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巻ノ八十五

                 巻ノ八十五  猿飛大介

 幸村達の前に猿飛の祖父が来た、それは猿飛よりも遥かに小さく背中がやや曲がった老人だった。髪は雪の様に白く髭も同じ色だ。顔は猿飛の面影があるがそれ以上に猿に似ていた。

 その老人がだ、こう幸村に対して頭を下げて名乗った。

「猿飛大介といいます」

「真田源次郎幸村です」

 幸村も名乗った。

「以後宜しくお願いします」

「孫がお世話になっています」

「いえいえ、我等こそです」

「佐助にですか」

「何かと助けてもらっております」

 微笑んでだ、幸村は猿飛大介に話した。

「その術で」

「それならよいのですが」

「それにです」

「それにとは」

「我等は全て義兄弟です」

 幸村は大介にこのことも話した。

「佐助もここにいる全ての者が」

「十一人の方全てが」

「はい、我等は義兄弟の契を交わしています」

「生きるも死ぬも共に」 

 猿飛は笑って己の祖父に言った、十勇士達はそれぞれ幸村の前に控えそのうえで大介と対している。

「そう誓った」

「そうなのか」

「そうじゃ、祖父殿には伝えてなかったがな」

「御主ずっと文一つ寄越さなかったな」

「書いて届く場所であったか」

「そう言われると違うがのう」

「そういうことじゃ、それは無理であったからな」

 だからだというのだ。

「わしも文は送らなかった」

「真田家に仕える様になったとは聞いておったがな」

「なら充分であろう」

「そしてその真田家の大殿がここに流罪となってじゃ」

「わしに会いに来たのか」

「御主もかと思ってな」

「そして実際にという訳か」

 猿飛も祖父の話を理解して言った。

「わしがここにおった」

「左様じゃ、ここに来る途中獣達の話を聞いておるとな」

「そしてこの九度山まで来たか」

「そういうことじゃ、二十年以上会うてなかったが」

 祖父としてだ、大介は孫の顔を見て笑って述べた。

「元気そうで何よりじゃ」

「ははは、そうか」

「うむ、大きくなったしのう」

「この中では小さい方だと思うが」

「わしと別れて山を降りた時よりはじゃ」

「大きいか」

「そうじゃ、だから言ったのじゃ」

 今の様にというのだ。

「そういうことじゃ」

「そうであったか」

「それでじゃが」

 大介はあらためて言った。

「ここに来て思ったことじゃが」

「何じゃ?それは」

「まだ諦めておられませぬな」

 幸村に顔を戻してだ、大介は彼に問うた。

「ここで終わるつもりはありませぬな」

「そう思われるか」

「違いまするか」

「佐助の祖父殿となれば我等の祖父殿と同じ」

「では」

「備えておりまする」

 こう言ったのだった。

「それがしも」

「目は死んでおりませぬ、そして穏やかでもありませぬ」

「そうした目ですか」

「今の真田様のお目は、そして」

 自分の孫も十勇士の他の者の目も見て言った。

「孫も他の方々も」

「時が来ればです」

「そうですな、ではです」

「ではとは」

「それがしがここに来た介がありました」

 大介は笑ってだ、幸村にこうも言ったのだった。

「何よりです」92

「といいますとまさか」

「いや、それがしも歳ですから」

 大介は笑って幸村に言った。

「何時あの世にかわかりませぬ」

「それ故に」

「それがしの術の全てをです」

「我等にですか」

「お伝えしたいと思いまして」 

 そう思ってというのだ。

「こちらに参りました」

「そうでしたか」

「宜しいでしょうか」

 大介は幸村にあらためて問うた。

「その様にして」

「祖父殿がそう言われるなら」

 幸村は大介の気持ちを汲み取って答えた。

「それでは」

「わかり申した、ではこれよりです」

「祖父殿の忍術の全てを」

「殿と佐助、そして他の義兄弟の方々にも」

 十一人全員にというのだ。

「そうさせて頂きます」

「では頼む」

「今より」

 こうしてだ、幸村と十勇士達は大介の忍術を教わることになった。彼等は屋敷の外に出て森や険しい山それに川においてだ。

 忍術の鍛錬に励んだ、大介は高齢を感じさせない猿の様な動きで休みなく動く。そのうえで孫に対して言った。

「ふむ、あの時よりも遥かにな」

「腕をあげておるか」

「見事じゃ、流石我が孫じゃ」

「ははは、褒めてくれるか」

「うむ、しかしじゃ」

 ここだ、大介は。

 木の葉に念を入れて手裏剣にして投げた、そしてその手裏剣をかわした猿飛に対して今度はこう言った。

「かわす間が遅い」

「今でか」

「そうじゃ、一瞬だがじゃ」

 それでもというのだ。

「遅いわ」

「その一瞬がか」

「問題じゃな」

「一瞬といえど時は長い」

「その一瞬をじゃ」

「速くせよというのじゃな」

「うむ」

 その通りとだ、大介は孫に言った。二人で山の中を凄まじい速さで駆けながら。

「もっとな」

「かわすだけでは駄目か」

「飛んで来るものは一つか」

「そうとも限らぬ」

「ではじゃ」

「手裏剣一つはか」

「かわしてじゃ」

 そしてというのだ。

「次に備えよ、我等の名も思い出せ」

「猿飛か」

「猿の様に飛ぶじゃな」

「そして動く」

「佐助、猿になれ」

 大介は孫にこうも言った、木と木の間を抜け深い森の中を進みながら。

「御主は身体が大きくなった、しかしな」

「それでもじゃな」

「そうじゃ、狒々はどうじゃ」

「猿よりもずっと大きいわ」

「しかし動きは速いな」

 山の中でもだ。

「猿と同じ様に動くな」

「だからじゃな」

「御主もそうなれ」

 例え身体が大きくとも、というのだ。

「猿の様に、大きくともじゃ」

「狒々の様になり」

「動け、よいな」

「わかった、ではな」

「御主、殿も他の御仁も今以上に強くなる」

「だからか」

「より鍛錬に励め」

 こう言ってだ、今度は二枚だった。

 大介は木の葉に念を入れた手裏剣を放った、すると猿飛はその二枚共駆けつつかわしたが大介はその孫に今度はこう言った。

「それでよい」

「今のでか」

「一瞬を縮めたな、それにじゃ」

「さらにじゃな」

「動きが先程より短かった」

 かわすそれがというのだ。

「一瞬を縮めてじゃ」

「かわす仕草もじゃな」

「短くせよ」

「紙一重か」

「紙一重のその一重よりもじゃ」

「さらにか」

「短くせよ」 

 そうせよというのだ。

「わかったな」

「一瞬を縮めさらに動きも」

「そうしていけ、わかったな」

「わかった」

「そして草木や石の言葉も聞け」

 こうもだ、大介は孫に言った。

「よいな」

「そうしたものの声もか」

「猿や鳥だけではない」 

 さらにというのだ。

「そうしたものの声も聞いてじゃ」

「そしてか」

「動くのじゃ、潜んでおる時もじゃ」

「その時もか」

「聞くのじゃ」

 こうも言ったのだった。

「そうすればさらにわかる」

「色々なことが」

「耳を澄ませ心を静かにせよ」 

 そうしてというのだ。

「そうすれば聞ける」

「草木や石の声も」

「川の声もじゃ」

「そうして動き潜むべきか」

「そうせよ、わしの忍術の極意じゃ」

 そうしたものの声を聞くこと、そのこともというのだ。

「わかったな」

「それではな」

「まだ聞こえぬな」

「猿や犬、鳥の言葉はわかる」

 このことは幸村と会った時からだ、猿飛はそこまでは出来ているのだ。

「しかしな」

「そうじゃな、ではな」

「さらにか」

「そうしたものの声も聞ける様になれ」

「出来るか、わしに」

「出来る、御主だけでなくな」

「殿にじゃな」

 猿飛はまた言った。

「十勇士の他の者達も」

「必ず出来る」

 大介も太鼓判を押した。

「だから言うのじゃ」

「そういうことか」

「そのこともこれから教える」

「そうしてくれるか」

「それはあと少しでじゃ」

「我等全員が出来るか」

「必ずな」

 鳥や獣の声だけでなくというのだ。

「だから修行をしていくぞ」

「わかった、ではな」

「御主にはわしの全てを授ける」

 特に孫にはだ、大介は強く言った。

「他の方にもそうするが」

「わしにはか」

「御主はわしの孫、しかもわしに最もよく似ておる」 

 だからだというのだ。

「教えればわしの全てをありのまま受け継いでくれるわ」

「忍としてか」

「そうじゃ、そしてな」

「そして?」

「わし以上の者になる」

 さらにというのだ。

「それだけのものがあるわ」

「そうなのか」

「佐助、わし以上に強くなれ」

 これまで以上にというのだ。

「そしてその力で殿をお助けし」

「そうせよというか」

「天下に翔けよ、御主にはそれが出来る」

「天下をか」

「翔けてそしてな」 

 さらにというのだ。

「永遠に名を残すわ」

「それが出来るか」

「だから強くなれ」

「うむ、ではな」

「わしよりも遥かにな」

 こう言ってだ、大介は自ら猿飛に稽古をつけた。それは幸村も十勇士達も同じでだ。彼等は大介の教えを受けてだ。

 これまでとは違った修行を行った、すると実際にだ。

 鳥や獣の声だけでなく草木や水、石の声が聞こえる様になった。聞こうと思えばその声が自然と耳に入る様になった。

 それでだ、猿飛は幸村の屋敷で祖父に言った。幸村そして十勇士の他の面々も共にいるその場所においてだ。

「聞ける様になったわ」

「草木や石の声がじゃな」

「水の声もな」 

 それもというのだ。

「何も言わぬ者達の声が」

「そうであろう、そうすればわかるな」

「うむ、今までわからなかったことがな」

 実にとだ、猿飛は祖父に確かな顔で答えた。

「わかる様になった」

「そしてじゃな」

「何かとわかる様になった」

 猿飛はまた確かな顔で言った。

「これまでわからなかったことが」

「そうなればじゃ」

「これまでよりもか」

「よく動ける様になる」

「忍としてか」

「そうじゃ、そのことを使ってじゃ」

「我等はか」

 猿飛は祖父にまた言った。

「天下をか」

「殿に従いな」

「翔けよというのじゃな」

「その通りじゃ」

「そうか、わかった」

「して殿」

 大介は幸村にも顔を向けて彼に問うた。

「殿は別に権勢や冨貴には興味がおありではないですな」

「うむ、そういったものにはな」

 実際にとだ、幸村は大介にもこのことを話した。

「拙者は興味がない」

「一切ですな」

「幼少の頃からな」

「ですな、しかし」

「志すものはある」

 それはというのだ。

「天下一の武士になりたい」

「武士の道を歩まれ」

「そうしたい」

「ではです」

「御主に教えてもらったことをか」

「そのことにお役立て下さい」

 こう幸村に言うのだった。

「是非共」

「天下一の武士になる為にか」

「そうされて下さい」

「わかった、ではな」

「草木や石、水の声も聞かれ」

「そうしようぞ」

「このことは兵法、戦にも役立ちます」

 大介は幸村に確かな声で述べた。

「ですから必ずです」

「天下一の武士にか」

「なれ申す、ただ空には限りがありませぬ」

「何処までも高いか」

「近頃そう言われていますな」

「南蛮の者達がそう言っておるな」

 幸村は大介に応えて述べた。

「空は実は限りなく高い」

「天が動いているのではなくこの地が動いておるとか」

「そう言っておる」

「それがしもそう思います、ですから」

「空はじゃな」

 幸村も応える。

「道を進むのを登ると考えれば」

「何処までもあります、ですから」

「拙者もか」

「高い場所は限りがありませぬ」

「道のじゃな」

「ですから何処までもです」

「高い場所にか」

「進まれて下さい」

 こう幸村に言うのだった。

「是非」

「ではな」

「はい、何処までも」

「そうしよう、拙者は進んでいく」

「それではさらにです」

「忍術を教えてくれるか」

「是非、それとですが」

 大介はさらに言った。

「殿の佐助も他の十勇士の御仁も」

「皆じゃな」

「時折ここから出られていますな」

「そのことも承知されていたか」

「はい、今はここにおられますが」

 幸村も十勇士達もというのだ。

「そうされてきましたな」

「天下を見て知る為に」

「そうでしたな、ですがそれならばです」

「それならばとは」

「よく天下を御覧になって下さい」

 大介は畏まってだ、幸村に話した。

「そのうえでお動きをお考えになって下さい」

「出てもよいか」

「それがしもそう思います、そして」

「さらにじゃな」

「はい、天下にはそれがしの他にもおります」

「術に優れた者が」

「殿も佐助も他の十勇士の御仁も」

 即ち十一人全てがというのだ。

「そうした方々と会われ」

「術をか」

「さらに身に着けて下され」

「時に備えてじゃな」

「そうされて下され」

「わかった、ではな」

「天下は広うございます」

 このこともありというのだ。

「ですから」

「そうした者達と会い」

「さらにお強くなって下さい」

「ではな、しかし」

「しかし?」

「一つ思うことは」

 それはというと。

「殿はいつも高野山にも行かれていますな」

「そのことか」

「はい、やはり」

「うむ、関白様のことがな」

 秀次、彼のことをとだ。幸村は袖の中で腕を組みそのうえで神妙な顔になって大介にこのことについて話した。

「やはりな」

「お気にですか」

「あってな」

「よくして頂いていたとか」

「何かとな」

「だからですか」

「もう言っても仕方ないが」 

 それでもというのだ。

「思い出してな」

「そのうえで」

「日々お墓に参らねばな」

「そうせずにいられませぬか」

「高野山からは離れた」

 このことは確かだ、今実際に父と共に九度山にいる。

「しかしな」

「それでもですな」

「よくして頂いたご恩、忘れられぬ」

 そして助け出せなかった悔恨、これもあってだ。

「日々参らせてもらっておる」

「そうなのですか」

「そうじゃ、もうどうにもならぬがな」

「若しもです」 

 ここでだ、大介はこんなことも言った。

「関白様がご健在なら」

「それならばじゃな」

「もっと言えば大納言様もおられれば」

「今の様にはな」

「豊臣家もなっていませんな」

「そう思う、今の大坂の主は茶々様じゃが」

「それがしもここに来るまでに聞きました」

 伊予から九度山に入るまでにだ。

「茶々様はです、何かと」

「言われておるな」

「はい、我が儘といいますか」

「不都合なことをじゃな」

「申されてばかりだとか」

「あの方はそうした方じゃ、政のことも戦のこともな」

 そのどちらもというのだ。

「全くわかっておられぬ」

「左様ですな」

「あの方が大坂の主であられると」

「大坂は危ういですな」

「危うい方に危うい方にとな」

「進まれていますな」

「危うい、右府殿は決してじゃ」

 家康、彼はというと。

「豊臣家を滅ぼすおつもりはない」

「そうなのですな」

「うむ、天下人であられてもな」

「豊臣家を滅ぼすまでは」

「お考えではない」

 このことだ、幸村はわかっていて言った。

「決してな」

「国持のですか」

「大名として扱われるおつもりじゃ、官位もな」

「高く」

「別格として扱われるおつもりじゃ」

 それはというのだ。

「大名の中でもな」

「そう思いますと」

「間違わなければな」

「豊臣家も安泰ですな」

「その筈じゃ、しかしな」

 どいうもとだ、また言った幸村だった。

「茶々様はわかっておられぬ、そしてじゃ」

「周りの方々も」

「わかっておられないか止められぬ」

 大坂にいる者達もというのだ、今現在。

「それが出来る方々が残っておられぬ」

「大坂には」

「だからよくない、あのままでは」

「やがてはですな」

「自らじゃ」

 それこそというのだ。

「危うい道に入らえる」

「そうなっていきますか」

「それが厄介じゃ、しかし」

「そのことから」

「拙者達がまた世に出ることになるやもしれぬ」

 このことも読んで言うのだった。

「因果なものじゃな」

「そうですな」

「しかしじゃ」

「出られたならば」

「それが天命とも思ってな」

 そうしてというのだ。

「拙者は戦う」

「そうされますか」

「十勇士達と共にな」

「それは何より、では」

「それではじゃな」

「それがしもう少しここにおります」

 こう幸村に述べた。

「そしてです」

「忍の術を教えてくれるか」

「是非、それでは」

「頼む」

「全ては殿と佐助達の時まで」

 まさにその時の為にというのだ。

「お授けします」

「それではな」

 こうしてだ、幸村と十勇士達は大介に稽古をつけてもらい忍術をさらに極めていった。そして十一人全員がだ。

 己の術を全て覚えたと見てだ、大介は幸村達に言った。

「では」

「これでか」

「それがしは伊予に戻ります」

 彼の家にというのだ。

「そうします」

「左様か」

「はい、特に佐助には」

 自身の孫に顔を向けて幸村に言った。

「それがしを越えるだけのものを」

「授けたか」

「そうしました」

「ではか」

 猿飛もここで言った。

「わしは祖父殿以上の力を以て」

「殿をお助けするのじゃぞ」

「わかった、ではな」

「まだ足りぬと思えばじゃ」

「伊予でか」

「さらに稽古をつけてやる」 

 笑ってだ、孫に言うのだった。

「そう思えば来い」

「ではな」

「もっともっと強くなるのじゃ」

 今の言葉には祖父、肉親の優しささえあった。

「そして御主もな」

「天下一のか」

「十勇士全員でじゃ」

 彼だけでなくというのだ。

「天下一の忍になるのじゃ」

「そう言ってくれるか」

「佐助、より大きくなれ」

 祖父としてこうも言った。

「わしよりも大きくなった、しかしな」

「それで慢心せずにか」

「そうじゃ、慢心はならぬ」 

 このことは釘を刺した、やはり肉親としてそうした。

「御主の目指すものは高い」

「今よりもじゃな」

「遥かに高い、果てがない」

「そうまで言っていいものか」

「だからじゃ」

「慢心せずにか」

「上を目指すのじゃ」

 忍者のそれをというのだ。

「十人でな」

「そしてじゃな」

「殿をお助けせよ、殿も目指されておられる」

「天下一の武士をか」

「果てしないその道を歩んでおられる」

「それでか」

「御主も歩め、十人で」

 また孫に言った。

「天下一の忍になるのじゃ」

「服部半蔵殿や風魔小太郎殿以上の」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「より高い、空よりも高いな」

「そうした忍になり」

「場所に目指せ、よいな」

「うむ、ではな」

「まだ修行が足りぬと思えばな」

「伊予においてか」

「わしと修行をするのじゃ」

 孫に対して言うのであった。

「わかったな」

「そう思えば行くぞ」

「待っておる、しかしわしもな」

 ここでだ、大介は笑ってこうも言ったのだった。

「歳じゃ、だからな」

「何時までもか」

「おられるかわからぬ、しかしな」

「この世におる限りはか」

「御主が来ればな」

「修行をつけてくれるか」

「そうする、草木や石の声を聞けたな」

「うむ」

 確かにとだ、猿飛は祖父に答えた。

「それはな」

「ではさらにじゃ」

「上のところをか」

「わしもまだ至っておらぬが」

「二人でか」

「至りそしてじゃ」

 その至ったものをというのだ。

「得て殿をお助けせよ」

「そうしよう、ではな」

「うむ、待っておるぞ」

 伊予、この国でというのだ。

「この世におる限りな」

「それではな」

 こう言ってだ、最後に。大介は幸村に深々と一礼すると風と共に姿を消した。幸村はその風を身体に受けつつ。

 十勇士達にだ、こう言ったのだった。

「では我等はな」

「はい、これよりですな」

「天下の動きを見つつ」

「そしてそのうえで」

「鍛錬も積み」

「さらに強くなりますか」

「拙者は天下一の武士になる」

 幸村はあらためてだ、自身でも言った。

「そして御主達もじゃ」

「はい、天下一の忍に」

「なります」

 十勇士達も誓って言った。

「必ずや」

「殿と共に」

「そうしようぞ、ではこれからも鍛錬じゃ」

 幸村は十勇士達にあらためて言った。

「そして天下一の武士、忍にな」

「なりましょう」

「そしてそのうえで、ですな」

「時が来れば」

「働きましょうぞ」

「そうしようぞ、それと天下のことはな」 

 こちらのこともだ、幸村は話した。

「わかっておるな」

「はい、これからもです」

「九度山を出まして」

「そしてですな」

「見ていきますか」

「そうせよ、拙者も出るからな」

 こう言ってだ、実際にだった。十勇士達だけでなく幸村も天下に出てその動きを見ていった。そして昌幸に言うのだった。

「お拾様と千姫様がです」

「夫婦となられたか」

「千姫様は大坂に入られました」

「左様か」

「これはです」

「うむ、大坂にとってはな」

「大きいですな」

「人質にもなる」

 昌幸はあえて言った。

「大坂のな」

「左様ですな」

「右府殿はあえて人質を送られた」

「豊臣家に対して」

「この意味は大きい」

「そしてお拾様はですな」

「右府殿の外孫になられた」

 孫の夫だからだ、そうなるのだ。

「かつて右府殿は太閤様の妹婿であられたしな」

「そのこともあり」

「無下にはされぬ」

「その意思表示ですな」

「そうじゃ、しかしな」

 その家康の意思表示をだ、昌幸は言った。

「茶々殿がおわかりか」

「それは」

「そうではない、やはりな」

「あの方だけは」

「わかっておられぬ」

 そうしたことがというのだ。

「一切な」

「そうした方ですな」

「そうじゃ、政のことは全くおわかりになられぬ」

「それが為に」

「千姫様を大坂に入れられたこともな」

「臣従とですな」

「思われておろう、しかし違う」

 昌幸は鋭い目で幸村に話した。

「右府殿は無下にせぬからじゃ」

「徳川家、幕府に臣従し」

「大阪を明け渡してな」

「他の国の国持大名となられよ」

「そう豊臣家に言っておられるのじゃ」

 家康の考えをだ、昌幸は九度山にいながら全てわかっていた。江戸から遠く離れている人も少ないこの山においてだ。

「あの方は大坂が欲しい」

「あくまで」

「しかしな」

「豊臣家に臣従を求められ」

「大坂から出てもらいたいのじゃ」

「それだけですな」

「大坂城におられるとな」 

 豊臣家がというのだ。

「それだけで厄介じゃ」

「あの城は天下の名城ですし」

「籠られると敵わぬ」

「そうそうなことでは攻め落とせませぬ」

「攻め落とそうとすれば二十万の軍勢が必要か」

「籠もる兵の数にもよりますが」

「だから出来ればな」 

 昌幸はさらに言った。

「あの城を徳川家が手に入れてじゃ」

「そうしたことがない様にする」

「現に関ヶ原の前に乗っ取ろうとされた」

 大坂城、まさにその城をというのだ。

「江戸から兵を多く入れ西の丸に入り天守閣まで建てられてな」

「そうもされていましたな」

「そして大坂という地自体もな」

「はい、都にも奈良にも近く」

「土地は肥え前には瀬戸内の海もある」

「海と水の交通の要衝です」

「あそこを抑えればじゃ」 

 まさにというのだ。

「江戸で東国、大坂で西國を抑えられる」

「しかも大阪に集まる西国の富を手に入れられる」

「幕府にとって必要じゃ」

「大坂という地自体が」

「だからじゃ」

「何としてもですな」

「右府殿は大坂が欲しい」

 そうした考えだというのだ、家康は。

「それだけなのじゃ」

「豊臣家を滅ぼすのではなく」

「大坂から出てもらう」

「それだけを欲しておられる、幕府の命に従ってな」

「そう言うとかなり穏やかですな」

「もう豊臣の天下はない」

 昌幸は断言した。

「それは移った」

「左様ですな」

「そもそもお拾様だけじゃ」

「はい、それでは」

「どうにもならぬ」

「若しお拾様に何かあれば」

「それで終わる家じゃ」

 それが豊臣家だというのだ。

「関白様がああなられたな」

「はい、それが為に」

「御主も助け出そうとしたな」

「そうしましたが」

「そうであったな」

「無念です」 

 その時のことを思い出してだ、幸村は言った。

「まことに」

「あれはどうにもならなかった」

 昌幸は苦い顔で述べた。

「確かに関白様を高野山からお救いしてじゃ」

「その後はどうにかですか」

「生き延びられる様にも出来た」

 それはというのだ。

「しかしそれでも関白様の奥方、お子の方々も助からなかった」

「あのままですな」

「首を撥ねられておった、それにあの方も武士であられた」

「だからこそ」

「あの方は逃げられなかった」

「そして」

「あの様にな」

 腹を切ったというのだ、潔く。

「そうされたのじゃ」

「そうなのですか」

「そうじゃ、しかし御主はまだ」

「無念に思っております」 

 沈痛なその顔に本音が出ていた。

「実に」

「だから今も関白様の墓参りをしておるか」

「左様です」

「そうか、そしてあの方のお言葉をか」

「忘れておりませぬ」

「それもあり天下一の武士をじゃな」

「目指しております」

 実際にというのだ。

「そうしております」

「そうか、ではな」

「これからも」

「その道を歩め、そしてまことにな」

「天下一の武士になれと」

「わしからも言う、御主の道は険しい」

 天下一の武士の道、それはいうのだ。

「しかしその道を歩むのならじゃ」

「最後までですな」

「行くのじゃ、よいな」

「わかりました」

 確かな声でだ、幸村は答えてだ。父にも誓った。そのうえでこの日も十勇士達を連れてそうしてだった。その秀次の墓に参った。彼等の脚を以てすればすぐだった。

 そしてだ、秀次の墓に花や果物を捧げてから言ったのだった。

「それがし、決して忘れませぬ」

「我等もです」

 十勇士達も言うのだった。

「関白様からのご恩を」

「殿、それでなのですが」

「関白様のことは」

「我等も残念に思っています」

「そして関白様のお言葉をです」

「胸に持っております」

「うむ、拙者は関白様にも誓っておる」

 確かな顔での言葉だった。

「必ず天下一の武士になるとな」

「そして我等も」

「天下一の忍になりまする」

「そして時が来れば」

「その時は」

「それに相応しい働きをしようぞ」

 こう十勇士達にも言ったのだった。

「よいな」

「関白様に誓った通りに」

「そのままに」

「そうしようぞ、ではこれより御主達にはさらにな」

 これまでの様にというのだ。

「天下を巡ってもらうぞ」

「わかり申した」

 十勇士達は応えてだ、そしてだった。

 彼等は再び天下に散ることになった、しかしここで幸村は彼の義兄弟達にさらに言った。

「天下の動きを見ると共にな」

「天下におられるですか」

「優れた方々とお会いして」

「術を磨く」

「そうせよというのですな」

「大介殿だけではない」

 猿飛の祖父である彼以外にだ。

「宮本武蔵殿、果心居士殿、風魔小太郎殿とな」

「色々とですな」

「天下には優れた術の方々がおられる」

「その方々と会い」

「術を磨けというのじゃな」

「そうせよ、拙者も然りじゃ」

 幸村自身もというのだ。

「己の技を磨く」

「殿もそうされるのですな」

「その様にですな」

「されてそして」

「そのうえで」

「うむ、己を磨く」

 こう十勇士達に言った、己の決意を。

「これ以上に強くなり人としてもな」

「力をですな」

「そしてですな」

「天下一の武士になられる」

「そうされますか」

「御主達と共みな」

 まさにという言葉だった。

「拙者も然り、ではよいな」

「はい、我等もです」

「是非そうしていきましょう」

「我等は天下人や官位や富は求めませぬが」

「道を求めます」

「だからこそ」

「そうするぞ」

 こう言ってだ、彼自らだった。天下に出て己を磨くのだった。そうして天下一の武士を目指していくことにした。



巻ノ八十五   完



                        2016・12・7

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