巻ノ八十四 高野山
昌幸と幸村は彼等の流罪の地でである高野山に向けて出発した、それぞれの妻子も一緒でだ。
幸村は赤子を出している妻を見てだ、こう言った。
「折角子が生まれたが」
「はい、ですが」
「我等はこれから高野山に入る」
「そうなりますね」
「しかし大助はじゃ」
その子の名を呼んで言った。
「やがてはな」
「流罪からですね」
「元服する頃には許されるであろう」
「そのうえで」
「世に出る、その時に備えて文武を備えてもらおう」
「わかりました」
「そしてじゃ」
幸村はさらに言った。
「我が義兄弟達もおる」
「はい、大助様はです」
「殿のお子です」
「ようやくお生まれになった」
「それならばです」
「我等にとっては若君です」
「御主達にも鍛錬を頼む」
幸村はその十勇士達にも声をかけた。
「よいな」
「わかっております」
「若君には我等の武芸の全てをお伝えします」
「忍術も剣術もです」
「その全てを」
「そうしてもらう、拙者も大助には全て教える」
彼が知っているそれをというのだ。
「そしてな」
「立派な武士になってもらってですな」
「そしてそのうえで世に出てもらう」
「そうなって頂きますか」
「そうじゃ、拙者は出られぬやも知れぬ」
一生だ、高野山からというのだ。
「だが大助は違うからな」
「わしも教えていこう」
昌幸もいる、彼もまた自身の孫にあたる大助を見つつ言った。
「大助にな」
「そうされますか」
「うむ、そしてじゃ」
「文武の全てを授けたうえで」
「世に出てもらう」
こう言ったのだった。
「是非な」
「はい、それでは」
「時はある」
流罪になればとだ、昌幸はこのことも頭に入れていた。そのうえで幸村に対してこう話すのだった。
「ゆっくりと教えられる」
「そのことはよいことですな」
「だからじゃ、大助にな」
「全て伝え」
「そしてじゃ、世に出てもらおう」
「わかり申した」
「それと今天下は穏やかじゃが」
それでもとだ、昌幸はこうしたことも話した。
「しかしな」
「やがては」
「内府殿は穏健に収めたいであろうが」
「大坂がですな」
「そうじゃ、茶々様がじゃ」
今や実質的な大坂の主である彼女がというのだ。
「どうしても納得されぬ」
「やはりそうですな」
「あの方は非常にお気が強い」
「はい、しかも」
「何もわかっておられぬ」
そうした人物だからだというのだ。
「このままでは収まらぬわ」
「内府殿がどう思われても」
「聞かれる方ではない」
「だからこそ」
「このままでは終わらぬ」
こう幸村に言うのだった。
「やがて。遅くとも十五年じゃ」
「それまでの間に」
「天下は大きく動く」
「そうなりますか」
「茶々様があれでは」
否定的に言った、ここで。
「徳川家が穏健にしたくともな」
「出来ませぬな」
「あの方はわかっておらぬし見えてもおらぬ」
こうも言うのだった。
「一切がな」
「何もかもが」
「そうじゃ、目が見えず耳が聞こえぬ」
「それと同じですか」
「ご自身は違うと思われていてもな」
それでもというのだ。
「実際はそうじゃ」
「そうした方が大坂の主では」
「どうにもならぬ、しかもじゃ」
「その茶々様を止められる方は」
「もうおらぬ」
大坂、そこにというのだ。
「治部殿なら出来たが」
「義父上も」
「出来た、しかしな」
「その方々はもうおられず」
「大野修理殿が今は大坂の執権であるが」
そうした立場になったというのだ、大野治長だ。茶々の乳母であった大蔵卿局の子であり三兄弟の長兄でもある。
「修理殿はな」
「はい、茶々様の乳兄妹であられ」
「絆は深いが」
「その深さ故に」
「茶々様に逆らえぬ」
「それがどうしてもですな」
「出来ぬ」
大野、彼はというのだ。
「他のことが出来てもそれだけは出来ぬ」
「そうした御仁故に」
「もう一人の家老片桐殿もな」
「押しが弱く」
「言えぬ、茶々様にな」
「それで、ですな」
「大坂には茶々様を止められぬ者がおらぬ」
それこそ一人もというのだ。
「代わりに徳川家にあたれる御仁もな」
「父上なら」
幸村は昌幸を見て彼に問うた。
「如何でしょうか」
「出来る」
昌幸は一言でだ、我が子の問いに答えた。
「わしは信玄様、四郎様にお仕えしてきた」
「そうですな」
「武田家二代にな」
「そしてそのうえで」
「お二方それぞれに進言しお止めもしてきた」
「だからこそ」
「茶々様にも出来る」
こう言い切った。
「まして元は十万石の大名だったのじゃ」
「その重みもあり」
「わしなら出来る」
「茶々様をお止めすることが」
「言葉でもな」
「そうですな」
「しかしそれが出来るのはわしだけじゃ」
あくまで、というのだ。
「若し大坂で戦が起こればな」
「そして大坂に入れば」
「わしなら茶々様をお止めして静かにして頂く」
「しかし」
「他の者には出来ぬ」
「では」
「うむ、今の大坂はどうにもならぬ」
その何もわかっておらず見えず聞こえない茶々が実質的な主であるからだ。
「恐ろしいことになるぞ」
「そうなりますか」
「そうじゃ、勝手に己の首を絞めてな」
「そのうえで」
「己で墓穴を掘るわ、しかしじゃ」
「そこで戦になり」
「わしが入る」
大坂城、そこにだ。
「そのうえで何とでもしてやろう」
「ではその為にも」
「今は色々と考えて文武の修行に励んでいくぞ」
「わかり申した」
「してじゃ、我等は動けぬが」
ここでまた我が子に言う昌幸だった、今度言うことはというと。
「十勇士達は違うな」
「はい、あの者達ならです」
「何とかじゃな」
「高野山から出てです」
「天下を見て回ることが出来るな」
「はい」
その通りだとだ、幸村も答えた。
「あの者達の忍の腕なら」
「それならばな」
「出来ます」
こう断言した。
「ご安心下さい」
「ではな」
「はい、あの者達を各地に送り」
「天下を見てもらおう」
「では」
こうした話もしてだ、昌幸と幸村達は家族とついてきた家臣達を連れてそのうえで高野山まで入った。そうしてだった。
高野山での生活をはじめた、だがここでだ。
すぐにだ、昌幸はこんな話をした。
「ここよりもだ」
「高野山よりも」
「うむ、九度山に行こう」
こう言ったのだった。
「そうしよう」
「そうされますか」
「あそこなら御主の家臣達も動きやすい」
十勇士、彼等もというのだ。
「だからな」
「あの者達の為にも」
「ここは寒く大助の身にも応えよう」
「では」
「九度山じゃ」
そこに移ってというのだ。
「あそこで暮らすとしよう」
「何か言われませぬか」
「それ位ならな」
「高野山に近いのだ」
「まだ大目に見てもらえる」
徳川からもというのだ。
「だからな」
「あの山にですな」
「移る」
こう言うのだった。
「そしてじゃ」
「十勇士達を」
「出そう」
「その動きを調べさせ」
「我等も考えるぞ」
「まず知ってですな」
「そうしてから正しく考えられるからな」
それ故にというのだ。
「だからな」
「はい、それでは」
「うむ、十勇士達をな」
「送ります」
幸村も応える、そしてだった。
二人も周りの者達も高野山から九度山に移った、その時に高野山の座主は昌幸に自ら会いに来てそのうえで言ったのだった。
「やはり」
「はい、おわかりですか」
「そうだと思っておりました」
昌幸の心を察しての言葉だった。
「真田様も」
「答えることは」
「ですな、では拙僧は」
その昌幸にさらに言った。
「お見送りさせて頂きます」
「では」
「はい、高野山の者達は何も言いませんが」
「しかしですな」
「お気付きかと思いますが」
「見ている者がいますな」
「やはりお気付きでしたか」
座主も昌幸の言葉を聞いて頷いた。
「お流石です」
「いえいえ、これも当然のこと」
昌幸は落ち着いた声で応えた。
「それがしを警戒する御仁がおられます故」
「ですな、しかし」
「はい、承知のうえでのこと」
「だからですな」
「このことを受け入れて」
そしてというのだ。
「時を待ちます」
「そうしますか」
「今は」
「そして時が来れば」
「九度山からですな」
「それも」
「ですか、しかしこの高野山にいるよりも」
座主は必要なことはあえて語らないやり取りの中で昌幸の言葉と考えを察しつつそのうえで昌幸に応えて述べた。
「その方がいいですな」
「お察しかたじけない」
「では」
「はい、短い間ですが世話になりました」
「あの山も我等の山のうちなので」
座主は昌幸に穏やかな言葉で応えた。
「何かあれば」
「お話をですか」
「持って来て下さい」
「そしてですな」
「出来る限りのお力を」
昌幸、そして幸村にというのだ。
「そうさせて頂きます」
「かたじけのうございます」
「鍛錬の場も書も」
「そのどちらも」
「用意しお貸しします」
そうするというのだ。
「ですから」
「はい、それでは」
「書はやはり」
「常に読んでいきたいです」
学問をする為だ、このことは昌幸も幸村も忘れない。学問から己を磨き時が来れば学問で備えた力を活かすつもりなのだ。
「上田からも多く持ってきましたが」
「この高野山は歴史も長く」
「書もですな」
「仏門のものだけではなく」
実に多くの様々な書がというのだ。
「ありますので」
「それでは」
「目録も送りますので」
どの様な書があるかだ、高野山に。
「所望の書があれば」
「お話させて頂きます」
「ではその時は」
「お願いします」
こう話してだ、昌幸は座主と話をしてだ。九度山に入った。そのうえでその山に居を構えて住みはじめた。
幸村は九度山に入るとその日のうちに鍛錬と学問をはじめた。槍術に水練、忍術と上田でしていた鍛錬をそのままだ。
励んでいた、それは十勇士達も同じでだ。
彼等は共に日々汗を流していた、だがここで十勇士達は幸村と山を駆け巡りつつだ。主に対してこんなことを言った。
「高野山も鍛錬になりますし」
「今も行くことがありますが」
「やはり山で鍛錬していますと」
「上田の時と同じくですな」
「忍術にいいと感じますな」
「そうじゃな、山を駆け巡ることはな」
まさにとだ、幸村自身山を駆け巡りつつ応えた。
「よい鍛錬になる」
「左様ですな」
「忍術の鍛錬に最適です」
「足腰、手や肩も鍛えられます」
「こんなにいいものはありませぬな」
「水練と共に忘れてはなりませぬな」
「木では猿の様にじゃ」
幸村は獣にも例えて話した。
「水では河童の様にじゃ」
「そして地では狼の様に」
「そう動くのですな」
「そうじゃ、平地では馬の様にでじゃ」
こうも言った。
「動く様にするぞ」
「わかり申した」
「ではです」
「このまま鍛錬を積み」
「そうして」
「いざという時に備えるのじゃ」
こう言うのだった。
「よいな」
「はい、承知しております」
「我等もです」
「そしてそのうえで」
「時が来れば」
「暴れてやりましょうぞ」
「父上が言っておられる」
幸村はこうも言った。
「時は必ず来るとな」
「また天下が動くのですな」
「その時はですな」
「間違いなく来る」
「だからこそですな」
「今は鍛錬じゃ」
それに励むべきだというのだ。
「そうしようぞ、日々な」
「ここは鍛錬にはいい場所ですし」
「是非共励むべきですな」
「汗をかいていく」
「毎日ですな」
「そうするのじゃ、ではこの鍛錬の後はだ」
幸村は草木の間を風の様に駆ける、だが木の枝を全て見事に避けて怪我をすることはない。それは十勇士達も同じだ。
「飯にしようぞ」
「ですな、ではです」
「用意してある麦の握り飯を食いましょう」
「そうしましょうぞ」
「うむ、麦飯を食ってな」
その握り飯をというのだ。
「少し休んでだ」
「それからもですな」
「鍛錬に励む」
「そうしますか」
「是非な、それとじゃが」
ここでまた言った幸村だった。
「夜は学問じゃ」
「殿はですな」
「そちらも励まれますな」
「そうされますな」
「うむ」
その通りという返事だった。
「そうする、幸い高野山がどんどん書を貸してくれるらしい」
「書をですか」
「高野山がですか」
「あちらにはかなりの蔵書がありますが」
「それをですか」
「うむ、そうしてくれるということだからな」
それでというのだ。
「是非読ませてもらう」
「ですか、こちらでもですな」
「鍛錬と学問に励まれる」
「そうされるのですな」
「そうじゃ、励みに励み」
そうしてというのだ。
「またな」
「はい、また世に出た時は」
「その時に充分な働きをしましょうぞ」
「戦になれば大暴れしましょうぞ」
「我等十一人で」
「そうじゃ、ではこのまま飯の時まで鍛錬じゃ」
幸村はその言葉通り鍛錬を続けた、そしてだった。
実際に麦飯のお握りも食ってだ、また日が落ちるまで修行をしてそれからは風呂に入り晩飯の後は書を読んだ。この日はそうして過ごし。
次の日もだった、彼は修行を続けてだ。十勇士達にこうも言った。
「御主達には時折な」
「はい、外に出てですな」
「世のことを調べてくる」
「そうせよというのですな」
「そうじゃ」
その通りという返事だった。
「よいな」
「はい、わかりました」
「それではです」
「我等殿のお言葉通り世に密かに出てです」
「世のことを調べてです」
「こちらに戻ってきます」
「頼むぞ、その時はな」
こう言って時折外の世界を調べさせた、だが幸村自身は流石に九度山から出られず昌幸と共に留まった。そして世の動きを聞くと。
「ふむ、お拾様とか」
「はい、徳川の千姫様がです」
「ご成婚されます」
「そのお話が進んでいます」
「内府殿が将軍になられ」
「江戸に幕府を開かれましたし」
「その江戸もです」
こちらの話も出た。
「かなりです」
「今現在天下から人を集めまして」
「城を築き町を整え」
「これまでにない普請が行われております」
「大坂の時以上の」
「凄いものになっております」
「ふむ、幕府を江戸に開かれてか」
幸村もその話を聞いて言う。
「そのうえでか」
「城も町もです」
「人を多く集めてです」
「普請にかかり」
「江戸はかなり変わろうとしています」
「これまで何もなかった場所がです」
「とてつもない大きな城が出来てきてです」
「町も出来てきてです」
「川も堤が整えられ」
「見違えるまでに変わろうとしています」
「それが今の江戸です」
「江戸がそうなればな」
どうなるかとだ、幸村はその江戸のことを思い出しつつ述べた。
「やはりな」
「違いますな」
「そうですな」
「関東全体がです」
「これまでとはうって変わりますな」
「鎌倉や小田原だけでない」
それこそというのだ。
「あの地が大きく変わるとな」
「関東の全てがですな」
「大きく変わり」
「これまでとはうって違う」
「そうした様になりますか」
「そうなるであろう」
こう十勇士達に述べた。
「やはりな」
「ですか、ではですな」
「これからもですな」
「江戸のことを見よ」
「そうせよというのですか」
「そうじゃ、ただ気をつけよ」
ここでこうも言った幸村だった。
「ここにも真田の忍道がありそれを使っているが」
「ですな、ここに入った時からです」
「視線を感じます」
「幕府からの目付ですな」
「それが常にいますな」
「伊賀か」
幸村は鋭い目になり言った。
「伊賀者が周りにおるか」
「幕府に仕えている」
「あの忍の者達ですか」
「そうじゃ、そして伊賀の中でも手練の者達がな」
まさにというのだ。
「常に我等を見ておる」
「だからですな」
「伊賀者達に見付からぬ様にですな」
「気をつけて天下に出る」
「真田の忍道を使う」
「この道は誰も知らぬ」
それこそだ、真田家の者達以外にはというのだ。
「父上と兄上、拙者にじゃ」
「我等ですな」
「我等だけがですな」
「真田の忍道を知っている」
「伊賀者さえも知らぬ」
「そうした道ですな」
「その道を使ってじゃ」
そしてというのだ。
「通るのじゃ、よいな」
「わかり申した」
「ではこれからもです」
「あの道を使って天下に出ます」
「江戸にも向かいます」
「他の国にも」
「そうせよ、流石に拙者は出られぬ」
幸村はこのことは歯噛みして述べた。
「父上と拙者はな」
「影武者を使われては」
筧がここで言った。
「そうされては」
「ふむ、影武者を使えば」
海野は筧のその言葉に頷いた。そのうえで言った。
「殿もな」
「我等は忍、変装もお手のものじゃ」
望月も言う。
「ならばな」
「殿が出られる時は我等の誰かが殿に化ける」
由利は実際に瞬時に変装して顔だけ幸村になってみせた。それは本人を前にして鏡合わせの様であった。
「こうしてな」
「よし、こうすればな」
清海も変装したが彼も幸村そっくりであった。
「よいな」
「いい考えじゃ」
穴山は笑って述べた。
「流石十蔵、我等の知恵袋じゃ」
「では殿もじゃな」
根津の言葉は確かなものだった。
「天下に出られるな」
「殿も変装が出来るし」
霧隠はこのことを指摘した、幸村自身十勇士に負けぬ忍の腕を備えておりそうしたことも得意としているのだ。
「ならば」
「はい、よいお考えです」
伊佐は霧隠のその言葉に頷いた。
「では我等も殿も変装して」
「よし、天下を見て回るか」
最後に猿飛が笑って言った。
「我等十一人それぞれで」
「ふむ、そうじゃな」
幸村も十勇士達の言葉を聞き考える顔で述べた。
「それもよいな」
「左様ですな」
「それではです」
「我等も殿も変装してです」
「真田の忍道を使って天下に出ましょう」
「そして天下の動きをを知りましょうぞ」
「ではな、しかし伊賀者には注意せねばな」
自分達を見ている彼等にはというのだ。
「服部半蔵殿は相当な切れ者、しかもその臣下には強者が揃っている」
「噂では十二神将がいるとか」
「十二人の上忍がいてです」
「その一人が恐ろしい者達だとか」
「そう聞いておりますが」
「おそらく常に十二神将の一人がじゃ」
その彼等がというのだ。
「我等を見張っておる」
「そうなのですか」
「だからこそですな」
「我等は用心して」
「そしてですな」
「うむ、拙者も出よう」
こう言うのだった。
「是非な」
「わかりました」
「それではです」
「天下の動きを見ていきましょう」
「この山を拠点として」
「時は来るからのう」
その時までというのだ。
「そうしようぞ」
「わかり申した」
「ではです」
「大殿にもこのことをお話し」
「そのうえで」
「やっていくぞ」
こう言ってだ、実際にだった。
幸村は昌幸にこのことを話した、すると昌幸は我が子ににやりと笑って言った。
「それでこそ真田の者じゃ」
「では」
「そうせよ」
是非にという言葉だった。
「よいな」
「さすれば」
「影武者自体よいことじゃ」
このこともというのだ。
「敵の目を惑わせる」
「信玄公の様に」
「うむ、身代わりでなくともな」
「相手を惑わせる為に」
「使えればじゃ」
その場合はというのだ。
「使うことじゃ」
「わかり申した」
「ではな、しかし御主も影武者を使うか」
昌幸はあらためてだ、笑って幸村に言った。
「面白いことになったわ」
「そう言われますか」
「わしを越えるやもな」
「父上を」
「色々と言われてきたわしをな」
智将謀将とである。
「そうなるやもな」
「それは」
「いや、子は親を越えるものじゃ」
「だからですか」
「そうなるのじゃ、わしを越えてじゃ」
そうしてというのだ。
「天下一の武士となれ」
「そう言われますか」
「それがお主の願いであろう」
「はい、それがし権勢も冨貴も求めませぬ」
そうした世俗のことはというのだ。
「ただ道を進み極めたいだけです」
「武士のじゃな」
「ですから」
「では天下一の武士となりじゃ」
「そしてすな」
「わしを越えよ、わし以上のものになれ」
こう我が子に言うのだった。
「よいな」
「はい、さすれば」
「影武者も覚えてな」
「その術も使い」
「存分に励むのじゃ」
「その様に」
「それで天下を巡るのもよい」
この九度山を出てだ、真田家の限られた者達だけが知っている忍の道を使い。
「天下を知りそしてじゃ」
「これからのことを考える」
「そうせよ、流石にわしはここからは出られぬからな」
何しろ真田家の主であり流されている張本人だ、だからこそだ。
「だから御主達だけでもな」
「外に出て」
「天下の動きを見て参れ」
「さすれば」
「幕府だけでなく諸大名の動きも見よ」
昌幸は幸村にこうも言った。
「よいな」
「大名の方々も」
「それでどの家がどう考えどう動くのかをな」
「見てそして」
「頭に入れておくのじゃ」
「わかりました」
幸村はまた昌幸に答えた。
「それでは」
「その様にな、では外に出るのじゃ」
「それがしも」
「是非そうせよ」
こう幸村に言ってだ、実際に天下に出ることを許した。こうして幸村も九度山から出られることになったが。
その彼にだ、家臣の一人がこんなことを言ってきた。
「何でもこの山にです」
「九度山にか」
「来られる方がおるとか」
「それは誰じゃ」
「はい、何でも猿飛殿のご親戚とか」
「佐助のか」
「そう言われていますが」
こう幸村に話した。
「どうされますか」
「佐助のか」
「そうです」
「そうじゃな」
少し考えてからだ、幸村はその家臣に答えた。
「会おう」
「そうされますか」
「うむ」
家臣にまた答えた。
「その者にな」
「では」
「幸い今十勇士は全てここにおる」
猿飛だけでなくというのだ。
「出ていた者も帰ってな」
「それでは」
「すぐに拙者の屋敷に呼んでくれ」
その者をというのだ。
「よいな」
「わかり申した」
「その御仁が来ればな」
その時はとだ、幸村は言った。
「そうしようぞ」
「では殿も」
「会おう、しかしな」
「しかし?」
「佐助に親戚がおったのか」
「その様ですな」
「そういえば祖父殿と暮らしておったというが」
「その祖父殿でしょうか」
家臣も今一つわからないといった顔で応えた。
「それでは」
「そうじゃな、しかし佐助と拙者が会ったのは二十年以上前じゃ」
気付けばそれだけの歳月が経っていた、他の十勇士達とそれは同じだ。
「その頃に言っておったからな」
「二十年となると」
「今もご存命か」
「そうなりますと」
「果たしてどうなのか」
「わかりませぬな」
「うむ」
どうにもとだ、家臣に答えた。
「その祖父殿以外の縁者の話は聞いておらぬ」
「それでは」
「その祖父殿と思うが」
それでもというのだ。
「果たしてどうなのか」
「若しや刺客では」
「刺客ならば何ともない」
強くともとだ、幸村は言い切った。
「誰が来ようともな」
「受けて立たれますか」
「そのつもりじゃ、刺客を退けるのも武士の戦」
「だからこそ」
「そうする、拙者一人でもそうするしじゃ」
「十勇士の方々がおられる」
「例え刺客が目の前、いや背中に来ても驚かぬ」
全く、というのだ。
「その時が来てもな」
「殿は」
「そうじゃ、しかしじゃ」
「佐助殿の縁者なら」
「是非会おう」
また家臣に言った。
「ではまずは佐助に会おう」
「さすれば」
こうしてだ、幸村はまずは猿飛の話を聞くことにした。そのことを決めてすぐに十勇士達を全て呼んでだった。
猿飛の話を聞いた、すると彼はすぐにこう言った。
「いや、まさか祖父殿が来るとは」
「思わなかったか」
「はい」
全く心外という返事だった。
「ずっと伊予に隠棲したままと思っていました」
「ああ、そういえば御主伊予生まれじゃな」
「そうであったな」
ここで他の十勇士達も言った。
「それで伊予で忍術の修行を積んでおったな」
「祖父殿に忍術を教えられてじゃな」
「それであちこちを渡り歩いておったな」
「そうじゃ、わしは両親よりも祖父殿と一緒におることが多く」
猿飛自身も言う。
「祖父殿に手ずから忍術を教えてもらったのじゃ」
「それで忍術を身に着けてか」
「世に出て渡り歩いてか」
「さらに強くなり殿とも出会い」
「そして今に至るか」
「そうじゃ、殿とお会い出来たのは僥倖であった」
こうも言った猿飛だった。
「天佑であった、しかし祖父殿はな」
「ずっとか」
「伊予の山奥に隠棲しておる」
「そうとばかり思っておったか」
「父上は普通の猟師じゃ」
それで生計を立てているというのだ。
「父上も忍の術を知っておるがそれはあまり使わずにな」
「普通にか」
「猟師をして暮らしておられるのか、お父上は」
「そうなのか」
「うむ、祖父殿は若い頃大内家に仕えておったがな」
しかしというのだ。
「ほれ、その大内家じゃが」
「うむ、滅んだな」
「家臣の陶殿に背かれてな」
「それでご当主殿が腹を切られてな」
「後はただおるだけになった」
「そして毛利家に滅ぼされたな」
「陶殿の謀反が起こる少し前に大内家を去ってな」
そしてというのだ。
「伊予の山奥で忍の術を使って魚や山菜や獣を取って暮らしておったが」
「その祖父殿が何故来られた」
「気になるのう」
「一体何であろうな」
「我等も気になる」
「全くじゃ」
猿飛自身も言う。
「またどうして伊予から出て来たのであろう」
「只孫に会いに来られたのではあるまい」
幸村は袖の中で腕を組んだうえで言った。
「やはりな」
「それはそうですな」
「まずそれはないですな」
「それでわざわざ伊予からこの山に来られるなぞ」
「考えられませぬな」
「さて、何であろうか」
幸村もわからなかった、このことは。
「そのことはお会いすればわかるな」
「流石に幕府から何か言われたことはないと思いますが」
考えつつだ、猿飛は幸村に述べた。
「しかしです」
「それでもじゃな」
「はい、やはり気になります」
「そうじゃな」
「祖父殿も九十になりますし」
「ほう、九十か」
「そうなります、まだ歩けることすらです」
このことだけでもというのだ。
「それがしも信じられませぬ」
「そうであるな」
「しかしです、殿が会われると言われるなら」
「御主もじゃな」
「はい」
幸村に淀みのない声で答えた。
「さすれば」
「さて、どういった御仁であろうか」
幸村はここで微笑んでこんなことも言った。
「佐助の祖父殿はな」
「はい、拙者も二十年は会っていませんし」
「それ位か」
「もっと言うと二十数年でしょうか」
細かい歳月は猿飛自身わからなかった。
「二十二年か三年か」
「それ位か」
「何しろ伊予から出て数年はあちこちを旅していましたので」
所謂武者修行を行っていたのだ。
「それ位は会っておりませぬ」
「二十二年か三年か」
「それ位です」
「ふむ、伊予から出て拙者と会ったのは一年か二年か」
「それ位でしょうか」
「わかった、何はともあれ二十年以上じゃな」
「会っておりませんでした」
その祖父と、というのだ。
「実は生きてるか死んでるかも」
「今までか」
「わかりませんでした」
そうしたことだったというのだ。
「いや、恥ずかしながら」
「もう伊予に戻るつもりはなかったか」
「これといって」
これもまた実際にという返事だった。
「左様でした」
「拙者と共にか」
「まさに死ぬ時と場所は同じと思っていましたので」
だからだというのだ。
「祖父殿にもです」
「お会いすることはか」
「考えていませんでした、ですが」
「お会いするならか」
「はい、会います」
「孫としてか」
「そうします」
「わかった、では我等十一人で会おう」
幸村は笑って猿飛に応えこうも言った。
「義兄弟全てでな」
「我等全てで」
「御主の祖父殿なら我等の祖父殿でもある」
義兄弟だからだとだ、幸村は笑って述べた。
「ではな」
「わかり申した、では」
「我等の祖父殿とお会いしよう」
こう話してだ、幸村は佐助の祖父と会うことにした。そしてそのうえで彼が九度山に入るのを待つのだった。
巻ノ八十四 完
2016・12・1