
「ご自身では言われますか」
「うむ、拙者は上田の全てを治められるかというと」
それはというのだ。
「そこまでもいかぬ」
「ですか、では」
「上田は若殿が第一となり治められますか」
「では殿はこのままですか」
「真田家において」
「うむ、このままでいたい」
次男としてというのだ、真田家の。
「これ以上は求めぬ」
「石高もですか」
「これ充分と、ですか」
「言われますか」
「その様に」
「御主達がより禄が欲しいならな」
十勇士達が言いたいことはというと。
「拙者から父上に頼むがな」
「いや、それはです」
「我等も今のままで充分です」
「禄はこれ以上はいりませぬ」
「むしろ過ぎる位です」
十勇士達もこう言うのだった。
「ですから我等もです」
「このままで充分です」
「殿と共にいるのならです」
「それでいいです」
「そうか、そう言うのならな」
彼等の言葉を受けてだ、幸村はあらためて言った。今度言った言葉は。
「よいがな、とにかく政はな」
「殿は戦程にはですか」
「得手ではないと」
「ご自身では言われるのですな」
「そうじゃ、どうもそう感じる」
どうにもという口調での言葉だった。
「やはりな」
「では」
「やはり殿は兵法ですか」
「そちらに生きられますか」
「それがよいな、政よりもな」
むしろというのだ。
「拙者はそちらじゃ」
「では、ですな」
「鍛錬にもですな」
「これからも励まれる」
「そうされますな」
「そのつもりじゃ、今日の政は終わったからな」
それでというのだ。
「飯の後はな」
「はい、鍛錬ですな」
「我等と共に」
「それに励まれますか」
「そうしようぞ、剣に馬にな」
それにだった。
「忍術も行おうぞ」
「ですな、我等馬にはあまり乗りませぬが」
「忍術ならばです」
「まさに手のもの」
忍の者故の言葉である。
「それならば」
「思う存分楽しめますな」
「そうじゃな、それで話は変わるが」
幸村は十勇士にこうも言った。
「九州のことじゃが」
「はい、いよいよですな」
「島津家が大友家の領地に攻め込んだのですな」
「左様ですな」
「あの五万の軍勢で岩屋城を攻めた」
彼等も見たあの城をというのだ。
「そしてな」
「岩屋城は陥ちましたか」
「あの城は小さな城ですし」
「あの五万の軍勢で攻められては」
「うむ、落城したそうじゃ」
実際にとだ、幸村も答えた。
「そうなったという、しかしな」
「しかし?」
「しかしといいますと」
「思いの他持ちこたえ城兵は城主である高橋紹運殿を含め皆ご自害か討ち死にされたとこのことであるが」
それでもというのだ。
「島津家の軍勢の一割を倒しな」
「一割もですか」
「そこまでですか」
「岩屋城で粘った」
「そこまで戦われたのですか」
「そうなったという、かなりの島津家の将兵を倒しただけでなく」
五万の兵の一割、即ちおよそ五千をだ。
「時も稼いだという」
「では」
「その時もあり、ですな」
「関白様の軍勢は間に合う」
「そうなりそうですか」
「おそらくな、その一割の損害を受け軍勢も疲れたからな」
幸村は今度は島津の軍勢の話もした。
「島津家は一時兵を退いたという」
「ではその間に」
「関白様の軍勢は九州に間に合う」
「そうなりますか」
「うむ」
その通りという返事だった。
「どうやらな」
「ですか、高橋殿の功ですな」
「ご自身が命を賭けられてそうされたのですな」
「命にかえて主家を守った」
「そうもされましたか」
「高橋殿は最後に自害されたという」
彼の死に様についてもだ、幸村は話した。
「ご自身も刀を抜かれ戦われてな」
「そしてそのうえで、ですが」
「ご自身も」
「うむ、死んだ者達を弔ったうえで腹を切られたという」
切腹、それを果たしたというのだ。
「そうされたという」
「ですか、お見事ですな」
「そうされたとは」
「いやまさに武士ですな」
「左様ですな」
「そうじゃな、拙者も思った」
幸村もというのだ、高橋の戦い様と生き様を聞いてだ。もっと言えば死に様を。
「まさに武士だとな」
「武士はかくあるべきですな」
「主の為に命を賭ける」
「そして卑怯未練を行わず戦う」
「そのうえで死ぬものですな」
「そうじゃ、そう思った」
まさにというのだ。
「わしもな」
「ですか、それではです」
「我等もそうします」
「その時が来れば」
「殿に対して」
「そう言ってくれるか、では拙者もな」
幸村も言うのだった、瞑目した顔になり。
「そうする」
「お命をですか」
「賭けられますか」
「そして武士として見事に戦う」
「例え死のうとも」
「そうしたいものだな」
これが幸村の考えだった。
「例えどれだけの敵が来ようとも戦わねばならぬ時は戦いな」
「最後の最後まで」
「そして死ぬ時も」
「その時もですな」
「武士として死にたい」
まさにその時もというのだ。
「是非な」
「ですな、それでは」
「我等もですな」
「殿と共に戦わせて頂きます」
「そうさせて頂きます」
「頼むな、しかし拙者が高橋殿の様に出来るか」
それは、と言うのだった。幸村は。
「無理やもな」
「いや、殿ならです」
「必ず出来ます」
「殿のお心と武芸ならば」
「必ず」
十勇士達はこう言うのだった、彼等の主に。
「天下の武士になられます」
「そのことは我等が約束致します」
「殿ならばです」
「高橋殿の様に」
「そう言ってくれるか、では御主達のその言葉を覚えておき」
そしてと言うのだった。
「必ずな」
「その時には」
「果たされますか」
「そうしようぞ、そしてその時に果たすべきことも果たす」
それも行うというのだ。
「必ずな」
「そちらもですか」
「ただ戦い死ぬだけでなく」
「それだけでなく」
「その時のこともですか」
「戦は果たすべきことも果たすものじゃ」
それもまた戦だというのだ。
「だからな」
「それで、ですか」
「そうも言われますか」
「うむ、だからな」
また答えた幸村だった。
「拙者はそう生きていきたい」
「高橋殿と同じくですか」
「死すとも戦の目的は果たしたい」
「是非ですな」
「そうお考えですか」
「そう思った、しかし目的を果たす為には」
まさにだ、その為にというのだ。
「拙者は生きたいな」
「例え死すともですか」
「最後の最後まで生きるべし」
「その死ぬべき時の為に」
「そうあるべきですな」
「そうも考えておる、そのことを思った」
高橋の生き様、そして死に様を見てというのだ。
「そうな、しかしこれで九州はじゃ」
「はい、島津家のものにはならぬ」
「そのことが決まりましたか」
「例えこれから戦になろうとも」
「それでもですな」
「それが決まった、しかし血は流れる」
幸村は遠い目になってこうも言った。
「それは避けられぬ」
「最早ですか」
「それはどうしてもですか」
「避けられぬ」
「そうなりますか」
「そうなる、しかしその戦で島津家は意地を見せてな」
四兄弟、特に義久が言う通りにというのだ。
「残る」
「間違いなく」
「そうなりますか」
「例え血は流れようとも」
「そうなりますか」
「確かにな、これで西国は完全に収まる」
九州での戦が終わり、というのだ。
「そしてな」
「その次はですな」
「いよいよ東国ですな」
「関東、そして奥羽」
「そちらになりますな」
「関東、奥羽の多くの家は関白様に帰順を申し出ておられる」
幸村は既にこのことを聞いていて知っている。
だがそれと共にだ、このことも聞いていて知っているのだ。
「しかし関東の北条、奥羽の伊達の両家はな」
「どちらもですな」
「関白様への帰順を確かに言っていない」
「まだ」
「そうなのですな」
「そうじゃ、だからこの両家と関白様がじゃ」
東国への仕置にだ、秀吉が動けばというのだ。
「戦をするやもな」
「そうですか」
「そうなりますか」
「九州の次は東国で」
「この両家が問題ですか」
「さて、どうなるか」
幸村は鋭い目になって言った。
「わからぬな」
「東国のことは」
「殿の目をもってしても」
「どうなるかわからない」
「そうなのですか」
「東国も統一されることはわかる」
秀吉、天下人である彼の手によってというのだ。
「そのことはな、しかしな」
「北条家と伊達家ですか」
「両家がどうなるか」
「そのことはですな」
「わからない」
「そう言われますか」
「そうじゃ、どちらも関白様に従えばよし」
そちらを選べばというのだ、両家が。
「しかしな」
「それが、ですな」
「従わぬ道を選べば」
「その時は戦になり」
「そのうえで」
「天下は一つになる」
戦を経てというのだ。
「完全にな」
「ですか、出来ればですな」
「戦にならずに終わって欲しいですな」
「天下が一つに」
「そうなって欲しいですな」
「全くじゃ、拙者もそう思う」
幸村は心から願う顔で述べた。
「戦なぞなくな」
「このままですな」
「天下は一つになって欲しいですな」
「このまま」
「そうじゃな、しかしまだ戦国の世」
幸村は今度は苦い顔になり言った。
「それ故にな」
「戦になることもですな」
「覚悟しておかねばならない」
「そちらも」
「そういうことですな」
「うむ」
そうだとだ、幸村は答えた。
「その場合は我等もな」
「既に関白様から言われていますし」
「東国の物見にも出て」
「そしてですな」
「それから」
「次は出陣もな」
それもというのだ。
「覚悟せねばならんな」
「次は武士としての戦もですか」
「有り得ますか」
「ではその時は」
「槍働きもですな」
「ある」
また一言でだ、幸村は答えた。
「わかっておいてもらう」
「わかりました、それでは」
「その時は思う存分戦います」
「そして勝ちましょうぞ」
「武勲を挙げ」
「頼むぞ」
その時はとだ、幸村は十勇士達に言った。
「皆には」
「さすれば」
十勇士達も応える、そしてだった。
十勇士達は今は休んだ、政を執りながら。そして九州からの報によると信之は真田家の嫡男に相応しい槍働きを挙げていた。
しかしだ、昌幸は幸村にこうしたことも言ったのだった。
「長宗我部家であるが」
「嫡男の弥三郎信親殿が」
「討ち死にされた」
このことを言うのだった。
「これは長宗我部家に危ういことになるかもな」
「そうなのですか」
「長宗我部元親殿にはまだ三人子息がおられるが」
その討ち死にした信親の下にというのだ。
「しかしどの方もな」
「信親殿程はですか」
「主の資質はないという、特に」
「特にですか」
「四男の千熊丸殿は武辺者というが」
まだ元服前であるがだ。
「それが過ぎるという」
「そうした御仁は」
「そうじゃ、主には向かぬ」
「それも大名の」
「大名は背負うものが違う」
昌幸は鋭い目になり言うのだった。
「多くの家臣と民を背負うのじゃ」
「国だけでなく」
「長宗我部家ともなれば土佐一国」
「それを背負うには」
「千熊丸殿は武の資質はある様じゃが」
それでもというのだ。
「しかしな」
「政の資質がですな」
「ない様じゃからな」
「ですか」
「それは御主もじゃな」
昌幸は幸村にも言った。
「大名にはなれてもな」
「真田十万石を継ぐには」
「政が落ちる」
自身や兄である信之よりもというのだ。
「それなりに出来るが」
「それは大名としてではなく」
「臣としてじゃ、しかも臣としても今で手が一杯であろう」
「いささか苦しいです」
「やはりな、だからな」
「それがしもですな」
「大名には向かぬ」
長宗我部家の四男である千熊丸と同じくというのだ。
「御主は軍勢ならば十万も二十万も軍師として策を練ることが出来そして」
「そして、ですか」
「一軍を率いて果敢に戦うことも出来るが」
「政は」
「あくま臣として、しかも今の立場でも苦しい」
「ですか」
「まあ臣としてなら二百万石の中でも能臣となるであろうが」
これが昌幸の見立てだった。
「いささか辛いにしてもな」
「それでも大名には」
「難しい、御主はそうした者ではない」
「器ではない」
「器の質が違う」
大名のそれではないというのだ。
「臣、そして将帥のものでな」
「大名ではないですな」
「他のものじゃ」
「ですか」
「うむ、だからな」
昌幸は自身の次男である幸村に強く言った。
「御主はそれを目指すな、天下一の武士を目指せ」
「それがしが常に思っている様に」
「それがよい、そして」
「そしてとは」
「最初に言ったが長宗我部家は次の主次第で暗くなる」
家を継ぐ筈だった信親が討ち死にしてしまいというのだ。
「九州での戦関白様が勝たれるが」
「後々に暗いものが出来た家もありますか」
「うむ、しかし九州は落ち着く」
「この度の戦で」
「それは間違いない」
「やはり関白様の軍勢は多いですな」
「数も違うし鉄砲の数も違う」
そのこともあるというのだ。
「五万も持って行ってはな」
「如何に島津家といえど」
「勝てるものではない」
到底という言葉だった。
「そういうことじゃ」
「さすれば」
「うむ、次は東国じゃ」
九州が収まったその後はというのだ。
「奥羽、関東じゃ」
「西国から東国ですか」
「一度織田家が仕置をしようとしたが」
その為織田家でも重臣の一人である滝川一益を送ったのだ、そうして北条家を何とかしようとしたのである。
「しかしな」
「その直前にでしたな」
「本能寺でのことがありな」
「織田家自体がですな」
「ああなってしまったから東国には天下様の手は及ばなかったが」
「それはこれまでのことで」
「これからは違う」
まさにというのだ。
「いよいよな」
「天下人の手が及びますか」
「そうなる、おそらく」
昌幸はその目をまた光らせて幸村に言った。
「伊達家は関白様に従う」
「あの家はですか」
「伊達政宗殿はな」
「相当な野心をお持ちとのことですが」
「天下をもな」
「目指されているとか」
「確かに野心の大きな方であろう」
昌幸もそう見ている、政宗のことは。
しかしだ、昌幸は彼についてこうも言うのだった。
「しかし目はおありじゃ」
「だからこそ」
「土壇場になればな」
「関白様に従われますか」
「それが本心でないにしても」
野心、それを隠してでもというのだ。
「そうされるであろう」
「天下が泰平になるなら」
「そうされるだろう、しかし」
「しかしとは」
「それはあくまで泰平なうちでな」
その時だけのことであると、というのだ。
「また乱れればな」
「その時はですな」
「伊達殿は動かれるが」
「今は、ですな」
「野心を収められてな」
そのうえでというのだ。
「関白様の御前に出られる」
「伊達殿は」
「そうされる、しかし」
「北条殿は」
「残念であるが」
苦い顔になってだ、昌幸は幸村に話した。
「そうされぬであろうな」
「関白様に降られぬと」
「次は間違いなく東国じゃ」
このことは確実だとだ、昌幸は言い切った。
「だからな」
「北条殿もですな」
「関白様に降るとな」
「戦も起こらず」
「北条家も残る」
そうなるというのだ。
「相模と伊豆だけになろうともな」
「その持たれる国は」
「この二国だけとなろう」
北条家が秀吉に降ればというのだ。
「それだけにな」
「今北条殿はかなりの国をお持ちですが」
その相模や伊豆以外にもだ、北条家は関東に多くの国に領地を持っているのだ。信濃に入ろうとしたのもその広い領地をさらに広める為のものだったのだ。
「しかし」
「うむ、その他の領地はな」
「召し上げられますか」
「それは島津殿と同じじゃ」
九州統一を果たしたうえで秀吉に従おうとしたこの家と、というのだ。
「天下に大き過ぎる大名はあってはならぬ」
「天下の維持の為には」
「力は一つに集まってこそ治まるな」
「はい、それが多くなりますと」
「その分乱れる要素となる」
「天下に二日はいらぬ」
幸村も言った。
「そういうことですな」
「そうじゃ、天下に二日はいらぬからな」
「力の強過ぎる大名はいらぬ」
「だからな」
「北条殿も」
「その領地は大きく召し上げられる」
北条家のそれはというのだ。
「そしてな」
「そのうえで、ですな」
「天下の中に組み込まれる」
「そうなりますか」
「しかしじゃ」
「北条殿は、ですな」
「それに従われるかというと」
「そうなりませぬか」
「そもそも東国と西国は違う」
昌幸はこのこともだ。幸村に言った。
「そうじゃな」
「はい、西国は箱根から西です」
「そちらまでは誰が治めておった」
しかとした目でだ、昌幸は幸村に問うた。
「一体」
「公方様、幕府にです」
「そして管領殿であったな」
「そうした方々が治められていました」
鎌倉幕府があった頃の話だ、実は幕府は将軍は西国を主に治め天下全体となるとそこまでは実は至っていなかったのだ。
「西国探題、九州探題も用意されていましたが」
「それでもな」
「西国は実質的には」
「公方様であったな」
「はい、そして」
「東国はじゃ」
その地はというと。
「関東公方様にな」
「そして関東管領ですな」
「そうした方々が治められていたな」
「奥州探題、羽州探題と用意され」
「そしてな」
「東国は東国でしたな」
「昔からな」
先の幕府の前にもというのだ。
「鎌倉幕府、そしてな」
「その前も」
「かつては蝦夷の地であった」
「東国は独特ですな」
「西国とは違う」
「それ故に」
「北条殿は東国、特に関東の覇を目指しておられる」
今もというのだ。
「だからな」
「関白様にも」
「従われぬ」
「西国にはですな」
「そうお考えであろう、だからな」
「何としてもですか」
「戦は避けられぬ」
北条家が秀吉に従わない、そして秀吉もそれを認めない、そうなればそうなることも当然だというのである。
「まさにな」
「左様ですか」
「うむ、そしてな」
「関白様のお力は」
「最早東国もな」
「一呑みですな」
「うむ」
まさにだ、大魚の如くというのだ。
「そうなるからな」
「北条殿も」
「しかも北条殿はな」
主である氏政、彼はというのだ。
「関東の覇者になれても」
「それでも」
「天下を見ることはな」
「出来ない型ですか」
「織田家の時もそうであられた」
信長、彼が来た時もというのだ。
「従おうとされなかったな」
「はい、確かに」
「織田家の力は大きかったが」
「関東を圧するまでに」
「そうであったが」
従わなかったというのだ、信長に。
「戦おうとされた」
「幸い本能寺のことがありましたが」
「あの時はあれでじゃ」
織田家が毛利、長宗我部、そして上杉を倒すなり降した後でというのだ。実際にそうした流れになっていた。
「終わっておった」
「そうでしたな」
「そしてな」
「今もですか」
「同じ間違いをされている」
「関白様と戦う」
「そう考えておられる」
「では」
「うむ、危うい」
氏政、そして北条家はというのだ。
「このままではな」
「やはりそうなりますか」
「小田原の城、そして他の城とな」
北条家は堅城小田原城と各国の城の連携によって守られているのだ。それぞれの城も堅固な城が多い。
「箱根の山に多くの兵達がいるが」
「しかし」
「関白様はそうしたものもな」
「何でもなくですな」
「攻め落とされる」
「やはりそうなりますな」
「幾ら城が堅固でも」
それでもというのだ。
「小田原も他の城もな」
「しかしですな」
「人を攻めるものじゃな」
「はい」
幸村は確かな声で父に答えた。
「戦は」
「そうじゃ、だからな」
「それで、ですな」
「北条家はな」
到底という返事だった。
「関白様には勝てぬ」
「そしてその勝てぬことを」
「北条殿はご存知になられるべきじゃが」
「では」
「わしからもお伝えしよう」
氏政、彼にというのだ。
「是非な」
「そして戦をですな」
「避けようぞ」
こうもだ、昌幸は言った。
「何とかな」
「既に関東の他の家は」
北条家以外の家はというのだ。
「関白様にですな」
「従おうとされている」
「ですな、それでは」
「今のうちにな」
まさにというのだ。
「手を打っておこう」
「さすれば」
「源三郎も近いうちに戻ってくる」
長男の信之もというのだ。
「その時にはまた動く」
「北条殿に文と人を送られ」
「そして手を打とう」
「わかりました」
幸村も頷く、そして程なくだった。
島津家は秀吉に降った、義久は頭を剃りそのうえで秀吉に帰順を申し出た。秀吉もそれを許し島津家は三国の領土を保証された。
そして信之も上田に帰って来た、それを受けてだった。
信之は彼に政の補佐をさせ北条家に人と文をやることにした、その時に。
上杉家から兼続が来てだ、昌幸に述べた。
「我が殿からのお言葉ですが」
「上杉殿からの」
「はい、北条殿をです」
「説いてじゃな」
「関白様に従う様にと」
促すというのだ。
「それが殿のお考えです」
「戦ではないな」
昌幸はこの言葉に色々な意味を込めて言った。
「和じゃな」
「はい」
その通りという返事だった。
「殿はそれをお考えです」
「左様か」
「そうです」
兼続も昌幸の真意を読み取りつつ答えた。
「天下はもう定まっていますので」
「そうじゃな」
「ですから」
兼続はまた答えた。
「我等は徳川家と共に」
「三家でじゃな」
「北条殿を説きましょう」
「わかった」
昌幸はすぐにだ、兼続に答えた。
「ではな」
「共にですか」
「元よりそのつもりだった」
昌幸は己の考えを述べた。
「それはな」
「では」
「徳川殿とも合わせてな」
そしてというのだった。
「そうしようぞ」
「さすれば」
「約束する」
こうも言ったのだった。
「戦はせぬに限る」
「ですな、いいことはありませぬ」
「だから何とかな」
「北条殿には関白様に従ってもらいますか」
「勝てぬのなら従うべきじゃ」
これが昌幸の考えである、彼はこの考えに基づき今まで動きそうして真田家を守ってきたのである。それで今も言うのだ。
「頃合を見てな」
「北条殿の頃合は」
「そろそろじゃ、だからな」
「さすれば」
「お話しよう、わし自ら出向いてもな」
こう言ってだ、そして実際にだった。
昌幸は北条家の説得に動くことにした、それは家康も同じだったが。
彼は駿府城においてだ、家臣達に難しい顔で言っていた。
「北条殿は聞いてくれると思うか」
「さて、それは」
「どうでしょうか」
「難しいかと」
「それがしもそう思いまする」
四天王がだ、まず家康にこう答えた。
「北条殿はわかっておられませぬ」
「もう天下は関白様のものだと」
「関東だけではです」
「とても勝てませぬ、関白様には」
「そうじゃな、しかしな」
それでもとだ、家康は四天王をはじめとする家臣達にまた言った。
「それはな」
「北条殿は、ですな」
酒井も主と同じ様に深刻な顔で述べた。
「おわかりになっていませぬな」
「うむ、天下はな」
「既に定まっておりまする」
榊原も難しい顔であった、その上での言葉だ。
「関白様に」
「だからわしも従った」
家康榊原にこう答えた。
「この様にな」
「最早それはです」
本多も言う。
「従うしかないのですが」
「そうじゃ、しかしな」
「北条殿は関東にい過ぎたのですな」
井伊はそのことを無念としていた、言葉にそれが出ている。
「それで関東から外のことは」
「そうじゃ、わかっておられぬ」
家康はまた言った。
「関東しか見えておられぬ」
「それ故にですか」
「天下のことがわかっておられず」
「それで、ですな」
「戦になろうとも勝てる」
「そう思われていますな」
「そうじゃ、しかし戦になれば」
そうなればどうなるかもだ、家康は読んでいた。それも完全に。このことは昌幸と同じだった。それでこう言ったのである。
「北条殿は敗れる」
「兵の数が違いまする」
「それにその兵を支える力も」
「全く違いまする」
「例え箱根と小田原城があろうとも」
「そしてですな」
今度は大久保が言った、彦左衛門の兄である彼が。
「如何に北条家の堅城達があろうとも」
「あの数には勝てぬ、しかもな」
「はい、関白様のお知恵」
「あの方は城攻めになるとじゃ」
その知恵がというのだ。
「これ以上はないまでに動かれる」
「だからこそ」
「勝てるものではない」
到底というのだ。
「北条家でもな」
「ですな、ですから」
「何とか説得したいところですが」
「我等は北条家とは縁がありますし」
「それも強く」
「そうじゃ、新九郎殿は我が娘婿じゃ」
北条家の今の主である氏直はというのだ。
「あの方はそうお考えであろうが」
「しかしですな」
「新九郎様はお身体が今一つ弱いです」
「従って表には強く出られませぬ」
「どうしても」
「そうじゃ、それでじゃ」
それで家督を譲った彼の父の北条氏政が政の多くを取り仕切っているのだ、家康達が北条殿と呼んでいるのも彼のことだ。
「北条殿はな」
「どうにもですな」
「戦をされたいのですな」
「あくまで」
「そうお考えですな」
「そのうえで守られるおつもりじゃ」
北条家の領地をというのだ。
「これが新九郎殿だけなら」
「殿もですな」
「説得出来ますな」
「その様に出来まするな」
「確実にな」
娘婿であり彼が天下のことをわかっているからだというのだ。
「出来る、だからと思っておるが」
「しかしですな」
「問題はお父上ですな」
「あの方は」
「どうにも」
「決して暗愚ではない」
家康は氏政をこう見ている、これまで戦をしたこともありそのことはわかっているのだ。
「しかしな」
「天下のことはですな」
「わかっておられぬ」
「関白様のことを」
「そうじゃ、あの方は大きくなった」
それも相当にというのだ。
「最早天下人じゃ」
「それは揺るぎなく」
「力もおありですな」
「そのお力には逆らえぬ」
「どうしても」
「そうじゃ、だから何としても聞いてもらいたい」
北条家に自分の言うことをというのだ。
「何としてもな」
「では」
「ここは」
「粘る」
何としてもとだ、家康は家臣達に誓う様にして告げた。
「既に東国にも関白様は仕置を伝えられておる」
「はい、若し戦を起こせば」
「その時は御公儀として成敗される」
「その様に言われてますな」
「だからじゃ、真田家とも沼田のことで諍いがあるしな」
ここで家康は真田家の名前を出した。
「下手なことをすればな」
「はい、実際にですな」
「関白様は北条家を攻められますな」
「それは避けたいところ」
「では」
「何とか北条殿、若しくは新九郎殿に上洛して頂こう」
是非にと言うのだ。
「そしてな」
「何とか関白様に従って頂きましょう」
「そうすれば戦になりませぬ」
「では」
「ここは何としても」
「わし自ら動くとしよう」
家康はそうまでするとだ、家臣達に告げた。
「北条家には助五郎殿がおられるしな」
「共に駿府におられたですな」
「北条殿の弟君の」
「あの御仁とも話をして何とかしよう」
昔馴染みの友と言っていい者の力も借りてとだ、家康もまた動こうとしていた。東国での戦を何とか避ける為に。
巻ノ五十三 完
2016・4・11