巻ノ七十九 昌幸の策
家康が率いる上杉家討伐の軍勢は東に進み関東に入ろうとしていた、この報は上田の昌幸のところにも届いていた。
それでだ、昌幸は前以て都にいる幸村をはじめとした真田家の者達を全て上田に呼び寄せていた。都の真田家の屋敷もう空になっていた。
そしてだ、幸村が上田に着いたのを聞いて言った。
「ではじゃ」
「では、ですか」
「これより」
「うむ、源三郎と源次郎を呼べ」
二人共というのだ。
「よいな」
「ご子息をですか」
「お二方共ですか」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「二人共じゃ、よいな」
「そして、ですか」
「そのうえで、ですか」
「お二方と共にですか」
「お話をされますか」
「それで真田のやり方を言う」
息子達に二人にというのだ。
「御主達にもな」
「そうですか、では」
「すぐにお二方をお呼びします」
「こちらに」
「頼むぞ」
昌幸はまず息子達を集めた、彼もまた動こうとしていた。
石田が遂に兵を動かし西国の多くの大名達が彼と共に家康に対して兵を挙げたことは伝わった。それは家康についている者達にもだった。
七将のうちだ、ここには福島、加藤嘉明、池田、細川、黒田、蜂須賀がいた。そこに浅野や藤堂、山内一豊といった面々もいた。
福島はその話を聞いてだ、他の者達に言った。
「治部め、やりおったな」
「うむ、わしも聞いておる」
「わしもじゃ」
まずは細川と蜂須賀が応えた。
「予想通りじゃな」
「動くとは思っておったわ」
「ある程度にしろ」
「早いとは思うがな」
「さて、それでじゃが」
今度は加藤嘉明が言った。
「毛利殿に宇喜多殿も加わっておる」
「長宗我部殿もな」
蜂須賀は己の領地阿波と同じ九州にあるこの家の名前を出した。
「それと小西家か」
「あ奴は前から治部と親しいからのう」
加藤はこのことを言った。黒田もここで言った。
「わし等は治部を討つ」
「それじゃ」
池田は黒田の言葉に応えた。
「お拾様に色々吹き込むからのう」
「あ奴だけは何とかせねばな」
「それで内府殿と行動を共にしておるが」
「しかし上杉家と戦い後ろから狙われる」
藤堂はどちらかというと血気にはやる者達、実は福島だけであるがそう見られている七将達にこう言った。
「どうするかじゃな」
「それじゃ、我等も家がある」
山内はこれを第一に考えていた、見れば何処か馬を思わせる顔だ。細川の気品のある顔とも池田の小兵然とした顔とも黒田の眉の太い顔とも違う。蜂須賀の様な逞しい顔でも加藤の武張った顔でもない。無論福島の猛々しい顔ともだ。藤堂の抜け目なさもない。
だが、だった。彼はその彼等にも臆さずに言った。
「家をどう守るかじゃが」
「結局はそうなるか」
浅野は奉行の立場から微妙な顔で言った。
「家臣や領地、それに民のこともあるからのう」
「我等も一国一城の主じゃしな」
「やはりそうしたものは守りたい」
「その為にもな」
「この度の治部の挙兵」
「果たしてどうすべきか」
「治部は除く」
このことはだ、彼等の考えは同じだった。一同の中で最も彼と確執がない山内もこう言うのだった。
「わしもあ奴は好かぬ」
「御主もか」
「やはりそうか」
「あ奴は好かぬか」
「そうなのか」
「どうもな」
気分として、というのだ。
「それでじゃ」
「御主もじゃな」
「我等と共におるか」
「内府殿ならというのはな」
この考えもというのだ。
「あるからのう」
「さて、内府殿がどうされるか」
「我等にな」
「それ次第じゃが」
「内府殿ならと思うが」
「一体」
彼等元は豊臣にいて今は石田との確執から家康の下にいる所謂尾張派の者達は家康の同行を気にしていた。
そのことを察してだ、家康に彼の第四子であり共に軍にいる松平忠吉が問うた。見れば父に似て丸い目であるが細面の美男だ。
その彼がだ、父に問うたのだ。
「父上、どうやら福島殿や藤堂殿が」
「わかっておる」
家康は我が子に既にという顔で返した。
「それはな」
「そうですか」
「うむ、ではな」
「時が来れば」
「一旦全ての軍勢が集まってからじゃ」
次男の秀康、そして三男の秀忠の軍勢も来てからというのだ。
「皆に言う」
「そうされます」
「そのうえで軍も分ける」
家康はあくまで冷静であった。
「わかったな」
「わかり申した」
「御主にも働いてもらう」
家康は我が子に微笑んで告げた。
「よいな」
「では」
「うむ、戦の場でな」
「それではその時は」
「頼むぞ」
こう忠吉にも告げてだ、そしてだった、
家康は上杉家の領地である会津に向かっていた、その会津では上杉景勝が自軍を率いて家康の軍勢を待ち受けていたが。
その彼にだ、兼続が言ってきた。
「殿、伊達及び最上の軍勢もです」
「我が領地にじゃな」
「迫ってきております」
「そうか、やはりな」
「しかしです」
兼続は景勝にさらに言った。
「どちらも互いに牽制し合っています」
「伊達と最上でじゃな」
「その為動きはです」
敵のそれはというと。
「遅くばらばらです」
「両家は共に犬猿の仲だからこそ」
「今はどちらも内府殿に味方していますが」
「実はな」
「敵同士です」
伊達と最上はまさに仇敵同士であり血で血を洗ってきた、そうした争いを何代にも渡って繰り広げてきたのだ。
だかららだ、共に家康についていてもだ。
「息を合わせられる筈がありませぬ」
「ではな」
「はい、我等はまずはです」
「内府殿の軍勢をな」
「相手にしましょう」
こう景勝に言った。
「まずは」
「わかった、ではな」
「それでなのですが」
兼続は景勝にさらに言った、今度言うことはというと。
「先程大坂から文が届きました」
「何とあった」
「治部殿が挙兵されました」
景勝にこのことを告げた。
「刑部殿もご一緒です」
「そうか、あの御仁もか」
「はい、そして八万を超える軍勢が動きました」
「多いな」
「徳川殿の軍勢にも対抗出来ます」
今自軍に迫っている彼等にもというのだ。
「充分に」
「戦の流れがわからなくなってきたな」
「ここまで来ました」
「ならばな」
「はい、我等は我等の戦をしましょう」
「旧領を取り戻してな」
越後に他ならない、実は景勝にしても会津への転封は不本意だったのだ。口に出してはいないがそれでもだ。
「そのうえでな」
「関東においてです」
「第一の座にあろうぞ」
「徳川家の代わりに」
「天下は望まぬが」
しかしだった。
「東国はじゃ」
「上杉家が管領となる」
「そうさせてもらう」
「かつての様に」
「だからじゃ、我等の戦をしよう」
「そして勝ち」
「望みを適えようぞ」
こう兼続と話してだ、景勝も備えていた。東国でも戦の空気が日増しに強くなっていた。その頃都において。
石田と大谷は伏見城を囲んでいた、その軍勢は毛利や長宗我部、宇喜多に小早川も入れてかなりのものだった。
だがその中でだ、島津もいたが。
軍を率いる義弘にだ、島津の者達はこう言っていた。
「殿、これではです」
「徳川殿の軍勢に入ることが出来ませぬ」
「まさかこうなるとは」
「石田殿の軍勢に入ってしまうとは」
「うむ、わしもな」
義弘も難しい顔で述べる。
「思わなかったわ」
「これでは石田殿の軍勢です」
「その中の一つです」
「最早完全にです」
「そうなっていますな」
「何とか抜けたいが」
しかしというのだった。
「難しいな」
「ことここに至っては」
「ではそれではですか」
「腹を括りますか」
「そしてな」
そのうえでというのだった。
「戦うか」
「治部殿と共にな、しかし」
ここでだ、義弘はこうも言った。
「わしの見立てではな」
「治部殿はですか」
「あの方はですか」
「勝てぬ」
こう言うのだった。
「今でようやく互角に戦える程度じゃな」
「はい、何とかです」
「そこまでもっていきました」
「刑部殿の尽力もあり」
「何とか」
「そうじゃ、何とかじゃ」
死力を尽くしてというのだ。
「そこまでやった、しかしな」
「これ以上はですな」
「出来ぬ」
「だからですな」
「まだ余裕のある内府殿と違って」
「互角以上のものが出せる方ではなく」
「それでは敗れる、しかも肝心の刑部殿は最早満足に動けぬ」
業病故にだ、軍を進めるその中でも日に日に病は重くなっていて遂に馬に乗れなくなって輿に乗っている程だ。
「それではな」
「勝てぬ」
「そうなりますな」
「そうじゃ、しかしな」
ここでこうも言った義弘だった。
「戦うことはするぞ」
「はい、わかりました」
「薩摩隼人として」
「そうしますな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「ここで下がっては薩摩隼人ではないわ」
「その名にかけてですな」
「思う存分戦い」
「そしてそれからもですか」
「ありますな」
「ここで下がってはただの意気地なしとなり武名は落ちる」
島津がこれまで築き上げたものがというのだ。
「完全にな、しかしな」
「それでもですな」
「死力を尽くして戦えば」
「例えそれが負け戦でも」
「島津家の武名は轟き」
「その後にもですな」
「残る、我等は家を第一に考えておる」
島津家の存続、それをだ。
「それならばじゃ」
「この戦はそれが考えなら」
「絶対にですな」
「退かぬ」
「戦の場で思う存分戦うことですな」
「そうするとしよう」
こう言ってだ、義弘は石田の方に残ることを選んだ。だが伏見城攻めは石田達が中心となっていた。
石田は城を守る鳥居に降る様に勧めた、だが。
鳥居はその使者にだ、笑って言った。
「いや、武士ならばここは戦うもの」
「だからでありますか」
「退いては武門の名折れ」
それ故にというのだ。
「我等は一兵もです」
「退かず」
「戦いまする」
こう言うのだった。
「この場で」
「そうですか」
「はい、そしてそれがしの白髪首を取られては如何か」
明らかに死を前提としていた、そしてだった。
戦に入った、伏見城は忽ちのうちに大軍に攻め立てられた。石田はその采配を執りつつ言ったのだった。
「敵であっても無礼は働くでない」
「相手を立て」
「そのうえで」
「そうじゃ、戦うのじゃ」
こう言うのだった。
「よいな」
「はい、では」
「武士として戦いですな」
「功を挙げよ」
「そう言われますか」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「武士として恥ずべきことはするな」
「わかり申した」
「それではその様に攻めます」
「それではこのまま攻めて」
「そして攻め落とします」
「そうせよ、鉄砲を撃つのじゃ」
まずはというのだ。
「城に向けてな」
「まだ大砲は使うでない」
島も言う。
「今は鉄砲を使え」
「大砲は置いておく」
「そうしますか」
「そうじゃ、鉄砲の弾を撃ち込むのじゃ」
こう言ってだ、島はまずは鉄砲を使わせた。そしてだった。
城を攻める、鳥居達も奮戦したがやはり数が違っていた。
一人また一人と倒れていき遂にだった。
燃え盛る火の中でだ、鳥居は残った者達に言った。
「よく戦ってくれた」
「いや、確かに」
「思う存分戦いました」
「三河武士の戦い見せてやりました」
「ここまで」
「そうじゃな、ここまでな」
まさにとだ、鳥居も言った。
「戦ったわ、悔いはないな」
「はい、これで」
「全ての矢も刀も使いましたし」
「これでもうです」
「何の未練もありませぬ」
「ではこれより腹を切る」
こうも言った。
「よいな」
「わかり申した」
「では共に」
「三河武士として潔く」
「殿、役目は果たしました」
鳥居は腹を切る用意をしつつ微笑んで言った。
「後はご武運を」
「ではこれより」
介錯役の男が来て言ってきた。
「御免蒙ります」
「先に行くぞ」
「後でそれがしも」
介錯役の男も微笑んで応えた、そしてだった。
生き残った者達も皆腹を切った、伏見城は紅蓮の炎に包まれてその中に消えていった。大谷はその焼ける城を見て石田に言った。
「見事であるな」
「うむ」
「武士はかくあるべきものだ」
「全くだ、ではわしもな」
「最後の最後までだな」
「武士として生きる」
こう言うのだった。
「ただ、死ぬべき時まではな」
「生きるか」
「そのつもりだ」
「それならばと思ったが」
挙兵のことをだ、大谷は言おうと思った。だがそれを言っても最早何にもならぬと思いなおしそのうえでこう言ったのだった。
「よい、ではな」
「武士としてな」
「最後の最後まで生きよ」
「そうさせてもらう」
「わしもそうする」
大谷もと言うのだった。
「そして御主とはあの世でも共におるぞ」
「そうしてくれるか」
「決めたからな」
だからこそというのだ。
「御主とは地獄に行こうがな」
「二人か」
「そうしていく」
「そうか、わしは一人ではないか」
石田は焼ける伏見城を観ながら思った、焼ける音もかなり凄まじい。
「御主がおるか」
「そうじゃ、何処までも共に戦うぞ」
「ではな」
「伏見城は陥とした」
それならばというのだ。
「次はな」
「内府の軍勢じゃな」
「東に向かうぞ」
そしてこちらに来る家康の軍勢と雌雄を決するというのだ、こう話してだった。
石田達が率いる軍勢は東に向かって行った、そしてその頃。
昌幸は信之と幸村を自身の前に集めていた、そのうえで二人に対して石田の挙兵のことを話した。
「これで天下は二つに分かれた」
「内府殿と治部殿」
「その二つに」
「徳川家か豊臣家じゃ」
この二つの家にというのだ。
「天下は分かれた、これからどうなるかじゃが」
「父上はどう思われますか」
「おそらく徳川家が勝つ」
昌幸は幸村に確かな声で答えた。
「天下の流れを見ればな」
「左様ですか」
「しかしじゃ」
それでもとだ、昌幸はこうも言った。
「それは確実ではない」
「豊臣家の天下が続くこともですか」
「有り得る」
こちらもというのだ。
「だからな」
「それで、ですか」
「そうじゃ、確かなことはわからぬ」
「そうした状況ですか」
「しかしそれでもじゃ」
天下の流れがどうなるかはっきりしない状況でもというのだ。
「当家は生き残らねばならぬ」
「はい、その通りです」
信之も言ってきた。
「そのことは」
「そうじゃ、しかしじゃ」
「それでもですな」
「それがどうなるかわからぬのではじゃ」
「どうしたものかですな」
「策は一つしかない」
昌幸は信之に応え幸村にも言った。
「ここはな」
「策がおありですか」
「そうなのですか」
「天下がどうなるかわからぬ状況でも」
「それでも」
「そうじゃ、ある」
こう息子達に話した。
「今言ったが一つだけな」
「ではその策は」
「一体」
「分けるのじゃ」
昌幸は強い声で言い切った。
「この家をな」
「分ける」
「分けるといいますと」
「それを今から話そう」
昌幸は息子達に彼の策を話した、真田家が生き残る為のその策を。
巻ノ七十九 完
2016・10・25