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巻ノ八十九

                 巻ノ八十九  水を知り

 海野の修行は続いていた、村上のそれは荒行と言ってもまだ足りないものであった。だがその修行の中でだ。

 海野は実力を日に日に高めていてだ、村上も言った。

「間もなくじゃ」

「村上殿の水術をですか」

「皆伝rとなる」

「それでは」

「うむ、皆伝の後もな」

「さらにですか」

「鍛錬に励み」

 そしてというのだ。

「その日に備えることじゃ」

「さすれば」

「水はあらゆる場所にある」

「海に川、湖に沼に」

「堀とな」

「それこそあらゆる場所に」

 水はあるというのだ、そして水があればだ。

「水術は使えまするな」

「その通り、だからな」

「皆伝の後も鍛錬を続け」

「強くなることじゃ」

 あらゆる場所で使えるからこそというのだ。

「御主は忍術も相当じゃしな」

「はい、忍術と合わせ」

「戦う様にな」

「それでは」

「そのうえでな」 

 村上は海野にさらに言った。

「御主の殿を助けよ」

「そのつもりです」

 海野は今も共にいる幸村を見て村上に答えた。

「それがしも」

「そうじゃな」

「我等は生きる時も死ぬ時も共です」

「だからこそじゃな」

「殿に全てを捧げております」

 まさに死ぬ時は同じだというのだ、その場所も。

「ですから」

「あくまで主の為に戦うか」

「この忍術と水術で」

「よい言葉じゃな、ではな」

「これからも修行をお願いします」

「ではな」

 村上も応えてだ、荒波の中での修行の日々を過ごしてだった。海野はその中で水術をさらに極めていき。

 ある日だ、遂に村上にこう言われた。

「皆伝じゃ」

「遂にですか」

「うむ」

 そうだという返事だった。

「よくやった、今までな」

「有り難うございます」

「礼はよい、それでじゃが」

「それでとは」

「すぐに帰るのじゃな」

「はい」

 幸村が答えた。

「そうさせて頂きます」

「やはりそうされるか」

「九度山に」

 この山にというのだ。

「戻ります、そして」

「そのうえでか」

「また修行に励み」

 そしてだった。

「十勇士の他の者達もです」

「天下の武芸者に合わせてか」

「その技を磨かせます」

「そして時に備えるか」

「その所存です」

「わかった、ではな」

「はい、これまで有り難うございました」

 幸村も村上に礼を述べた。

「重ね重ね礼を申し上げます」

「ではな」

「しかし」

 ここでだ、幸村は村上にこうも言った。その言ったことはというと。

「先日毛利殿はです」

「動かれぬことはか」

「はい、若し戦になろうとも」

「そう言ったな、確かに」

「では」

「これはわしの見立てじゃが」

「村上はこう断って幸村に話した。

「殿はやはりな」

「その様にお考えですか」

「時を待たれておる」

「関ヶ原から」

「そうであろう、そしてな」

「島津殿もですな」

「今戦になっても勝つのは徳川家じゃ」 

 彼等だというのだ。

「豊臣家が勝てる筈がない」

「それを両家はわかっておられるからこそ」

「動かれぬわ」

 豊臣家にはつかないというのだ。

「つかれる大名家はないであろう」

「加藤殿も福島殿も」

「心ではお慕いしていてもじゃ」

「負ければ滅びる」

「お取り潰しは免れぬ」

 それはどうしてもというのだ。

「だからな」

「それで、ですな」

「どの家もつかれぬ」 

 豊臣家にはというのだ。

「戦になって滅びるのをな」

「見ているだけですか」

「沈む船に自ら乗る者はおらぬ」

 こうもだ、村上は言った。

「沈むとわかっている船にな」

「ですな。それは」

「誰でもな」

「乗りませぬな」

「だから今は殿も動かれぬ。しかし」

「左様ですか」

「それが何時になるかわからぬが」

 例えそれでもというのだ。

「時が来ればじゃ」

「毛利殿、そして島津殿は」

「動かれるであろう」

「そうなられますか」

「そうじゃ、しかし動かれぬが」

 しかしとだ、ここで村上はあらためて言った。

「助けることは出来る」

「ですか」

「そうじゃ、特に島津殿はな」

「その時は」

「頼られよ」

 村上は幸村達に微笑んで述べた。

「よいな」

「はい、その時は」

「そして武士の道を歩まれよ」

「そうさせて頂きます」

「幕府により天下は治まるが」

 これからはだ、そうなるがというのだ。

「しかしな」

「それでもですな」82

「天下は一つではない」

「統一されても」

「心は違う」

 一人一人そして家ごとのそれはというのだ。

「だからな」

「我等もですな」

「頼れる者もおる」

「そういうことですな」

「西を頼れ」

 村上はこうも言った。

「わかったな」

「それでは」

「その様にな」

「では」

 こうしてだ、海野が免許皆伝となってだった。

 彼と海野は九度山に去った、そしてだった。

 幸村は昌幸に村上が言ったことを話すとだ、彼もこう言った。

「わしもそう思っておる」

「父上もですか」

「両家はな」

 毛利、島津両家はというのだ。

「違う考えじゃ」

「やはりそうですか」

「幕府に従ってはおら」

「心からは」

「だから何かあればな」

「その時はですか」

「動かれる」

 両家共というのだ。

「そうされるわ」

「やはりそうですか」

「だからな」

 まさにというのだ。

「その時が何時になるかわからぬが」

「時が来ればですな」

「貴殿達が生きていれば」

「わかりました、ただ」

「幕府は固まってきておるな」

「おそらくその治世は長いでしょう」

 幸村はこう見ていた。

「世に絶対はなく若しやするとですが」

「あくまで若しやじゃな」

「その程度です」

 幕府が早く終わることはというのだ。

「最早」

「そうじゃな。相当なことがないと幕府は早くは潰れぬ」

「天下の民は泰平を欲しています」

「我等が生きておる間ではないであろうな」

「はい、しかし」

「それでもか」

「それがしは戦いますし」

 それにというのだ。

「武士の道を進みます」

「やはりそうか」

「そう考えています」

「ではな」

「はい、その様に」

 こう村上に言うのだった。

「して参ります」

「そしてやるべきことはか」

「果たします」

「そうか。それで村上殿の話をな」

「より、ですか」

「してくれるか」

「わかりました」

 父の言葉を受けてだ、幸村は村上のことを話した。その話はというと。

「村上殿はこう六郎に言っておられました」

「何とじゃ」

「海野殿にわしの術の全てを伝えてよかった」

「その様にか」

「はい、言っておられました」

 そうだったというのだ。

「これが最後になるやも知れぬしと」

「術を授けるのは」

「その相手が六郎ならばな」

 それならばというのだ。

「よかったと思うと」

「そう言って頂いたのか」

「はい」

「それは何よりじゃな」

「それがしについても言っておられました」

「何とじゃ」

「それがしは武士の道を進み約束を何があっても果たす」 

 幸村の心意気を知っての言葉だったのだ。

「ならばと」

「六郎に術を授けることが出来て」

「よかったと。そして」

 幸村はさらに話した」

「その術で」

「御主を助けよとか」

「言っておられました」

「そして六郎もじゃな」

「それがしを何があっても助けると言っていました」

「やはりそうか、あ奴らしいわ」

 昌幸はここまで聞いて微笑んで述べた。

「そいのこともな」

「左様ですな」

「実にな。そしてじゃな」

「はい、それがしもです」

 幸村自身もというのだ。

「何としましても」

「徳川の天下は滅多なことではひっくり返らぬ」

「刻一刻と固まっていますな」

「それこそわしと御主が共に大坂城に入ってじゃ」

「茶々様からですな」

「何とか戦の采配の全てを任され下に十万の兵と多くの勇将がおらねばじゃ」

 そうでもなければというのだ。

「どうにもならぬ」

「左様ですな」

「西国をまとめる位でなければ」

「まずは」

「どうしようもないわ」

「左様ですな」

「しかし御主はそれが果たせずとも」

 戦に敗れる、その状況でもと。昌幸は幸村に問うた。

「関白様との誓いはか」

「果たします」

「そのつもりか」

「それがしを認めて下された関白様のお願いでした」

「そしてそのお願いに誓ったからか」

「それだけは果たします」 

 父に対してもだ、幸村は揺るぎない声で答えた。

「必ずや」

「それが御主じゃ、ではじゃ」

「何があろうとも」

「御主はそれを果たせ」

「そう致します」

「武士としてな」

「さすれば」

「それでじゃが」

 昌幸はさらに言った。

「どうもわしが思うにな」

「と、いいますと」

「右府殿は近いうちに隠居されるな」

「隠居ですか」

「将軍の位を譲ってな」96

 そうしてというのだ。

「そうされるな」

「それはまた」

「意外に思うか」

「はい、どうも」

「院政じゃ」

 これだというのだ。

「将軍より上のお立場になられるおつもりじゃ」

「右府殿はそれをお考えですか」

「そして他のこともお考えであろう」

「と、いいますと」

「江戸を中納言殿にお任せしてな」

 秀忠、彼にというのだ。

「他の政をされるおつもりじゃ」

「といいますと」

「天下固めじゃ」

 その政に専念するつもりだというのだ。

「それにじゃ」

「そうですか」

「うむ、だからな」

「将軍になられて間もないですが」

「より高い場所に行かれてな」

「天下固めに入られますか」

「太閤様は誤られた」

 秀吉、彼はというのだ。

「そこはな」

「すぐに戦をされましたが」

「あれはよくなかった」

「だから今の様になったのですな」

「豊臣家がな」

「やはりそうですか」

「大和大納言様がおられれば」

 昌幸は苦い顔で述べた、既に十年以上前のことだが。

「今の様にはなっておらぬ」

「戦にならずですな」

「太閤様を止めておられた」

 秀吉が戦をしようと言ってもというのだ。

「必ずな」

「やはりそうされていましたな」

「そして政に専念されておられた」

「太閤様も」

「戦ではなくな」 

 そうなっていたというのだ、秀長が生きていれば。

「天下固めの為の。ましてやな」

「利休殿、関白様も」

「間違ってもじゃ」

「あの様にはならなかった」

「そうなっておったのじゃ、しかしな」

「右府殿はですな」

「太閤様とは違う」

 秀吉、彼とはというのだ。家康は。

「その轍を踏まずにな」

「天下固めの政に入られますか」

「ただ江戸城を築かれ町をもうけるだけでなくじゃ」

 それに留まらずというのだ。

「天下を治める仕組みを築かれる」

「それが右府殿のお考えですか」

「そうじゃ」

 まさにとだ、昌幸は幸村に話した。

「あの御仁はな」

「天下を治めるですか」

「これまでの幕府よりも遥かに磐石に治められる様な」

「そうした仕組みをですか」

「築かれるおつもりじゃ」

「そこまでお考えなのですか」

「幕府が末永く続く様なな」

 その治世がというのだ。

「そこまでお考えじゃ」

「流石は右府殿ですな」

「そう思うな」

「はい、実に」

「わしもそう思う、そこまでされるとはな」

「並の方ではありませぬな」

「実にな。確かに世には絶対のものはないが」 

 しかしとだ、ここで昌幸はこうも言った。

「右府殿、いや徳川家の天下はな」

「揺らぎないものになりますか」

「そうなる、しかし右府殿は決して酷薄な方でも約束を違える方ではないからな」

「豊臣家については」

「無体なことをされぬ」

 こうも言うのだった。

「それも確かじゃ」

「ですな、やはり」

「そう思う。しかし天下は乱れる可能性がある」

「では」

「その時は」

「わしは大坂に行く」

「そしてそれがしも」

 幸村も言った。

「そうします」

「ではな」

 こうしたことを話してだ、そのうえでだった。

 昌幸は幸村だ、こうも言ったのだった。

「わしも修行をしておる」

「では」

「今から剣術の鍛錬をするが」

「お供して宜しいでしょうか」

「久し振りにわしと共にするか」

「そう思いましたが」

「うむ、ではな」

 昌幸は笑みを浮かべ幸村に応えた。

「今から共に汗をかこうぞ」

「さすれば」

「鍛錬と学問は続けておる」

 その両方をというのだ。

「今もな」

「時に備えて」

「そうしておる」

「それがし達と同じ様に」

「そうじゃ、わしは必ずその時まで生きる」

 昌幸は決意も述べた。

「何があろうとな」

「では父上、ご養生も」

「わかっておる、だから身を慎んでもおる」

「酒もですか」

「御主達はよく飲んでおるがな」

 だがそれでもというのだ。

「わしはじゃ」

「酒を控え」

「身を慎んでおる」

「それだけ身を控えておられるのですか」

「そうなのじゃ、わしはもう歳じゃ」

 昌幸はこのことをよくわかっていた、自分のことはそれだけわかっているということだ。それで酒もというのだ。

「控えてな」

「備えておられるのですか」

「そこが御主達と違う」

「それがし言い訳になりますが」

「酒はじゃな」

「はい、どうしても」

「ははは、御主達はよい」

 昌幸は笑って申し訳なさそうな顔になった幸村述べた。

「別にな」

「左様ですか」

「わしが自分だけでしておることじゃからな」

 だからだというのだ。

「御主達も他の者達もよい」

「酒のことは」

「そうじゃ、酒も過ぎるとな」

 毒になるからだというのだ。

「わしは慎んでな」

「時を待たれますか」

「その時をな。しかしな」

「それでもですか」

「来るまでにな」

 難しい顔でだ、昌幸は幸村に話した。

「何としても生きる」

「必ず」

「そうじゃ、しかしな」

「人の命はわからぬものですな」

「特に歳を経るとな」

 尚更というのだ。

「わからぬ様になる」

「だからこそ」

「わしも気をつけておるのじゃ」

「そうなのですな」

「生きる為にな」

 時に備えていた、昌幸も。このことは幸村達と同じであるが備え方が彼等とはまた違っているのだ。

「そうしていくぞ」

「そして時が来れば」

「共にじゃ」

「戦いましょうぞ」

「わしが入れば勝てる」

 天下は徳川で固まろうとしている、しかしというのだ。

「豊臣家でもな、今の」

「茶々様もですな」

「大人しくして頂く、実はのう」 

 ここでだ、昌幸は無念の顔になった。そして嘆息を止めてそのうえで幸村に話した。

「四郎様もな」

「あの方もですな」

「上田にお迎えしていれば」

「織田の軍勢がどれだけ来ようとも」

「お守りすることが出来た」

「自信がおありでしたな」

「そうじゃ、わしが四郎様をお助けしてな」 

 そのうえでというのだ。

「それが出来たのじゃ」

「そうでしたか」

「しかしな。四郎様は上田に来られずな」

「あの様になってしまわれましたな」

「それが無念に思っておる」

 今も尚というのだ。

「わしならば出来たものを」

「四郎様も頷けた筈ですが」

「あの方は信濃と縁深い方であられた」

 信玄の四男だが諏訪家の跡を継いでいた、それで信濃との縁が深く周りには信濃の者も多かったのだ。

「それでだったのじゃが」

「やはり武田家のご当主であられ」

「甲斐のことはな」

「どうしてもですな」

「離れられなかった」

「考えてみますと」

「四郎様はどうしても甲斐から離れられなかった」

「それが無理だったのですな」

 幸村も言う。

「やはり」

「武田家の方だからな」

「左様ですな」

「そうじゃ、しかしな」

「そのことが四郎様をお救い出来なかった」

「このことが無念でならぬ」

「それがしもそう思いまする」 

 幸村もだ、彼にとっても勝頼は主君でありしかも何かと引き立ててくれた。だからこそこうも言うのである。

「残念です」

「そうじゃな、御主も」

「やはり」

「そしてそのことを忘れずにじゃ」

「次は」

「果たしてみせる」

 勝頼を守れなかった無念も胸に抱いてというのだ。

「だからな」

「はい、それでは」

「わしは何があろうとも生きるぞ」

「さすれば」

「御主達は御主達の為すべきことを果たせ」

「修行をしてですな」

「強くなれ、よいな」

「わかり申した」

 幸村は確かな顔で答えた、そしてだった。

 彼は彼の鍛錬に励むことにした、その中で天下の話も集めていたがその話は幸村にとってはやはりというものだった。

「後藤殿はな」

「やはりですか」

「そうなるとですか」

「殿は思われていましたか」

「うむ、どうしてもな」

 こう話を伝えた十勇士達に述べた。

「そうなるとしかな」

「思えませんでしたか」

「黒田家のことを聞きますと」

「最早」

「黒田殿と後藤殿の不仲は有名であった」

 このことはというのだ。

「だからな」

「それで、ですか」

「そうなるとですか」

「殿は思われていましたか」

「うむ」

 実際にという返事だった。

「拙者もな。しかしな」

「はい、どうして後藤殿とお会いするか」

「それが問題になってきましたな」

「天下の何処におられるのかわからなくなるので」

「そのことは」

「そうじゃな。しかし天下に知られた方」 

 後藤、彼はというのだ。

「だから若しやするとな」

「すぐに何処におられるかわかるやも知れぬ」

「そうも思われますか」

「若しやな。そしてそうであるなら」 

 その時はというのだ。

「すぐにお会いしに行くぞ」

「お会い出来る機会を逃さず」

「必ず」

「そうするとしよう」

 こう十勇士達に言うのだった。

「よいな」

「わかり申した」

 十勇士達も頷いて答えた。

「そうしていきます」

「ではじゃ」

「はい、また天下に出ます」

「そして天下の動きを見ていきます」

「そのうえでお伝えします」

「拙者も出る」 

 他ならぬ幸村もというのだ。

「よいな」

「はい、ではです」

「我等十一人で天下を巡り」

「機を見て天下の豪傑の方々とお会いして」

「腕を磨くのですな」

「そうしようぞ、しかし後藤殿がそうなられ」

 幸村はここでまた彼の話をした。

「他の方々も行方がすぐにわからぬ方が多い」

「それが、ですな」

「どうにも困りますが」

「それでもあえて見つけ出して」

「お会いして」

「技を伝えて頂きますか」

「そうするとしようぞ」 

 こう言ってだ、幸村は天下の動きも見つつ豪傑達も探していた。そしてその頃家康は江戸城で本多正信達を集め言っていた。

「お拾殿と千の婚姻は済んだ」

「はい、千姫様も無事にです」 

 その本多が言う。

「大坂に入られました」

「そうじゃ、これでじゃ」

「上様はお拾殿の外祖父となられました」

「だから話が出来る」

「外祖父として」

「これまで以上にな」

「ですな、しかし」

「うむ、茶々殿との婚姻はな」

 家康はまだこのことを言う、それも残念そうに。

「結局な」

「こちらはですな」

「上手いかなかったのう」

「上手にいけばです」

「うむ、茶々殿についてもな」

「確かに言えたのですが」

「そして豊臣家もな」

 この家もというのだ。

「茶々殿の夫、そしてお拾殿の義父としてな」

「動かせましたが」

「それは適わなかった」

「はい、残念ながら」

「なら仕方がない、茶々殿にこれ以上言っても」

「聞かれる方ではありませぬし」

「諦めるとしよう」

 家康は遂にこう言った。

「世でわしは鳴かぬまで待つ者と言っておるそうじゃが」

「はい、上様は実は」

「これは吉法師殿も太閤様もそうであったが」

「鳴かせてやろうですな」

「わしもそれじゃ」

 家康にしてもというのだ。

「鳴かせてやろうじゃ」

「何としても」

「あれこれとしてな、しかしな」

「どうしても鳴かぬのなら」

「諦めるしかない」

「別の方法でいくしかありませぬな」

「要は大坂が手に入ればよい」

 この地がというのだ。

「わしの考えは変わらぬ」

「はい、あの地と江戸が手に入りますと」

 崇伝が言ってきた。

「幕府は東西で天下を治められますし」

「大坂は都にも奈良にも近くな」

「しかも銭が集まります」

「だからあの地が欲しいだけじゃ」

「左様ですな」

「そしてそれと共にな」

 家康はさらに言った。

「婚姻は済んだ、ならば次じゃ」

「はい、天下固めですな」

「天下を収める仕組みを作る時ですな」

「その時が来ましたな」

「それでは」

「江戸は竹千代に任せる」

 家康はここではっきりと言った。

「将軍の位も譲る」

「そしてですな」

「上様は駿府に入られ」

「あの地においてですな」

「天下を収める法度に役所を考えていこう」

 こう考えていた、今の家康は。

「是非な」

「はい、それでは」

「その様にしていきましょう」

「その時が来ました」

「それでは」

「そろそろそうする」

 将軍の位を秀忠に譲り駿府に戻るというのだ。

「あの懐かしい場所でまた暮らそうぞ」

「やはり駿府はですな」

「上様にとってはよい場所だと」

「そう言われるのですな」

「そうじゃ、どうも江戸は好かん」

 城を築いているがとだ、家康はこの地については苦笑いで述べた。ようやく築かれた本丸の御殿の中で言うのだった。広いが造りは意外と質素でありまだ木の匂いがする。

「やはりわしはな」

「駿府ですな」

「あの地ですな」

「馴染みの場所は」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「あの地じゃ、だからな」

「あの城に戻られることがですか」

「楽しみですか」

「そうなのですな」

「かなりな。早く戻り」 

 何処かうきうきとさえしていた、今の家康は。

「そしてな」

「あの城で、ですな」

「過ごされるのですな」

「そうしようぞ」

 本多達にも述べた。

「それが楽しみでもある」

「やはり駿府ですか」

「上様にとっては」

「あの城ですか」

「幼い頃におってな」

 今川家の人質だった時だ、この頃は今川義元に厚遇され人質でありながらもよき日々を送っていたのだ。

「そして駿河を手に入れてから」

「本拠されて」

「そうしてでしたな」

「充実して政を執られていた」

「そうでしたな」

「江戸より遥かによい」

 実にというのだ。

「だからな」

「そこに戻られるのはよい」

「そうですな」

「それに竹千代にもじゃ」

 家康はこのことは笑みを浮かべて言った。

「遂に跡継ぎが出来たな」

「はい、待望のご子息が」

「中納言様にも出来ましたな」

「遂に」

「よいことじゃ」 

 このことをだ、家康は我がことの様に喜び顔を綻ばさせた。

「あの孫がやがてはな」

「将軍となられますな」

「第三代」

「そうなられますか」

「血は続いてこそじゃ」

 そうあってというのだ。

「よいのじゃ。だからな」

「それで、ですな」

「このことについてもですな」

「手を打たれますな」

「わしの新しく手来た子達にもそれぞれ家を持たせ」

 そしてというのだ。

「若し竹千代の家に何かあればな」

「そのお子達の家がですか」

「跡を継げる様にしておく」

「そうもされますか」

「尾張や紀伊、水戸等がよいか」

 この三つの場所にというのだ。

「大名として家を持たせてな」

「そしてですか」

「徳川本家に何かあれば」

「その時は将軍になって頂く」

「その手筈も整えておきますか」

「そうする。どうも竹千代はおなごにはな」 

 秀忠のこともだ、家康は話した。

「淡白というかこちらでも律儀過ぎるのう」

「はい、奥方はお江様だけです」

「ご側室の方はどなたも置かれませぬ」

「お一人たりともです」

「女中にも一切手をつけられず」

「実に生真面目です」

「わしには我慢出来ぬ」

 妻が正室しかいないということはというのだ、今も側室を何人も持っている家康にとってはなのだ。

「あの様なことはな」

「いや、それが竹千代様ですな」

「あの方ならではですな」

「至って生真面目で」

「律儀な方です」

「全くじゃ、それでじゃが」

 こうもだ、家康は言った。

「その竹千代のじゃ」

「お江様ですか」

「あの方については」

「その動きわしは一切止めぬ」

 彼女のそれはというのだ。

「むしろしきりに動いてくれた方がよい」

「姉君の茶々様の為に」

「是非ですな」

「動いて頂きたいのですな」

「だから止めぬ」

 それも一切というのだ。

「このままじゃ」

「わかりました、では」

「お江様についてはです」

「何もしない」

「その様に」

「そうせよ。何はともあれ孫も出来た」

 またこの話をしたのだった。

「よいことじゃ」

「左様ですな」

「ではです」

「その喜びも思いながら」

「そうしてですな」

「駿府に入ろうぞ」

 そうしようというのだ。

 そしてだ、家康は本多正信にはこう言った。

「御主は江戸に残ってもらう」

「そうしてですな」

「竹千代を助けよ」

「わかり申した」

「その様にな、そしてじゃ」

 今度は子の正純を見て言った。

「御主はじゃ」

「駿府にですな」

「来てもらう」

 こう言うのだった。

「わかったな」

「さすれば」

「そして御主もじゃ」

 崇伝もというのだ。

「よいな」

「はい、駿府にですな」

「来てもらう」

「わかり申した」

「そうしてじゃ」

「天下固めをですな」

「進めていくぞ」

「確かに」

「やることは多い」

 家康は遠くを見る目で述べた。

「実な。しかしそれを全て終える」

「それまではですな」

「上様も」

「生きるねばのう」

 こうも言ったのだった。

「是非な」

「ですな、では」

「ご養生も」

「しておるぞ」

 笑って言うのだった。

「天下の為にな」

「ですな、それではです」

「我等も及ばずながらです」

「天下の為にです」

「この身を」

「すまんのう、では懐かしい駿府に戻ってな」

 そうしてというのだった。

「天下固めを行うぞ」

「是非共」

「そうしましょうぞ」

 幕臣達も頷く、家康は将軍になっただけでなくそれからも見据えて動いていた。それはまさに天下を見据え考えているからこそのものだった。



巻ノ八十九   完



                       2017・1・4

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