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巻ノ八十八

                 巻ノ八十八  村上武吉

 幸村は海野を自身の部屋に呼んで彼に話した。

「御主に共に赴きたい場所がある」

「では」

「うむ、次は御主じゃ」

 海野に確かな声で言った。

「わかったな」

「それでは」

「村上武吉殿じゃ」

「あの村上殿ですか」

「毛利水軍のな」

「かつて毛利殿には」

「九州に行く時にお世話になったが」

 船で連れて行ってもらった、その時のことも話した。

「その縁ではないがな」

「村上殿ご自身がですか」

「類稀なる水術の方だからじゃ」

「海を縦横に動かれる」

「船でも泳ぎでもな」 

 そのどちらでもというのだ。

「そうした方だからじゃ」

「それで、ですか」

「拙者は是非じゃ」

 まさにというのだ。

「御主があの方にな」

「水の術を授けてもらう」

「そうして欲しいのじゃ」

「それがしもです」

 海野もその話を聞いてすぐに応えた、しかも勇ましい声で。

「そういうことでしたら」

「そう言うか」

「はい、それではです」

「すぐにじゃな」

「村上殿のところに参りましょう」

 自分からも言うのだった。

「早速」

「よし、ではな」

「まさにですか」

「今すぐにじゃ」

「萩まで」

「うむ、ただな」

 こうもだ、幸村は海野に話した。

「果たして萩におられるか」

「それは、ですか」

「わからぬ」

 こう言うのだった。

「そこまではな」

「萩藩は周防、長門でしたな」 

 海野は萩藩、毛利家のことを話した。

「そういえば」

「そうじゃ、二国からなる」

「そうでしたな」

「以前はもっと多かったがな」

 国の数はというのだ、毛利家が持っているそれの。

「関ヶ原以降そうなった」

「禄を大きく減らされ」

「そうなった」

 このことは同じく五大老だった上杉家と同じである。

「百二十万石から三十六万石だったか」

「それ位にまで、ですな」

「減らされてじゃ」 

 そしてというのだ。

「国も二国だけになった」

「その周防、長門が萩藩であり」

「そこにおられることは間違いないが」

「萩藩の何処におられるか」

「それはまだわからぬが」

「しかしですな」

「萩藩に行けばな」

 それでというのだ。

「わかる。だからな」

「これよりですな」

「萩藩に行くぞ」

「はい、それではすぐに」

「何につけてもな」

 こうしたことを話してだ、そのうえでだった。 

 幸村はすぐにだ、自身で言った通りに海野を連れてそうして萩藩に向かった。真田の忍道を通ればすぐだった。

 その萩藩に入るとだ、幸村は周りを見回して海野に言った。

「今は静かじゃがな」

「それでもですな」

「うむ、毛利家は幕府にとっては厄介者じゃ」 

 それだというのだ。

「島津家と共にな」

「そうなりますか、やはり」

「何故かはわかるな」

「関ヶ原のことがありますので」

「そうじゃ、だからじゃ」

「何かあれば」

「すぐにお取り潰しにもじゃ」

 それにもというのだ。

「成り得る」

「やはりそうですか」

「むしろ幕府としてはじゃ」

「是非そうしたいのですな」

「このことは他にも豊臣恩顧の家がそうじゃ」

 そういった家もというのだ。

「七将の筆頭であられた加藤殿や福島殿じゃ」

「そうした方々もですか」

「幕府にとっては邪魔じゃ」

 実にという口調での言葉だった。

「七将全てがじゃ他の方々はよくてもな」

「お二方は」

「何としても潰しておきたいであろう」

 幕府としてはだ。

「豊臣家に肩入れされると困る」

「だからですか」

「やがてはな」

「お取り潰しもですか」

「かなりな」

「有り得ることですか」

「そう思う、そしてこの家もじゃ」

 毛利家、この家もというのだ。

「そう思われておる」

「幕府には」

「実は豊臣家よりもじゃ」 

 大坂にいるこの家よりもというのだ。

「こうした家々が幕府にとっては邪魔なのじゃ」

「そうなのですか」

「豊臣家は大坂から出てもらえれば何でもない」

 幕府、特に家康にとってはというのだ。

「それで何の力もなくなる」

「そうなのですか」

「うむ、しかしこうした家々は違う」

「幕府にとっては」

「厄介者じゃ、しかし毛利家もわかっておる」

 自分達が幕府からどう思われているかということをというのだ。

「だから充分に気をつけておられよう」

「そうなのですな」

「うむ、それでじゃが」

 毛利家のそうしたことを話してからだ、幸村は海野にあらためて話した。

「村上殿を探すぞ」

「これよりですな」

「我等が探せばな」

 そうすればとだ、幸村は海野に話した。

「特に隠れておられなければな」

「すぐにですか」

「見付かると思うが」

 それでもという口調でだ、幸村はまた言った。

「しかしな」

「慢心せずにですな」

「満身は絶対にいかん」

 幸村はそこは釘を刺した。

「わかっておるな」

「殿がいつも我等に言われていますな」

「拙者自身にも言っておる」

 外ならぬ自分自身にもとだ、幸村は海野に話した。

「慢心はならぬとな」

「そうですな、確かに」

「人は慢心すればそこに隙が出来てな」

「隙が出来ればですな」

「そこから崩れてじゃ」

「滅びますな」

「だからじゃ」

 それでというのだ。

「慢心、奢りや昂りともいうがな」

「そうしたものは持ってはならぬ」

「そうじゃ」

 海野にあらためて言った。

「そこは守る様にしておる」

「左様ですな」

「己自身が誰よりもな」

 何といってもというのだ。

「注意しておる。常にな」

「殿だからですな」

「拙者が慢心しては御主達も巻き込む」

 そこから生じる隙にというのだ。

「だから常に戒めておる」

「まさに常に」

「そうしておる、ではな」

「はい、これよりですな」

「村上殿をお探しして」

「そのうえで」

「お会いしようぞ」

 こう話してだ、幸村主従は村上が何処にいるのか探した。すると二人の忍としての資質がここで見事に発揮された。

 二人は草木の声を聞いてだ、すぐに言い合った。

「わかったな」

「はい」

 海野は主に毅然とした声で答えた。

「今しがた」

「そうじゃな」

「あの方は今は萩におられますが」

「今はじゃ」

「しかしお屋敷は違います」

「別の場所にある」

「しかしじゃ」 

 それでもとだ、幸村も言うのだった。

「今は萩におられる」

「ならばな」

「すぐに萩に向かいましょう」

 海野は勇んだ声で言った。

「急げばです」

「お会い出来る」

「だからこそ」

「急いだ方がよい」

 幸村も言った。

「萩におられてもな」

「あくまで今はで」

「じきにお屋敷に戻られぬやも知れぬ」

「だからこそ」

「すぐに萩に向かいじゃ」

「お会いしましょうぞ」

 二人で話してだ、そしてだった。

 主従はすぐにだった、萩に向かった。萩藩の中心であるその町に入るとだ。海野は萩城の天守閣を見て言った。

「どうもです」

「小さいか」

「はい、三十七万石の城にしては」

 こう幸村に話した。

「どうにも」

「あれはじゃ」

 何故萩城が小さいのかをだ、幸村は海野に話した。

「幕府がそうせよと言ったらしい」

「幕府がですか」

「そうじゃ、この萩の場所もじゃ」

 それもというのだ。

「城を置いてな」

「小さな城にせよとも」

「言われたのじゃ」

「そうだったのですか」

「また言うが毛利家は厄介者じゃ」

 幕府にとってというのだ。

「だからな」

「出来る限り弱める為に」

「城を小さくしてじゃ」

「しかも萩にですか」

「置かせたのじゃ」

「どうも萩は」

 この場に着いたからこそだ、海野は感じて言うのだった。

「端にあり」

「便が悪いな」

「藩の中心としては」

「しかも土地が悪い」

「見れば」

 海野はここで周りを見た、家々は出来てきているがだ。

「川と川の間にあり」

「洲じゃ」

「やはり中心にはです」

 藩のというのだった、ここでも。

「相応しくないですな」

「だからこそ置かせたのじゃ」

「藩の中心を」

「そうしておるのじゃ」

「そこまで毛利家を警戒してですか」

「注意しておるのじゃ」

 幕府はというのだ。

「そういうことじゃ」

「成程」

「厄介な場所じゃ、しかし」

「それでもですか」

「毛利家も必死じゃ」

「見れば」

 海野はまた周りを見回して言った。

「この場所は」

「難儀な場所でもな」

「人が多く」

「頑張って働いておるな」

「どの者も」

「地の利は大事じゃ、しかしな」

「地の利よりもですな」

「人じゃ」

 こちらの方がというのだ。

「大事じゃ」

「だからですな」

「毛利家は人を大事にすればな」

「それで、ですな」

「栄えるやも知れぬ、いや」

「必ずですか」

「栄える」

 幸村は海野に確かな声で言った。

「それが出来る」

「そうなのですか」

「そうじゃ、だからな」

「萩藩はですか」

「栄える」

 また言うのだった。

「拙者はそう見ておる」

「人ですか」

「逆にどれだけ地の利がよくともな」

「人が駄目ならば」

「どうにもならぬ」

 こう言うのだった。

「どうしてもな」

「そういうことですな」

「小城でも人がまとまっておればじゃ」

「大軍が相手でも防げる」

「しかし如何なる巨城でもじゃ」

 幸村は逆の場合も話した。

「人がまとまっておらぬとな」

「陥ちる」

「国も同じ、やはり人は城なのじゃ」

 幸村は幼い頃に知っている信玄のこと話した。武田家のことは今も残念に思っている。思っても仕方ないことにしても。

「石垣であり掘じゃ」

「人こそが最も強い守りですか」

「そして毛利藩にはそれがあるからな」

「生き残こえりそうして」

「強くなろう」

「左様ですか」

「拙者が思うにな。ではこれよりな」

 幸村は海野にあらためて話した。

「村上殿に行こう」

「わかり申した」

 海野も幸村に確かな顔で応えた。

「それでは」

「草木から聞いた通りな」

「村上殿のところに参り」

「そうしてそのうえで」

「水術を教えて頂く」

「そうしようぞ」

 こう話してだ、二人は萩の海添いの屋敷に入赴いた。そして。 

 その門を叩くとだ、大柄な潮の匂いがする男が出て来て二人に応えてきた。

「どなたか、そして何用か」

「はい、我等は旅の武者修行の者です」

 幸村は男に自分達の素性を隠して答えた。

「水術も学んでおりまして」

「水術を」

「はい、それで村上殿に教えて頂く」

「我が殿の水術を」

「そう思い参りました」

 こう話すのだった。

「この度は」

「わかり申した」

「それで村上殿は」

「この屋敷におられますが」

「それでもでござるか」

「はい、お元気ではありますが」

 それでもというのだった。

「実はです」

「実はといいますと」

「この屋敷は仮の屋敷でござる」

「そうなのですか」

「はい、ですから」

 それでというのだ。

「この屋敷に来られても」

「水術はですか」

「教られませぬ」 

 こう話すのだった。

「残念ですが」

「左様ですか」

「しかしそれでもですな」

「はい」

 是非にという声でだ、幸村はその男に答えた。

「お会いしたいです」

「左様ですか、では」

 男は幸村の強い言葉を受けて述べた。

「暫しお待ちを」

「はい、それでは」

「殿にお伺いしてきます」

「ではお待ちしています」

「それでは」

 こうしてだ、男は一旦屋敷の中に戻った。そしてだった。

 二人に戻ったところでだ、海野は幸村に対して言った。

「では殿」

「うむ、若しかするとな」

「村上殿にお会い出来ても」

「それでもな」

 それが出来てもというのだ。

「あくまで若しやだが」

「水術については」

「そうやもな。しかしな」

「それでもですな」

「諦めぬことじゃ」

 こう海野に言うのだった。

「決してな」

「それが肝心ですな」

「諦めてはじゃ」

 そうしてしまうと。

「それで終わりじゃ」

「その時点で」

「そうじゃ、だからな」

「最後の最後までですな」

「諦めぬ」

「それが肝心ですな」

「村上殿にお会い出来るまでな」

 それこそというのだ。

「ここで待ち」

「お会い出来れば」

「何としてもじゃ」

「頼み込み」

「そしてじゃ」

 そのうえでというのだ。

「お会いするぞ」

「わかり申した、では」

「それまではな」

「ここで、ですな」

「留まるぞ」

「萩藩にですな」

「そうして何としてもじゃ」 

 村上の水術、それをというのだ。

「教えて頂くぞ」

「それでは」

 海野も頷く、そうした話をしていると。

 男が戻ってきてだ、二人に言ってきた。

「会われるとです」

「言っておられますか」

「はい」

 そうだというのだ。

「是非お通ししてくれと」

「では」

「お入り下さい」

 こうしてだ、幸村と海野は屋敷の中に案内された。そして村上のところに案内されるとだ。

 村上は二人を見てまずは笑みを浮かべた、そのうえで案内した者に言った。

「席を外せ」

「はい、それでは」

 若い男も応えてだ、そしてだった。

 村上は三人だけになるとだ、二人にあらためて言ったのだった。

「よく来られた」

「お久し振りです」

 幸村も村上に頭を下げて応えた。

「もう十数年になりますな」

「そうじゃな」

「あれから多くのことがありました」

「わしもじゃ、しかしな」

「はい、この度はです」

「わしに水のことで教えを乞いたいか」

 村上は自分から言った。

「左様か」

「おわかりですか」

「何故わしのところに来たか」

「そのことを考えればですか」

「答えは一つじゃ」

「村上殿ならばですか」

「わしは水のことなら何でも知っておる」 

 それこそというのだ。

「伊達に海賊ではない」

「ですから」

「それがしがです」

 海野も村上に話した。

「水術を極めたいと思いまして」

「それがしが話しました」

 幸村が事情を話した。

「それで、です」

「来られたか」

「左様です」

「そうなのじゃな」

「それでなのですが」

「わかっておる、わざわざここまで来てくれたのじゃ」

 村上は豪快な声で応えた。

「教えさせてもらおう」

「有り難きお言葉、それでは」

「うむ、早速水術を授けよう」

「さすれば」

 海野は村上の言葉に笑顔になった、喜びでその場で飛び上がらんばかりだった。

「これから」

「でば三田尻に向かおう」

「三田尻ですか」

「わしは今そこに屋敷がある」

 本来の住む場所はというのだ。

「だからな」

「まずはですか」

「そこに行こう、しかしな」

 ここでだ、村上は二人にこうも言ったのだった。

「ただ三田尻に行くのではない」

「といいますと」

「ここから泳いで行く」

 そうするというのだ。

「海に出てな」

「そうしてですか」

「そうじゃ、今海は荒いが」 

「だからこそ」

「そうじゃ、荒海を泳いでこそじゃ」

 まさにというのだ。

「わしの水術が備わる」

「それだけの泳ぎの腕ですな」

「それがあれば」

「そうじゃ、ではここから三田尻まで泳いで行こうぞ」

 こう言ってだ、そしてだった。

 村上と幸村達は屋敷の者達に三田尻に戻ると告げてから海に出た、三人共褌一枚であり服は折り畳み頭の上に置いている。そのうえでだった。

 村上は二人にだ、笑みを浮かべて言った。

「行こうぞ」

「そして三田尻で」

「無事に辿り着けたらな」

 幸村、特に海野に言うのだった。

「教えさせてもらう」

「それでは」

「それがしもです」

 幸村も確かな声で村上に言う。

「見事です」

「泳ぎきるか」

「そうします」

「貴殿の武芸は知っておる」

 幸村のそれは彼を知る者にとっては彼の代名詞ともなっている程だ。武芸十八般の者としてである。

「ではな」

「はい、泳ぎも」

「見せてもらおう」

「さすれば」

 三人で話してだ、そしてだった。

 泳ぎに出た、波は高く海は荒れに荒れていたが。

 三人は見事に泳いでいく、村上は自分に見事についてきている幸村と海野を見て笑みを浮かべて言った。

「うむ、やはりな」

「はい、このままです」

「我等はついていきます」

 二人も笑みを浮かべて村上に応える。

「三田尻まで」

「何があろうと」

「鮫が出てもじゃな」

「鮫が出ようが龍が出ようが」

「構いませぬ」

「倒せるか」

「そうしてみせます」

「昔鮫とも戦ったことがありまして」

 二人はこのことも話した、幸村が十勇士達と会いそうして多くの国を巡っていた時相模の海であったことだ。

「鮫が来ようとも」

「そのつもりです」

「そうか、わしも鮫は何ともない」

 村上もというのだ。

「どれだけ大きな鮫でもな」

「鮫に勝てぬ様では」

「水術はですか」

「極めたことにならぬ」

 到底というのだ。

「だからな」

「はい、それでは」

「鮫が出ようとも」

「倒して先に進むぞ」

 荒海の中で話すのだった。

 そして実際にだ、途中鮫も出たが。

 海野は水の中で気を放ちそれで鮫を退けた、村上は彼のその闘いぶりを見て見事といった顔でこう言った。

「言うだけはある」

「気を使えれば」

 海野は村上に答えた。

「これだけのことが出来ます」

「気をそこまで使えるだけでもな」

 まさにとだ、村上はその海野に話した。

「相当じゃ」

「そうか」

「うむ、全く以てな」

 まさにというのだ。

「よいことじゃ、しかしな」

「これからの修行はですな」

「これ位が出来ねばじゃ」 

 海の中で気を放って鮫を退けられる位でないと、というのだ。

「話にならん」

「それだけのものなのですな」

「そうじゃ」

「だからこそ」

「これ位ではな」

「満足していてはですか」

「わしはここで引き返しておった」

 修行をすることを止めてというのだ。

「そうしておったわ」

「そうでしたか」

「だからな」

「はい、これより」

「三田尻に向かう」

「そしてその三田尻で」

「本格的な修行をしてな」

 そのうえでというのだ。

「わしの水術の全てを授ける」

「そうして頂けますか」

「是非な、ここで慢心せぬその心やはりじゃ」

「やはりとは」

「真田殿の家臣だけあるわ」

「それがし慢心は慎んでおります」

 幸村が答えた、彼も荒波の中を何なく進んでいる。やはりその水術は相当なものである。海野程ではないにしても。

「それが隙を呼び立ち止まることにもなるので」

「だからか」

「はい、ですから」

 それでというのだ。

「家臣達にもいつも言っております」

「慢心はせぬ様に」

「左様です」

「貴殿らしいな、そうして先に先に進むか」

「武士の道を」

「そういうことか」

「そしてやがては」 

「武士の道の果て、極みをか」

「見れられればと思っていますが」

 ここでだ、こうも言った幸村だった。

「果てがあるのか」

「それはじゃあ」

「果てのないものかも知れませぬ」

 武士の道、それはというのだ。

「ですから」

「果て、極みを見られずともか」

「よいと思います」

「そうなのじゃな」

「左様です」

「わかった、ではその武士の道を歩む為にも」

「それがし六郎と共に三田尻に向かいます」

 こう言うのだった、そして実際にだった。

 三人は萩から三田尻までだ、荒海を越えてだった。 

 そのうえで辿り着いた、村上は丘に上がってだった。自分のすぐ後ろに上がってきた幸村と海野に言った。

「かなり泳いだが疲れておらぬな」

「これ位なら」

 海野が答えた。

「まだ平気です」

「それだけ鍛えておるからか」

「そのつもりです」

「成程な」

「それでなのですが」

 ここでさらにだった、海野は村上に言った。

「早速」

「修行をか」

「お願い出来ますか」

「わかった」

 すぐにだ、村上は海野に笑って述べた。

「はじめよう、しかしな」

「しかしとは」

「その前に飯じゃ」

 それをというのだ。

「それを食おうぞ」

「飯ですか」

「腹が減っては戦も修行も出来ん」

 だからだというのだ。

「それでじゃ」

「飯をですか」

「食おうぞ」

「それでは海から魚を」

「うむ、獲ってな」

 そうしてとだ、村上は海野の言葉に答えた。

「食おうぞ」

「それでは」

「ではそれがしも」

 幸村も応えて言う。

「魚を獲りましょうぞ」

「貴殿もか」

「はい、そうします」

「家臣に任せてはおかぬか」

「修行なら見ますが動くべき時は」

「動くか」

「そうした性分なので」

 人に言うだけで自分は何もしない、幸村はそうしたことが出来る者ではない。このことは若い頃からのことである。

「ですから」

「飯もか」

「はい、獲ります」

 自分でというのだ。

「そうします」

「それでは」

「これより海に戻り」

「魚を獲ろう、しかし魚でなくともな」

「他のものでもですな」

「海で毒のないものならな」

 笑ってだ、村上は幸村に話した。

「獲って食おう」

「それでは」

「これよりな」

 三人で海に戻った、そしてすぐにだった。

海の中で魚等を獲ってだ、戻ってだった。

 鱗を落としてだ、その場でだった。村上は包丁を出してその魚や貝達を切ってそうしてだった。二人に出して言った。

「さあ、食おうぞ」

「刺身ですか」

「それにしたのですか」

「やはり獲れたての海の魚はな」

 近くにあった板の上にその切ったものを乗せての言葉だった。

「これに限るわ」

「はい、確かに」

 幸村が答えた。

「それは」

「刺身じゃな」

「新鮮な海の幸は」

「それでこうした」

「焼き魚ではなく」

「そうしようとも思ったが」

 それでもというのだ。

「こちらにした」

「そうなのですか」

「生憎醤油はないがのう」

「いや、そこまでお気遣いは」

「よいか」

「お気遣いは無用です」

「それがしもです」

 幸村だけでなく海野も言う。

「修行に来ておりますし」

「そうしたことは」

「ははは、そうしたところは相変わらずだのう」 

 村上は謙遜を見せる二人に笑って述べた。

「しかし食われよ」

「その刺身を」

「是非共」

「食うのも修行のうちじゃ」

 だからだというのだ。

「存分にな」

「それでは刺身の方は」

「お言葉に甘えて」

「その様にな、それでじゃが」

「それで?」

「それでといいますと」

「うむ、これから確かに海野殿にわしの水術の全てを授けるが」 

 村上は海野を見つつ幸村に言った。

「そして武士の道、術を極めるだけか」

「といいますと」

「備えておられるな」

 鋭い目でだ、幸村に問うた。

「やはり」

「それは」

「正直茶々殿はどうにもならぬ」

 村上が言ったのはこの女のことだった。

「何もわかっておられず見てもおられぬ」

「しかもですな」

「気位が異様に高い」

「頂上におられて」

「その有様じゃ、頭がそうした方ではな」

「到底ですな」

「どうにもならぬ、わしから見てももう天下は決まった」

 既にというのだ、このことは。

「徳川家のものじゃ」

「そうなりますな」

「それは急に固まりつつある」

「将軍になられ幕府も開かれ」

「江戸も急に城と町が出来ておるそうじゃ」

「はい、それはです」

 江戸についてはだ、幸村はすぐにだった。村上に答えた。

「それがしも実は」

「行かれたか」

「はい、そうしてです」

「その目で御覧になられたか」

「そうしてきましたが」

「やはり急にか」

「人が集まり」

 そしてというのだ。

「城が出来てきて町もです」

「城の周りに出来てきておるか」

「相当に大きな町にです」

「なるか」

「はい、まさしく」 

 そうだというのだ。

「江戸は」

「やはりこれからは江戸か」

「そして右府殿は」

「大坂もじゃな」

「求めておられます」

 今豊臣家が治めているその町もというのだ。

「しかし大坂だけで」

「あくまでか」

「豊臣家までは、ですが」

「それがわかればな」

「豊臣家は残りますが」

「逆にその程度がわからぬ様では」

「戦になろうとも」

 幸村は述べた、三人で手で刺身を食べつつ話をした。

「どうにもなりませぬな」

「何もわからぬのでは戦にならぬ」

「全く以て」

「茶々殿ではどうにもならぬわ」

「その通りかと」

「しかしじゃな」

「はい、それがしは約束しましたので」

 秀次とのことをだ、幸村は思い出しつつ述べた。

「ですから」

「そうされるか」

「その様に考えておりまする」

「貴殿ならば大名に返り咲けるが」

「ははは、それがしはそうしたことは」

「求めておらぬからか」

「よいです」

 こう言うのだった、村上にも。

「ですから」

「そうか、やはりな」

「やはりこのままいけば」

「十年少しでな」

「起こりますか」

「茶々殿がまずいことをされてな」

 そのうえでというのだ。

「そうなる」

「ですな、やはり」

「あの方は静かにされるべきじゃ」

 こうもだ、村上は言った。

「大坂の為にも天下の為にも」

「ですな、どう考えましても」

「豊臣家を思われるなら」

「大人しくされるべきで」

「それが出来ぬ方だからじゃ」

「危ういですな」

「あれでは滅びぬものも滅ぶ」 

 こうまでだ、村上は言った。

「だから我等が殿も今度戦があってもな」

「豊臣家にはつかれぬのですな」

「負けが見えておるわ」 

 それこそ誰の目にもというのだ、村上だけでなく彼の主である毛利輝元もそう見ているというのだ。

「既にな」

「勝てる筈がない」

「それでは天下の大名は誰もつかぬ、しかし」

「はい、それがしは」

「そうされるか」

「そのおつもりです」

「勝つのは難しくとも何か出来るやもな」 

 村上は幸村の顔を見てこうも言った、彼のその強い勇と智そして義を備えた強い光を放つ目を見てだ。

「相当なことが」

「では」

「それを成し遂げる力を授けるのも面白い」 

 村上は自分が切ったその魚を食べつつ笑みを浮かべて述べた。

「ではな」

「はい、お願いします」

「その様にな」

「それでは」

 幸村も応えてだ、そしてだった。

 まずは刺身を食べた、そうして食事の後はじまった海野の修行を見ていた。海野は村上と共に海の荒行に励んだ。

 鮫の群と闘い渦潮の中にも飛び込む、嵐の中を泳ぐこともする。

 しかし全て泳ぎきり生き抜く、村上もその海野を見て言う。

「それだけのことが出来るとは」

「はい、それはですか」

「見事じゃ」 

 まさにというのだ。

「わしの見込み以上じゃ」

「そう言って頂けますか」

「うむ」 

 夜修行の後で話した、それこそというのだ。今は村上の屋敷で幸村と三人で酒を飲みつつ話をしている。

「まさにな」

「左様ですか」

「夜でも泳げるな」

「忍は夜こそ働く時」

「だからか」

「はい」

 まさにとだ、海野は村上に静かな声で答えた。

「ですから」

「そうか」

「夜も平気です」

「尚よい、ではわしの水術の全てをな」

「これからもですか」

「授けよう」

 そうしようというのだ。

「是非な」

「さすれば」

「明日は夜明け前に海に出てな」

「修行ですな」

「天気に関係なく入る」

 海、そこにというのだ。

「暑いも寒いもない」

「それがまことの水術ですな」

「そういうことじゃ、ではな」

「それがしも付き合いまする」

 幸村も話す。

「六郎に」

「ではな」

「夜明け前から」

「明日は修行じゃ」

 こう話してだ、そのうえでだった。

 海野はその夜は休んだが実際に夜明け前からだった、村上そして幸村と共に海に入りそうしてだった。

 修行に励んだ、そのうえで水術を極めんとしていた。



巻ノ八十八   完



                     2016・12・28


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