巻ノ八十三 仕置
関ヶ原での戦に勝った家康はそのまま西に進みそうして大坂城に入りそこで政務に戻った。その政務は何といってもだった。
「さて、治部についた者達じゃが」
「これよりですな」
「どうするか」
「それが問題ですな」
「まずは」
「まず治部についた大老の家は潰さぬが」
だがそれでもとだ、家康は主な家臣達に述べた。
「しかしじゃ」
「それでもですな」
「禄は大幅に減らす」
「そうしますな」
「やはり」
「うむ、戦に負ければ当然じゃ」
禄を大幅に減らすことはというのだ。
「流石に家は潰さぬがな」
「それでもですな」
「毛利、上杉の両家はですな」
「潰さぬ」
「そうしますか」
「両方共家柄もある」
このこともだ、家康は意識していた。
「毛利家は鎌倉幕府以来の家じゃ」
「はい、あの大江広元公の」
「あの方からですか」
「力をつけたのはここ数十年にしろ」
「古い家ですな」
「朝臣の位のこともあるしのう」
先祖が足利尊氏から貰ったものである。
「だからな」
「禄は大幅に減らしますが」
「それでもですな」
「家は残す」
「そうされますか」
「そうする、そして上杉家じゃが」
続いてこの大老家はというと。
「元は長尾家にしてもな」
「関東管領を務めた名門です」
「やはりそれだけの家ですから」
「潰すにはですな」
「惜しいですな」
「長尾家にしろ謙信公の家じゃ」
このことも言うのだった。
「だからな」
「上杉家もですな」
「潰さぬということで」
「うむ、そして宇喜多家じゃが」
最後のこの家はというと。
「改易ということでな」
「そうされますか」
「あの家は」
「その様に」
「そうする、しかしじゃ」
「宇喜多殿ご自身は」
彼についてだ、重臣の一人が問うた。
「どうされますか」
「切腹という話じゃな」
「殿が言われました」
「処刑はもう終わった」
家康はその重臣にはっきりと告げた。
「あれでな」
「治部殿達で」
「そうじゃ、治部の子達も殺さぬ」
主犯の子であるがだ。
「出家をさせてな」
「それで収めますか」
「そうする、だから宇喜多殿もな」
「切腹といいましたが」
「おそらく諸大名から助命の話が来る」
家康はそこまで読んでいた、そのうえでのことだった。
「だからな」
「その助命を聞かれ」
「そういうことにしてじゃ」
最初からそのつもりであったがというのだ。
「切腹を減じてな」
「そのうえで」
「流罪としよう」
宇喜多秀家についてはというのだ。
「その様にな」
「わかり申した」
「まあ時が来れば流罪も許す」
家康はそこまで考えていた。
「十年、まあ長くとも十五年流罪にしてな」
「それで許しますか」
「後は十万石程で遇する」
それ位の大名として、というのだ。
「そうするとしよう」
「それでは」
「後は佐竹家も禄を大きく減らすが」
石田についたこの名門もというのだ、鎌倉時代からある関東八家の一つで源頼朝のご落胤がはじまりとも言われている。
「やはりな」
「潰しませぬか」
「そうする、しかし後の治部についた家はな」
「お取り潰しですか」
「そうしていきますか」
「そうせよ、ただ島津は本来は東軍につく筈であった」
それが行き違いで石田についた、家康はこのことも知っている。
「だからな」
「jはい、それでは」
「島津はお咎めはなし」
「そうしますな」
「その様に」
「うむ、そうする」
こう言うのだった。
「注意はするがな」
「して殿」
先程とは別の重臣が家康に聞いてきた。
「真田家ですが」
「あの家か」
「どうされますか」
「治部についた方は潰す」
その彼等はというのだ。
「しかしじゃ」
「その潰した方の禄をですな」
「源三郎殿の功として与える」
「そうされますか」
「それで源三郎殿の褒美としてな」
そのうえでというのだ。
「終わらせる」
「では真田殿は」
昌幸のことも聞かれた。
「そして源次郎殿は」
「あの父子か」
「中納言様は大層お怒りですが」
「ははは、しかしあ奴も父子に腹を切らせよと言っておるが」
「実はですか」
「それが出来ぬことはわかっておる」
秀忠にしてもというのだ。
「だからな」
「このことはですか」
「よい、死罪にはせぬ」
あくまでというのだ。
「何度も言うが死罪は治部達で終わりじゃ」
「あれで終わりとし」
「他はですか」
「一切ですか」
「殺さぬ」
家康も決めていた、このことを。
「だからあの父子も殺さぬ」
「ですが殿」
ここで崇伝がだ、家康に言ってきた。
「あの二人は」
「何かあるか」
「はい、星を見ますと」
どうにもとだ、崇伝は家康にいぶかしむ様な顔で話した。
「今後も、特に源次郎殿は」
「子の方はか」
「当家の敵であり続けると」
「出ておるか」
「はい」
そうだというのだ。
「ですから」
「あの二人はか」
「腹を切らせるべきでは」
こう家康に言うのだった。
「そうされますか」
「いや、それはせぬ」
家康は崇伝にはっきりと言った。
「もう殺さぬ」
「決められた通りにですか」
「あの二人も同じじゃ」
「それでは」
「死罪ということを匂わせるが」
それでもというのだ。
「それはせぬ、しかしな」
「罪としてはですか」
「重い」
「そうしますか」
「竹千代のことだけではない」
ここでだ、家康は神妙な顔になった。そのうえで主な家臣達に言った。四天王をはじめとした十六神将だけでなく本多父子や柳生に天海、崇伝もいる。
「先の信濃攻めの時も敗れた、それにな」
「あの家は武田ですからな」
本多忠勝が言ってきた。
「やはり」
「わかるな」
「我等は武田には散々にやられてきました」
「三方ヶ原では特にであったが」
家康自身九死に一生を得た戦だった、彼にとっては苦い思い出だ。
「当家だけで武田に勝ったことはない」
「ただの一度も」
「そうでしたな」
「小さな戦でも常に負けていました」
「信玄公だけでなく子の四郎殿にも」
「散々に」
「四郎殿も強かった」
武田家を滅ぼしたと言われる勝頼ですらだ。
「全く以て恐ろしい方であったわ」
「全くです、そして真田殿にも」
「我等はやられてきましたな」
「その軍略には」
「常に」
「武田は徳川の敵である家じゃ」
こう言うのだった。
「特に喜兵衛いや安房守殿はな」
「ですな、あの御仁は」
「とかく当家と因縁があります」
「何かあれば我等を散々に破る」
「そうした御仁ですな」
「村正の様な者じゃ」
家康は忌々しげにこうも言った、この刀に彼の祖父は殺され父も傷を負い彼の嫡男信康の介錯の刀でもあり彼自身たまたまとはいえ村正を手にして傷を負ったことがある。
「だからな」
「罪は重くしてですか」
「二度と世に出ぬ」
「そうされますか」
「そう考えておる」
「それがよいかと」
ここで天海が家康に言ってきた。
「実は今治部殿についた諸大名の星等を見て占ってもいますが」
「あの御仁はか」
「はい、徳川には従わず逆らう」
「そうした星の下にあるか」
「そう出ました、そしてご次男の源次郎殿も」
幸村、彼もというのだ。
「恐ろしいまでに強い力をお持ちですが」
「星はじゃな」
「徳川には従わぬ」
「そうしたものじゃな」
「ですから」
それ故にというのだ。
「あのお二人につきましては」
「あえて罪を重くして」
「何処かに流罪として押し込めておくべきかと」
「それがよいな」
「宇喜多殿は長くて十五年でいいかと」
彼についてはだ、天海もこう考えていた。
「一本気で邪心のない方なので」
「だからじゃな」
「おそらくご正室の実家の前田家から話がきますし」
「まあ十万石じゃな」
「それ位で復権させるべきかと」
「それが妥当じゃな」
「しかしです」
宇喜多はそれでいい、しかし昌幸と幸村はというのだ。
「どうしても徳川の下には入らず」
「それにじゃな」
「あまりにも強いお力を持たれています」
二人共そうだというのだ。
「ですから」
「ここはじゃな」
「はい、お二人はです」
「流罪にすべきか」
「高野山にでも」
かつて秀次が入れられたこの場所にというのだ。
「そうすればいいかと、しかし」
「それでもじゃな」
「お命までは奪わぬ」
「わしのその考えはじゃな」
「素晴らしきことです」
こう言って血を好まぬ家康の考えを讃えるのだった。
「ですから是非」
「二人もじゃな」
「そうすべきかと」
「それも一生じゃな」
「あのお二人だけは」
出すべきではないというのだ。
「拙僧もそう思います」
「ではな」
「拙僧としましては」
崇伝はこう言った。
「やはり毒を以てでも」
「それがしもです」
本田正純も崇伝と同じ考えであった。
「お二人だけは」
「そう思いますが」
「わしはそれは好まぬ」
暗殺はとだ、家康は二人にはっきりと言った。
「だからな」
「ですか」
「お命は、ですか」
「もうよい、治部達を磔にした」
それならばというのだ。
「これでしまいじゃ」
「ですか」
「それでは」
「その様にな、このことは決めた」
真田父子のことはというのだ。
「高野山に流し永遠に出さぬ、しかしな」
「お命までは」
「その様に」
「するとしよう、そして立花家じゃが」
この家のこともだ、家康は話した。
「治部についたので改易するが」
「殿、あの御仁はです」
井伊は関ヶ原で傷を負っていた、しかしその傷を厭わず出ていて家康に言った。
「西国一の軍略、ですから」
「許してじゃな」
「はい、是非です」
「わかっておる、暫くしたらな」
「大名にですな」
「戻す」
こう言い切った。
「その様にな」
「それは何よりです」
「見事な武士じゃ」
立花、彼はというのだ。
「その武士を放っておくことはせぬ」
「そうされて下さい」
「ではな」
こうした細かいことまで話してだ、家康は仕置をはじめた。実際に毛利、上杉、佐竹といった家は大幅に減石されて宇喜多家は改易となった。
そしてだ、真田家もだ。
改易の話が来た、それでだった。
昌幸は幸村にだ、こう言った。
「我等の改易が決まった」
「やはりそうですか」
「そしてじゃ」
幸村にさらに言った。
「我等に切腹の話もな」
「出ていますか」
「中納言殿が言っておられる」
「やはりそうですか」
「しかしそれはな」
「ご本心ではない」
「内府殿も中納言殿も血は好まれぬ」
だからだというのだ。
「治部殿で終わりじゃ」
「処刑は」
「だからわし等はそこまでいかぬ」
「そうなりますか」
「とはいっても今はそれは七分じゃな」
そうならない率はというのだ。
「まだ完全ではない」
「それを完全にされるのが」
「源三郎じゃ」
信之、彼だというのだ。
「これからあ奴が動く」
「必死にですな」
「内府殿に我等の命乞いをする」
「そしてそれによって」
「我等は助かる」
そうなるというのだ。
「確実にな」
「ここまで、ですな」
「わしは読んでおったしじゃ」
「読み通りですな」
「そうじゃ、しかしな」
「命が助かろうとも」
「我等は流罪となる」
このことは間違いないというのだ。
「どうしてもな」
「それは避けられませぬな」
「御主もそう思っていたであろう」
「はい」
幸村は父にすぐに答えた。
「やはりそれは」
「そうじゃな、ではな」
「時をですか」
「待つことじゃ」
流罪になっている間はというのだ。
「その間鍛錬と学問に励むとしよう」
「そうしてですか」
「時を待つ、よいな」
「わかり申した」
「その様にな」
「心を乱すことなく」
「よいか、如何に流罪の時が長くなろうともだ」
それでもというのだ。
「腐らず、諦めずにな」
「ずっとですな」
「鍛錬と学問に励んでじゃ」
「時を待つのですな」
「そうせよ、わしも同じじゃ」
昌幸自身もというのだ。
「そうして時を待つ」
「左様ですか」
「そして時が来ればな」
その時はというのだ。
「思う存分暴れるぞ」
「そうされますか」
「是非な」
「それでは」
幸村も応える、そして実際に信之は家康に懸命に言っていた。
「どうかです、父上と源次郎をです」
「死罪にせずにか」
「命だけはお助け下さい」
家康に頭を垂れて言うのだった。
「どうかお願い申す」
「ふむ、しかしじゃ」
家康はわかっていて信之に応えた。
「安房守殿のことはな」
「どうしてもですか」
「何かとよからぬ話があるからな」
それでというのだ。
「やはりおいそれとはな」
「弟もですか」
「貴殿には悪いが」
演技をして言うのだった。
「どうにもな」
「そこを何とか」
信之は家康にまた頭を垂れて言った。
「お願い申す」
「どうしてもか」
「はい、どうにかお願い出来るでしょうか」
「殿、ここはです」
芝居に合わせてだ、本多忠勝が言ってきた。
「それがしにも免じて」
「だからか」
「はい、お二人のお命は」
それだけはというのだ。
「お助け下さい」
「御主がそう言うならな」
家康も納得したふりをした。
「わかった」
「それでは」
「うむ、二人は死一等を減じてじゃ」
そのうえでというのだ。
「高野山に流罪としよう」
「そうして頂けますか」
「そこまで願うのなら仕方がない」
家康は信之に優しい笑みを浮かべて言った。
「平八郎も言うしな」
「有り難きお言葉」
「平八郎に感謝する様にな」
笑みを浮かべたままだ、家康は信之に話した。9
「このこと、よいな」
「肝に銘じます」
「それではな、さて」
ここまで話してだ、家康は信之にこうも言った。
「御主への褒美は父親と弟の領土をじゃ」
「そのままですか」
「やるものとする」
こう言うのだった。
「それでよいな」
「これまた有り難きこと」
「それではな」
こうしてだった、家康は信之への褒美のことも決めた。この話はすぐに昌幸と幸村にも伝えられた。その話を聞いてだ。
幸村は十勇士達にだ、こう言った。
「我等は高野山に入ることになった」
「大殿と共にですな」
「そうなったのですな」
「あの山で機を待つ」
「そうなりました」
「来たくないのならよい」
幸村は微笑んでだ、十勇士達に言った。
「それならばな」
「よいのですか」
「我等が高野山に入りたくないのなら」
「それならばですな」
「殿と一緒でなくとも」
「それでもいいのですか」
「うむ」
まさにという返事だった。
「御主達の好きな様にせよ」
「殿、何を言われますか」
最初にだ、猿飛が笑って幸村に言った。
「我等主従、義兄弟でもありますぞ」
「生きるも死ぬも共と誓い合ったではありませぬか」
清海も笑って言う。
「それではです」
「我等がついて行かぬ筈がありませぬ」
海野の言葉もこうだった。
「何があろうとも」
「左様、ですからお供致します」
こう言ったのは霧隠だった。
「高野山にも」
「地獄でもと誓い合ったではありませぬか」
由利も笑って言う。
「それならば高野山にも共にです」
「何、どのみち贅沢には興味がない我等」
穴山も笑っている、そのうえでの言葉だ。
「高野山も何のことがありましょう」
「これまで通り修行と学問に励みましょう」
伊佐は微笑んで幸村に話した。
「高野山でも」
「そして時を待ちましょう」
無論根津も主についていくつもりである、だからこその言葉だ。
「また我等が出る時を」
「高野山は修行に最適の場」
筧はこう述べた。
「弘法大師が開かれた山ですし」
「修行にも学問にも向いております」
最後に望月が言った。
「そう思うと楽しみですか」
「そうか、皆来てくれるか」
「無論」
十勇士達は今度は声を揃えてきた。
「最初からそのつもりです」
「では励みましょう」
「高野山での修行も」
「山に篭もりそのうえで」
「ではな、父上と共に入ろう」
幸村は微笑んで述べた。
「我等もな」
「はい、是非」
「そうしましょう」
「大殿も修行と学問に励まれますな」
「そうされますな」
「うむ、父上の修行は凄まじいぞ」
幸村は微笑み父のことも話した。
「その修行にもついていくのじゃ」
「はい、是非」
「そうしましょうぞ」
「如何に激しい修行といえど」
「そうしていきましょう」
こう言ってだ、そのうえでだった。
十勇士達は幸村と共に高野山に入ることになった、このこともすぐに家康に伝えられた。
そしてだ、家康はその話を聞いてこう言った。
「よし、ではな」
「それではですな」
「真田家はこれでよし」
「高野山に入れてですな」
「二度と世には出ない」
「それでよい、父親も厄介じゃが」
家康はさらに言った。
「息子の方もな」
「源次郎殿ですな」
「智勇兼備も人物ですな」
「家臣の十勇士達は一騎当千の強者揃い」
「それではですな」
「味方でないなら押し込めておくに限る」
世には出さないというのだ。
「それではな」
「その為の流罪ですな」
「真田家はそうした」
「どうも味方にならぬ故に」
「源三郎殿は別として」
「あ奴がおるだけでもよいか」
真田家の中でとだ、家康は言った。
「赤備えの中でな」
「そうですな」
酒井が言って来た。
「どうも我等は武田家やその家臣とは」
「相性が悪いのう」
「当家だけで勝ったことはありませぬ」
「武田家にも家臣であった真田家にもな」
「敗れてばかりです」
「それも散々にじゃ」
家康もこのことは苦い顔で述べた。
「やられたな」
「はい、常に」
「だからじゃ」
それ故にというのだ。
「あの親子もじゃ」
「高野山に押し込めて」
「世には出さぬ」
こう言うのだった。
「それでいいであろう」
「それがしもそう思いまする」
「さて、仕置が終わってな」
「その後は」
「いよいよじゃ」
「将軍になられますか」
「その時が来た」
遂にという言葉だった。
「ではよいな」
「はい、それでは」
「都で帝にお会いしてな」
征夷大将軍、それになるというのだ。
「官位も頂くことになる」
「その官位は」
「右大臣じゃ」
家康は笑ってだ、酒井に答えた。
「そうなる」
「何と、右大臣ですか」
「そうじゃ、これまでは内大臣だったがな」
だから内府と呼ばれていたのだ、これがそのまま家康の仇名の様にさえなっていたのだ。もっともこれは他に官位のある者も同じだ。
「織田殿と同じじゃ」
「あの方も最後は右大臣でしたし」
「懐かしいわ、あの方のことも」
家康は信長、幼い頃から知っている者として話した。
「竹千代のことは残念だったのしても」
「それでもですか」
「痛快な方であった」
傍で見ていてだ、家康は信長を常にそうした目で見ていたのだ。
「その織田殿と同じになったか」
「官位において」
「しかも将軍にもなる」
「天下人になられますか」
「わしがな」
「それでですが」
今度は柳生が家康に言ってきた。
「豊臣家のことは」
「そのことか」
「どうされますか」
「婚姻の話は進める」
自身の孫千と秀吉の遺児秀頼とのそれはだ。既に秀頼という名になっている。
「そのうえでな」
「はい、大坂からですな」
「出てもらう、そして一国を治めてもらおう」
「大坂以外の場所で」
「摂津、河内、和泉は徳川の領地とする」
豊臣家の領地であるこの三国はというのだ。
「そのうえでじゃ」
「国持ち大名としてですな」
「いてもらう」
「それがいいですな」
「それで茶々殿にはまたな」
「ご婚姻のことをですか」
「お話しよう」
家康は自ら茶々に婚姻の話を申し込んでいるが再びというのだ。
「これならば問題ないであろう」
「はい、それがしもそう思います」
「ではな」
「はい、それでは」
「手は打つ」
打てる手は全てというのだ。
「そしてそのうえでじゃ」
「天下人となられますか」
「そのつもりじゃ」
「平和に」
「戦は終わった、後は万が一に備えるにしても」
「血は流さない様にしていく」
「そうする、では仕置は間もなく終わる」
そうなるからだというのだ。
「都に向かうぞ」
「さすれば」
「それと江戸城じゃが」
家康はこの城の話もした。
「ようやくじゃが」
「はい、いよいよですな」
「確かな城に出来ますな」
「江戸に入ってから何も出来ませんでしたが」
「それでもですな」
「この時も来た」
江戸城のこともというのだ。
「ではな」
「はい、改築ですな」
「江戸城の大規模な改築も行い」
「この上なく大きな城にする」
「そうされますか」
「天下を治める城じゃ」
だからこそというのだ。
「この上なく大きな城にするぞ」
「この大坂城よりも」
「さらにですか」
「大きな城にされる」
「そうなのですな」
「そうじゃ、天下の城にするのじゃ」
家康は江戸城から天下を治めることを決めていた、それでそれが出来るだけの大きな城にするというのだ。そこに天下が治められるだけのものを入れる為に。
「守りも確かなな」
「そしてです」
今度は天海が言ってきた。
「結界もです」
「風水や寺社のじゃな」
「江戸は非常に風水がよい場所ですし」
「そこも完璧にか」
「していきましょう」
「そのことは御主に任せた」
天海、彼にというのだ。
「これまで通りな」
「さすれば」
「見事な結界を築いてみせよ」
「そうします」
「これまで以上に見事な天下にする」
家康はこの思いも述べた。
「必ずな」
「その為にもですな」
「あらゆることに万全を期していく」
「そうするのですな」
「その通りじゃ」
また家臣達に話した、そして仕置を全て整えてだ。
家康は大坂城を後にした、その時にふとだ。服部が家康に言われた。
「大坂城の見取りは全て頭に入れた」
「そうされましたか」
「もう隅から隅までわかった」
「それでは」
「いざという時は頼んだぞ」
「では茶々様かお拾様を」
「それは決して命じぬ」
家康もそのことを保障した。
「何があろうともな」
「刺客を送ることは」
「若しわしが豊臣家を滅ぼすつもりならじゃ」
服部を見て言うのだった。
「それこそ御主か十二神将に命じればじゃ」
「たやすいと」
「また言うが大坂城の何処に何がありどうなっておるかわしは全て知っておる」
まさに己の手の内にあるというのだ。
「伊達に何年もあの城におった訳ではない」
「だからこそ」
「確かにあの城は難攻不落じゃ」
家康もこのことはよく知っていて言う。
「並の忍なら忍び込むことも出来ぬ」
「並の忍なら」
「甲賀者の腕利きか御主か十二神将ならば出来る」
その大坂城に忍び込むことがというのだ。
「確実にな、そしてじゃ」
「茶々様かお拾様を」
「そして生きて帰らせることも出来る」
ただ仕事をさせるだけでなくというのだ。
「そこまでな、しかしじゃ」
「それでもですか」
「わしは刺客は好まぬ」
この辺り謀事を認めていても家康の好き嫌い、それ以上に人としての考えがあった。彼にしてみればなのだ。
「だからそれはせぬ」
「若しもです」
「お拾殿にじゃな」
「一服でも盛りますと」
「それで豊臣家は終わりじゃ」
家康はその場合についてはっきりと言い切った。
「間違いなくな」
「左様ですな」
「今や豊臣家はお拾殿だけじゃ」
「そうなってしまいました」
「だから若しもがあればじゃ」
秀頼、彼に何かあればというのだ。
「豊臣家自体がこの世からなくなりな」
「まさに自然にですな」
「大坂はわしのものになる」
「その通りですな」
「しかし何度も言うがわしはそれはせぬ」
「お拾様をあくまで」
「大事にしたいのじゃ」
こう言うのだった、今も。
「国持大名、官位も高いうえでな」
「別格の方として」
「幕府の中で遇したい」
「豊臣家が天下を治めていた時の織田家の様に」
「そういうことじゃ、あの様にしてな」
信雄は結果として失脚したがそれに倣ってというのだ。
「国持大名、千の婿殿としてな」
「縁戚にもされて」
「大坂から出てもらうだけで充分じゃ」
「要は大坂ですな」
「あの地だけが欲しいのじゃ」
「豊臣家の命ではなく」
「そちらじゃ」
家康、彼が欲しいものはというのだ。
「大坂さえ手に入ればよい」
「大坂城も」
「無論じゃ、あの城から西国の大名達に睨みを利かし」
西国には島津や毛利等安心出来ぬ大名もいる、そして家康から見て外様である家が多いからである。それで大坂城をというのだ。
「そしてあそこをさらに賑やかにさせてじゃ」
「富も手に入れる」
「あそこは大きな銭も生む」
西国に睨みを利かせられるだけでなく、というのだ。
「奈良にも都にも近いしな」
「では、ですな」
「まさに天下を治める要となる」
「江戸と並んで」
「江戸と大坂から天下を治める」
これが家康の考えだった。
「だからじゃ、よいな」
「大坂ですか」
「豊臣家が狙いではないのじゃ」
「そのことわかりました」
「そして御主達に頼みたいことがある」
家康は服部にさらに言った。
「紀伊のことじゃが」
「あの御仁ですか」
「見張っていてくれるか」
目を鋭くさせてだ、服部に言った。
「何かあればな」
「すぐにですな」
「うむ、わしに伝えてくれ」
「わかりました、それでは」
「流罪にしたが大人しくしておるとは思えぬ」
「お二人共」
「特に父親の方はな」
「確かに。あの方は」
服部もその者のことを思い出して家康に述べた。
「大人しくするどころか」
「絶対に何かを企むな」
「はい、間違いなく」
「だからじゃ」
「あのお二方をですか」
「共に行く家臣達も含めてな」
「見張りをさせて頂きます」
服部も厳かな声で頭を垂れて応えた。
「是非共」
「頼むぞ」
「さすれば」
「では帝の御前に参上しようぞ」
都に上洛して、というのだ。
「それからまた忙しくなるわ」
「江戸に入られるのですな」
「少しだけな」
「少しですか」
「まあそこは見ておれ」
笑ってだ、家康は述べた。
「わしに考えがある」
「江戸ではなく」
「ははは、江戸には入る」
このことは確かにするとだ、家康は笑って述べた。
「しかしじゃ」
「それでもですか」
「江戸には入るが」
「そこから先は」
「だから見ておれ、よくな」
「それからは」
「竹千代もおるしな」
秀忠、彼もというのだ。
「江戸は別によいわ」
「では」
ここでだ、服部も気付いた。そのうえでこう主に問うた。
「あちらに」
「流石じゃな、察しがよいな」
「やはりそうなりますか」
「どうも江戸は好きになれぬ」
少し苦笑いを浮かべてだ、家康は述べた。
「それよりもじゃ」
「あちらですな」
「わしはあそこが一番好きじゃ」
「何といいましても」
「幼い頃もおって」
「そしてですな」
「長い間住んでおったしな」
こう服部に言うのだった。
「だからな」
「何といってもですな」
「あそこが一番落ち着く」
「それ故に」
「あそこにおる」
そうするというのだ。
「わしはな」
「わかり申した」
「何度も言うが江戸には竹千代がおる」
「それではですな」
「どうも戦の素養はないが律儀で生真面目な奴じゃ」
「そうですな」
「しかも政は出来る」
そちらはというのだ。
「なら何も問題はない」
「江戸については」
「あ奴に任せる、そして御主はな」
「紀伊ですな」
「基本わしと共にいてもらうがな」
「あちらもですな」
「見てもらう、よいな」
服部の目をじっと見て告げた。
「それで」
「わかり申した」
「では都に上洛じゃ」
こう言ってだ、家康は大坂から都に向かうのだった。そこから一つの時代が終わり一つの時代がはじまろうとしていた。
巻ノ八十三 完
2016・11・24