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巻ノ八十

                  巻ノ八十  親子の別れ

 昌幸は信之と幸村に強い声で告げた。

「この真田の家を分けるのじゃ」

「分けるといいますと」

「どういうことでしょうか」

 二人共だ、父の言葉の意味がわからずに問い返した。

「申し訳ありませぬが言われる意味がわかりませぬ」

「それがしもです」

「ですから一体」

「どういうことなのか」

「今から話そう、まず源三郎よ」

 信之に顔を向け彼に言った。

「御主は本多殿の娘婿じゃな」

「はい」 

 その通りだとだ、信之も答えた。

「左様です」

「何かあればこの縁を使おうと思っておったが」

「それが今ですか」

「そうじゃ、御主は内府殿につけ」

 こう言うのだった。

「すぐに内府殿の前に馳せ参じてな」

「そうしてですか」

「あちらにつけ」

「それが家を残す策ですな」

「そのうちの一つじゃ」

「左様ですか」

「では御主はそうせよ」

 昌幸は嫡子である彼に告げた。

「わかったな」

「わかり申した」

 信之も応えた、そして。

 そのうえでだ、彼は今度は幸村に言った。

「御主はわかるな」

「はい、義父上とのこともあり」

「御主は治部殿じゃ」

「あの方の方にですな」

「はっきり言えば豊臣方にじゃ」

「つくのですな」

「そうせよ、わしもそうする」

 昌幸もというのだ。

「そちらにつく」

「そうしますか」

「これでどちらが勝っても家は残る」

 昌幸はここまで話して笑みを浮かべた。

「真田の家はな」

「父上、これはです」

 その笑みを浮かべた昌幸にだ、信之は問うた。

「かつての源氏の」

「うむ、保元の乱の時のな」

「あえて上皇方と帝方に家を分けた」

「それと同じじゃ」

「左様ですな」

「しかしあの時は」

 今度は幸村が言った。

「源氏は殺し合いその結果」

「家は滅んだな」

「そうなりましたが」

「わしは家を分けたが殺し合うつもりはない」

 それは一切、というのだ。

「真田の家はそうであろう」

「はい、内輪揉めはするな」

「何があろうとも」 

 信之も幸村も父の言葉に応えた。

「そうありますな」

「確かに」

「そうじゃ、源氏の様になってはならぬ」

 それは絶対にというのだ、昌幸もまた。

「そこは絶対にな」

「では一体」

「どうされるのでしょうか」

「分かれても争わぬとは」

「それは一体」

「どちらか一方は必ず勝つ」

 昌幸はまたこのことを言った。

「何があろうともな、そしてじゃ」

「はい、そして」

「それからですな」

「勝った方はその盟主に負けた方の助命を乞え」

 そのもう一方のというのだ。

「そうするのじゃ」

「我等がですか」

「勝った方が敗れた方のですか」

「助命を乞えと」

「内府殿か治部殿に」

「どちらも無駄な殺生は好まぬ」

 家康も石田もだ、昌幸はこのこともわかっていて言うのだ。

「だから必死に助命を乞えばな」

「それで、ですか」

「敗れた方は助かる」

「例え敗れようとも」

「そうなりますか」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「だからな」

「家の者は死なず」

「家が衰えることもない」

「そうなのですな」

「そうじゃ、これがわしの策じゃ」

 こう息子達に言った。

「わかったな」

「はい、まさかです」

「そこまでお考えとは」

「ではその様にして」

「この中でも家を残しますか」

「おそらく敗れた方は流されるか幽閉じゃ」

 そうなるというのだ。

「しかし生きていればまた世に出られる」

「その時を待つ」

「そうすべきですか」

「学問と鍛錬に励みつつな」

 そうせよというのだ。

「よいな」

「わかり申した」

 そのことについてもとだ、二人は応えた。そしてだった。

 信之はすぐに家康の方に彼の軍勢を率いて向かった。昌幸と幸村は上田城に残ってすぐに守りを固めにかかった。

 その時にだ、幸村の前に十勇士達が来て言った。

「殿、お話は聞きました」

「それではです」

「この上田城で戦いましょうぞ」

「どれだけの大軍が来てもです」

「退けてみせましょう」

「勝ちましょうぞ」

「うむ、何としてもじゃ」

 幸村も十勇士達に対して言う。

「守りきるぞ」

「はい、そうしましょうぞ」

「今から腕が鳴ります」

「久し振りに暴れられますな」

「それが楽しみです」

「忍として、そして武士としてな」

 まさにというのだ。

「恥じぬ戦をしよう」

「ですな、我等は武士です」

「忍でありかつ武士です」

「なら武士としてです」

「それに恥じぬ戦をして」

「我等の武を見せましょう」

「縦横に戦いかつ武士の道からは外れぬ」

 幸村はその二つを言った。

「それが真田の戦じゃ」

「はい、では」

「その様にしてです」

「戦いましょう」

「必ずや」

「して殿」

 十勇士の筆頭格である海野が幸村に問うた。

「我等は忍としてですな」

「主に城の外で戦いますか」

 望月も彼に問うた。

「そうなりますか」

「ではそれがしの鉄砲もですな」

 穴山は実に楽しげである。

「外から思う存分火を噴きますか」

「わしの鎖鎌もまた」

 由利も言う。

「外でそうなりますか」

「ははは、中でも外でもですな」

 根津も腰の刀を見ている。

「暴れてみせます」

「忍は何処でも縦横に戦うもの」

 伊佐はこの時も冷静である。

「殿の命じられるままに」

「敵と戦いまする」 

 筧の口調は実に穏やかだった。

「その時は」

「腕が鳴りまする」

 猿飛は戦を前に実に楽しそうだ。

「今から」

「術もふんだんに使い」

 霧隠もそのつもりだ。

「幾万の敵も寄せ付けませぬ」

「一騎当千の我等だけで」

 最後に三好が言った。

「一万は相手にしてみせましょう」

「うむ、御主達は拙者と共に暴れてもらう」

 まさにとだ、幸村も彼等に言う。

「そして拙者は他にもな」

「武芸だけでなくですな」

「軍略でもですな」

「戦われまするな」

「そうする、しかも父上もおられれる」

 その智謀たるや神の如しと言われた昌幸もというのだ。

「例え十万の兵が来てもな」

「それでもですな」

「城は陥ちぬ」

「そうなのですな」

「そうじゃ、決してな」

 こう言うのだった。

「だから敵が幾ら来てもじゃ」

「はい、臆することなくです」

「敵に向かいまする」

「そうします」

「必ずや」

「頼むぞ、ではな」

 こう言ってだった。幸村は彼等にも戦の用意をさせた。上田城はその全ての守りを固め敵を待ち受けていた。

 家康は小山においてだった、本多正信に言った。

「主な者達を集めよ」

「ご子息様達だけでなく」

「諸大名もな」

 彼等もというのだ。

「皆集めよ、そしてじゃ」

「はい、そして」

「話をする」

 真剣な顔で言った。

「これよりな」

「その時は来ましたか」

「御主もそう思うな」

「はい」

 実際にとだ、本多も答えた。

「まさに」

「そうじゃな、ではな」

「すぐにお声をかけます」

「そうせよ」

 こうしてだった、家康は諸将を己の前に集めた。そのうえで彼等に話した。

「石田治部が挙兵した」

「ですか」

「あの者が」

「うむ、治部の上には毛利殿がおられる」

 五大老の一人である彼がというのだ。

「そして宇喜多殿もな」

「あの御仁もですか」

「毛利殿だけでなく」

「あの御仁もまた」

「石田治部は大坂においてお拾様を奉じておる」

 秀吉の遺児である彼をというのだ。

「お拾様を慕う御仁もここにはおられよう」

「・・・・・・・・・」

 諸将は沈黙した、この場では、そのうえで家康の話を聞いた。

「そう思うならこの場から去られ治部の下に行かれよ」

 家康は諸将に穏やかな声で告げた。

「それがしは止めませぬ、何も気にせず行かれよ」

「何と、そう言われるか」

「治部めは人質まで取るというが」

「内府殿はそう言われるか」

「何とお心の広い」

「流石じゃ」

「流石天下第一の方じゃ」

 皆、大名達だけでなく家康の家臣達もだ。彼の言葉に言葉を失った。

「器が違う」

「何と素晴らしき方じゃ」

「治部等とは全く違う」

「そこまで言われるとは」

「内府殿」

 そしてだ、福島がだった。

 立ち上がってだ、家康に言った。

「そのお言葉感服しました」

「大夫殿か」

「はい、この場におる者で誰がそうしましょうか」

 感極まった顔で言うのだった。

「治部こそはお拾様を惑わそうとする奸臣です」

「ではその奸臣をでござるか」

「それがしは除く為に」

 まさにその為にというのだ。

「是非共内府殿に従い戦いまする」

「それがしはです」

 今度は山内が出た。

「むしろ是非です」

「是非にとは」

「妻を人質としてです」

 こう言うのだった。

「差し出しましょう」

「いや、そこまでは」

「これは証です」

 家康に対して言った。

「それがしの心の」

「だからと言われるか」

「はい、そうです」

 まさにというのだ。

「そうします」

「そう言われるか」

「左様です」

「ここを去りたい御仁は去られよ」

 福島がまた言った。

「そして戦場で会おうぞ」

「いや、我等は是非共」

「内府殿と共に戦いまする」

「そしてそのうえで、です」

「治部めを討ちます」

「奸臣を成敗します」

 皆福島と山内の言葉に続いた、立ち上がり家康に対して誓った。彼等の心はここに一つになってであった。

 秀康に上杉家への抑えを命じてだ、秀忠には徳川譜代の臣の多くを授けたうえで中山道を進ませてだった。

 自身は東海道を進む、そのことを決めた時にだ。

 信之が彼の軍勢と共に来てだ、家康の前に出て言った。

「遅参申し訳ありません」

「いやいや、御主まで来てくれるとはな」

 家康は信之をにこやか迎えて応えた。

「有り難い、ではな」

「はい、これより内府殿と共に」

「戦ってくれるか」

「そうします」

「わかった、しかし」

 ここでだ、家康は信之に問うた。

「御主の父君と弟殿は」

「二人ですか」

「どうした、一緒ではないのか」

「二人は治部につきました」

「ふむ、ではじゃ」

 家康は信之の話を聞いてすぐに察して言った。

「家を残す為にか」

「それは」

「ははは、言わずともよい」

 恐縮する信之にだ、家康は笑って返した。

「御主はな」

「そうですか」

「それで真田殿は上田城におられるか」

「今は」

「わかった、では竹千代に言っておこう」

 実はまだ軍は分かれていない、まさにこれからだ。

「上田の城に降る様に言えとな」

「そうされますか」

「御主の父君と弟殿が加われば強い」

 家康にしてもというのだ。

「だからな」

「それで、ですか」

「そう言っておこう」

 秀忠にというのだ。

「ただしな」

「戦もですか」

「覚悟しておけとな」

 その様にというのだ。

「竹千代にも言っておこう」

「そうされますか」

「そして御主もじゃ」

 信之もというのだ。

「中山道を進め」

「竹千代殿と共に」

「そうじゃ、わしは既に多くの軍勢を率いてじゃ」

 秀忠、秀康に預けたよりもさらに多くの兵を率いている。家康が主力を率いるのはもう最初から決まっていることだ。

「東海を上がるからな」

「都まで」

「竹千代は中山道を上がる」

 上田もあるその道をというのだ。

「だからな」

「それがしは、ですか」

「先導も兼ねてじゃ」

 そのうえでというのだ。

「そちらに行ってもらう」

「では」

「その様にな、ではすぐにじゃ」

「竹千代殿のところへ」

「行くのじゃ」

「わかりました」

 こうしてだ、信之は今度は秀忠のところに向かった。秀忠は生真面目そうな面長の顔をした若者だった。顔は初陣の為かかなり緊張している。

 秀忠は信之の話を聞いてだ、こう言った。

「では頼む」

「はい、案内させて頂きます」

「是非な、しかしじゃ」

「上田城はですか」

「うむ、わしはよく知らぬ」

 その城のことをというのだ。

「だから若しじゃ」

「戦の時は」

「助けてもらいたい」

「若殿、そのことですが」

 榊原がここで秀忠に言った。

「源三郎殿は」

「そうか、真田家のな」

「方、親兄弟と争うのは」

「うむ、酷い話であるな」

「はい、ですから」

「源三郎、済まぬ」

 秀忠はすぐにだ、信之に謝罪した。

「御主のことを考えておらなかった」

「いえ、それは」

「しかし降る様にはな」

「それがしからもですな」

「言ってもらいたい」

「わかり申した」

「しかし戦になれば」

 その時はいうのだ。

「御主には休んでもらう」

「わかり申した」

「親兄弟が争うなぞ」

 秀忠は眉を曇らせて言った。

「戦国の世とはいえ出来るだけな」

「避けるべきというのですか」

「そうじゃ、だからな」

 それ故にというのだ。

「御主もその時はな」

「城攻めには加わらずに」

「休んでおれ、しかも御主にはもう言っておくが」

 秀忠は信之にさらに言った。

「上田城のことはもうわかっておる」

「左様ですか」

「どういった城かな」

「それでは」

「この兵なら勝てる」

 秀忠は自身が率いる兵の数から言った。

「鉄砲も多くあるしな」

「はい、負ける筈がありませぬ」

「確かに上田の城は堅城ですが」

「この兵ならです」

「問題ありませぬ」

 秀忠の周りの者達も言う。

「だからです」

「安心して戦いましょう」

「無論油断は出来ませぬが」

「間違いなく攻め落とせます」

「出来れば降って欲しいがな」

 それが無闇に血を流さないからだ。

「しかし戦になればな」

「その時は」

「うむ、話した通りだ」

 秀忠はまた信之に言った、そうしてだった。

 彼等は上田城を攻めることを考えていた、そのうえで中山道を進もうとしていた。天下分け目の戦は大きく動こうとしていた。

 石田達も大軍を率い東に向かう、その時にだ。

 ふとだ、大谷は石田にこう言った。

「内府が動いたそうだ」

「東国でか」

「そうだ、まずは上杉殿にご次男の結城殿を向けてだ」

 そしてというのだ。

「中山道からはご嫡男の竹千代殿を向かわせ」

「自身はか」

「東海道からじゃ」

「こちらに向かっておるか」

「どうする」

 大谷は石田に問うた。

「それで」

「決まっておる、正面からじゃ」

「戦ってか」

「そしてじゃ」

 そのうえでというのだ。

「内府を破る」

「そうするか、ではじゃ」

「内府と竹千代殿が合流する前にな」

 二人がそれぞれ率いる軍勢がだ。

「内府を破る」

「わかった、では城に入らずな」

「一気に攻めようぞ」

「おそらく場所は美濃になる」

 戦の場、そこはというのだ。

「岐阜城を奪われた場合はその西か」

「そこになるか」

「関ヶ原辺りでな」

「わかった、ではあの地でな」

「内府を倒すな」

「そうしようぞ」

「布陣は任せよ、しかしな」

 ここでだ、大谷は石田にこうも言った。

「どうも気になるのはな」

「何じゃ」

「毛利家と金吾じゃ」

 この二つだというのだ。

「どうもな」

「金吾殿か」

「何か態度がおかしいと思わぬか」

 石田のその目を見て問うた。

「その様にな」

「そうであろうか」

「わしの気にせいならよいが」

「わしは別に思わぬが」

「同じ様に毛利家もな」

 石田方の総大将であるこの家の軍勢もというのだ、軍勢の数も宇喜多家のそれよりも遥かに多い数を誇っている。

「吉川殿がな」

「あの御仁か」

「徳川家と懇意であったしな」

「ではか」

「若しやと思うが」

 この家にしてもというのだ。

「あちらにな」

「それはないであろう」

「しかしわからぬ」 

 大谷は真剣に危惧していた。

「この二つの軍勢が寝返ったりすれば」

「我等は勝てぬな」

「動かぬともじゃ」 

 その場合もというのだ。

「危ないぞ」

「確かにな、では」

「うむ、我等もな」

「この両家にはか」

「気をつけてじゃ」

 そうしてというのだ。

「進もうぞ」

「それではな」

「あと島津殿じゃが」

 大谷はこの家についても述べた。

「動いて欲しいが」

「それはか」

「どうもな」

「動かれぬか」

「そうやも知れぬ」

「島津家は強いが」

 その強さは天下に知られている、唐入りの時もである。

「しかしどうも行き違いでじゃ」

「こちらに来たからか」

「だからな」

 その為にというのだ。

「動かぬとな」

「思った方がよいか」

「残念だがな」

「そうか、島津殿はわかった」

 石田はこの家の軍勢については諦めた、だが金吾即ち小早川秀秋と毛利家についてはこう言ったのだった。

「しかしな」

「金吾殿と毛利殿はな」

「大丈夫じゃ、必ず戦ってくれる」

 戦のその時はいうのだ。

「御主の杞憂であろう」

「だといいがな、では両家に見せる為に」

「その為にか」

「うむ、わしは先陣を切って戦いじゃ」 

 そしてというのだ。

「両家の軍勢と奮い立たせてじゃ」

「戦に加わらせるか」

「そうするとしよう、どのみちわしはじゃ」

 大谷は言葉を一旦止めた、そのうえでえまた言ったのだった。

「長くないわ」

「病は」

「進むばかりじゃ」

「そうか」

「済まぬな、お拾様も御主も碌に支えられなかった」

「何を言う、豊臣家もわしもどれだけ助けられたか」 

 石田は大谷に対してすぐに言った。

「碌にというものではない」

「そう言ってくれるか」

「実際にじゃ」

 まさにというのだ。

「わしは相当に助けられたわ」

「そうか」

「うむ、そうじゃ」 

 まさにというのだ。

「わしなぞ太閤様のところの小僧だった時からっではないか」

「ははは、あの時から御主は鼻っ柱が強かったな」

 大谷はその頃のことをだ、石田に笑って返した。

「何かと」

「わしはわしじゃからな」

「虎之助達はおろか太閤様にもずけずけ言ってな」

「そのわしを御主は常にだった」

「庇ってくれたというか」

「そうであったではないか、わしが一人になりそうな時はじゃ」 

 石田があまりにも言い過ぎて加藤達に囲まれた時でもだ。

「御主は絶対にわしのところに来て庇ってくれたな」

「そのことも言うか」

「言うわ、一日たりとも忘れたことはない」

「御主は嫌いではないからな」

「わしも同じじゃ、わしも御主は嫌いではない」

「だからか」

「そうじゃ、こう言うのじゃ」

 大谷に笑みを浮かべて告げた。

「御主には本当に助けてもらってきた」

「碌にとは言わぬか」

「今までのこと、本当に礼を言う」

 これが石田が大谷に告げる言葉だった。

「御主のこと最後まで忘れぬ」

「そう言うか」

「そうじゃ、何があろうともな」

 例え大谷が自分より先に逝ったとしてもというのだ。

「忘れぬぞ、そして生まれ変わってもな」

「そうしてもか」

「また会おうぞ」

「わかった」

 大谷は石田の心を受けて心の底から有り難く思った、だが何とか涙は出さずだ。彼にあらためて言ったのだった。

「ではな、何度生まれ変わってもな」

「我等は友だ」

「そうして支え合っていくか」

「このままな」

 こうしたことを話してだ、そのうえで。

 二人は軍勢を東に向かわせた、目指す場所は美濃だった。

 昌幸は両軍のことを天下に飛ばしている忍達から聞いていた、そのうえで幸村に対して言った。

「関ヶ原じゃな」

「その場で、ですか」

「戦になるぞ」

 こう話した。

「双方がぶつかりな、しかし」

「どちらが勝つかはですか」

「わからぬ、しかも大きな戦だからのう」 

 それでというのだ。

「一日で終わらずな」

「長引くこともですか」

「考えられる、だからな」

「ここは、ですか」

「この城を最後の最後まで守り抜く」

 上田城、この城をというのだ。

「攻め落とされては話にもならぬ」

「折角一方についたというのに」

「そうじゃ、最後まで残ってこそじゃ」

「勝っても敗れても」

「話が続く、だから生き残るぞ」

「わかりました」

 幸村も頷いて答えた。

「それでは」

「その様にな」

「この城を最後の最後まで守りますか」

「御主と御主の家臣達にも働いてもらうぞ」

「十勇士達にも」

「こうした時の御主達じゃ」

 まさにというのだ。

「だから頼むぞ」

「わかり申した」

「ではな」

「はい、思う存分戦いまする」

「そうせよ、敵の数は多い」

 昌幸はこのことを誰よりもわかっていた。

「対するのは容易ではない」

「だからこそ知略を使い」

「術も使う」

「我等のそれを」

「そうじゃ」 

 まさにというのだ。

「わかったな」

「それでは」

「ではな、それで中納言殿の軍勢じゃが」 

 秀忠、彼のというのだ。

「この城に向かっておる」

「そうですか」

「我等の読み通りな」

「関ヶ原に向かう途中にですな」

「道を確かにする為にじゃ」

 石田方についた城を攻め落とす必要があると判断してだ。

「来るぞ」

「しかも大軍で」

「そうじゃ、そして我等は足止めをする」 

 秀忠のその軍勢をというのだ。

「そうするぞ」

「わかり申した」

「では兵達にはな」

 昌幸は今度は彼等の話をした。

「大飯を食わせてやれ」

「戦の時に力をつける為に」

「そうじゃ」

 まさにそうだというのだ。

「よいな」

「それでは」

「うむ、連日たらふく食わせてやれ」

 その大飯をというのだ。

「飯にな」

「しかもですね」

「精のつくものもじゃ」

 そうしたものもというのだ。

「食わせてやれ」

「わかりました」

「それではな」

「それがしの家臣達も」

「無論じゃ」 

 十勇士達にもとだ、昌幸は幸村に答えた。

「だからな」

「それでは」

「御主も食え、よいな」

「では丁度よい魚が入りましたので」

「それをあの者達にか」

「いえ、それがしもです」

 幸村は微笑んで父に答えた。

「共にです」

「その魚を食うか」

「そうします」

「わかった、では食うがよい」

「それでは」

 こうしてだ、幸村は父との話の後十勇士達のところに戻ってだ。そのうえで彼等のところにその魚を持って来た、その魚は。

「おお、鯉ですか」

「これは見事な鯉ですな」

「ではその鯉をですか」

「これより」

「実は五匹ある」

 鯉はというのだ。

「それを皆で食おうぞ、野菜も山菜もあるぞ」

「鍋ですな」

「今宵は鯉鍋ですか」

「それを皆で喰らい」

「精をつけよというのですな」

「わかっておろう、戦じゃ」

 幸村は微笑みながらも目の光を鋭くさせて十勇士達に言った。

「間もなくな」

「そうですな、空気を感じます」

「戦の匂いが近付いていますな」

「やはり戦ですか」

「その時が近いですか」

「そうじゃ、御主達にも働いてもらう」

 鍋やまな板、包丁等は十勇士達が用意していた。幸村はその用意を自らも手伝いつつそのうえで言葉を続ける。

「思う存分な」

「はい、腕が鳴ります」

「それではです」

「暴れ回ってやります」

「そして敵を退けてみせます」

「頼むぞ、御主達は拙者と共に戦ってもらう」

 野菜や山菜、他の鯉も出されていた。そうしたものも切られていっている。

「共にな、しかしな」

「しかし?」

「しかしといいますと」

「何かありますか」

「死ぬことは許さぬ」

 このこともだ、幸村は言ったのだった。

「決してな」

「どれだけ激しい戦になろうとも」

「それでもですな」

「戦の場では死ぬな」

「生きよというのですな」

「危うくなれば逃れよ」

 こうもだ、幸村は言うのだった。

「よいな」

「はい、わかりました」

「それではその様にです」

「戦いまするが危うくなればです」

「その時は逃げます」

「そうして生き残りまする」

「無論わしも父上も死なせる策は用いぬ」

 それは決してというのだ。

「断じてな」

「左様ですか」

「大殿もですか」

「そうした策は用いられぬ」

「そうされますか」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「何があろうともな」

「戦には勝とうとも」

「死ぬ策は用いぬ」

「そうされますか」

「今は死ぬ時ではない」

 幸村はまた言った。

「だからじゃ」

「では鯉で精をつけ」

「そして、ですか」

「存分に戦い生きる」

「そうせよということですな」

「そうじゃ、鯉はたんとある」

 もう既に切られている、鱗は既に落とされていて後は鍋の中に入れて煮るだけの状況だ。鍋には味噌が入れられている。

「食うぞ」

「酒もですな」

「それもありますな」

「では酒も飲みますか」

「そちらも」

「そうじゃ、やはり酒がないとな」

 どうしてもというのだ。

「はじまらぬであろう」

「はい、確かに」

「ではそちらも楽しませてもらいます」

「酒もまた」

「そちらも」

「ではな、今宵は飲んで食ってな」 

 酒に鍋をというのだ。

「戦の為の精をつけるぞ」

「さすれば」

「楽しもう」

 是非にと言うのだった。

「よいな」

「はい、それでは」

「鯉も野菜もどんどん鍋に入れて」

「そしてですな」

「食いましょう」

「酒も飲みましょうぞ」

「そうする、そしておそらくじゃが」

 幸村は目を光らせてこうも話した。

「兄上は城攻めには入られぬ」

「若殿はですか」

「この城には、ですか」

「来られませぬか」

「おそらくじゃがな」

 それでもというのだ。

「中納言殿が許されぬ」

「それは、ですか」

「どうにも」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「それはな」

「中納言殿といいますと」

 ここで言ったのは筧だった、彼が言うには。

「律儀な方とは聞いています」

「しかしこの度が初陣ではなかったか」

 霧隠は仲間内で問うた。

「そうではなかったか」

「政はそれなりの方の様じゃが」

 海野も言う。

「しかしな」

「初陣ではな」

 どうしてもとだ、由利は言った。

「何万もの軍勢を使いこなせるか」

「そして上田の城を攻め落とせるかじゃな」

 穴山には絶対にそうさせない自信がある、だからこそここまで言えるのだ。

「果たして」

「まあ最悪少しの軍勢で城を囲んで主力は進めばよい」

 望月はこのやり方を述べた。

「この城が中山道にあろうとな」

「はい、中納言殿は内府殿の軍勢にご自身の軍勢を合流させることが第一です」 

 伊佐は至って冷静に述べた。

「戦の場において」

「ではこの城に構うことはないのう」 

 根津はあっさりと述べた。

「囲んで城の中の兵を動かさねばよい」

「では大した戦にならぬか」

 清海は義兄弟達の言葉を聞いて考える顔になっていた。

「この城では」

「ううむ、久し振りに大暴れ出来るかと思ったが」

 猿飛はかなり残念そうである。

「それはないか」

「いや、この城に来てもらう」 

 秀忠の軍勢はとだ、幸村は十勇士達にはっきりと言った。鍋と酒を楽しみはじめつつ。

「軍勢全てをな」

「では、ですな」

「中納言殿の軍勢を内府殿の軍勢と合流させぬ」

「そのうえで内府殿は治部殿と戦ってもらう」

「そうお考えですか」

「そうじゃ、北陸の前田殿は義父上が進ませておられぬ」 

 家を分かれさせてしかも北陸の多くの家に邪魔をさせているのだ、そうして前田家の軍勢も家康と合流させていないのだ。

「それではな」

「内府殿の軍勢だけなら」

「治部殿が勝てる勝算は充分にある」

「その様に持って行く為に」

「是非にですな」

「中納言殿の軍勢をこの城に引き付けますか」

「そうするのじゃ、兄上なら見抜かれるが」 

 信之、彼ならというのだ。

「先程の話じゃがな」

「中納言殿は、ですな」

「若殿を城攻めに加わらせぬ」

「そうされますか」

「そうじゃ、兄弟同士争わせては評判が悪いな」

 幸村も言う。

「そうじゃな」

「はい、確かに」

「どうしても」

「それが戦国の常とはいえ」

 十勇士達も幸村に応えて言う。

「よくありませぬ」

「それは人の道に反します」

「どうしても」

「だからそれはされぬ、内府殿ならお話を聞く位はされるが」

 家康ならというのだ。

「しかしな」

「中納言殿はまだお若い」

「そこまでされませぬか」

「それに我等と内通するとも思われ」

「それで、ですな」

「それは出来ぬ」

 秀忠、彼にはというのだ。

「だから兄上とは戦わぬしな」

「中納言殿もまた、ですな」

「若殿は城攻めには用いることなく」

「それで、ですな」

「策を仕掛ければ」

「全軍で城攻めにかかりますか」

「その軍勢から城を守りきる」

 こうも言った。

「わかったな」

「はい、では」

「敵の軍勢は三万以上といいますが」

「思う存分戦ってやりまする」

「我等もまた」

「それぞれ」

「頼むぞ、では今は飲んで食う」

 幸村は鯉も食う、そのうえでの言葉だ。

「そして英気を養うぞ」

「さすれば」

 十勇士達も応えてだ、鯉に野菜に山菜を食ってだ。酒の飲む。そうしつつ彼等はこうしたことも言った。

「生まれた時と場所は違いますが」

「我等死ぬ時と場所は同じ」

「そう誓ったからには」

「ここは死にませぬ」

「首だけになろうとも」

「その様にな、この戦だけではないやも知れぬ」 

 幸村も杯を手にしつつ応える。

「より大きな戦があるやも知れぬからな」

「さらにですか」

「これから」

「そうやも知れぬからな」

 だからこそというのだ。

「御主達も命は大事にせよ」

「わかりました、では」

「この度の戦もです」

「そうします」

「是非な」

 このことは念を押してだった、幸村は今は十勇士達と共に鯉鍋を楽しんだ。戦が近付いているのをはっきりと感じながら。



巻ノ八十   完



                    2016・11・2


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