巻ノ六十二 小田原開城
秀吉は家康を本陣に呼びまずは宴を開いた、そこには徳川家の主な将帥達もいて酒や肴を振舞われていた。
秀吉は家康にまずは昔話をしていた、いつもの陽気な猿面で話していた。
「朝倉家との戦は大変でしたな」
「いや、全く」
家康も笑顔で応える。
「あの時は」
「九死に一生でしたな」
「全く以て」
こう秀吉に返す。
「後の姉川での戦もです」
「いやいや、あの戦は」
姉川の合戦についてはだ、秀吉は家康に言った。
「徳川殿あってです」
「勝ったと」
「そうですぞ、我等なぞです」
織田家の軍勢はというのだ。
「所詮そこにいただけで」
「力になっていないと」
「浅井殿に押されていました」
実際にそうだった、織田家の軍勢は総員一丸となって向かってくる浅井家の軍勢に押しまくられていたのだ。
「ですから」
「我等があってと」
「そうです」
家康に確かな声で言う。
「まさに」
「あの戦では」
「あの時も然りで」
「武田家との戦でも」
「色々とありました」
「あの戦からも」
長篠、正確には設楽ヶ原の戦の後もだ。家康は信長と共に武田勝頼と戦ったがこの戦では勝利を収めた。しかしだったのだ。
「武田家とはです」
「いや、死闘続きでありましたな」
「はい」
家康は秀吉に答えた。
「何かと」
「そうでしたな」
「何度死線を越えたか」
それこそというのだ。
「わかりませぬ」
「それ位にですな」
「色々ありました、しかし」
「それでもですな」
「この者達が随分と働いてくれて」
四天王達を見ての言葉だ、その彼等がいてというのだ。
「助かりました」
「徳川殿の宝ですな」
秀吉もその四天王達を見て盃を手に笑みを浮かべた。
「まさに」
「はい、それがしの第一の宝です」
「家臣の者達こそが」
「家臣達と民がです」
自身の領地のというのだ。
「それがしの宝です、そして」
「土地もですな」
「そうです、これからも家臣と民達の為に」
まさにと言う家康だった、秀吉の目を見つつ言うが心の中では彼の考えを察していてそのうえでその言葉を出させまいとしていりう。
「粉骨していきます」
「そうですか、では」
だが秀吉はそ家康に笑みのままでだ、こう告げたのだった。
「この度の戦で、ですが」
「この度の」
「そうです、北条家は降るとか」
「それがしの陣に実は人が来まして」
氏直からであることはだ、家康は言わなかった。秀吉は既に知っていることはお互いに知っているからである。
「それで、です」
「降ると」
「そしてその仲裁を願ってきました」
「そしてわしに」
「はい、お願いしたいと」
「降るならよし」
秀吉もそれでいいとした。
「ならばその仲裁の手柄としてです」
「いえ、手柄なぞとは」
家康は断り秀吉の言葉をかわそうとかかった。
「とても」
「よいと言われるか」
「それがしは今のままで充分です」
土地も民もというのだ。
「この五国で、ですから」
「そう言われるか」
「はい、それに北条殿は縁戚です」
氏直が娘婿だからというのだ。
「ですから当然のことです」
「その仲裁も」
「当然のことですから」
「手柄にはされぬと」
「今のままで充分です」
「いや、そう言うものではありませぬぞ」
謙虚さを以てかわそうとする家康にだ、秀吉は攻めてかかった。
「これは当然のこと、ましてや徳川殿の手で戦は終わり天下が泰平になるからには」
「褒美はですか」
「貰って下され、それは」
一気に詰めてきた、そしてその一手を打ったのだった。
「この関東八国です」
「関東の」
「左様、北条家の領地は全て一旦召し上げ」
そのうえでというのだ。
「関東一円を徳川殿にお任せしたいと」
「何と」
家康は予想しており内心苦い顔になったが言葉はこれだけだった、そして四天王達もここではあえて言葉を出さなかった。
「この関東一円を」
「合わせて二百五十万石を」
これだけの石高をというのだ。
「徳川殿にお任せしたい」
「二百五十万石」
「それだけを」
まさにというのだ。
「是非共」
「それがしが二百五十万石」
「頼みましたぞ」
笑みであるが有無を言わせないものがあった、秀吉も家康にそれを言わせない為にあえて笑みとなったのだ。
「それでは」
「・・・・・・・・・」
家康はここで駆け引きを読んだ、そして。
最早避けられるものではないことを察してだ、秀吉に頭を垂れて答えた。
「わかり申した」
「引き受けて下さるか」
「はい」
一言での返事だった。
「さすれば」
「それではですな」
「謹んでお受けします」
「では関東はお任せしましたぞ」
こうしてだった、家康は関東を治めることになった。だが。
徳川家の陣に戻るとだ、四天王達は口々に言った。
「してやられましたな」
「流石は関白様ですな」
「攻めてこられそして」
「殿に頷かせましたな」
「流石は関白様じゃ」
家康もこう言った。
「わしに関東を預けてな」
「関東を治めさせ力を削ぎ」
「大坂から離しましたな」
「そうお考えになられ」
「我等を東国に」
「そうなった、しかも城はじゃ」
家康の新たな居城も定められた、そこはというと。
「江戸城じゃが」
「確か太田道灌殿が築かれた」
「そうした城でしたな」
「随分と古い城だとか」
「まだあるのでしょうか」
「ある様だが」
しかしと言う家康だった。
「それでもな」
「相当に古ぼけた城でしょうな」
「駿府とはうって変わった」
「岡崎や浜松よりも」
「そうした城ですな」
「駿府なぞと比べられるものではあるまい」
家康は江戸という場所が彼の頭の中にこれまで殆どなかったことから四天王達に対してこう答えた。
「廃墟に近いやもな」
「実際のところは」
「そうした城ですか」
「そしてそこに我等を置き」
「力を政に向けさせてきますか」
「おそらくな、しかしわしは今はじゃ」
少なくとも今の家康はとだ、自分で言った。
「もう天下はじゃ」
「はい、関白様のもので」
「殿は諦めておられますな」
「小牧や長久手の時ならともかく」
「今は」
「そうじゃ、用心とはいえじゃ」
秀吉の考えを読みつつ言う。
「関白様もあまりなことをされる」
「殿、さすればです」
ここで本多正信が口を開いた、すると四天王達だけでなく本陣にいた四天王を含めて十六神将のほぼ全員が彼を睨んだ。
「我等はその八国をです」
「治めるべきか」
「はい、それならそれで」
「諦めてか」
「関東を治め」
そしてというのだ。
「民を養いましょう」
「関東の民達をか」
「どちらにしても政はおろそかには出来ませぬ」
「それはその通りじゃ」
「ならばです」
「政はすべきか」
「はい、おそら殿は大抵大坂にいることになるでしょうが」
若しくは都にだ、家康は関白のすぐ下にいる者なので必然的にそこにいる方が多くなり天下の政を執ることになるというのだ。
「しかし」
「領地だからじゃな」
「治めるべきですし」
「治めそしてじゃな」
「力を備えましょう」
「そうあるべきか」
「それならそれで、です」
領地が関東に移るのならというのだ。
「前向きになるしかありませぬ」
「それしかないか」
「そうかと」
「左様か、ではじゃ」
「はい、関東に入りましたなら」
「政に専念せよ」
こう家臣達に告げたのだった。
「よいな」
「はい、それでは」
「その様にしましょうぞ」
主な家臣達も主の言葉に応えた。
「あれこれ言っても仕方ありませぬし」
「それならば」
「うむ、この戦の後はな」
関東に入ればというのだ。
「政に専念しようぞ」
「そして、ですな」
「そのうえで力を備え民を豊かにする」
「そうしていきますか」
「力があればよりよき政ができる」
領国のそれがというのだ。
「そしてまた国を豊かに出来る」
「では」
「その様に」
家臣達も応えた、何はともあれだった。
家康は関東に入った時のことを今から考えていた、本多正信の言葉でそれならそれとして向かうことにした。しかし。
秀吉は秀長にだ、さらに言っていた。
「さて、徳川殿はどうすると思う」
「政に専念されましょう」
秀長はすぐに答えた。
「そしてです」
「またじゃな」
「力を備えられます」
「だからじゃな」
「そうはならぬ様にです」
「あれこれと手を打つ」
秀吉は自分から言った。
「そうあるべきじゃな」
「はい」
まさにという返事だった。
「何だかんだとでもです」
「理由をつけてな」
「徳川殿の力を削いでいき」
「そしてじゃな」
「強い目付も置きましょう」
「ではやはり」
「はい、会津にです」
その地にというのだ。
「忠三郎殿を置き」
「わしが言った通りにじゃな」
「備えとし」
そしてというのだ。
「動けぬ様にしましょう」
「やはりそれがよいな」
「そして忠三郎殿はです」
秀長はさらに言った。
「仙台に転封となる伊達殿にもです」
「備えとしてじゃな」
「置きましょう」
即ち政宗も監視させるというのだ。
「是非」
「それがよいな」
「そう思いまする」
「二重三重に備えを置く」
「それが肝心かと」
「まさにそうじゃな」
「では」
秀長は兄に問うた。
「それがしの考えで」
「いく、その様にな」
「実は西国はです」
秀長は西国のことも話した。
「毛利、長宗我部、島津と強い家がありますが」
「しかしじゃな」
「どの家も力はかなり落とせましたし」
「別に野心もな」
「ありませぬ、それは上杉家も同じです」
「しかし徳川家と伊達家はな」
「そうではありませぬ」
それ故にというのだ。
「だからこそです」
「竹千代殿は関東に移すことに御主もじゃな」
「賛成です、そして拠点を江戸にせよと言われたことも」
「よいか」
「江戸には行ったことはありませぬがあの辺りは平野です」
そこにあることはわかっているというのだ。
「何も守るものがない」
「城を築いてもじゃな」
「只の平城にしかなりませぬ」
「守りにくいな」
「あの辺りは守るに適しておりませぬ」
江戸、あの地はというのだ。
「鎌倉や小田原とそこが違います」
「鎌倉は守りやすい」
秀吉も鎌倉のことは知っている、三方を山に囲まれ残る一方は海だ。だから鎌倉幕府もここに拠点を置いたのだ。
「あそこは実にな」
「はい、そして小田原はです」
「見ての通りじゃ」
その小田原城、他ならぬ彼等が囲んでいる城を見ての言葉だ。
「これ程大きな城はない」
「ここに徳川殿が入られますと」
「思っただけでも厄介じゃな」
「この城は大坂城に負けておりませぬ」
そこまでの城だというのだ。
「間違いなく東国一の城です」
「若し徳川殿にそのまま関東に入られよと言えば」
「この城に入るとです」
「考えた方がよいな」
「はい」
まさにというのだ。
「そして守りを固められ」
「そのうえでな」
「政を行われます」
「確かな拠点があれば政は実に楽じゃ」
充分に守ることが出来る城に入ったうえでというのだ。
「特に守りが既に固められていれば」
「我等もそうですし」
「大坂から天下を治めておる」
「これ程有り難いことはありませぬ」
「だからじゃな」
「はい、徳川殿の拠点を江戸に定められれば」
「竹千代殿はかなり苦労をする」
秀吉はそこも見越している、そのうえで秀長と共に考えているのだ。
「関東は治めれば豊かになるがな」
「川が多くしかも平地が多いです」
「田畑も町もよいものが出来る」
「水や土の質は上方程よくないですが」
しかしそれでもとだ、秀長も言う。
「開けていますので」
「治めればな」
「かなり豊かになります」
「そうじゃな」
秀吉も言う。
「関東はな、そうした地じゃ」
「しかしかつての北条家の土地ですし」
「反発も多くな」
「それを収めるのも厄介で」
「江戸城をどうするか」
「そこに横槍を入れ続ければ」
秀長は家康に介入を続けることも提案した。
「それでさらにです」
「竹千代殿は動けなくなる」
「そこに会津にです」
「目付としてじゃな」
「忠三郎殿を入れれば」
「万全じゃな」
「越後にも上杉家がおります」
この家もというのだ、関東の側にいるというのだ。
「徳川家は何重にも動けなくし」
「竹千代殿には主に大坂にいてもらう」
「そこまですればです」
「あの御仁もそうそう無体は出来ぬか」
「そしてあの方は非常に律儀な方で」
「約束は守るな」
「約束を破るということがわかっておられます」
性格的にもそうだがそうした場合どうなるかもわかっている、家康はそこまでわかっている賢明な者なのだ。
それでだ、秀長も言うのだ。
「ですからあえて律儀さをです」
「守らねばならぬ様にか」
「されるのもいいかと」
「とかく幾重にもじゃな」
「徳川殿を動けぬ様にしておきましょう、そして」
「そしてとは」
「茶々殿です」
ここで秀長は顔を曇らせた、そのうえで言うのだった。
「あえて申し上げますが」
「あれのことか」
「政の方ではありませぬ」
秀吉の愛妾であり捨丸の母でもある彼女はというのだ。もっと言えば浅井長政と信長の妹である市の間の長女であり秀吉にとってはかつての主筋の姫になる。秀吉は彼女が市に最も似ていることから側室にしたのだ。
その茶々についてもだ、秀長は言った。
「ですから」
「政のことはじゃな」
「関わらぬ様にです」
「そうさせておくべきか」
「必ず、ねね様の様にして頂ければ」
「よいか」
「くれぐれもです」
茶々、彼女はというのだ。
「政には関わらせぬ様に」
「わかっておる、わしも茶々は政は出来ぬと見ておる」
秀吉もそこは見抜いていた、それで秀長に言うのだ。
「心がどうもな」
「すぐに憤られます」
「心が不安定じゃ」
秀吉はまた言った。
「どうにもな」
「二度の落城があり」
小谷城、そして北ノ庄城だ。そのどちらにも秀吉が関わっている。
「そのうえです」
「二人共わしが殺した様なものじゃな」
秀吉はあえて自分から言った。
「浅井殿も権六殿もな」
「そうですな」
「そのことが事実じゃ」
小谷城攻めの先陣はその頃織田家にいた秀吉がした、そして北ノ庄城で柴田勝家を攻め滅ぼしたのも彼だ。
「わしが茶々の父上を攻め義父だった権六殿もな」
「それがしも傍にいましたし」
「紛れもない事実じゃな」
「まさに」
「そしてその二度の落城でな」
「茶々殿はどうもです」
その心がというのだ。
「不安定なものになられています」
「そうじゃな」
「ですから」
「政はな」
「その知識も持っておられませぬし」
「関わらせてはならぬな」
「絶対に」
それこそというのだ。
「それがし強く思いまする」
「わかっておる」
秀吉も確かな声で答えた。
「わしは茶々は政に関わらせぬ」
「その様に」
「ねねと茶々は違う」
「そうです、何もかもが」
「ねねは政のことは強く言わぬが」
「頼りにはされていますな」
「御主とねねは何があってもわしを裏切らぬ」
絶対にというのだ。
「だからな」
「それで、ですな」
「うむ、ねねもこれといって政には口を出さぬしな」
「茶々殿にも」
「そうする、捨丸の子であってもな」
断じてとだ、秀吉は秀長に約束した。
「そうする」
「その様に」
「必ずな」
「それがしの他にも利休殿がいますし」
秀長は心の中に不安を感じつつ兄にさらに言った。
「佐吉、桂松もいます」
「あの二人か」
「あの二人の言うことも絶対にです」
「信じてというのじゃな」
「お聞き下され、あの者達は頭がいいだけではありませぬ」
それに加えてというのだ。
「心もよく特に忠義はです」
「誰にも負けておらぬな」
「虎之助達よりも遥かにです」
この二人の忠義はというのだ。
「強いです、ですから」
「その言葉をじゃな」
「お聞き下さい」
「わかった、ではな」
「何としても」
「その様に」
秀長は秀吉に強く言った、まるで遺言の様に。そして秀吉の下を去り己の陣地に戻ってそのうえでだった。
彼の家臣達にだ、こう言った。
「辛いのう」
「お身体が、ですか」
「近頃」
「うむ、飯が喉を通りにくい」
秀吉にも隠しているがだ。
「そして少し動くとな」
「お辛い」
「そうなのですか」
「せめて、捨丸が元服するまで」
秀吉の子の彼がだ。
「生きたいがこれでは」
「いえ、それはです」
「必ず適います」
「ですからお気を確かに」
「ここは踏ん張って下され」
「そうしたいがな」
自身を気遣う家臣達に言うのだった。
「これではな」
「そう言われますか」
「殿は」
「わしの身体のことじゃ」
だからこそというのだ。
「わしが一番わかっておるわ」
苦しい顔での言葉だ。
「このことはな」
「ですが関白様もです」
「殿がご無事だと」
「いや、兄上はお気付きじゃ」
既にとだ、秀長は家臣達に答えた。
「兄上の目は誤魔化せぬわ」
「人のことは何でもわかる」
「そうした方だからこそ」
「兄上程人を見ることが見事な方もおられぬ」
それこそというのだ。
「そうした方だからな」
「だからこそですか」
「関白様ももうご承知ですか」
「そしてそのうえで」
「殿と話をされていますか」
「兄上とずっと共にいたが」
だがそれでもというのだ。
「それもじゃ」
「最早ですか」
「そう言われますか」
「うむ」
実際にというのだ。
「無念じゃ、後はな」
「佐吉殿と桂松殿」
「お二人にですか」
「任せるしかない」
羽柴家、そして秀吉と後のことをというのだ。
「最早な」
「左様ですか」
「後は、ですか」
「お二方ですか」
「関白様を支えられるのは」
「それにじゃ」
さらに言う秀長だった。
「利休殿もじゃが」
「しかしです」
「近頃関白様は利休殿を疎んじておられます」
「今は殿がとりなしていますが」
「ですが」
「わしがいなくなれば」
利休はどうなるかとだ、秀長はあえて言った。
「兄上は利休殿を」
「まさかと思いますが」
「そうなるやも知れませぬか」
「関白様が利休殿を」
「その様に」
「わしがいればな」
秀長は自分でまた言った。
「兄上は止まるが」
「しかし殿がいなければ」
「関白様は、ですか」
「止める者がいなくなり」
「それで」
「最悪のことも考えられる」
またあえて言った秀長だった。
「だからじゃ」
「佐吉殿と桂松殿」
「お二方に、ですか」
「羽柴家はかかっている」
「そうですか」
「うむ、徳川殿は関東にやった」
このことについても言及した秀長だった。
「大坂城の守りもあり富も蓄えておる」
「そうしたことは磐石にしました」
「それでは後は人ですな」
「悩みの種を遠ざけ守りを固め財もある」
「それならば」
「人じゃ」
まさにというのだ。
「人が大事じゃ」
「その人ですな」
「殿に何かあった時に関白様を止められる人」
「その人が必要ですか」
「家中にな」
秀長が憂いの満ちた顔のままで言った。
「必要じゃ、それではな」
「はい、では」
「これからのことも考えますと」
「佐吉殿と桂松殿」
「お二方が家の軸になりますか」
「特に佐吉じゃな」
石田、彼だというのだ。
「あの者は誰にも遠慮なく言う」
「関白様に対しても」
「あえてですな」
「誰も恐れず謹言を憚らぬ」
そうした意味での遠慮はしない男だというのだ。
「あの者のよいところでもあるが」
「悪いところでもありますな」
「誰にも時と場所を弁えず言いますから」
「関白様に対しても」
「そうされますから」
「うむ、それで敵も作るし兄上もじゃ」
謹言を受ける秀頼もというのだ。
「面と向かって遠慮なくしかも飾らずみきつく言われるとな」
「その通りに出来ぬ」
「佐吉殿の言われる様には」
「そうしたこともありますな」
「あ奴は頭がいいがそうしたことはわからぬ」
時と場所を弁えるということがだ。
「正論は常に正論でありな」
「何時何処で言ってもいい」
「そう考えておられますな」
「桂松殿と違い」
「そしてそれが、ですな」
「悪いところですな」
「全くじゃ、わしはじゃ」
秀長はというと。
「これでも時と場所を考えておる」
「そのうえで、ですな」
「関白様にも申し上げていますな」
「それも言葉を選んで」
「遠慮もしつつ」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「そうしてじゃ」
「話を聞いてもらっている」
「そうしていますな」
「殿の場合は」
「左様ですな」
「さもないとじゃ」
例え兄弟であってもというのだ。
「話は聞いてもらえぬしじゃ」
「かえって、ですな」
「反感を買う」
「そうなってしまいますな」
「そうじゃ、しかしじゃ」
石田はというのだ。
「あ奴はそこがわかっておらぬのじゃ」
「正論は何処でも通じる」
「そう考えていて」
「どうしてもですな」
「押し通すのですな」
「一本気過ぎるのじゃ」
それが石田の困ったところだというのだ。
「あれではな」
「関白様に言っておいても」
「関白様も聞けぬ」
「そうなりますか」
「そうじゃ、桂松も言うことは言うが」
しかしというのだ。
「あ奴は言葉よりもじゃ」
「行動ですな」
「あの御仁はそうですな」
「言葉よりもです」
「そちらの方ですな」
「うむ」
その通りだというのだ。
「そうした者じゃ」
「では佐吉殿ですか」
「関白様に言われるのが」
「ご気質でもお立場でも」
「そうなりますか」
「難しいやもな」
石田の気質を考えてだ、秀長は言った。
「やはりあ奴では」
「では関白様にお話出来る者は、ですか」
「殿以外にはおられぬ」
「これからもそうですか」
「そうであれば」
若し石田や大谷が止められなければというのだ、秀長が危惧している様に。
「羽柴家は危ういやもな」
「ではやはりです」
「殿は長生きされるべきです」
「養生の薬を飲まれて」
「湯治にも行かれて」
「兄上にも勧められてそうしておるが」
薬を飲み湯に入っているというのだ。
「どうもな」
「お身体が優れぬ」
「どうしてもですか」
「そうじゃ、困ったことじゃ」
自分よりもむしろ羽柴家そして秀吉の行く末を案じての言葉だ、自分がいなくてはどうなるかというのだ。
「わしの様な者でもおらねばか」
「いえ、殿がおられるからこそです」
「関白様はここまでなったとご自身も言われています」
「それはその通りです」
「ですから」
「長生きしたいものじゃ」
切実な言葉だった、心からの。
「わしは養生が必要か」
「もう北條殿は降るとか」
「これで天下は統一されます」
「ならばいよいよ殿のお力が必要になります」
「政をせねばなりませんから」
「これまで以上に」
「わかっておる、わしは戦より政の方が好きじゃ」
そして得意とも感じている、兄と同じく政についてはそうなのだ。そして実際にかなり優れた手腕を見せている。
しかしだ、それでもというのだ。
「それも長生きしてこそじゃ」
「生きておれば政が出来る」
「だからですな」
「殿も長生きしたい」
「そうなのですな」
「そうじゃ、やはりわしは生きたい」
こう思って止まなかった、だがだった。
秀長は昨日よりもさらに重くなった身体を感じてだ、こう言ったのだった。
「無理やもな」
「ですか」
「どうしてもですか」
「それは適わぬ」
「ご自身ではそう思われていますか」
「人の寿命はどうにもならぬ」
例えどの様な薬を飲み湯に入ろうとも、というのだ。
「わしも同じやもな」
「ですか」
家臣達もこれ以上は言えなかった、秀長の顔色があまりにも悪いのを見てだ。それで言うことは出来なかった。
だがこのことは多くの者は知らなかった、それこそ秀吉以外はだ。だから天下はこのまま羽柴家のものになると思われていた。
それは氏直も同じでだ、彼は家臣達に言った。
「わしが降りな」
「そして、ですか」
「腹を切られる」
「そうされるのですか」
「うむ」
こう言うのだった、覚悟した声で。
「父上にも誰にも迷惑をかけずな」
「誰一人としてですか」
「他の誰も腹を切らせず」
「北条家の主である殿が腹を切られ」
「それで終わらせてもらいますか」
「そうしたい、では明日関白様にお伝えする」
使者をやってそのうえでというのだ。
「ではな」
「ですか」
「そうされますか」
「うむ、その様にな」
こう言ってだ、氏直は切腹の用意をさせた。だがその彼のところにだ。
氏政が来た、戦の前とは違いやつれ果てている。だがそれでも背筋を伸ばして氏直達のところに来て言った。
「御主は腹を切ることはない」
「ですが父上」
「この度の戦を決めたのわしじゃ、それにじゃ」
氏政は我が子にさらに言った。
「わしが北条家の主、だからな」
「それで、ですか」
「わしが腹を切る」
こう言うのだった。
「それで終わらせる」
「そうされるのですか」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからな、御主には腹は切らせぬ」
「ですが」
「よい」
我が子にそこから先は言わせなかった。
「わしが主じゃ、わかったな」
「左様ですか」
「わしが腹を切ると伝えよ」
秀吉にというのだ。
「それで終わらせよ」
「ですが」
「どうしてもか」
「はい、それがしがです」
氏直も引かずに言うのだった。
「やはり」
「頑固じゃのう」
「父上にはご迷惑は」
「わしは御主の言葉を聞くべきじゃった」
こうも言った。
「さすればな」
「父上、それはもう」
「言わぬべきか」
「はい」
氏政に対して言った。
「ですから」
「では二人で申し出よう」
「関白様に」
「そうしよう、しかしわしはな」
氏直を見て言うのだった。
「御主は何としても助ける」
「それは何故ですか」
「何故もない、御主はわしの子じゃ」
だからだというのだ。
「子を死なせて自分が助かるつもりはない」
「だからですか」
「わしが腹を切って済むのならな」
「それでよいと」
「そう考えておる、では明日な」
「はい、それがしが関白様に申し出ます」
「御主だけか」
また氏直を見て言った。
「そうするか」
「何としても」
父を庇ってだった、だが。
氏政も氏政でだ、こうすると言うのだった。
「わしはわしで使者を出そう」
「そうされるのですか」
「この家、御主も守る為にな」
氏政もここで決意した、そしてだった。
北条家は遂に降ることを決めた、数ヶ月に及んだ籠城戦では誰も死なかかった。だが北条家はここに全てを失うこととなった。
巻ノ六十二 完
2016・6・20