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巻ノ七十六

                 巻ノ七十六  治部の動き

 秀吉が死んですぐにだった、大老の一人である毛利輝元は苦い顔で他の元老である上杉景勝と宇喜多秀家に問うた。

「どう思われるか」

「今の状況ですな」

 景勝が厳しい顔で応えた。

「まさに」

「左様でござる」

 まさにとだ、輝元はその四角い顔で景勝に応じた。

「太閤様がお亡くなりになられたとはいえ」

「はい、どうもです」

「内府殿がですな」

 残る元老の一人である整った顔の若い男が応えた、宇喜多秀家である。

「あの御仁が」

「うむ、宇喜多殿も思われるか」

「はい、内府殿が」

「どうもな」

「おかしな動きを見せていますな」

「全く以て」

 こう言うのだった。

「まさかとは思いますが」

「そのまさかでありましょうな」

 景勝は秀家に言った。

「やはり」

「天下を、ですか」

「望まれていますな」

「では」

「うむ、それでは」

 輝元は景勝と秀家の二人に言った。

「我等は」

「左様ですな」

「ここは手を打って」

「そしてそのうえで」

「内府殿の動きを止める」

「そうしていきますか」

 大老三人で話してだ、それからだ。

 三人で今度は前田利家、家康に唯一対抗出来ると言っていい彼のところに行って四人で話をした。すると。

 前田もだ、三人に言った。

「わしもな」

「ですか、又左殿も」

「そう思われていましたか」

「太閤様がお亡くなりになられたとはいえ」

「内府殿の動きが妙じゃ」

 家康のそれがというのだ。

「だからな」

「今のうちにですな」

「手を打っておきますか」

「そして内府殿の動きを止める」

そうしていきますか」

「うむ」

 そうしようというのだ。

「今のうちにな」

「さすれば」

「ただ、一つ問題がある」

 前田はここで三人の大老、自分と同じ立場の者達に言った。

「五奉行の者達にも話すべきだが」

「治部殿ですか」

 石田と親しい秀家が応えた。

「あの御仁ですか」

「うむ、話をするにしてもな」

「治部殿は一本気な方故」

「それが過ぎる」

 このことを言うのだった、前田は。

「だからな」

「それで、ですな」

「うむ、空気を読まずに動いてじゃ」

「それで場を乱すと」

「それが気になる、だからな」

 それでというのだ。

「わしもその時は出る」

「そうされますか」

「是非な、そしてじゃ」

 さらに言う前田だった。

「いざという時はわしも覚悟を決める」

「では」

「その時は、ですか」

「又左殿も」

「さすれば」

「貴殿達も腹を括っていてもらいたい」 

 是非にというのだ。

「そうしてもらいたい」

「畏まりました」 

 最初に景勝が応えた。

「それでは」

「そうして頂けるか」

「天下の為に」

 こう前田に約束した。

「是非共」

「ではな」

「無論それがしもです」

 秀家もだった。

「その時は」

「頼むぞ」

「はい、必ずや」

「それがしも」

 輝元も言う。

「お任せ下さい」

「他の家が立てばな」

「はい、さすればです」

「例え二百五十万石の徳川家でも」

「勝てますな」

「そうじゃ、出来る」

 四人の大老が力を合わせればというのだ。

「だからな」

「さすれば」

 四人の大老はこう話をした、だが。

 前田は日増しに体調を崩していっていった、それで自然と外に出ることも少なくなっていった。それを見てだった。

 石田はその秀家にだ、こう言うのだった。

「前田殿ですが」

「うむ、どうもな」

 こう言うのだった。

「お身体が優れぬ」

「やはりそうですか」

「だからな」

 それでというのだ。

「これからが心配じゃ」

「あの、まさか」

 ここでまた言った石田だった。

「それがしも思っていましたが」

「お会いすればわかる、貴殿も」

「そういうことですか」

「そしてじゃ」

「前田殿に何かあれば」

「内府殿はさらにじゃ」

 唯一自身と一人で対することが出来る彼がいなくなればというのだ。

「出られるぞ」

「そうなりますか」

「殿、ここはです」

 ここでこれまで黙って場にいた島が己の主と秀家に言った。

「刺客を用いてです」

「内府殿をか」

「そうされては」

「それが通じる御仁か」

 このことからだ、石田は島に問うた。

「あの御仁は」

「それは」

「そうじゃな」

「内府殿には優れた家臣の方が多いな」

「はい」

「そしてその中にはな」

「伊賀者、甲賀者とですか」

 島も言う。

「忍の者も多い」

「だからじゃ」

「刺客を放とうとも」

「首尾よくいくとはな」

「思えぬからですか」

「だからじゃ」 

 それ故にというのだ。

「わしはな」

「それは、ですか」

「首を縦に振ることは出来ぬ」

「そうですか」

「他のやり方しかないか」

「今のところ前田殿もご健在じゃ」

 秀家は石田だけでなく島にも言った。

「だから話で封じたい、そしてな」

「その時にですか」

「御主も五奉行の一人じゃ」

 その立場だからだというのだ。

「共に出てな」

「内府殿をですな」

「問い詰めて今度無体はせぬと誓文でも書かせればな」

「よいですか」

「我等がまとまって抑えれば何とかなる」

 例え相手が家康でもというのだ。

「だからよいな」

「話で、ですな」

「内府殿を抑える、そしてそれでも駄目ならな」

「その時は」

「既に前田殿は決めておられる」

 秀家はここでも彼の名を出した、やはり家康に対することが出来るのは彼しかいないからだ。少なくとも一人ではだ。

「だからな」

「ここはまとまって」

「うむ、ことを進めようぞ」

「わかり申した」

 こう話す、そして石田は大谷にもこのことを話したが。

 大谷はここでだ、石田を頭巾の中の目で見つつ忠告した。

「佐吉、よいか」

「どうしたのじゃ」

「御主、抑えていけ」

「抑えよというと何をじゃ」

「御主自身をじゃ」

 他ならぬというのだ。

「抑えておくのじゃ」

「それはどういうことじゃ」

「間違っても空気を読まずずけずけと言うな」

 大谷が言うのはこのことだった。

「いつもの様にな」

「その場でもか」

「御主の悪い癖じゃ」

 昔から石田を知っている、それが為の言葉だ。

「場を弁えず正しいと思ったことを言うのはな」

「それを慎んでか」

「うむ」

「内府殿と対せよと」

「くれぐれもな」

「正しいことを言わずして何の意味があるのじゃ」

「だから聞け、場を読むのじゃ」

 大谷はまた石田に忠告した。

「そうして何時御主が言う時か考えて言うのじゃ」

「わからぬことを言うのう」

「わからずともそうせよ、それでじゃが」

「今度は何じゃ」

「御主、唐入りから帰った者達を迎えたな」 

 この話もするのだった。

「そうじゃな」

「それがどうかしたか」

「その時何を言った」

「何をとは普通にじゃ」

「言ったというのか」

「そうじゃ」 

 こう平然と返すのだった。

「それがどうかしたのか」

「随分恨まれておるぞ」

 このことを話すのだった。

「あの者達にな」

「馬鹿な、わしはじゃ」

「間違ったことはじゃな」

「言っておらぬ」

 それこそ一言もというのだ。

「疚しいことはない」

「その隠さぬところがじゃ」

「いかんというのか」

「そうじゃ、相手のことも考えよ」

「言うべきことを言っただけじゃ」

「何度も言っておるが」

 大谷は呆れつつも言った。

「御主のその気質は墓穴になるぞ」

「正しいことを言うことがか」

「そうじゃ、時と場所を考えて言わぬとな」

「わからぬことじゃ」

 石田にはどうしてもだった、その気質故に。

「何故そうなる」

「全く、しかしくれぐれもな」

「その時はか」

「ある程度以上五大老の方々にお任せせよ」

 家康の詰問の時はというのだ。

「わかったな、肝心どころじゃ」

「御主の言うことがわからぬが」

「わからぬとそうは出来ぬな」

「そうじゃが」

「では病と称して出るでない」

 こうまで言う大谷だった、とかく彼は石田の平壊者ぶりを気にしていた、丁度彼は大坂城で七将達の話を聞いていた。

「治部め、見ておれ」

「全くじゃ、太閤様にあれこれ吹き込んでくれたわ」

 加藤と福島がまず言っていた。

「わしが唐入りに出ておる時にな」

「うむ、言っておったぞ」

「あ奴、太閤様のお傍におるのをいいことに」

「どれだけ言ってくれたか」

 加藤嘉明に蜂須賀も言う。

「讒言はいつもじゃったな」

「告げ口ばかりしてくれたわ」

「唐入りの時どれだけ嫌がらせされたか」

「全くじゃ、忘れぬからな」

「見ておるがいい」

 黒田と細川、池田も同じ考えだった。

「こちらにも考えがあるぞ」

「お拾様にも吹き込むならな」

「命はないと思え」

 こう言っているのを聞いた、それで大谷はその足で長束正家のところに行ってそのうえで彼に七将のことを話した。

 そのうえでだ、彼に言った。

「わしの思った通りだ」

「治部め、いらぬ敵を作っておるな」

「あ奴の短所が出過ぎておる」

「ずけずけとありのままを言い過ぎる」

 それ故にとだ、長束も言うのだった。

「それが為にじゃ」

「こうしたことになっておるな」

「困ったな」

「あの者達は佐吉を嫌っておるだけじゃが」

「それを付け込まれるな」

「内府殿にな」

「ここで内府殿を抑えねば」

 大谷は言った。

「天下は決まるぞ」

「内府殿にか」

「そうなる」

「わしもそれは認められぬ」 

 はっきりだ、長束は大谷に言った。

「御主は違う考えの様じゃが」

「わかるか、そのことが」

「御主は天下泰平ならいいというのであろう」

「もう戦はいらぬ」

 大谷は長束にはっきりと述べた。

「だからな」

「やはりそうか」

「それに内府殿なら天下人に足りるしじゃ」

 大谷は長束にはっきりと言った。

「お拾様も無下には扱わぬ」

「茶々様さえ静かならか」

「茶々様は御主達で抑えられよう」

「その治部もおるしな」

 長束もそこは、と答えた。

「それは何とかなる」

「ではな」

「お拾様もご無事で天下も泰平なままか」

「これならよいであろう」

「わしはあくまで豊臣家の天下を願うが」

「しかし若しもじゃ」

 大谷はこの事実をあえて言った。

「お拾様がおられなくなればどうなる」

「その時はか」

「うむ、どうなる」

 問うのはこのことだった。

「その場合は」

「今豊臣家はあの方だけじゃ」

 元々一族の少ない家であったが最早そうした状況になっている、豊臣家は今ではいるのは秀頼一人なのだ。

「ではな」

「そうであろう、そうした状況だからな」

「お拾様の安泰か」

「それに務めてな」

「天下はか」

「もう家康殿にお譲りすべきではないか」

 大谷は長束にこのことを話した、こうしたことは己を決して曲げぬ石田より話をしやすいと思って話したのだ。

「どうじゃ」

「なら御主はそうせよ」 

 長束は大谷を否定しなかった、肯定もしなかったがこう述べた。

「ならばな」

「そう言うか」

「うむ、御主にも家があるしじゃ」

 ここでだ、長束は大谷の顔を見た。頭巾に覆われたその顔を。

「見えておるか」

「何とかな」

「今はか」

「そうじゃ」

「しかしもう長くはないな」

 長束は達観している顔で大谷に言った。

「なら余生充分に過ごせ」

「そう言ってくれるか」

「その病では最早動くのも辛かろう」

 そこまで病が進んでいるだろうというのだ。

「だからな」

「後は、か」

「領地に帰ってじゃ」

「静かに過ごせというのか」

「そうせよ」

 大谷に穏やかな声で告げた。

「御主はな」

「では後はか」

「わし等がやる」

 あえてだ、長束は大谷に穏やかな声で話した。

「そうせよ」

「しかし」

「出来ぬか」

「おそらくな」

 頭巾の中の目を苦笑いにさせて述べた。

「何かあればな」

「動くか」

「そうする」

 こう長束に話した。

「またな」

「そうか」

「少なくとも佐吉はな」

 石田、彼はというのだ。

「どうしてもな」

「放っておけぬか」

「あ奴には昔からよくしてもらった」

 友としてだ、そうしてもらったというのだ。

「だからな」

「見捨てられぬな」

「そうじゃ」

 それ故にというのだ。

「わしはじゃ」

「そうするか」

「うむ、それではな」

 こう話してだ、そしてだった。

 大谷は病のこともあり暫く己の屋敷から出なくなった、だがそうしているうちに天下の情勢は動いていてだった。

 三人の大老達が家康への詰問を決めた、それを受けてだ。

 秀家は石田にだ、自ら言った。

「前田殿はお身体の調子が悪くな」

「内府殿の詰問には出られぬ」

「うむ、しかしな」

 それでもというのだ。

「何かあればじゃ」

「それでもですか」

「うむ、覚悟を決められておる」

「戦をですか」

「そうじゃ」

 だからというのだ。

「我等は一気にじゃ」

「攻めますか」

「内府殿を囲んでな」

「ですか、そしてですな」

「御主達五奉行にもな」

「場に出て」

「攻めてもらえるか」

「わかり申した」

 石田は秀家に強い声で答えた。

「それでは」

「うむ、しかしな」

 秀家もだ、こう石田に言うのだった。

「迂闊に出るな」

「話にですか」

「そうじゃ」

 釘を差す様な言葉だった。

「時と場を見て言ってもらう」

「正しいことを言えば」

 やはり石田はわかっていない、だが。

 秀家はその石田にだ、あくまで言った。

「言ったぞ」

「ですが」

「わしは言った、よいな」

 石田に多くは言わせずそうしてだった、秀家は彼に多くを言わせずそれで釘を差すのだった。だがそれでもだった。

 秀家は石田に不安を感じていた、それで他の大老である輝元と景勝に言った。

「治部を止められる者がいませぬな」

「うむ、どうしてもな」

「出来るならな」

 輝元と景勝も言う。

「あ奴を止められる者もな」

「参加させたいな」

「是非な」

「誰か」

「刑部ですが」

 石田を止められる者となるとだ、秀家は大谷を挙げたが。

 ここでだ、こう言ったのだった。

「ですがあの者は」

「病だからのう」

 輝元が応えた。

「そのせいで五奉行にもなれなかったしな」

「はい、そして」

「今も屋敷から出られない」

「そうした状況ですから」

「だからな」

「あ奴を止められる者は」

「どうにも」

 石田、彼についてはだ。

「場には連れて行けませぬ」

「それがどうなるか」

「しかしここは攻める時」

 景勝はこのことを二人の同僚に言った。

「何としても」

「上杉殿の言われる通り」

「全くですな」

「そこがどうなるか」

 まさにというのだ。

「難しいですな」

「全く以て」

「されど今が時」 

 秀家の声は強かった。

「内府殿を止める」

「左様、だからこそ」

「ここは攻めるとしよう」

 輝元と景勝はこう言ってだ、石田のことが気になってもだ。それで三人は五奉行達も連れてそうしてだった。

 内府への詰問をはじめた、近頃のことについて。

 しかしだ、それでもだった。

 家康はのらりくらりと詰問をかわす、だがそれでもだった。

 三人の大老達はその家康を追い詰めていっていた、五人の奉行達は今は何も言わず黙っていた。しかしだった。

 月桃の大老達は石田をちらりと見た、そして。

(まだじゃ)

(まだ言うな)

(五奉行は後じゃ)

 こう心の中で言うのだった。

(今は我等が攻める)

(そして然るべき時にじゃ)

(加わってもらうぞ)

 その時に合図をするつもりだった、そうして家康を攻め続け。

 優勢になってきた、ここでさらに言うつもりであったが。

 家康が言うとだ、それに切れたのか大老達が最も懸念していたことが起こった。石田が飛び出てきて家康に言った。

「内府殿、それはどういうことか」

(くっ、治部ここでか)

(出たか)

(よりによって)

 大老達も他の奉行達も歯噛みした、だが。

 石田は家康にだ、強い声で言った。

「そのご本心何か」

「何かとは」

「そうじゃ、貴殿二心があるであろう」

 こう言うのだった。

「豊臣家に対して」

(まずい) 

 他の者達は皆こう思った。

(治部の悪い癖が出た)

(時と場所を弁えぬか)

(まだ言ってはならぬというのに)

(御主の出番はまだ先じゃ)

(ここでは言うべきではなかったのじゃ)」

(それを言うか)

(内府殿の思う壺ぞ)

 三人の大老達も他の奉行達も思った、だが石田は止まずだ。

 家康の前に出て言っていく、十九万石の三十代後半の者が二百五十万石の還暦を越えた者に対してだ。

 家康は石田の言葉をかわしつつ返す、この勝負は。

(いかん)

(治部も攻めておるが)

(格が違う)

(相手は内府殿ぞ)

(百戦錬磨の老獪さがある)

(その老獪さには勝てぬ)

(治部一人では)

 到底というのだ、石田は攻め切ったが。

 その後でだ、家康は彼が言うまでにだった。周りを見回した。そして場が自分ではなく石田に対して閉口しているのを見て言った。

「お歴々、どう思われるか」

「どう思われるかとは」

「それは」

「治部殿でござる」

 その石田のことを問うのだった。

「それがしにこの様なことを言われるが」

「それはその」

「つまりは」

「言葉が過ぎますな、いやそれはいいとしまして」

 話の流れが自分に傾いていることを確認しながら言うのだった。

「それがしに二心があると思われるか」

「思うからこそじゃ」

「待て」

 遂にだ、輝元が石田を止めた。

「内府殿が話されておる」

「しかし」

「聞くのじゃ」

 家康の官位と禄、年齢から言うのだった。

「よいな」

「ですが」

「よい」

 こう言ってだ、他の者達も手遅れ石田が徹底的に言って完全に流れを壊してしまってからようやく言えた。彼が動きを止めてから。

 そしてだ、家康は言うのだった。

「それがし太閤様に言われました」

「お拾様のことを」

「はい、頼むと手を取られて」

 『このこと』については確かに二心がないので家康も疚しいことはなく言えた。何も案ずることもなく穏やかにだ。

「このこと忘れませぬ、ですから」

「お拾様をですな」

「お護り致します」

 このことを約束するのだった。

「このこと誓って言いまする」

「わかり申した」

 輝元が応えた、この場で首座にあると言っていい彼が。

「ではこれからも」

「及ばずながら天下の為に」

 ここでもだ、家康は言わなかった。言葉が約束になり約束を守ることの大事さと破った場合の大きさは律義者であるが故にわかっているからこそ。

「そうさせて頂きますぞ」

「それでは」 

 輝元も他の者達も頷くしかなかった、こうしてだった。

 家康は詰問の場を逃れ流れも確かなものにした、そして己の屋敷に戻りだ。

 主な家臣達にだ、笑みを浮かべて言った。

「流れを掴んだ」

「本日のことで」

「逆にですか」

「激しい詰問だったとのことですが」

「それでも」

「思わぬ助け舟が入った」

 笑みを浮かべたまま言うのだった。

「それでじゃ」

「この度は、ですか」

「難を逃れられ」

「そのうえで、ですか」

「逆に」

「流れを掴めた、後は手を打っていく」

 彼のそれをというのだ。

「徐々にな」

「では、ですな」

 本多正信が家康に言ってきた。

「これより」

「わしは大坂が欲しい」

 この考えをだ、家康は話した。

「ここをな」

「さすればですな」

「天下は磐石となる」

 それ故にというのだ。

「この地が欲しい」

「そういうことですね」

「その為に全ての手を打つが」

「しかしですな」

「大坂を手に入れるだけじゃ」

 あくまでというのだ。

「そしてそのうえでじゃ」

「お拾様は」

「わしは約束は破らぬ」

 断じてというのだ。

「それはせぬ」

「だからこそ」

「そうじゃ、お拾様についてもな」

「既にですな」

「考えておる、ではじゃ」

「これより」

「全ての手を打つぞ」

 こう本多に言ってだ、実際にだった。

 家康は次々と彼の手を打ちだした、有力な大名達に次々と声をかけそのうえで自身の手の者達としていった。

 その中でだ、前田利家は遂にだった。 

 誰が見ても余命幾許もない状況となった、その状況で周りの者達に言った。

「後はまつに任せよ」

「以前お話された通りに」

「その様に」

「家を守るのじゃ」

 こう言うのだった。

「よいな」

「やはりまずはですな」

「家になりますな」

「何といっても」

「そうじゃ、家を守ることじゃ」

 これが前田が第一に考えていることだった。

「それ故にあ奴に任せよ」

「おまつ様なら」

「あの方ならば」

「何とかしてくれる、それにじゃ」

 前田は達観した顔でこうも言った。

「内府殿ならお拾様も無下にはされぬ」

「何があろうとも」

「決してですか」

「豊臣家が相当誤らぬ限りはな」

 安泰だというのだ、豊臣家自身は。

「茶々殿が問題じゃな」

「あの方ですか」

「とかく世間知らずな方ですな」

「しかも思い込みが非常に強く」

「勘気の塊の様な方です」

「あの方を抑えられればな」

 それが出来ればというのだ。

「豊臣家は安泰じゃ」

「では、ですな」

「あの方を抑えられる方が豊臣家には必要ですな」

「それが誰か」

「このことが肝心ですか」

「治部や刑部といったところか」

 その茶々即ち淀殿を抑えられる者はというのだ。秀頼を産んだことにより淀城を与えられたので俗にこう呼ばれることもあるのだ。

「そして五奉行か」

「大野殿は」

 家臣の一人がこの者の名を出した。

「三兄弟の長兄の」

「あの者か」

「はい、茶々殿と共に育ってこられましたし」 

 彼の母が淀殿の乳母だった、このことから大野三兄弟の長兄である大野治長は淀殿と共に育ってきて絆も深いのだ。

「あの方は」

「あの者はいかん」

 前田は大野についてこう言い捨てた。

「豊臣家の切り盛りは出来る、しかしな」

「それだけの御仁ですか」

「それ以上のものはない」

 大野、彼にはというのだ。

「茶々殿を止めることは絶対に出来ぬ」

「そうなのですか」

「むしろ茶々殿の言うことならばな」

「どの様なことでも」

「聞いてしまう」

 それが大野という者だというのだ。

「共に育ってきただけに弱いのじゃ」

「茶々殿に」

「とても無理じゃ」

「では」

「治部か刑部がおればよいが」

 豊臣家にというのだ。

「果たしてどうなるか」

「治部殿ですが」

「聞いておる、やってしまったな」

「はい、内府殿にくってかかられました」

「場の雰囲気も流れも読まずな」

「悪い癖が出られたかと」

「全く、己を慎むことが出来ぬ者じゃ」

 前田は石田について呆れた顔で述べた。

「あれでは茶々殿を止めるどころか」

「治部殿ご自身をですか」

「止めねばならんが。難しいのう」

「どうにもですか」

「とにかく内府殿は豊臣家に害は為さぬ」

 家康にその考えはないというのだ。

「豊臣家は生きられる」

「無事に」

「それを茶々殿にわかってもらう必要があるが」

「あの方については」

「治部に自重せよと告げよ、そして家を守れる者を見付けられよ」

 前田は落ち着いた顔で家臣達に話した。

「豊臣家にはその様にな」

「はい、お伝えします」

「さすれば」

「頼んだ」

 前田はここまで言うと以後話すことはなかった、そしてこの話から数日後彼もまた世を去った。これで家康に一人で対することが出来る者はいなくなった。

 この状況にだ、家康はまずは。

 瞑目してだ、四天王達に言った。酒井忠次はもうこの世を去っており息子が跡を継いでいる。

 その酒井家次にだ、家康はまず言った。

「惜しい方であった」

「前田殿は」

「うむ、お互い若い頃いや」

 ここで家康は言葉をあらためて言った。

「幼き頃からの知己であった」

「尾張の頃の」

「吉法師殿のお傍におられてのう」

 その頃の前田のことを話すのだった。

「背が高く男までな、槍の腕前が見事で」

「槍の又左殿でしたな」

「その名の通りお強かった、まことに長い付き合いであった」

「それだけにですか」

「残念じゃ、お悔やみの言葉を伝え」

 そしてというのだ。

「お見舞いの品を送るぞ」

「畏まりました」

「そしてじゃ」

 ここまで話してだ、家康は今度は四天王の残る三人に顔を向けて言った。

「これからが肝心じゃ」

「はい、何かと」

「用心に用心を重ねてですな」

「ことを進めますな」

「何度も言うがわしは大坂が欲しいのじゃ」

 あくまで、というのだ。

「人の首は欲しておらぬ」

「では、ですな」

「大坂を手に入れられる為に」

「これより」

「色々手を打っていく」

 こう言うのだった。

「幸い既に又左殿とは手打ちになっておったしな」

「それでは」

「安心して動ける」

 家康が最もしたくない約束を破るということがだ、彼個人も好きではないしそうしたら天下の信を失うこともわかっているからだ。 

 だからだ、家康はこれにも反しないからだというのだ。

「ならばな」

「殿、ではです」

 柳生が家康に話した。

「戦にならぬ様にされたいなら」

「多少はか」

「強引でもよいでしょうか」

「戦になれば民を巻き込みかねん」

 だからだというのだ。

「わしもな」

「それは、ですか」

「避けたいしな」

「では大坂城にこのまま」

「住む様なこともか」

「されてはどうでしょうか」

 家康が大坂を所望ならというのだ。

「そうされては」

「そうじゃな、ではな」

「はい、徐々にでも」

「ことを進めるか」

「これは上手くいくとは思えませぬが」

 天海も家康に言ってきた。

「茶々様とです」

「わしがか」

「ご婚礼を」

「申し出てはか」

「如何でしょうか」

「それはよいな」

 家康も実はそれが上手くいくとは思わなかった、だがこれが上手くいけばとだ。天海の話に乗った。

「ではな」

「はい、さすれば」

「時が来ればな」

「茶々様に」

「わし自ら申し出よう」

「それでは」

「それはよい、しかし茶々殿は非常に強情な方じゃ」

 家康も茶々のその気質はよくわかっていた、彼女を見ていてその気質を見抜いているのだ。

「勘気も強く気位もな」

「非常に高いですな」

「浅井家の姫君であられた」

 そして信長の姪でもあった、その血筋には複雑なものがある。

「しかもお拾様の母君」

「それが為にです」

「非常に気位の高い方じゃがな」

「しかしです」

「うむ、茶々殿とわしが夫婦になればじゃ」

 幸い家康には正室がいない、側室は多いがだ。

「天下も大坂もな」

「非常に容易に」

「戦もなく手に入られる」

「それでは拙僧のお考えを」

「入れようぞ」

 こう言うのだった、そして。

 本多正信と正純、崇伝にはだ。こう命じた。

「御主達は御主達の仕事を頼む」

「はい、では」

「そうさせて頂きます」

「その様にな、ではことを進めていこう」

 家康はこう言ってだ、そのうえでだった。

 一つ一つ手を進めていくことにした、まずは諸大名達との婚姻を結んでいくのをさらに強めていってだった。

 前田家についてだ、本田正純が言った。

「この様にです」

「わしを暗殺しようとしたとか」

「言えばです」

「そこからじゃな」

「はい、前田家をもです」

 天下第二の力を持つと言っていいこの家をというのだ。

「こちらに引き込めます」

「それが出来るか」

「そうなればです」

「力強いな」

「殿と江戸の竹千代様にです」

「前田家ともなればな」

 家康にとってはだった。

「有り難い」

「それでは」

「うむ、前田家は今は家の存続を第一に置いておる」

 家康は既にこのことを見抜いていた、前田利家の頃から実はそうした考えであることも彼はわかっていたのだ。

「ではな」

「少し脅しをかけますが」

「それでな」

 ここでこうも言った家康だった。

「前田家は確かに残しな」

「ことが済んだ後でも」

「このことを約したうえでじゃ」

「働いてもらいますか」

「そうしよう、ではな」

「はい、前田家に対して」

「仕掛けるとしよう」

 こうしてだった、家康は前田家を継いだ前田利長に詰問を迫った。自身への暗殺の話があるがそれに関わっているのではとだ。

 その話を受けてだ、前田利長は難しい顔で家臣達に話をした。

「内府殿がそう言われてるが」

「いえ、それは」

「当家には全く心当たりのないこと」

「そうですが」

「そうじゃ、その様なことはじゃ」

 利長は父によく似た顔で言った。

「わしも考えておらなかったしな」

「とてもです」

「大殿のご葬儀のことあり多忙でしたし」

「その様なことを企む暇なぞ」

「我等には到底」

「そうじゃ、内府殿もわからぬことを言われる」

 困った顔で言う利長だった。

「これはな」

「これはわかっていることです」

 ここでだ、幾分歳は取っているが髪も顔立ちも整っている気の強そうな女が言ってきた。利長の母であり前田利家の正室だったまつだ。

「既に」

「母上、といいますと」

「内府殿は当家を従えたいのです」

「この前田家をですか」

「そうです、ご自身の天下の為に」

 だからこそ、というのだ。

「それが為にです」

「この様なことを言われているのですか」

「そうです」

 まさにというのだ。

「当家を滅ぼすつもりはです」

「強くはないですか」

「左様です」

「ではここは」

「天下の流れはわかりますね」

「はい、このままですと」

 利長も愚かではない、そして家を第一に考えている。何しろ多くの家臣も抱えている身だから彼等のこともあるからだ。

「内府殿に」

「そうですね」

「豊臣家は」

「はい、もうです」

「天下人ではいられぬ」

「お拾様お一人です」

 今の豊臣家はというのだ、実際にもう誰もいない状況だ。秀頼以外には。

「しかもお拾様はご幼少」

「何時どうなるか」

「わかりません」

 まさにというのだ。

「そうした状況では」

「最早」

「天下を保つことは出来ません」

 だからだというのだ。

「幼子は急にいなくなるものでもありますし」

「若しお拾様に何かあれば」

「終わりです」

 秀頼しかいない今の豊臣家ではというのだ。

「ですから最早です」

「豊臣家は」

「天下人ではいらません」

「だからですね」

「はい、ですから」

 それ故にというのだ。

「ここはです」

「内府殿に従うべきですか」

「その様にすることです」

「わかりました」

 利長は母のその言葉に頷いた。

「ではその様に」

「それでは」

「潔白の証を立ててきます」

「それは私が」

 おまつは微笑んでだ、我が子に告げた。

「行きましょう」

「母上が」

「はい、私が内府殿の下に赴きます」

「人質としてですか」

「前田家の潔白の証です」

 それが為にというのだ。

「内府殿の前に参ります」

「母上ご自身が」

「内府殿なら私が参ればです」

 それだけでというのだ。

「前田家を認めて下さいます」

「そこまですれば」

「そうです、ですから」

「母上ご自身がですか」

「内府殿のところに行きます」

 微笑みさえ浮かべて利長に言うのだった。

「そうしてきますので」

「それでは」

「その用意を」

 こうしてだった、おまつは自ら家康のところに人質として赴きそのうえで家康に前田家の潔白とした。家康もそれでよしとした。こうして五大老のうちの一つが家康に完全についた。

 幸村はその流れを見てだ、家臣達に言った。

「大きく傾いたな」

「内府殿に」

「そうなりましたか」

「このことすぐに父上にお伝えしよう」

 こう言ってだ、上田の昌幸と信之の下に文を書いた。彼もまた動いていた。



巻ノ七十六   完



                         2016・10・7

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