巻ノ六十八 義父の病
唐入りがはじまり大軍が続々と九州から海を渡っていっていた、幸村は九州から戻って来た十勇士達の話を聞いて言った。
「そうか、順調にか」
「海を進んでおります」
「城も大きなものを築いていますので」
「そこを拠点としてです」
「次々とです」
「それはよいことじゃ、しかしな」
幸村は腕を組んで言うのだった。
「やはり攻めるのはな」
「早かったですか」
「唐入りには」
「まだ、ですか」
「天下の政が治まりじゃ」
そしてというのだ。
「明がな」
「より腐り、ですか」
「どうにもならなくなってからですか」
「攻めるべきであった」
「そうなのですな」
「腐った家は壊しやすい」
幸村は家に例えて話した。
「しかもこちらが万全なら余計にな」
「家を壊しやすい」
「だからですな」
「唐入りには早かった」
「そう言われますか」
「太閤様は焦っておられる」
秀吉、彼はというのだ。
「ご自身の寿命が短いと思われていてな」
「実際に五十過ぎですし」
「それで、ですな」
「仕方ないと言えば仕方ない」
「そうしたことですな」
「太閤様のお気持ちを考えるとな」
それもというのだ。
「仕方ない、しかし戦の時はじゃ」
「見誤ってはならない」
「特に攻める時がですな」
「こちらが勝てる様になり相手が負ける時に攻める」
「そうしなくてはですな」
「しくじる」
そうなるというのだ。
「だからじゃ」
「この唐入りはまずいですか」
「加藤殿、小西殿が先陣を切られてです」
「それからも大軍が進んでいますが」
「それでもですな」
「徳川殿か前田殿、出来れば太閤様ご自身が出られたなら」
そうすればというのだ。
「違うが」
「今でもですな」
「勝てる」
「そうなのですな」
「あの方ならな、しかしな」
それでもというのだった。
「それは出来ぬ」
「太閤となられ」
「天下人として確かになられたので」
「最早ですな」
「ご自身が出られることは無理ですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからこの戦は危うい」
「しくじる」
「そうなりますか」
「そう思っておくことじゃな」
こう言うのだった、都において。
そしてだ、幸村は十勇士達にあらためて言った。
「海を渡れとは言わぬ」
「はい、九州までですな」
「そこで様子を見て」
「そしてですな」
「殿にお話をと」
「そうしてもらう」
そうしてくれというのだった。
「わかったな」
「はい、それでは」
「その様にします」
「無論他の国々も巡ってきます」
「東国も」
「東国はじゃ」
箱根から東についてはだ、幸村はこう言ったのだった。
「伊達家、そして徳川家じゃ」
「両家ですか」
「この家々をですか」
「そうじゃ、特に見てもらいたい」
十勇士達に述べた。
「わかったな」
「確かに、両家は東国で一二を争う家です」
「徳川家は二百五十万石、伊達家も七十万石はあります」
「どちらも大きいですな」
「それ故に」
「それにじゃ」
幸村はさらに言った。
「伊達殿はな」
「今も、ですな」
「天下を諦めてはおられない」
「俗に言われていますが」
「それ故に」
「うむ、それもじゃ」
政宗の野心もというのだ。
「上田の父上から話があり関白様もじゃ」
「警戒されておられますか」
「伊達殿については」
「それ故に」
「見てもらいたいとのことじゃ」
幸村にというのだ。
「だからな、御主達にもな」
「東国も巡り」
「そしてですか」
「伊達殿を見る」
「そのお動きを」
「頼む、そして徳川殿もじゃが」
家康もというのだ。
「父上からも言われておる」
「あの方もですか」
「徳川殿についても」
「その様に」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「見ておけとな」
「若しや」
霧隠がふとだ、察して幸村に問うた。
「徳川殿が天下を」
「いや、それはないぞ」
清海が霧隠にすぐに言った。
「あの方はもう豊臣家の重臣、天下の執政と言っていい方じゃぞ」
「いや、重臣程下克上があるではないか」
筧はその清海に言った。
「ましてやあの方はかつては太閤様と争われた」
「しかしあの方は律儀な方」
望月は家康のその資質から話した。
「太閤様の天下を盗むなぞ」
「次の天下人がいないならともかく」
こう言ったのは海野だった。
「徳川殿の天下はないであろう」
「あの方は天下を望まれていたか」
これまでの家康はとだ、伊佐は言った。
「それはなかったですが」
「それでまた何故じゃ」
猿飛もいぶかしんでいる。
「大殿はその様なことを言われるか」
「わからぬな」
穴山は腕を組み首を傾げさせている。
「これは」
「全くじゃ」
根津は穴山に続いた。
「あの方を何故見る」
「確かに二百五十万石の大身であられるが」
最後に由利が言った。
「幾ら何でも」
「そもそも関白様がおられますぞ」
「それでどうして徳川家の天下があるのか」
「それはです」
「ないと思いますが」
十勇士達はあらためて幸村に言った。
「あの方が天下を望まれるなぞ」
「むしろ関白様をお助けされるのでは」
「そのうえで天下を目指されるのでは」
家康の野心について言った筧も言っていた、実は彼も言ってみただけで家康が天下を望んでいるとは見ていない。
しかしだ、幸村はその彼等に言うのだった。
「しかしな」
「大殿は、ですか」
「その様に言われていますが」
「徳川家も見よ」
「その様に」
「そうなのじゃ」
まさにというのだ。
「伊達家と共にな」
「まさかと思いますが」
「あの方が天下を望まれるなぞ」
「とても」
「少なくとも今は、とのことじゃ」
今の時点ではというのだ。
「あの方は天下を望まれてはおらぬが」
「しかしですか」
「今後はわからぬ」
「そうだというのです」
「そう言われておる」
昌幸はというのだ、上田の。
「父上も徳川家を見られるそうじゃが」
「大殿ご自身も」
「そうされますか」
「では、ですか」
「我等も東国に入り」
「見よと」
「そうじゃ、しかし」
幸村自身首を傾げさせて言った。
「関白様がおられればな」
「はい、天下はですな」
「次の天下は決まっていますな」
「あの方で」
「それは揺らぎませぬな」
「そう思う、あの方がおられれば」
幸村は秀次については確かな声で言えた。
「天下は決まる、しかし」
「若しもですか」
「あの方に何かあれば」
「その時は」
「次の天下人がいなくなる」
そうなるというのだ。
「一応関白様のご子息がおられるが」
「ご幼少ですし」
「やはり頼りないですな」
「それでは天下人がいないも同じ」
「そういうことですな」
「確かなお歳でしっかりした方ではないと」
それこそというのだ。
「難しい、だからこそな」
「あの方でなければならない」
「豊臣家の天下の為には」
「必ず」
「そう思っておる、関白様に何かあれば」
その時はというのだ。
「徳川殿もな」
「どう動くかわからぬ」
「大殿はそこまで読まれていますか」
「既に」
「そうであろうな」
幸村は少し瞑目してから十勇士達に話した。
「だから拙者にも言ってきたのじゃ」
「流石大殿ですな」
「そこまでお読みとは」
「では、ですな」
「我等も東国に向かい」
「徳川家を観るのですな」
「そしてじゃ」
幸村はさらに言った。
「徳川殿は伏見に屋敷もあるが」
「大抵大坂におられますな」
「それで政を観ておられます」
「太閤様のお傍におられ」
「そのうえで」
「だからあの方は観やすい」
家康自身はというのだ。
「だからな」
「あの方ご自身はですか」
「殿が、ですか」
「大坂に行かれてですか」
「そのうえで」
「見よう」
家康はというのだ。
「あの方はな、しかしな」
「やはり今は、ですな」
「今のところはですな」
「特に、ですな」
「そうしたものは見られない」
「天下を狙うという野心は」
「二百五十万石で満足しておられる」
今の家康はというのだ。
「あの方はな」
「ううむ、では」
「大殿は心配し過ぎでしょうか」
「徳川殿が天下を狙うやも知れぬ」
「そう思われるのは」
「拙者も杞憂ではともな」
実際にと言う幸村だった。
「思うがな」
「しかしですな」
「大殿はそう言われて」
「我等も東国に向かう」
「そうなりましたな」
「その通りじゃ、では頼む」
十勇士達にあらためて言った、こうして彼等は今は江戸を拠点にしている家康も見ることになった。その時家康はというと。
大坂にいて政の後で己の屋敷に帰ってきていた、だが。
その彼にだ、老齢の僧がこう話していた。
「殿、江戸はです」
「よい場というのじゃな」
「そうです、あそこを城に任じられたことはです」
「よいか」
「はい、僥倖です」
こうまで言うのだった。
「これ以上はないまでの」
「しかし天海殿」
四天王も控えている、その筆頭である酒井が言って来た。
「あの城は」
「どうしようもないと言われますな」
「ほぼ廃城ですぞ」
「しかもその周りときたら」
榊原も言う。
「何もない」
「家一つありませんぞ」
本多もこう言う。
「草原ではありませぬか」
「それが本城で何がよいのか」
井伊もいぶかしむばかりだ。
「全くわかりませぬ」
「若し戦になれば」
家康も天海に言う。
「あそこでは守れぬ」
「はい、今は」
「城は小さく腐れる寸前でじゃ」
「しかもですな」
「周りに守るものは何もない」
「だからですな」
「御主がそう言う訳がな」
首を傾げさせつつ天海に話す。
「わからぬが」
「いえ、あそこは大きな城を築けます」
「大きなか」
「江戸城を改築してです」
そしてというのだ。
「途方もなく大きな城を築き」
「そしてか」
「はい、周りの川も使い」
「堀にか」
「周りの町の水運にもです」
それにもというのだ。
「使えますので」
「よいのか」
「江戸は、それに」
さらに話す天海だった。
「都と同じかそれ以上に風水がよいです」
「風水がか」
「あそこまでよい場所はそうはありませぬ」
こうまで言う天海だった。
「ですから」
「あそこからか」
「殿は治められるべきです」
「東国を」
「そう思いまする」
「そうか」
「そして」
天海はここから先はだ、こう言ったのだった。
「時が味方すれば」
「ははは、それはないわ」
笑ってだ、家康は天海がそこから言わんとしていることを察して返した。
「それは御主もわかっていよう」
「ですな、それに殿は」
「わしは欲がないつもりじゃ」
「既にですな」
「今で満足しておる」
「二百五十万石で」
「これ以上望むつもりはない」
こう言うのだった。
「確かに駿府に馴染みがあるがな」
「今のままで、ですな」
「もう充分じゃ、むしろじゃ」
「過ぎていると」
「考えてみよ、わしは三河一国の者じゃった」
かつての家康、彼はというのだ。
「それが遠江、駿河を手に入れてじゃ」
「甲斐、信濃と手に入れられ」
「今は二百五十万石じゃ」
「それだけに」
「太閤様はわしが若しやとも思われた様じゃが」
家康が天下を狙うとだ、秀吉は感じてそのうえで家康を東国に転封とさせたのも一面であることは間違いない。
「しかしな」
「殿は、ですな」
「そんなつもりはない」
「しかし天下第一ですな」
「それ自体もじゃ」
まさにというのだ。
「過ぎたものじゃ」
「そう思われているからこそ」
「欲はかくとじゃ」
それこそというのだ。
「それに惑わされ溺れてじゃ」
「身を滅ぼしますか」
「そうしたものじゃ」
それが欲だというのだ。
「だから人は欲を知りな」
「多くのそれは求めぬ」
「そうあるべきじゃ」
「だからですか」
「天下なぞとんでもない」
それこそというのだ。
「わしはそう思う」
「左様ですか」
「関白様がおられる」
家康もこう言うのだった。
「だからな」
「殿は今でよいですか」
「そう思っておる」
「左様ですか、しかし」
「江戸はか」
「実によい場所なので」
「あの地におってか」
家康もこのことについては応えた。
「そのうえで」
「治められることはいいことです」
「そのことはわかった」
家康もこう返した。
「ではな」
「はい、江戸におられて下さい」
「まさかあの地がそこまでよいとはな」
「思いも寄りませんでしたか」
「実際にそうじゃった」
「そうですか、しかしです」
江戸はというのだ。
「守りでも風水でもです」
「よくてか」
「大きな町も築け」
「田畑もか」
「よいものが周りに出来まする」
「御主の言葉確かに聞いた」
家康は右手に持っていた扇子を動かした、それを空海に向けて言った。
「このこと江戸にいる者達にすぐに知らせる」
「それでは」
「わしは大坂、都から離れられぬ」
家康自身はというのだ。
「政があるからな」
「天下の政が」
「それ故に離れられぬが」
「それでもですな」
「城と町は築いていこう」
「田畑も」
「そうしようぞ」
こう天海に約束するのだった。
そしてだ、天海にこうしたことも言った。
「しかし御主はな」
「何でしょうか」
「崇伝とはまた違うのう」
家康が数年前に召抱えた南禅寺の住職であった彼とはだ。
「崇伝は政では謀を好むが」
「拙僧は、ですか」
「学問を好むのう」
風水やそうしたことをというのだ。
「内の政を」
「内がしかとまとまってこそです」
「政だからか」
「そう考えていますので」
それ故にというのだ。
「拙僧はです」
「まずは内か」
「風水にしろ城にしろです」
「町や田畑もか」
「そうしたものから治めてです」
「国が成るか」
「そして戦もです」
それもというのだ。
「せぬに限ります」
「そういうものか」
「拙僧は戦は好きではありませぬ」
このこともだ、天海は家康に述べた。
「せぬに限ります」
「そこも崇伝とは違うな」
「崇伝殿は戦になろうともですな」
「よしとしておる」
「そして目的を達することが出来れば」
「よいと思うておるが」
それがというのだ。
「御主は違うな」
「はい、どうしても」
「戦は好きになれぬか」
「戦にならず穏やかにことが収まれば」
それでというのだ。
「いいと思いまする」
「そうか、ではな」
「はい、それがしは戦よりもです」
「内の政か」
「それを万全にし」
そのうえでというのだ。
「民達も笑顔になれば」
「おお、それはな」
「よいことですな」
「民達が笑うならな」
それならとだ、家康もその話には笑みで応えた。見れば二人の話を聞いている四天王の面々も顔が綻んでいる。
「それが第一じゃ」
「ですから」
「民達が笑う様にな」
「内の政を進めていきましょう」
「わしの今の領地でもな」
「是非共」
「岡崎でも浜松でもそうしてきた」
そして駿府でもだ、家康は名君でもあり民にも慕われているのだ。
「ならばな」
「江戸でも」
「そうしていこう」
「その様に」
家康は天海と四天王を交えてこうした話をしていた、このことは誰も知らなかったが彼もまた動いていた。そして。
幸村はある日だ、屋敷で大谷家の者からこう言われたのだった。
「これよりか」
「はい、我が殿がです」
「都に来られてか」
「真田殿とお会いしたいとのことですが」
「わかった」
幸村はその者に二つ返事で答えた。
「それではな」
「会って頂けますか」
「義父上が来られるなら」
それならというのだ。
「断る筈がない」
「それでは」
「何なら拙者がな」
幸村自らがというのだ。
「お迎えするが」
「それには及ばぬとのことです」
「そうなのか」
「はい」
「では」
「お待ち下され」
こうしてだった、幸村は己の屋敷で大谷と会うことになった。この時彼は特に何も思うことなくその夜も星を見ず政に専念していた。
そのうえで大谷に会ったが。
この前に会った時と違い顔全体を、頭まで頭巾を被り隠していた。目だけが見える。
幸村は義父のその姿を見てだ、すぐに察して言った。
「病ですか」
「うむ」
「それも」
「業病じゃ」
大谷は自ら言った。
「罹ってしまった」
「左様ですか」
「無念じゃ」
大谷は声だけで幸村に言った。
「これからと思っておったが」
「お気持ち察します」
「しかしじゃ」
「それでもですか」
「太閤様はこのわしに変わりなく接してくれてじゃ」
大谷はさらに言った。
「佐吉もな」
「治部殿もですか」
「変わりなくじゃ」
「接して下さっていますか」
「むしろ励ましてくれておる」
石田、彼はというのだ。
「有り難いことにな」
「治部殿らしいですな」
「あ奴は平壊者で言わずにはおられぬ」
「何でも」
「正しいと思ったことを誰にもな」
これが石田の長所であり短所だ、彼は何時でも誰でも己が正しいと思えば遠慮なく言う男で秀吉に対しても言う。
「言う、しかしな」
「それでもですな」
「分け隔てなくじゃ」
「義父上にも」
「そうじゃ、今もな」
「病に罹られても」
「そうしてくれておる」
こう幸村に話すのだった。
「この前茶会があり」
「その時にですか」
「大名達で回し飲みしたが」
茶をだ、茶の飲み方の一つだ。
「わしの顔から膿が出てな」
「その膿が茶にですか」
「誰も飲まなかった」
彼が顔の膿を落としてしまったその茶をだ。
「しかしあ奴は飲んでくれたのじゃ」
「その茶を」
「そのままな」
「左様ですか」
「あ奴の気遣いじゃ」
石田、彼のというのだ。
「わしにそうしてくれたのじゃ」
「そうでしたか」
「このこと忘れられぬ」
深くだ、大谷は言った。
「あ奴はわしに恥をかかさず心を見せてくれた」
「流石は治部殿ですな」
「遠慮なく誰にでも何時でも言うが」
「そのお心は奇麗ですな」
「その心でわしを救ってくれた」
「それでは」
「わしはあ奴から離れぬ」
この決意をだ、大谷は幸村に話した。
「地獄の果てまで付き合ってやるわ」
「そう決められたのですか」
「うむ、御主にそのことを話したくてな」
「参上しましたか」
「関白様にお会いする為であったが」
それと共にというのだ。
「御主にこのことも話したくてな」
「参られましたか」
「そうじゃ、しかし御主はな」
「義父上にですか」
「ついて来ずともよい」
こうも告げたのだった。
「御主jは真田家の者じゃ」
「だからですな」
「真田家についてじゃ」
そしてと言うのだった。
「真田家の者として生きて死ぬのじゃ」
「ですか」
「わしはわし、御主は御主じゃ」
あくまでとだ、大谷は幸村に強く話した。
「そうせよ、よいな」
「ではそれがしは父上に」
「つくのじゃ」
「父上か義父上となれば」
「真田殿に従うのじゃ」
昌幸、彼にというのだ。
「そして戦の場では後腐れなく戦おうぞ」
「さすれば」
「それを言いに来た、何この病でもじゃ」
頭巾の顔の目を綻ばせてだ、大谷は幸村にあらためて言った。
「暫く生きられる、命ある限りな」
「太閤様にですか」
「忠義を尽くす、佐吉にもじゃ」
石田、彼にもというのだ。
「共におる、そうする」
「そうされますか」
「わしも義に生きたい」
「武士として」
「そうしたい、だからな」
「そうされますか」
「死ぬまでな」
そうすると言うのだった。
「わしは決めた」
「わかり申した、それでは」
「御主もじゃな」
「武士としてです」
畏まってだ、幸村は大谷に応えた。
「生きまする」
「そして死ぬな」
「そうします」
「その様にな」
「それでなのですが」
大谷の病と誓いを聞いてからだった、幸村は大谷にあらためて言った。今度言ったことはどういったものかというと。
「こうして来られたので」
「酒か」
「飲まれますか」
義父にこれを勧めるのだった。
「如何でしょうか」
「相変わらず酒が好きか」
「はい、これはです」
「どうしてもじゃな」
「飲まずにおれませぬ」
こう答えるのだった。
「ですから」
「そうか、ではな」
「はい、焼酎で宜しいでしょうか」
「御主の好きな酒じゃな」
「それをです」
まさにというのだ。
「如何でしょうか」
「ではな」
大谷は幸村に笑顔で応えた、そしてだった。
頭巾を被ったまま口のところだけをめくりつつ酒を飲み幸村と話したのだった、そこで話したことは何かというと。
「娘は任せた」
「では」
「これまで通り頼む」
「わかり申した」
「ではな」
こう言ったのだった。
「任せた」
「それでは」
「今は寝ておるか」
「そうかと」
「そうか、ではな」
「明日会われますか」
「そうするか」
父としてだ、大谷は応えた。
「明日の朝な」
「共に」
「あれに会うのも久し振りじゃ」
娘にというのだ。
「考えてみればな」
「はい、実はです」
「わしが病でなければか」
「そうでなければです」
「会わしてくれていたか」
「申し訳ありませぬ、その機会を見失いました」
病の話に衝撃を受けてだ。
「それで」
「あれは昔から早寝でな」
「そして早起きですな」
「そうであるからな」
「もう今宵はです」
「寝ておるな」
「既に」
こう大谷に答えた幸村だった。
「そうかと」
「わかった、ではな」
「朝にですな」
「会おう」
「そして、ですな」
「明日の朝娘にも会い」
そしてと言うのだった。
「そのうえでじゃ」
「関白様にですな」
「参上する」
秀次の下にというのだ。
「そしてお話をしたい」
「では」
「明日じゃ」
娘、幸村の妻でもある彼女にそうすることはというのだ。
「そうする」
「畏まりました」
「その様にな、しかし御主は」
「今度は一体」
「飲むのう」
幸村の酒量を見ての言葉だ、共に飲みつつ。
「焼酎は強いが」
「はい、酒は強くて」
「それでか」
「これ位はいつもです」
「そうか、しかしな」
「酒は、ですな」
「過ぎぬ様にな」
その飲む量はというのだ。
「それはわかっておると思うが」
「酒は過ぎぬものですな」
「過ぎれば毒になる」
「だからこそ」
「そうじゃ、酒を節制するのもな」
「大事ですか」
「酒の毒で死ぬなぞ虚しいだけじゃ」
そうした死だというのだ。
「だからな」
「酒は程々に」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「酒は程々じゃ」
「ですか」
「しかしじゃな」
「はい、酒については」
苦笑いになりだ、幸村は義父に応えた。
「どうしても」
「そうであろうな」
「美味く好きで」
「止められぬか」
「どうしても」
「そうであろうな、しかしな」
それでも言う大谷だった。
「酒をじゃ」
「節制することはですな」
「心に留めておくことじゃ」
「わかり申した」
「その通りじゃ、酒はな」
「毒にもなるからこそ」
「控えることも」
幸村に言うのだった。
「覚えておくことじゃ」
「では」
「いざという時になれば」
まさにその時はというのだ。
「控えよ、よいな」
「そしてですな」
「存分に戦いな」
「死ねというのですな」
「武士としてな」
「そうします」
「ではな、今宵は飲んでもよい」
この日はいいというのだった。
「共に飲もうぞ」
「それでは」
こうしてだった、義父と義息子は二人でこの夜はかなり飲んだ。そして翌朝大谷は朝飯の後で娘に会いそれから秀次のいる聚楽第に向かった。
その父を見送ってからだ、竹は難しい顔で言った。
「父上は」
「わかったな」
「はい、病になられても」
「それでもじゃ」
「お務めを続けられますか」
「言った通りじゃ」
竹自身にだ。
「倒れるまでな」
「そうですか」
「安心せよ、まだな」
倒れるまでにはというのだ。
「暫く時がある」
「それでは」
「また会おうぞ」
頭巾を被っているが目を綻ばせての言葉だ。
「都にも上がるからな」
「では」
「またな」
「はい、それでは」
竹は父を笑みで送った、そしてだった。
大谷は聚楽第に向かった、竹は幸村と共に父を見送った。だがそれが終わってからだった、竹は夫に複雑な顔で言った。
「やはり」
「どうしてもな」
「はい、お病のことが」
「病が進まれるには暫く時があるが」
「それでもですね」
「あの病はな」
業病、それはというのだ。
「難しい病じゃ」
「左様ですね」
「しかしな」
「父上はああした方です」
「病でもじゃな」
「常に前を向いておられます」
大谷、彼女の父はというのだ。
「そうした方です」
「まことにな」
「私はいつもです」
「拙者のところに来るまではか」
「父上に大層可愛がられて育ちました」
「そうであったか」
「はい、兄上達も」
彼女の兄達もというのだ。
「常にです」
「可愛がられてか」
「そして大事なことはです」
「全てか」
「教えて頂きました」
「そうであったか」
「優しくそれでいてです」
尚且つというのだ。
「人の道は全て教えてくれたのが」
「義父上か」
「そうでした」
まさにというのだ。
「これ以上はない素晴らしい父上です」
「そうであるな」
「父上ならば」
竹は夫にあらためて言った。
「必ずです」
「病であろうとも」
「最後まで武士として務められます」
「そうした方じゃな」
「まことに」
「拙者もそう思う、父上そして義父上はな」
まさにと言うのだった。
「拙者の範じゃ」
「お二方が」
「そしてお館様もな」
「信玄様ですね」
「実は四郎様もじゃ」
武田家の最後の主だった勝頼もというのだ。
「素晴らしき方だった」
「その様ですね」
「色々と教えて頂いた」
幸村は勝頼のことは遠い目で話した。
「武士として人としてな」
「そうでしたか」
「お館様には元服前だったが」
幸村が幼い頃だ、このことは。
「しかしな」
「信玄様にもですか」
「教えて頂いた、そして今はな」
「義父様と」
「うむ、義父上にじゃ」
昌幸と大谷、二人にというのだ。
「何かと教えて頂いておる」
「そうなのですね」
「書からも人からも学べる」
この二つからというのだ。
「多くのものがな」
「だからですか」
「これからも己を鍛えていく」
「そうされますか」
「武士としてな」
「では私もです」
竹は夫に応えて言った。
「これからもです」
「拙者と共にか」
「歩いていきます」
「武士の妻の道をか」
「そうしていきます」
「頼む、人の先はわからぬが」
それでもとだ、幸村は竹に言った。
「拙者はこのままじゃ」
「武士の道をですね」
「歩いていくからな」
「だからこそ」
「そなたもな」
「武士の妻の道をですね」
「歩いてもらいたい」
こう竹に言うのだった。
「是非な」
「それでは」
竹も夫に応えた、そのうえで二人で屋敷の中に戻りそのうえで共にやるべきことに入った。そしてその頃聚楽第では。
秀次は大谷と会い彼の言葉を聞いてだ、唸って言った。
「そうか、御主と佐吉もか」
「はい、あちらにです」
「行くか」
「そして軍監を務めます」
「虎之助達のじゃな」
「そうしてきます」
「大丈夫か」
大谷のその頭巾に覆われた顔を見てだ、秀次は問うた。
「敢えて言うが」
「ご心配なく」
「わしとしてはな」
「それがしにはですか」
「無理はして欲しくないが」
「しかしです」
「二十万の大軍じゃ」
それだけの数の軍勢だからというのだ。
「それだけの者でないとな」
「軍監は、ですか」
「務まらなぬ」
だからこそというのだ。
「御主とじゃ」
「佐吉ですか」
「太閤様が言われた」
秀吉、彼がというもだ。
「直々にな」
「では」
「行ってもらう」
「朝鮮に」
「そして武具や兵糧のことを仕切ってもらい」
「軍の目付もですな」
「頼む」
そちらもというのだ。
「御主達にな」
「畏まりました」
「天下のことはじゃ」
二人がいない間の内の政はとだ、秀次は言った。
「太閤様をお助けしわしとじゃ」
「内府殿ですな」
家康だ、彼は内大臣になったのでこう呼ばれているのだ。
「そして」
「前田殿じゃ」
「お二人が為されますか」
「太閤様をお助けしてな、実はな」
秀次は大谷にさらに話した。
「わしが唐入りの軍勢の采配を執る話もあったが」
「それは、ですか」
「今のところはな」
「実際にはなっていませぬか」
「そうじゃ」
こう話すのだった。
「だからな」
「我等が行き」
「軍勢を頼む」
「それでは」
「佐吉もおる」
大谷にだ、秀次はまた告げた。
「だからな」
「無理はせずにですか」
「やれ、よいな」
「わかり申した」
大谷は秀次に畏まって応えた、そしてだった。
彼は石田と共に朝鮮へと向かった、そのうえで軍監として動くのだった。
巻ノ六十八 完
2016・8・6