巻ノ七十八 打たれる手
石田、そして彼に常に付き従う島が伏見城の中にある石田家の屋敷に入ったことは伏見城にいた家康の耳にも入った。
鳥居からその報を聞いてだ、家康はまずはこう言った。
「わかった」
「それでは」
「うむ、ここは匿う」
迷うことなくこう言った。
「治部はな」
「そうされますか」
「あ奴はわかっておるのじゃ」
「殿が今はご自身を護られるということに」
「今は表立ってそこまでなっておらぬ」
水面下ではともかく、というのだ。
「それならばな」
「殿もですな」
「守るしかない」
石田、彼をというのだ。
「絶対にな」
「だからこそですな」
「あ奴も入って来たのじゃ」
「この伏見城に」
「ここでわしがあ奴を七将に渡す」
「そうすれば治部殿は殺されますな」
「わしも厄介者を消せる」
石田、まさにその彼をというのだ。
「表では何もないとはいえ悶着があるのは事実」
「それを理由にされれば」
「それも出来る、しかしな」
「ここは、ですな」
「天下の政には仁も必要じゃ」
「仁と法があってこそ」
「国は動く、ここは仁を出す時でもある」
家康はそこも見ていた。
「治部は匿ってな」
「七将の方々は」
「退いてもらう」
「殿が仲裁に入られて」
「そのうえでな」
まさにというのだ。
「そうする」
「それでは」
「そしてじゃ」
家康はさらに言った。
「治部は領地で大人しくしてもらおう」
「そうですか、しかし」
「大人しくなる奴でもないのう」
「だから今に至りますし」
「あ奴は動いておらぬと気が済まぬ奴じゃ」
それこそ常にだ、家康は石田のそうした性格を知り抜いていた。彼の目をもってすればそれも容易なことなのだ。
「だからな」
「ここは、ですな」
「そうじゃ、匿うとしよう」
「わかり申した」
鳥居も頭を下げて応えた。
「では治部殿にはご安心されよと」
「伝えよ、それであ奴はどうしておる」
「堂々と胸を張って城に入られて」
島と共にというのだ。
「そしてご自身の屋敷に入られました」
「左様か、あ奴らしいのう」
「屋敷に入られて腹が減ったと言われ湯漬けを食されたとか」
「増々あ奴らしい」
ここまで聞いてだ、家康は笑って言った。
「ではな」
「お守りし」
「すぐに七将も来る」
石田を追ってというのだ。
「あの者達に話もしようぞ」
「さすれば」
こうしてだった、家康は断を下した。そしてだった。
伏見城に七将とその軍勢が来た、だがその彼等のところに使者が来て家康の考えを伝えた。
「殿は、です」
「何と、治部をか」
「助けられるのか」
「内府殿のお命も狙っているというのに」
「それでも」
「それは確かではありませぬ」
石田が家康の命を狙っていることはというのだ。
「ですから」
「よいと」
「そう言われるか」
「はい、そして各々方ですが」
七将にも言うのだった。
「ここはです」
「下がれと」
「その様に言われるか」
「左様です」
まさにというのだ。
「ですからここはどうか」
「どうされるか」
使者の言葉を聞いてだった、加藤は他の七将達に問うた。
「ここは」
「内府殿が言われるなら」
「それでは」
「我等も下がるしかないでござろう」
「こうなっては致し方ありませぬ」
「ですから」
「ここは」
「下がりましょうぞ」
七将も状況はわかっていた、石田が伏見城家康のいる場所に入ってはこちらも迂闊に手を出せないことに。
それでだ、彼等も無念に思いつつも言ったのだ。
そしてだ、加藤は七将を代表して使者に述べた。
「ではここは」
「そうして下さいますか」
「内府殿にはわかり申したとお伝え下され」
「さすれば」
使者は加藤に笑顔で応えた、そしてだった。
七将は実際に引き揚げていった、だが彼等はこの時にもお互いで話した。
「いや、治部は小癪なれば」
「その治部めを匿う内府殿ときたら」
「敵というのに仁を忘れぬ」
「やはり違うな」
「器があまりにも大きい」
「やはり並の方ではないわ」
「全くな」
七人共家康の器に感服していた、その人間性に惚れ込んでさえいた。前以上にである。そして石田はというと。
己の屋敷でだ、島に言っていた。
「さて、これでな」
「はい、難を逃れましたな」
「内府には恩を売った」
「左様ですな」
「このこともよしとしてじゃ」
「今は」
「内府の言葉に従うとしよう」
ここまで読んでの言葉だった。
「そうしようぞ」
「ですな、ただ」
「うむ、奉行職は一時でも退いてな」
「領地に引っ込みましょうぞ」
佐和山にというのだ。
「そうしましょうぞ」
「そうじゃな、しかしな」
「それでもですな」
「これで終わらぬ」
「では佐和山でも」
「内府が次に仕掛ける相手はわかるな」
「上杉家ですな」
五大老の最後の一家だ、この前米沢に移ったばかりだ。
「あの家に何かを仕掛け」
「言うことを聞かせようとする」
「しかしです」
ここでだ、島はその目を鋭くさせて石田に言った。
「上杉家はそうは従いませぬ」
「そうであろうな」
「上杉殿も直江殿も」
「他の家とは違いな」
「内府殿が相手でも向かわれます」
「必ずな」
「ですから」
島は石田にさらに言った。
「ことと次第によっては」
「戦になるな」
「そうなるかと」
「よし、では佐和山に戻ればな」
「すぐにですな」
「直江殿に文を書く」
石田は兼続と親交がある、親友同士と言ってもいい程だ。少なくとも彼は兼続程の者が友に選ぶ程の者なのだ。
「そうしてな」
「互いに連絡を取り合い」
「内府に当たるか」
「そうしますか」
「うむ、ではな」
「これで終わらず」
「さらに動こうぞ」
こう話してだ、彼はこれからのことを考えていた。そしてだった。
家康にも面会を求めた、すると家康の家臣達はいささか顔を顰めさせて口々に言った。
「ううむ、城に逃げ込んだだけでなく」
「殿と面会を求められるとは」
「いや、治部殿は図太い」
「肝が座っているべきと言うべきか」
「そうそう出来ぬ」
「それをされるか」
「ははは、そう来ると思っておったわ」
当の家康は笑って言った。
「では会おうぞ」
「そうされますか」
「殿としましては」
「治部殿に会われますか」
「治部殿に応えて」
「そうする、その肝っ玉に感じ入ったわ」
やはり笑って言うのだった。
「ここは会おうぞ」
「ではこちらにです」
「治部殿を案内致します」
「それではな」
こうしてだ、家康は石田と会った。石田はここでも胸を張っている。そのうえで家康に対して言うのだった。
「この度のことまことにかたじけのうございます」
「ははは、それはよい」
家康は石田にも鷹揚に笑って返した。
「こうした時はお互い様じゃ」
「そう言って頂けますか」
「うむ、しかしじゃ」
ここで家康は少し真顔を作って石田に言った。
「御主も近頃周りが危ない、だからな」
「暫くはですな」
「領地で身を慎んではどうじゃ」
「はい、ではその様に」
「その様にせよ、当分大人しくしておれ」
家康はこう言った、だが。石田は笑みを浮かべたがその目は笑っていなかった。そのうえで家康に言ったのだった。
「ではまた」
「また、か」
「お会いしましょうぞ」
「わかった」
家康は内心を隠して石田に応えた。
「ではな」
「その時までご達者で」
「御主もな」
家康は内心を隠したまま石田の言葉に頷いた、そしてそのうえでだった。彼は石田と島に警護をつけさせたうえで佐和山まで送らせた。
だが石田が城を去ってからだ、家臣達に言った。
「あ奴はやはり静かに出来ぬ」
「では、ですな」
「佐和山に引っ込みましたが」
「それでもですな」
「あの方は動かれますな」
「佐和山に入られても」
「おそらくじゃが」
家康は長年の経験から培った読みから述べた。
「上杉家と悶着があればな」
「その時は、ですな」
「動かれますな」
「その用意もされる」
「そうされますか」
「わしは戦にならずことが済めばよい」
それでというのだ。
「そして治部を討つとしてもな」
「本意ではない」
「左様ですな」
「豊臣家で茶々様を抑えられるからこそ」
「そうした方だから」
「そう思うからじゃが」
それでもというのだ。
「あ奴はわかっておらぬな」
「どうにも」
「それで、ですな」
「あの御仁は動かれて」
「そしてそのうえで」
「やれやれじゃ、しかしことは進める」
石田のことを残念に思いつつというのだ。
「次は上杉家じゃ」
「ご領地に入られてから上洛されませぬが」
「大坂にも都にも来られませぬ」
「それは何故かとですな」
「武具を集めているという話も来ておる」
これは越後の堀家や上杉家の中の兼続に反発する者からだ、家康のところに報が届いているのである。
「だからな」
「そのことを詰問し」
「上杉家を押さえる」
「そしてですな」
「上杉家も押さえた後は」
「さらに進める、では上杉家に詰問しようぞ」
石田のことは置いてそしてだった。
家康は上杉家にその行いがおかしいと言いそして上洛し釈明せよと文を送った。だがその文を見てだった。
景勝は兼続にだ、こう言った。
「遂に来たな」
「はい」
景勝は真剣な顔で応えた。
「当家にも」
「どうするか」
「それは既にです」
「決めた通りにするか」
「ここで上洛しますと」
「以後徳川家に頭を抑えられるな」
「そしてそのうえで」
まさにというのだ。
「我等の領地も何もかもがです」
「徳川家の思い通りになる」
「そうならぬ為にもです」
「ここはじゃな」
「上洛はせぬ」
「そうするか、そして」
「当然このことに内府殿は兵を送られるでしょう」
兼続はこのことも読んでいた。
「それもかなりの軍勢を」
「そうじゃな」
「それではです」
「戦じゃな」
「はい」
兼続は景勝に答えた。
「その時が来ました」
「では今からか」
「戦の用意をしましょう、そして」
「治部殿じゃな」
「今は佐和山におられますが」
しかしというのだ。
「文のやり取りは常に行っていまして」
「当家が挙兵すればか」
「治部殿も動かれます」
「そして東西から内府を挟み撃ちにしてか」
「倒しましょう」
「その時が来たな」
「左様です、では」
これよりというのだ。
「戦の用意を」
「はじめるとするか」
「治部殿はかなりの兵を集めてくれましょう」
兼続はそう見ていた。
「毛利殿を担がれて」
「それに宇喜多殿もじゃな」
「五大老のこの両家を担ぎ」
そしてというのだ。
「動かれましょう」
「そういえば治部はな」
景勝も彼のことを知っていて言う。
「毛利家の重臣安国寺恵瓊殿と懇意じゃな」
「その恵瓊殿からです」
「毛利家が動くか」
「はい」
そうなるというのだ。
「あの家も」
「そしてそれと共にじゃな」
「この両家が動きますと」
五大老の二つの家がだ。
「他の家もです」
「動くな」
「内府殿に対抗出来るだけに、それに」
「それに、か」
「今は静かですが刑部殿も」
大谷、彼もというのだ。
「あの御仁も」
「治部につくか」
「そうかと」
「そうか」
「刑部殿はわかっておられます」
ここでだ、兼続は少し残念そうに言った。
「天下がこのまま進むとどうなるか」
「内府の天下じゃな」
「そうなると見ておられ」
「そして治部はじゃな」
「あの御仁は生きにくい方です」
そうした者だというのだ。
「自分から勝手に窮地を作っていく」
「平壊者故にな」
「心根はまっすぐで淀みはないですが」
その心根を知っているからこそだ、兼続も彼と親しく付き合っているのだ。裏表のない男だとわかっているからこそ。
「しかしそれがかえってです」
「よくないな」
「はい、ですからこのままでは」
「治部は死ぬ恐れがあるな」
「無闇に」
「そのこともわかっておられ」
そしてというのだ。
「刑部殿もまた治部殿にはです」
「強い絆を感じておるな」
「恥をかくところを助けられていますし」
茶室の時にだ、まさに。
「ですから」
「余計にじゃな」
「治部殿を見捨てておけませぬ」
「だからか」
「はい、あの方もです」
「治部についてか」
「立ち上がられます」
確実にというのだ。
「そして豊臣家の天下もです」
「このままである可能性も高いな」
「まだまだ」
「そうか、刑部も加わるとなると」
「それは余計にです」
「勝てる戦なら行う」
景勝は言った。
「是非な、しかしな」
「しかし?」
「これが叔父上ならば」
彼の母の弟であり上杉家を今の様な武門の家にした謙信のことを思った、彼が目指し越えられぬ壁と感じている彼のことを。
「内府なぞもな」
「殿、そのことは」
「言わぬことか」
「はい」
こう主に言うのだった。
「その方がよいです」
「そうか」
「はい、殿は殿であります」
「比べても仕方ないか」
「ですから」
それ故にというのだ。
「ここは我等で」
「出来る限りのことをしてか」
「戦いましょう」
「それではな」
景勝も主のその言葉に頷いた、そしてだった。
彼等は戦の用意を進めた、上杉家は結局上洛しなかった。そして家康もこのことは既に読んでいてだ。この時彼は大坂城の西ノ丸の四層の天主にいたがその話を聞いて言った。
「よし、ではじゃ」
「これよりですな」
「出陣ですな」
「その用意に入りますな」
「うむ」
こう己の家臣達に答えた。
「すぐに諸大名に伝えよ」
「そして、ですな」
「すぐに上杉家征伐に向かう」
「そうされますか」
「江戸にも知らせよ」
家康の領地にもというのだ。
「そしてじゃ」
「はい、江戸においてもですな」
「出陣の用意ですな」
「それを整え」
「そのうえで」
「上杉家征伐じゃ」
それを行うというのだ。
「会津の北の伊達家にも知らせよ、よいな」
「殿、伊達殿ですが」
天海は家康の話を聞いて彼に言った。
「覇気は今も衰えていませぬ」
「だからじゃな」
「これは黒田如水殿もですか」
「二人は、じゃな」
「お気をつけ下され」
「わかっておる、だから最上家も取り込んだ」
伊達家の長年の宿敵であるこの家もというのだ。
「伊達家が妙な動きを見せればな」
「その時は、ですな」
「最上家がおる」
この家が牽制するというのだ。
「だからな」
「伊達家については安心出来ますか」
「それに上杉家もおる」
敵であるがこの家もというのだ。
「毒を以て毒を制すじゃ」
「危ういお味方にこそ敵をぶつける」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だから安心せよ」
「そして黒田家は」
「九州は立花家があるな」
「あの御仁が」
立花宗茂、島津家相手にも唐入りの時にも縦横に戦った者だ。西国無双と言われその武名は天下に知られている。
「どうも治部殿につく様ですが」
「あの者と戦うことになるだろうからな」
「あの御仁もですか」
「止められる」
「ではそちらも」
「毒には毒じゃ」
そうなるというのだ。
「そういうことじゃ」
「では、ですな」
「黒田殿もな」
彼にしてもというのだ。
「抑えがある」
「危うい味方にも」
「それがある、それでじゃが」
家康はここでこうも言った。
「島津家じゃが」
「はい、取り込めましたが」
「何分薩摩は遠く」
「それで、です」
「果たしてこちらまで来られるかどうか」
「わかりませぬ」
島津家についてはだ、家臣達も微妙な顔で答えた。
「島津家はやはり強いです」
「何とかあちらにつかせずに済みました」
「長宗我部家はしくじりましたが」
「あの家は」
「うむ、しかし長宗我部家もな」
家康は新たにこの家の主となった盛親、元親の四男であった彼については首を傾げさせつつこう言った。
「どうもな」
「あの方は、ですな」
「政のことについては」
「全く、ですな」
「あれでは家を潰す」
家康は言い切った。
「武将としてはともかくな」
「大名としては、ですな」
「器量がおありでない」
「そうした方ですな」
「そう思った」
こちらにつかなかったことからではなくだ、盛親の大名になってからの振る舞いを見てこのことを察したのだ。
「あの御仁はな」
「ですな、いくさ人ではありますが」
「大名としては」
「適わぬものがある」
「ご資質が」
「そう思った、さてでは出陣じゃ」
これよりとだ、家康はあらためて言った。
「幸いこの城に兵を集めておった」
「ですな、先にしていまして」
「それが効きますな」
「これより」
「うむ」
実際にという返事だった、家康は大坂城に自身の命を狙っているという話を聞いたとして江戸から己が率いる兵を多く入れていたのだ。
これは大坂を手に入れる為のものだった、だが今はその兵をというのだ。
「東に動かすぞ」
「そして道中で、ですな」
「諸大名の方々と合流し」
「そうして」
「取り込めるだけ取り込めた」
大名達をというのだ。
「ではな」
「いざ東に」
「出陣ですな」
家臣達も応えてだった、家康は大坂城を空にしたうえでまずは伏見に向かった。そして伏見城に入るとだった。
長年共に戦ってきた股肱の臣である鳥居にだ、こう言った。
「御主に頼みたいことがあるが」
「この城をですな」
「済まぬ」
言ってすぐに頭を下げた。
「しかしな」
「わかっておりまする」
鳥居はその家康に笑みで返した。
「有り難き幸せです」
「そう言ってくれるか」
「それがしの武名天下に轟かせてみせまする」
「思う存分か」
「まさに」
「そうか、ではな」
家康は鳥居の言葉を受け取り夜に二人だけの宴の場を持った、そのうえで幼い日々からのことを語り合った。
そしてだ、その中で鳥居に言ったのだった。
「その御主だからと思ってじゃ」
「ですな、では」
「宜しく頼むぞ」
「兵はどれだけでしょうか」
「千八百程置く」
これだけの兵をというのだ。
「それで頼む」
「それではその分だけ」
「そういうことでな」
ここでだ、二人は水盃を交えさせた。そうして家康は翌朝城を出てだった。
鳥居の見送りを受けてからだ、周りの者達に言った。
「あ奴の心、無駄にはせぬぞ」
「はい、何としても」
「そのことは」
周りの者達も確かな顔で応えた。
「鳥居殿のお心確かに」
「受け取りました」
「ではな」
こうしてだった、家康は伏見からさらに東に向かった。だが。
彼と彼が率いる軍勢が近江の彦根を通り過ぎるとだ、不意にだった。
大谷は石田の居城である佐和山の城に呼ばれた、彼は丁度家康の上杉征伐の軍勢に合流する為に兵を率いていたが。
佐和山からの話を聞いてだ、すぐに言った。
「やはり来たか」
「はい、治部殿からです」92
話を知らせた家臣が答えた。
「是非にとです」
「言ってきておるか」
「してどうされますか」
「行こう」
大谷は家臣に即座に答えた。
「わしが行かねばな」
「このことはですか」
「収まらぬ」
こう思ってのことだった。
「だからな」
「それでは」
「御主達は休んでおれ」
家臣達にこうも言った。
「わしがあ奴と話をする間はな」
「さすれば」
「その様にな」
家臣達に言ってだ、大谷は僅かな供だけを連れて佐和山の城に入った、そのうえで城で待っていた石田に言った。
「言いたいことはわかっておる」
「そうか」
「長い付き合いだ」
このことからだ、大谷はわかると答えた。
「御主のことは大体わかるつもりだ」
「わしもじゃ、止めるな」
「うむ」
大谷は石田に答えた。
「止めておけ」
「挙兵しても駄目というか」
「御主が前に出てはいかん」
「所詮わしは十九万石だしのう」
「内府殿は二百五十万石、相手にならぬ」
「それはわしもわかっておる」
石田の返事は即座でかつ明快なものだった。
「それで宇喜多殿に声をかけてな」
「弥九郎にもじゃな」
切支丹であり石田達とは幼い頃からの付き合いがある秀吉子飼いの者の一人だ。
「あ奴は虎之助と領地が隣同士でいがみ合っておる」
「そのこともあってわしについてくれた」
「そこから立花家もか」
「長宗我部家もな」
「しかも毛利家もか」
「安国寺殿にお話をしてじゃ」
そしてとだ、石田は大谷に話した。
「毛利家自体がついてくれることになり金吾殿もな」
「あの御仁もか」
「何とか味方についてもらった」
「太閤様の縁戚の方だしのう」
「西国の多くの大名がついたか」
「鍋島家も上手くいった」
九州で龍造寺家の家老であるが実質的に動かしているのはこの家なのだ、鍋島直茂のことである。
「どうじゃ」
「西国の多くを味方につけたうえでか」
「後は挙兵か、しかも」
大谷は鋭い目になりさらに言った。
「上杉家もか」
「直江殿と手筈は整えた」
「左様か」
「だからじゃ、挙兵すれば内府を東西から挟み撃ちに出来る」
上杉家討伐に向かったその家康をというのだ。
「勝てる、絶対にな」
「そう言うか、しかしわしはそうは思わぬ」
大谷の目は鋭いままであった、そのうえでの言葉だ。
「この戦敗れる可能性が高いぞ」
「だから御主も誘いたいのじゃ」
「力が欲しいか」
「御主はわしよりも遥かに軍略の才がある」
石田はわかっていた、大谷のこの資質を。幼い頃より彼と共にいたからこそ。このことは石田もまた同じであるのだ。
「だからな、軍師としてな」
「ついて欲しいか」
「是非共、頼む」
「ならばその軍略から言おう」
大谷は石田に応えあらたまって述べた。
「止めよ」
「やはりそう言うか」
「何度も言う、この戦敗れる可能性が高い」
「内府の軍略の前にか」
「前田家に他にも多くの大名がついた」
その中には当然七将も入っている、石田達と同じく秀吉子飼いの彼等がだ。
「それではじゃ」
「わし等が敗れることもか」
「多い、御主は豊臣家に必要じゃ」
だからこそだ、大谷は石田を止めるのだ。
「軽挙はよせ」
「今からでもか」
「挙兵を諦め大人しくしておれ」
「そしてか」
「豊臣家の執権として生きるのじゃ」
「それでか」
「御主なら茶々様にも言えるし止められる」
非常に勘気が強くしかも世間知らずな彼女をというのだ。秀頼の母ということで今や大坂城の一の人になっている。
「太閤様にも言えたからな」
「無論わしは茶々様でも言わせてもらう」
「そして止めるな」
「間違っておればな」
その茶々がというのだ。
「そうする」
「御主なら出来る、だからな」
「挙兵せずにか」
「豊臣家に尽くせ」
「内府が天下を取ってもか」
「それで天下が泰平になるならよいであろう」
「確かに泰平は大事じゃ、しかしじゃ」
石田は大谷にも言った、これが石田が石田たる所以だった。
「わしはじゃ」
「あくまでか」
「天下は豊臣家のものじゃ」
こう言うのだった。
「絶対にな」
「それでか」
「そうじゃ、わしは内府を倒してじゃ」
「豊臣家の天下を守るか」
「そうする」
「だからもう豊臣家の天下は難しくなっておる」
大谷にはそう見えていた、それも明らかに。
「最早お拾様しかおられぬのだぞ」
「だからこそお拾様を盛り立てようとは思わぬか」
「思うが天下はじゃ」
「内府のものか」
「そうなる、ここは内府殿にお任せせよ。既に内府殿の孫娘であられる千姫様とお拾様の婚姻が決まっておる」
秀吉と家康の間で決まっていたのだ。
「血縁にもなる、だから余計にな」
「内府はお拾様を無下にせぬというのか」
「それだけはわしもさせぬ」
大谷もその場合は、と言い切った。
「だが国持大名位で官位も大臣位ならな」
「よいというのか」
「それで充分ではないのか」
「天下人でなくとも」
「その力がなくなれば仕方ない、これまで二つの幕府が消えた」
鎌倉、室町のそれがだ。
「しかし家として、大名として残るならな」
「よいか」
「それがわしの考えじゃ、だからな」
「ここはか」
「抑えよ」
己自身をというのだ。
「よいな」
「聞かぬ」
石田も聞かない、それも全く。
「わしは豊臣家の天下の為に動くぞ」
「最早それが危うくともか」
「天の時は内府にあるというのか」
「そうじゃ、地の利も人の和もな」
「そんなものがどうした、これは道理じゃ」
「お拾様が太閤様のお子であられるからか」
「これは義になる、だからじゃ」
そう思うからこそというのだ。
「義なくして何が天下じゃ」
「内府殿が簒奪者というのか」
「それ以外の何じゃ」
あくまで引かない石田だった、大谷はその彼を必死に説得しようとするが退かない。そして遂にだ、大谷は席を立って言った。
「もうよい」
「行くのか」
「御主のこと、内府殿にお話する」
「挙兵のことをか」
「違う、改易をお願いする」
こう言うのだった。
「そうすれば御主も力をなくしてじゃ」
「何も出来なくなるからか」
「そうじゃ、それもすぐにな」
家康に会うと、というのだ。
「待っておれ、数日中に御主の改易の話が来るわ」
「そしてわしを助けるというのか」
「御主を死なせるつもりはない」
「わしは改易されても動くぞ」
「動けるものなら動いてみよ」
「おう、そうするわ」
「ではな」
大谷は踵を返してだ、石田の前から去った。そして彼の軍勢のところに戻ってこう告げたのだった。
「待たせたな、行くぞ」
「はい、それでは」
「これより」
「うむ」
大谷は兵を進めた、そのうえで佐和山の城を見た。石田のいるその城を。
するとだ、自然にだった。
石田との幼い頃からの付き合い、茶会の時といい常に立ててもらってきた時をだ。石田は常に彼を立て庇ってきた。
だが己はどうか、石田が七将に命を狙われている時は領地にいて今も振り切った。それはどうなのかとだ。
その彼にだ、家臣も兵達も言って来た。
「殿のお好きな様に」
「そうして下され」
「我等殿と火の中水の中です」
「何処までもお供します」
大谷に微笑んで言ってきた。
「殿と共にいられるなら」
「地獄もまた極楽です」
「どの様な相手とも戦いましょう」
「それが我等の義です」
「ですから殿もです」
「義に従われて下さい」
「そう言ってくれるか」
大谷は彼等の言葉を受けた、そしてだった。
一旦目を閉じてだ、そのうえでだった。
馬首を返した、そうして家臣達にも兵達にも言った。
「また少し待っておれ」
「はい、では」
「その様に」
彼等は笑顔でだ、大谷を送った。そして。
大谷は城に戻ってだ、即座に石田のところに入りそして言った。
「この命に御主に預けるぞ」
「・・・・・・済まぬな」
石田は大谷に涙を流して応えた。
「その力使わせてもらう」
「うむ、ではじゃ」
「これよりじゃな」
「お拾様の為不眠不休で働くぞ」
「ではな」
石田は早速だった、島を呼びそのうえで動きだした。この時家康はまだそのことを知らず兵を東に進めていた。
そしてだ、四天王達に言った。
「治部じゃな、問題は」
「はい、あの御仁はやはり」
「動かれるでしょう」
「そうせずにはいられませぬ」
「そうした方ですな」
「間違いなくな」
動くとだ、家康も言った。
「そうしてくるわ」
「では、ですな」
「上杉家に対しては」
「伊達家と最上家に」
「それに」
「義伊松じゃ」
家康の次男である結城秀康だ、武勇の持ち主として知られている。
「あ奴も向けてじゃ」
「そして、ですか」
「いざという時はですか」
「上杉家への備えを置き」
「そのうえで」
「うむ、西に戻るか」
こう四天王に応える、そして今度は伊賀者と甲賀者を呼んでまず甲賀者達に対して命じたのだった。
「御主達は西国じゃ」
「治部殿達をですか」
「見よと」
「大坂城もな」
この城もというのだ。
「頼んだぞ」
「わかり申した」
「ではすぐに西国に向かいます」
「その様に」
甲賀者達は家康に応えすぐにその場から消えた、そして家康は次に伊賀者達に言った。
「今は半蔵はおらぬな」
「はい、十二神将の方々をお呼びです」
「今集められておられます」
「そしてそのうえで」
「殿の御前に参上します」
「では半蔵が戻って来たならばじゃ」
その時はというのだ。
「あの者に伝えよ」
「何とでしょうか」
「一体」
「暫くはわしの傍におってじゃ」
そしてというのだ。
「若し厄介な相手が出ればな」
「その時はですか」
「動いてもらう」
服部、彼にというのだ。
「その様にな」
「では半蔵様にお伝えします」
「その様にな」
こう言ったのだった、そしてだった。その話を聞いてだった。服部も家康の前に来た時に彼にこう言ったのだった。
「わかり申した、それでは」
「頼むぞ」
「はい、必要とあれば」
「十二神将を全て連れてな」
「そしてですな」
「ことにあたるのじゃ」
「十二神将全てとなりますと」
服部は主の話を聞いて言った。
「流石に相手が限られます」
「それこそ風魔か今も生きておるかどうかわからぬが果心居士か」
「若しくは」
「あの者達か」
「それがしとしましては」
「わしもじゃ、あの者達はな」
どうにもとだ、家康も言う。
「出来れば味方について欲しい」
「左様ですな」
「家の全てが」
「そう思う、しかしな」
「それでもですな」
「それはわからぬ、人はやったが」
既にというのだ。
「返事はまだない」
「では」
「それ次第じゃ、ではな」
「はい、然るべき時に」
「また動く」
こう言ってだ、家康はまずは兵を東に動かしていった。しかしそのうえでこれからの手を打つことを考えていた。
巻ノ七十八 完
2016・10・22