巻ノ六十四 大名
幸村は信之の目を見据えた、そのうえで彼に答えた。
「信じられぬお話です」
「大名になることがか」
「はい、それがしはとてもです」
「大名にはか」
「なる者とは思っていませんでした、それに」
「その欲もじゃな」
「はい」
兄の問いにすぐに答えた。
「ありませんでした」
「そうであったな」
「はい、どうにも」
実際にというのだ。
「考えもいませんでした、ですが」
「この話を聞いてか」
「はい、ですから」
「戸惑っておるな」
「どうにも、しかし」
「まことの話じゃ」
幸村にだ、信之は告げた。
「そうなりそうな話じゃ」
「左様ですか」
「二千石は確かに大きい」
幸村の今の禄はというのだ。
「それはな、しかしな」
「それが万石ともなれば」
「二千石は旗本じゃ」
その扱いである、禄により扱いは変わるのだ。
「しかし万石ともなればな」
「大名ですから」
「その扱いになる」
「左様ですな」
「そして格も違う」
旗本と大名では、というのだ。
「全くな、何もかもがじゃ」
「これまでとは」
「そうなる」
「ですな」
「しかし御主や扱われ方や格には関心がないな」
「実は禄の大小にもです」
それにもとだ、幸村は答えた。
「昔からですが」
「そうじゃな、文武の道には興味があってもな」
「そうしたことには」
「しかし大名になればな」
「何かと違ってきますな」
「御主の奥方の立場も家臣達のそれもじゃ」
そうしたものまでもがというのだ。
「全く違ってくる、それに家臣達の禄もな」
「増えまするな」
「この者達もじゃ」
十勇士達も見て言う。
「禄が増える」
「これまでとは違い」
「そうじゃ、旗本扱いじゃ」
「ですか」
「どうじゃ、御主に欲がないことはわかっておる」
禄や地位にだ、とかくそうした欲がないのが幸村だ。武士の道を進み極めることが彼の思いであるからである。
「しかしな」
「大名となることは」
「そうそうなれるものではない」
下克上であり力があれば望むものが手に入れられる世であるがだ、まだ。
「だからな」
「ここは望むべきですか」84
「わしはそう思う」
「ですか」
「まあどうなるかわからんしじゃ」
「これから次第ですな」
「しかしこうした話が出ておることはな」
このこと自体はというのだ。
「確かであるからな」
「それがしが大名になる」
「うむ、そうだからな」
「ではその話が確かに来た時は」
「返事のことを考えておくのじゃ」
「わかりました」
確かな声でだ、幸村は信之に答えた。そしてだった。
この日はそのまま飲み休んだが次の日だ、幸村は起きるとすぐに十勇士達に対してこんなことを言った。
「近くに風呂がある」
「はい、その風呂に共に入りですな」
「朝早いですし」
見ればまだ暗い、飯の時間もまだまだ先だ。
「だからですな」
「風呂で昨日の話をする」
「そうされるのですか」
「そうしたいが」
こう十勇士達に言うのだった。
「どうじゃ」
「はい、それでは」
「今より風呂に入りましょう」
「そして酒も抜きすっきりしつつ」
「話をしましょうぞ」
「やはりな」
どうしてもとだ、ここでこうも言った幸村だった。
「風呂ではじっくり話が出来る」
「くつろいだ気持ちになり」
「お互い砕けますからな」
「だからこそこれから風呂で話しますか」
「何も隠さずに」
「そうしようぞ」
こう言ってだ、そしてだった。
幸村と十勇士達は温泉に向かってそしてだった、それぞれ裸になりそのうえで湯の中に入った。そうしてすぐにだった。
幸村は十勇士達にだ、あらためて問うた。
「では話すぞ」
「はい、お話は伺っております」
「禄のお話ですな」
「それですな」
「そうじゃ、拙者に万石の話が出ておる」
まさにというのだ。
「そして万石取りとなればな」
「大名ですな」
「これまでは旗本扱いでしたが」
「それが大名となる」
「殿が」
「二千石がじゃ」
雪村が今は貰っている禄である、真田家の中からだ。
「どうも真田家自体が加増されてな」
「それで、ですな」
「その中で殿の禄も増えて」
「万石取りともなり」
「大名ですな」
「そうなられるのですな」
「昨日兄上に言われるまで夢にも思わなかった」
それこそだ。
「まさにな、しかしな」
「源三郎様は嘘は申されませぬ」
「あやふやなことも申されませぬ」
「では確かなことですか」
「昨夜は不確かな様に言われていましたが」
「拙者もそう思う」
弟として信之を知っているだけにだ、雪村も言った。
「兄上が言われたことはな」
「かなり確かなものですな」
「信憑性がありますな」
「やはり」
「そうしたお話ですな」
「そう思う、拙者が大名か」
幸村はまた言った。
「まだ信じられぬ、しかし」
「しかし?」
「しかしとは」
「御主達はどう思うか」
己の前で湯に入っている十人に問うた、無論彼も湯に入っていてそのうえで心も身体もくつろがさせている。
「それで」
「そうですな、殿が大名ですか」
「凄いことですな」
「我等も信じられませぬが」
「しかし」
それでもと言うのだった。
「よいお話です」
「殿にはそれだけのものがあります」
「これまで武勲も挙げておられますし」
「大名になられるに相応しいだけの」
「では受けられるべきかと」
「大名になられるべきです」
「そうか、ではな」
十勇士達の言葉を受けてだ、雪村はあらためて考える顔になった。
そのうえでだ、こう彼等に言った。
「受けるか、この話」
「そうされますか」
「万石の話、受けられますか」
「そして大名になられますか」
「拙者自身の禄はいいが」
しかしというのだ。
「その方が御主達も禄が増えてよいしな」
「いやいや、我等こそです」
「禄なぞどうでもよいです」
「今のままで充分です」
「むしろ殿こそがです」
「禄を多く受けられるべきです」
「拙者は雨露や凌げる家と多少の飯と酒がありじゃ」
幸村は十勇士達に己の価値観を述べた。
「服があればな」
「それで充分ですな」
「殿の場合は」
「左様ですな」
「贅沢には興味がない」
それも全くだ、彼の場合は。
「地位だの官位だのにもな」
「そして宝にもですな」
「銭にも富にも興味がない」
「それが殿ですな」
「そうした欲とは無縁ですな」
「どうもそうしたものには何も感じぬ」
それも一切とだ、また言った幸村だった。
「だからな」
「大名になられずともですね」
「殿としてはよいのですな」
「禄や地位、宝ではなく」
「別のものですな」
「道ですな」
「武士の道は進み極めたい」
これこそが幸村の目指すものだ、彼はこれに生きているのだ。
だからだ、大名についてはこう言うのだ。
「しかし、そうしたものはな」
「関心がないですか」
「これといって」
「そうなのですな」
「どうもな、しかも御主達も禄がいらぬ」
義兄弟でもある彼等がとだ、幸村は十勇士達にまた述べた。
「ではどうするか」
「しかしお受けになられるべきです」
「それだけ殿が認められたということですから」
「大名に相応しいだけの方と」
「ですから」
「拙者も認められることは嬉しい」
これはとだ、幸村も述べた。
「そのことはな」
「では」
「受けられますか」
「そうされますか」
「その方がいいやもな」
こう言うのだった。
「拙者に欲がなくともな」
「おそらくですが」
霧隠が言ってきた。
「当家は沼田の領地を約してもらいます」
「それでじゃな」
幸村も霧隠に応えて言う。
「兄上がその沼田に入られ」
「若殿は家督を継がれますと」
筧も言う。
「その後は殿が」
「そうなるな」
「では今は、ですな」
根津もここで気付いた。
「万石は先への備えですな」
「沼田は三万石程ですから」
海野はこのことから述べた、沼田の石高から。
「殿は一万と数千石程に」
「それだけの大名になるか」
「一万数千石、大名としては小さいですが」
それでもとだ、今度は伊佐が言った。
「大名ですから」
「大きいな」
「いや、二千石からですぞ」
由利はこのことから言った、幸村の元の石高からだ。
「そこからになりますと」
「これは凄いですぞ」
穴山はもう驚かんばかりになっている。
「少なくとも五倍以上の加増ですから」
「いや、もう殿も立派な大身」
望月はこのことにもう感銘していた。
「家臣である我等も冥利に尽きます」
「それではですぞ」
清海は主に勇んだ感じで主に言った。
「殿、受けるしかありませぬぞ」
「まさに殿のお名前が天下に知られます」
猿飛は清海以上に遺産だ調子だった。
「大名になられることだけでも」
「殿、我等十人の考えは一つです」
「大名になられるべきです」
「是非共です」
「そうなって下され」
「そうか、そう言うか」
幸村は十勇士の言葉を聞いてだった。
湯の中で瞑目してからだ、こう言ったのだった。
「ではな」
「はい、受けられますか」
「そうされますか」
「大名になられますか」
「そしてやがては」
「沼田の三万か」
やや遠い目になり言った。
「まさに夢の様じゃな」
「これまでの当家を思いますと」
「最早ですな」
「殿にその欲がなくとも」
「それでもですな」
「武田家が栄えて大きくなっていれば」
かつての主家のことも思い出した。
「拙者も武勲を挙げていればな」
「武田家の中で、ですな」
「万石取りになられたやも知れませぬか」
「大名に」
「そうも思われていましたか」
「あくまで武田家の中でな」
そう思っていたというのだ。
「妄想に近いがな、しかしその武田家が滅び」
「真田家だけとなり」
「当家だけで生きていかねばならなくなり」
「生き残ることだけで一杯で」
「領地を広げることもですな」
「沼田では出来ましたが」
「思いも寄らず拙者が万石取りになることも」
このこともというのだ。
「想像もしなかった、しかしな」
「それでもですな」
「お受けになられますか」
「やはり」
「御主達もそう言うのなら」
それも十人全員がだ、それならばというのだ。
「受けるとしよう」
「そのお話が来たら」
「その時点で、ですな」
「そうしますな」
「そして大名になられますな」
「うむ、決めた」
今そうしたというのだ。
「ではな」
「はい、では」
「そのお話がきたらです」
「お答え下され」
「その様に」
「ではな」
再び十勇士達に応えた、そしてだった。
幸村は風呂から出て全てを決めた顔で己の陣に戻った、そのうえで出陣の時に共にいる兄に確かな声で答えた。
「それがし決めました」
「昨夜の話じゃな」
「左様です」
「わかった、ではな」
「はい、その様に」
こう答えたのだった、そしてだった。
幸村達は戦を終えて上田に戻った。その帰路に氏政達の切腹と氏直が一旦高野山に入れられたと聞いた。その他のことも。
それでだった、全てを聞いた昌幸は二人の息子達に上田城でこう言った。
「徳川殿が関東に入られたな」
「ですな、まさかと思いましたが」
「そうなりました」
信之も幸村も言う。
「伊達殿も仙台に移られ」
「東国は大きく変わりました」
「これまでとは一変しました」
「会津には蒲生殿が入られましたし」
「うむ、これからはじゃ」
昌幸は息子達に言った。
「その東国を見ることじゃ」
「あちらをですか」
「そうすべきですか」
「徳川殿はこれで終わらぬ」
確かな声でだ、昌幸は言った。
「おそらく徳川殿ご自身は殆ど大坂や都におられるが」
「それでもですな」
「家臣の方々が関東におられ」
「それで治められる」
新たな領国となった国々をというのだ。
「そして豊かにもなられる、そしてな」
「力を蓄えられ」
「これまで以上にですか」
「強くなられる、天下きっての権勢もじゃ」
「持たれる」
「そうもなられますか」
「関白様はあえて関東に移されたが」
家康をだ、彼がこれまで以上に権勢を持たない様に縁も由もない関東に移させて力を削ぐ考えもあったのである。
しかしだ、それでもだというのだ。
「あの方はな」
「それで終わらずに」
「さらにですか」
「権勢を強くされ」
「栄えられると」
「そうなるであろう」
こう言うのだった。
「徳川殿はな、そして伊達殿もな」
「あの方もですか」
「仙台に転封となりましたが」
「それで終わらぬ」
「そうなのですな」
「うむ、その仙台を治められ」
家康がそうする様にというのだ。
「力をつけられるであろう」
「では東国は」
「これからは徳川殿と伊達殿が大事ですか
「お二方がどうされるか」
「それ次第ですな」
「そう思う、そしてそのお二方の備えとしてな」
まさにというのだ。
「関白様は蒲生殿を置かれたのじゃ」
「会津にですか」
「お二方の備えとして」
「うむ、そして上杉殿もじゃ」
この家もというのだ。
「備えになっておる」
「徳川殿と伊達殿の」
「越後において」
「あの方は関東管領でもあられた」
先代の謙信が受け継いだのだ、上杉家の家督と共に。
「もう有名無実、いや」
「関東管領自体がです」
「最早意味が無い様に思われていますな」
「どうにも」
「そうなっていますが」
「あの方は違う」
景勝自身はというのだ。
「まだそう思われている」
「関東管領であると」
「そう思われていますか」
「関東管領は東国の仕置をする立場じゃ」
それ故に室町幕府では大事な役職の一つであった。
「だからな」
「それで、ですな」
「徳川殿、伊達殿の備えでもある」
「蒲生殿と上杉殿を置かれ」
「そうしてですか」
「関白様も考えておられる、だがな」
それでもとだ、昌幸はさらに言った。
「問題は羽柴家がな」
「どうなるか」
「それ次第ですか」
「磐石なら徳川殿も伊達殿も動けぬ」
どれだけ力が強くとも、というのだ。
「あの家がしっかりしていればな」
「問題はない」
「そうなりますな」
「うむ、捨丸殿も気になるが」
さらに言うのだった。
「中納言、いや大納言殿になられるな」
「はい、そうなられますな」
「関白様のご推挙により」
「その大納言殿が確かなら」
「羽柴家も安泰ですな」
「そうなるが」
しかしと言うのだった。
「果たしてどうなるか」
「東国のことといい」
「天下は一つになりましたが」
「それでもですな」
「それがどうなるのか」
「まだはっきりしませぬか」
「どうにも」
信之と幸村も言う、そして。
昌幸は二人にだ、こうも言った。
「徳川殿にはじゃ」
「はい、それがしがですな」
「うむ、御主はあの方と絆を深めよ」
これまで通りというのだ。
「そうせよ、よいな」
「わかりました」
「そして御主はじゃ」
今度は幸村に顔を向けて告げた。
「上洛せよ」
「都にですか」
「そこで関白様の下でな」
「働きですか」
「そちらにつくのじゃ」
「義父上にですな」
「従うのじゃ」
こう告げるのだった。
「わかったな」
「はい」
幸村は一言で答えた。
「それでは」
「その様にな、双方でそれぞれつきじゃ」
そしてというのだ。
「何があろうともな」
「今後ですな」
「どういったことが起ころうとも」
「家は守る」
真田家はというのだ。
「そうする」
「そしてその為には」
「天下の情勢をよく見て」
「どうなってもいいようにしておく」
「今からですな」
「そうじゃ、確かに天下は羽柴家のものになったが」
だがそれでもというのどだ。
「まだわからぬ、だから手は打っておくぞ」
「その一手として、ですか」
幸村が言った。
「それがしは上洛ですか」
「都か大坂に行ってな」
「そのうえで」
「関白様の下で働いてもらうぞ」
「義父上と共に」
「そうせよ、よいな」
「さすれば」
幸村は父の言葉に静かに応えた、そしてその彼にだ。昌幸はさらにこうしたことも言った。
「それで御主に話がある」
「はい」
「関白様から加増の話があってな」
「沼田をですな」
「当家に正式な加増としてじゃ」
そのうえでというのだ。
「組み入れて下さるとのことじゃ」
「左様ですか」
「沼田にはまずは源三郎が入るが」
信之も見つつ言う。
「源三郎は長子、だからな」
「家督を継がれ」
「この上田に入る、だからな」
「それがしはやがては沼田に」
「そうじゃ、入ることになる」
「そうなりますか」
「三万石じゃ」
昌幸は笑って幸村に話した。
「御主はやがてそれだけの身になる」
「三万石ですか」
「そして沼田に入るまでにな」
「それまでに」
「御主には源三郎の分も含めて一万八千石じゃ」
「二千石からですか」
「うむ、それだけになる」
微笑み幸村に話す。
「どうじゃ、受けるか」
「さすれば」
幸村も応えた、こうしてだった。
幸村は大名になることを受けた、しかもこのことは秀吉からの直々の命とのことだった。こうして幸村は晴れてだった。
一万八千石の大名となった、そうなってだった。
十勇士達にだ、こう言ったのだった。
「都か大坂に上洛してな」
「そこにおいてですな」
「務められるのですな」
「大名として」
「上田に帰ることは稀になる」
まさにというのだ。
「奥も一緒じゃが」
「我等もですか」
「連れて行って下さいますか」
「都にも大坂にも」
「そうして頂けますか」
「御主達は拙者の家臣であり義兄弟じゃ」
幸村は今彼が住んでいる屋敷の中で十勇士達に微笑んで話した。
「だからな」
「我等もですか」
「共に上洛し」
「殿と一緒に務めてよいのですな」
「その様に」
「そうじゃ、来てもらいたい」
是非にという言葉だった。
「そうしてくれるか」
「はい、それでは」
「その様にさせて頂きます」
「是非共」
「そうさせて頂きます」
「ではな」
幸村は十勇士達に微笑んだまま応えた、こうして彼は妻に十勇士達も連れて上洛することになった。だが。
上洛を間近に控えた夜にだ、彼は十勇士達と共に夜空を見つつ酒を楽しんでいた。塩に月それに星達が肴だった。
その星を見ているとだ、不意にだった。
一つの星が落ちまた別の星が落ちてだった。もう一つ落ちた。
三つの星が落ちたのを見てだ、幸村は暗い顔で言った。
「将星が落ちた、そして他に二つもな」
「将星が落ちたということは」
「まさか」
「何かありましたか」
「どなたかが倒れましたか」
「うむ」
その通りだとだ、幸村は十勇士達に答えた。
「これはな」
「左様ですか」
「それではですか」
「どなたかが亡くなられる」
「近いうちに」
「そうなると出た」
星の動きでというのだ。
「それも大きな将星であった」
「我等星の動きは殿程詳しくないですが」
「殿にはおわかりになられましたか」
「星の動きが」
「左様ですか」
「さて、天下はどうなる」
幸村は怪訝な顔でこうも言った。
「どなたかが倒れられるか」
「それ次第で、ですな」
「変わりますか」
「うむ、それでじゃが」
幸村は話題を変えた、今度の話題はというと。
「羽柴家と呼んでおるが」
「そうですな、既にです」
「豊臣家に名前が変わっています」
「羽柴家ではなく」
「皇室から授かっていますな」
「そうなっておる」
五年も前からだ、だがまだ多くの者が羽柴家と読んでいるのだ。それは幸村達もどうしてもそうしているのである。
「以前からな、じゃが」
「どうしてもですな」
「羽柴家と言ってしまいますな」
「考えてもしまいます」
「その頃が長かったですし」
「うむ、しかし完全に天下人にもなられたし」
それでというのだ。
「これよりはな」
「豊臣家と、ですな」
「お呼びする」
「羽柴家ではなく」
「そうお呼びすべきですな」
「そう思う、ではその様にいていこうぞ」
こう十勇士達に話した、そしてだった。
幸村は上洛の用意を整えていった、それを進めてだった。
遂に上洛の時になりだ、見送りに来た昌幸と信之に言った。
「ではこれより」
「達者でな」
「文は送る様にな」
二人は微笑み幸村に述べた。
「都でも責務に励むがいい」
「そちらでも確かにな」
「そうしていきます、それでなのですが」
ここでまた言った幸村だった。
「近頃上方で何かあったとか」
「うむ、どうやらじゃ」
昌幸が答えた。
「利休殿がな」
「あの方がですか」
「関白様に疎まれておるそうじゃ」
「あの方がですか」
「何か勘気を被られたとか」
「それはどうしてでしょうか」
「どうも色々あった様じゃな」
神妙な顔での返事だった。
「あちらで」
「そうなのですか」
「大納言殿がとりなしておられるそうであるが」
秀長、彼がというのだ。
「しかしその大納言殿がな」
「あの方にも何か」
「あった様じゃ」
「そうなのですか」
「それで思った様に止めきれぬ様じゃ」
「関白様を止められる方は」
まさにとだ、幸村は述べた。
「天下においてただお一人です」
「大納言殿だけじゃな」
「はい、しかしですか」
「肝心の大納言殿は床に伏されることが多くなったという」
「だからこそ」
「止めきれぬそうじゃ」
こう幸村に話す。
「これがな」
「どうなるでしょうか」
「わからぬ、どうもな」
「不穏ですな」
「そうなったきたやもな」
「しかしです」
ここでこう言った信之だった。
「天下はです」
「うむ、大納言殿と利休殿が必要じゃ」
「関白様をお助けして」
「国を保つことがじゃ」
「必要ですな」
「そうじゃ、しかしな」
「大納言殿が床に伏せられてな」
そしてとだ、昌幸は信之にも話した。
「利休殿がそうなると」
「危ういですな」
「関白様には利休殿も必要でな」
「誰よりもですな」
「大納言殿が欠かせぬ」
「お二人があってこそというのに」
「お二人がおられぬのでは」
まさにというのだ。
「危ういであろうな」
「左様でありますな」
「このこと、気をつけるのじゃ」
幸村にも注意した。
「よいな」
「はい、都に入ることになりましたが」
「既に屋敷はある」
幸村が入るそこがだ。
「ではな」
「はい、都において」
「何かあればすぐに伝えよ」
「わかり申した」82
幸村も確かな声で答えた。
「その様にします」
「ではな」
「はい、天下の動きをですな」
「わかっておるな」
「西国のことを」
「この上田に伝えよ」
「さすれば」
幸村はまた答えた。
「その様に、ただ」
「東国じゃな」
「そちらのことはですな」
「わしがおる」
信之が言った。
「だからな」
「はい、東国のことも」
「都に伝えるからな」
「ではお願いします」
「天下のことは常に見ておくことじゃ」
昌幸の言葉だ。
「二人共よいな」
「それが真田が生きる道」
「だからこそ」
「そうするのじゃ、常に」
休むことなくというのだ。
「わかったな」
「わかっておりまする」
「さすれば」
二人も応えた、そしてだった。
幸村は妻と十勇士達を連れて上洛した、上田を後にして。
都に入った、すると都は。
「いや、来る度にですな」
「都は賑やかになってますな」
「人も店も増えて」
「服もみらびうやかになって」
「派手になっておりますな」
「うむ、栄えておるな」
幸村は赤い馬に乗って先頭にいた、そのうえで彼の後ろに徒歩で従っている十勇士達に応えたのである。
「前に来た時よりも」
「ですな、これは」
「一体何処まで栄えるのか」
「見当もつきませぬ」
「特にあれですな」
ここでだ、十勇士達はあるものを見た。それは。
金や朱塗り、瓦で飾られた天主の様な建物を軸にした城があった、その城を見てさらに言うのだ。
「凄いですな」
「前にはありませんでしたが」
「いや、大坂城の様な」
「見事なものですな」
「あれは聚楽第じゃな」
幸村はその城の名を言った。
「豊臣秀次殿がおられる場じゃ」
「関白様の甥御の」
「あの方のですか」
「あの方も豊臣家に戻られた」
三好家からだ。
「そのうえでな」
「あちらに入られたのですな」
「都に」
「そうなられたのですな」
「うむ、これはじゃ」
まさにとも言う幸村だった。
「あの方がこれより豊臣家で重きを為されるということ」
「天下の政に携われる」
「そうなるのですな」
「あの方も」
「うむ、しかし確かにな」
黄金に輝く聚楽第を見つつだ、幸村はこうも言った。
「素晴らしき城じゃな」
「ですな、絢爛で」
「見ていて眩しい位です」
「あそこまで黄金を使われるとは」
「流石は関白様ですな」
「全くじゃ、ではな」
「はい、それでは」
「これからですな」
「我等の屋敷に入ろうぞ」
真田家の都のそこにというのだ。
「今よりな」
「はい、これより」
「そうしてですな」
「都の方々にも挨拶をして回って」
「そのうえで」
「我等の務めを果たそうぞ」
こう言って都の真田家の屋敷に入った、周りには上杉家等の大きな大名の屋敷も並びそうした家々の屋敷とは比べものにならないまでに小さい屋敷だった。
だがその屋敷に満足した顔で入ってだ、幸村は言った。
「よい屋敷じゃな」
「はい、清潔で整い」
「よい屋敷ですな」
「丁度よい大きさじゃ」
こうも言った幸村だった。
「我等にはな」
「ですな、我等は数もそれ程ではありませぬし」
「これ位の大きさがよいですな」
「程々の大きさです」
「ではここにおいて」
「務めようぞ」
幸村は微笑み都での暮らしをはじめた、だが。
都に入ってすぐに都が騒がしくなりだした、大坂からその話が伝わってだ。
幸村もだ、その話を聞いてすぐに十勇士達に言った。
「まだ落ち着いておらぬが」
「はい、大坂にですな」
「大坂に行かれてですな」
「そのうえで確かめる」
「この話を」
「そうする、ついて参れ」
十勇士全員へ言うのだった。
「大坂まですぐに向かう」
「土産ものも持ち」
「そうして」
「土産ものは既に用意してある」
それはというのだ。
「だからな」
「すぐにですな」
「発ちますか」
「そうするとしよう、船を使えば一日じゃ」
都から大坂までというのだ。
「しかしな」
「忍の足ならば」
「その足も」
「半日で済む」
ここでこうも言ったのだった。
「ではよいな」
「では忍の術を使い」
「真田家の忍道を通ってですな」
「大坂にすぐに向かい」
「ことの真偽を確かめますか」
「義父上ともお話してな」
大谷ともというのだ。
「そして治部殿にもな」
「石田殿にも」
「会われますか」
「その為に土産も持ち」
「行かれるのですな」
「そうじゃ、とはいっても治部殿は質素な方」
石田はこのことでも知られている、権勢は持っているが贅沢は一切せずそして己の懐を肥やすこともしないのだ。
「土産はな」
「受け取られぬ」
「挨拶としても」
「そうした方じゃ、しかし持っては行く」
それでもというのだ。
「それでは行くぞ」
「わかり申した」
「それでは」
「皆発つ用意をせよ」
十勇士達にあらためて告げた。
「よいな」
「わかり申した」
「さすれば」
十勇士達も応えてだった、そのうえで。
一行はすぐに屋敷を発った、幸村はこの時に彼を助け屋敷に詰めている老家老に対してこうしたことを言った。
「少し大坂まで行って来る」
「あのことを調べてこられますか」
「拙者自身の目と耳でな」
「すぐに帰られますか」
「行きに半日、大坂に一日、帰りに半日じゃ」
「合わせて二日ですか」
「それだけで戻る」
「わかり申した、では」
家老も幸村に確かな顔で応えた。
「行かれて下さい」
「留守は任せた」
「さすれば」
家老も応えてだ、そしてだった。
幸村は十勇士と共に真田家の者達だけが知っている忍道を通りそのうえで大坂に向かった。実際に大坂に来たのは。
「いや、半日のつもりでしたが」
「半日もかかりませんでしたな]
「それだけ足が速くなった」
「我等がでしょうか」
「うむ、影走りの術がな」
忍独特のこの術がとだ、幸村も十勇士達に大坂を前にして言った。一行は既に忍装束からそれぞれの普段の身なりになっている。
「よくなっておるな」
「だからですな」
「半日もかかりませんでしたな」
「では早速」
「大坂に入り」
「調べようぞ、話の次第をな」
幸村は十勇士達にあらためて述べた。
「まずは義父上の屋敷に入ろうぞ」
「大谷殿のですか」
「あの方の」
「それから話をお聞きしよう」
大谷からというのだ。
「ことの次第な」
「そして場合によってはですな」
「石田殿ともお会いして」
「大坂城にも入りますか」
「そうされますか」
「ことによっては天下の先に影響する話じゃ」
それ故にとだ、幸村は述べた。そしてだった。
幸村達は大坂の大谷の屋敷に入った、突然の訪問であったが大谷は一行を快く迎えてだった、茶を煎れつつ話した。
「何故来られたかはわかっておる」
「左様ですか」
「噂は風より速く動くのう」
大谷はこの言葉を瞑目する様にして言った。
「まことに」
「はい、都では民達もです」
「もう話しておるか」
「尾鰭も付いている様ですが」
「そうであろう、噂は自然と大きくなるものじゃ」
大谷は達観した様な言葉も出した、
「だからな」
「このこともですか」
「そうなるであろうな、ではな」
「はい、お話して頂けますか」
「源二郎殿はその為に都から来られた」
それならとだ、大谷はこうも述べた。
「それならばな」
「お話して頂けますか」
「真実を話す、これよりな」
大谷は確かに約束した、そしてだった。
一行に茶を出しつつだった、静かにその真実を語りはじめたのだった。都から忍術を使って来た彼等に対して。
巻ノ六十四 完
2016・7・6