巻ノ九十 風魔小太郎
幸村は由利を呼んで言った。
「箱根まで行くぞ」
「箱根ですか」
「そうじゃ、そこにじゃ」
こう由利に言うのだった。
「風魔小太郎殿がおられるそうじゃ」
「風魔小太郎殿といいますと」
「そうじゃ、北条家にお仕えしておったな」
「あの方ですか」
「北条家は今では一万石程じゃが」
関東攻めの後で秀吉の仕置でそうなった、関東の覇者だった北条家も今ではかろうじて大名となっていると言っていい状況だった。
「風魔殿は今はな」
「北条家には」
「暇を出されておる」
「やはりそうですか」
「一万石では多くの家臣は雇えぬ」
関東の多くを治め二百万石を優に超えていた頃とは違うというのだ。
「だから風魔忍軍も全てな」
「暇を出されたのですか」
「それで風魔はあちこちに散った」
「そういえばです」
ここで由利は幸村に彼が聞いたことを話した。
「風魔衆は今は江戸で盗みを働いておるとか」
「そういう噂があったな」
「あの話は」
「少なくとも風魔殿は関係ない様じゃ」
「そうなのですか」
「今は箱根におられてな」
そしてというのだ。
「僅かな者達と共にその奥でな」
「隠棲されていますか」
「そうらしい、小さな集まりをもうけて」
「そうだったのですか」
「風魔も昔のことじゃ」
もうそうなったというのだ。
「今ではならず者に落ちた者かな」
「そうしてですな」
「世捨て人になっておる」
「北条家が降り十数年で」
「そうなった」
幸村は由利に世の無常も語った。
「まさにいく川の流れは絶えずじゃな」
「その言葉は」
「方丈記じゃ」
この書にある言葉だとだ、幸村は由利に学問のことも話した。
「それにある言葉じゃが」
「その言葉の通り」
「天下は常に変わる」
「だから風魔もですか」
「そうなった」
北条家の影として働いていた彼等もというのだ。
「最早な」
「かく言う我等もですしな」
「うむ、こうして九度山にいる身で言うのも何じゃな」
「そうなりますな」
「そう思うとお互い同じじゃな」
幸村はここで笑って述べた。
「そうなるな」
「ですな」
「ははは、流罪になっておる者達と世捨て人どちらがよいかのう」
「罪を得ていないだけ世捨て人の方がよいかと」
「では我等の方が思いな」
「左様ですな」
「まあそれでじゃ」
自分達の身も笑ったうえでだ、幸村はあらためて言った。
「拙者と御主でな」
「その箱根にですな」
「行くとしよう」
こう言うのだった。
「これよりな」
「早速ですな」
「箱根におられることがわかった」
幸村は由利の問いにこう返した。
「ならばわかるであろう」
「はい、それならば」
「ここを発つ」
「九度山を」
「そうして箱根まで行こうぞ」
「そして風魔殿にお会いして」
「御主を鍛えてもらう」
こう由利に告げた。
「それからはわかるな」
「その備えた力で、ですな」
「時が来れば戦ってもらうぞ」
「さすれば」
由利も確かな声で答えた。
「その様に」
「箱根までは距離があるが」
「それでもですな」
「真田の忍道を行けばすぐじゃ」
「そうですな、箱根までも」
「では行くとしよう」
こう言ってだった、幸村は由利を連れてすぐに九度山を発った。箱根までは確かに遠いが真田の忍道を通ればだった。
瞬く間に九度山から遠く離れていた、由利は尾張に入った時に九度山の方を振り返りそのうえで幸村にこんなことを言った。
「流された場所ですが」
「しかし今ではな」
「我等の家ですから」
「感慨があるのう」
「不思議なことです」
「住んでいれば次第にな」
それだけで、というのだ。
「愛着が出て来るということじゃな」
「あの様な場所でも」
「そうじゃ」
幸村も九度山の方を振り向いていた、二人は深い山の中にいるがそれでも九度山がどちらにあるかはわかっているのだ。
それでだ、二人は山の方を見て言ったのだ。
「どうにもな」
「愛着を感じますな」
「全くじゃ、しかしな」
「今はですな」
「箱根に行く」
「そしてそのうえで」
「風魔殿にお会いする、しかしな」
それでもというのだった。
「問題は風魔殿がよしと言ってくれるか」
「そのことですな」
「しかし何度でもな」
「お願いしてですか」
「頼み込み」
そうしてというのだ。
「何としてもな」
「それがしにですか」
「術を授けて頂く」
「そうして頂けるのですか」
「御主にも強くなってもらわねばな」
「時が来れば」
「働いてもらわねばならぬ」
だからこそというのだ。
「それが為じゃ。それに御主もさらに強くなりたいであろう」
「はい」
そに通りだとだ、由利も答えた。
「それがし達は皆禄や地位には興味がありませぬが」
「強さにはじゃな」
「はい、興味がありまする」
「拙者もじゃ、強くなりたい」
「何処まででも」
「だからこそ御主の考えもわかる」
目指しているもの、求めているものが同じだからだというのだ。
「では是非な」
「風魔殿にそれがしをですか」
「頼む、それではな」
「はい、では」
「是非な」
箱根まで行くというのだった、そして実際にだった。
二人は尾張からさらにだった、山道を並の者とは全く違う歩みの速さで進んでだ。尾張から瞬く間にだった。
箱根に入った、由利は箱根の山に入ると幸村に問うた。
「殿、それでは」
「うむ、これよりな」
「風魔殿ところに参りますか」
「既にこの箱根の何処におられるかわかっておる」
それはというのだ。
「だからな」
「この箱根の中を回ることはない」
「風魔殿をお探ししては」
「それは何よりですな、箱根はまた違いまする」
「うむ、かなり険しい」
そうした場所だからだというのだ。
「迂闊に歩き回ってはな」
「時間の無駄ですな」
「我等なら何日も飲まず食わずでも歩き回れるが」
「ですがその様なことをしても」
「意味はない」
「左様ですな」
「だからじゃ」
それでというのだ。
「先におられる場所は確かめておいた」
「流石は殿ですな」
「聞こえるであろう、草木の声が」
幸村は由利にこのことを問うた。
「御主にも」
「はい、よく」
「石や川のそれもな」
「それを聞けば」
「すぐにわかる」
「確かに。それがしにもわかりました」
由利はその目を鋭くさせて幸村に答えた。
「風魔殿が何処におられるか」
「人の目は誤魔化すことが出来る」
「しかし草木や石、水のそれは」
「出来ぬ」
「そこにいるだけに」
「そうじゃ、わかる」
そうした声を聞ければというのだ。
「すぐに調べられる」
「だからこそですな」
「それを聞けばじゃ」
「それがしにもわかりますな」
「御主もそろそろ聞こうと思っていたであろう」
「はい、これよりと」
「拙者はそれより少しだけ早かった」
幸村、彼の方がというのだ。
「それだけじゃ」
「ですがその少しが」
「戦では変わってくる」
「そこを詰めるのもですな」
「戦では大事じゃ」
「左様ですな」
こうした話もした主従だった、そのうえで。
二人は風魔達が隠棲しているその場に向かった、そこは箱根の奥深くだった。そこに入るとだった。
すぐにだ、二人がいる山道の周りからだった。多くの声がしてきた。
「何者か」
「どうしてここまで来た」
「旅の者が迷い込んだとは到底思えぬ」
「幕府の者か」
「どちらでもない」
幸村は何処からか聞こえる声達に冷静に答えた。
「真田幸村と家臣の由利鎌之助じゃ」
「真田殿!?」
「そして由利殿か」
「真田家の次男殿と十勇士のお一人というか」
「嘘ではあるまい」
「いや、思えば並の者がここまで来られる筈もないしのう」
「忍の者でもな」
「ではやはり」
「貴殿達は真田殿主従か」
「そうなのか」
「うむ、これでわかるであろうか」
幸村は腰の刀を前に出した、そしてその鞘に刻まれている六文銭を出した。そのうえで声達に対して言ったのだった。
「これでな」
「六文銭、間違いない」
「真田家の家紋」
「その家紋が刀にある」
「それでは」
声達もここでわかった。
「真田殿か」
「そして由利殿か」
「左様」
まさにとだ、幸村はまた答えた。
「それで貴殿等に頼みがあるが」
「何か」
「風魔小太郎殿のところに案内して欲しい」
こう言うのだった。
「そうしてもらいたい」
「小太郎様のところに」
「そう言われるか」
「一体何の為に」
「そう言われるのか」
「それがしに術を授けて頂きたいのだ」
由利も言った。
「時が来た場合に備えてな」
「時、か」
「時が来た時に備えてか」
「まさか」
「幕府に対して」
「今は多くは話せぬ」
静かな声でだ、幸村が述べた。
「しかしまずは風魔殿とお話がしたい」
「どうする」
「小太郎様がここにおられることもご存知か」
「既にな」
「流石は真田殿と言うべきか」
「幕府にさえ気付かれておらぬというのに」
「無論誰にも言わぬ」
風魔がここにいることはとだ、幸村は約束した。
「我等とて幕府にはよく思われておらぬ身だしのう」
「それは確かにそうじゃな」
「貴殿達のことは聞いておる」
「今は九度山におられるな」
「本来は」
「そうされておるな」
「流罪の身、しかしな」
それでもというのだ。
「あえてここまで来た」
「小太郎様にお会いする為に」
「まさにその為に」
「報酬はないが」
それでもというのだった。
「頼めるか」
「わかった、ではじゃ」
「一旦小太郎様のところに戻る」
「そこで暫く待たれよ」
「すぐに戻る」
「そしてな」
「小太郎様のお考えをお伝えする」
「それには及ばぬ」
ここでだ、新たな声がした。
「話は聞いたわ」
「そのお声は小太郎様」
「ご自身が来られたのですか」
「そうされたのですか」
「ははは、話し声が聞こえた」
だからだというのだ。
「それで来て話を聞いたが」
「それでは真田殿は」
「どうされますか」
「一体」
「面白い話じゃ」
これが風魔の返事だった。
「由利殿にわしの術を全て授けるか」
「そうして頂きたいが」
幸村は風魔の声に対しても言った。
「宜しいか」
「わかった」
風魔の声は幸村の申し出に明るい声で応えた。
「それではな」
「有り難い、では」
「まずは我等の隠れ家に来て頂きたいが」
風魔の声から幸村に申し出た。
「そうして頂けるか」
「うむ、それでは」
「そしてじゃ」
「そのうえで」
「教えさせてもらおう」
この言葉と共にだ、風魔は幸村達の前に姿を現した。忍装束を着た忍の者には似つかわしくないまでの大男だった。
その彼がだ、幸村に言ってきた。
「では参ろう」
「風魔小太郎殿」
「左様、お会いしたことはあったか」
「確か」
「北条家にお仕えしていた時に」
風魔は過去のことも話した。
「あの戦の時に」
「そうだったか」
「はい、そして」
「十数年振りだったな」
「確か」
「お互い元気だったということか」
「ははは、しかし」
元気であってもとだ、幸村は笑って応えた。
「それがし達は流罪の身」
「そして我等は隠遁の身」
「左様ですな」
「まさにのう、しかし」
「はい、実はです」
強い声でだ、幸村は風魔に言った。
「それがし思うところがありまして」
「それは」
「おわかりだと思いますが」
「ふむ」
確かな声を出してだ、風魔は。
幸村のその目を見てだ、こう言った。
「そういうことか」
「おわかりですね」
「それではな」
「これより」
「案内到そう」
風魔はまた言った。
「これよりな」
「そしてですな」
「そのうえでじゃ」
まさにというのだ。
「じっくりと話をしよう」
「是非」
「これより」
「そうしてな」
「あらためてですな」
「修行としようぞ」
こう話してだった、風魔は実際に幸村主従をある場所に歩いて案内した。その時に周りの声だけだった者達も姿を現した。
そのうえでだった、彼等は箱根のさらに奥にある集落に着いた。その二十軒程の木の家がある集落に案内してだった。
風魔は笑ってだ、幸村達に言った。
「ここがじゃあ」
「今の風魔殿のおられる場所ですか」
「そうじゃ」
笑って言うのだった。
「ここがな」
「そうですか」
「そしてここにいてな」
「過ごされていますか」
「もうここから出るつもりはない」
風魔は幸村に笑ってこうも言った。
「ずっとな」
「そうなのですか」
「北条様も今では我等を召抱えられrぬ様になった」
「だからですか」
「北条様以外にお仕えするつもりもない」
それ故にというのだ。
「だからな」
「ここより出られず」
「死ぬつもりであったが」
「それがですか」
「思わぬ客人じゃな」
幸村達を見てだ、風魔は笑って言った。
「全く、夢にも思わなかったわ」
「そうですか、やはり」
「うむ、しかしな」
「それでもですか」
「よく来られた」
こうも言うのだった、幸村達に。
「ではな」
「はい、これよりお願い申す」
「わしの術でよければな」
「鎌之助に」
「是非共」
由利も風魔に言ってきた。
「そのお力お授け下さい」
「ではな」
「ここに暫くですか」
「寝泊りしてもらうぞ」
「無論承知のこと」
「真田殿も由利殿もわしの屋敷に入られよ」
そして寝泊りの場所にせよというのだ。
「是非な」
「そうしてよいのですか」
「屋敷といってもかなり狭いが」
それでもというのだ。
「そこを使われよ。わしも今では妻も子もおるが」
「それでもですか」
「只の世捨て人じゃ」
ここでもだ、風魔はその大きな口を開けて笑って言った。
「気遣いは無用じゃ」
「そう言われますか」
「だから遠慮は無用、そしてな」
「そしてとは」
「風呂は近くに温泉があるし食うものは山に入れば幾らでもある」
「獣や木の実や川の魚達ですか」
「そういうものを食えばよい」
それでというのだ。
「だからな」
「はい、それでは」
「存分にじゃ」
まさにというのだ。
「修行をしようぞ」
「それでは」
「うむ、ではまずはその飯じゃ」
話したそれだというのだ。
「近くで何か採るとしよう」
「それも修行ですな」
「そのうちの一つ、貴殿に風の術を授けるが」
「その風の術で、ですな」
「獲物を捕らえようぞ」
「畏まりました」
「獲物は幾らでもある」
風魔は余裕の笑みで述べた。
「由利殿ならおわかりであろう」
「はい、風の術を使えば」
「幾らでもじゃ」
それこそというのだ。
「得られるからのう」
「こうしてですな」
早速だった、由利は右手をさっと上に振った。するとそこから鎌ィ足が飛んでだった。その刃で上を飛んでいた鳥をだ。
傷つけ落とした、そして既にこと切れている鳥を見つつ風魔に言った。
「捕らえられますな」
「その通りじゃ、お見事」
「では早速この鳥に」
「あと数羽捕まえてな」
「食いますか」
「そうしようぞ」
「それでは」
「しかし。一撃でしかも苦しまず倒すとは」
風魔は由利が今落としたその鳥を見て言った、喉のところを半ばまで切られていてまさに一瞬で死んだことがわかる。
「流石は真田十勇士のお一人」
「そう言って頂けますか」
「これならば修行をされても」
それでもというのだ。
「すぐに終わりそうじゃな」
「そうですか」
「そう思った、ではな」
「はい、今宵は」
「修行に励もうぞ」
「宜しくお願い申す」
「食った後でな」100
こう話してだった、二人は幸村も交えて食うものをその場で手に入れて火も起こし焼いて食った。それからすぐにだった。
風魔と由利は山の中を駆け巡り共に風に手裏剣そして鎖鎌を繰り出し合う修行に入った。その中でだった。
風魔は手裏剣、風魔一族の独特の手裏剣を山の中を駆けつつ由利に投げた。だがその手裏剣をだった。
由利は鎖鎌の鎌のところで打ち返した、それを見て言った。
「わしの手裏剣をそうして防ぐとはな」
「いや、危ういところでした」
「それだけでも凄い」
こう言うのだった。
「まことにのう」
「そうですか」
「うむ、しかしな」
風魔はさらにだった、何かを投げた。それは。
気の刃だった、それはだった。
由利はかわした、風魔は由利が駆けながらも身体を動かしてかわしたのを見て笑みを浮かべて言った。
「それでよう」
「飛んで来るものは手裏剣とは限らないですな」
「矢の場合もあればじゃ」
「弾き返せぬものもありますな」
「そうじゃ、だからそこを見極めるのじゃ」
「相手の気配、そして戦の場の状況から」
「風を見るのじゃ」
風魔は由利にこうも言った。
「貴殿、どうやら草木の声が聞けるな」
「おわかりですか」
「動きを見てわかった」
このことがというのだ。
「そうとしか思えぬ動きがまま見られた」
「そこからおわかりとは」
「ははは、わしも風魔の棟梁じゃった者じゃ」
東国一と言われた忍達のというのだ。
「だからな」
「それがしの動きから」
「わかった、草木の声を聞きじゃ」
「風を見て」
「そして動けばじゃ」
「来るものが何かを見極めることが出来」
「風もじゃ」
それ自体もというのだ。
「万全にじゃ」
「使いこなせる様になる」
「風を使うには鎌ィ足を出すだけではあるまい」
「はい、こうして」
ここでだ、由利は。
風魔と共に駆けつつ左手、鎌を持っているそちらを思い切り振った。すると人の大きさ程の竜巻を出して前に飛ばした。
その竜巻を出してからだ、風魔にあらためて話した。
「竜巻を出すこともですな」
「そうじゃ、そして多くの鎌ィ足や竜巻を出してじゃ」
「戦に使うことも」
「そのうちの一つじゃ、そしてじゃ」
「さらにですな」
「多くの術を使える様になる」
風の術、それを極めればというのだ。
「だからな」
「はい、風を見ることですな」
「御主の腕なら出来る」
由利にこうも告げた。
「間違いななくな」
「左様ですか」
「だからじゃ」
「それでは」
「あと少しじゃ、御主は風を見られる」
既にだ、由利はその域に達しているというのだ。
「そして風を見てな」
「そうしてですな」
「その時こそわしの術の全てを授けられる」
「さすれば」
「極めよ」
まさにというのだった。
「そして役立たせるのだ」
「それがしが風魔から授かった術を」
「御主達の道にな」
「それでは」
「うむ、修行を続けようぞ」
このままとだ、こう話してだった。
二人は山の中を駆け続け風を使いその声も聴いていた、そして。
そんお修行の日々を続ける中でだ、風魔は幸村と由利にある夜共に猪鍋を喰らいつつこんなことを話した。
「北条様も最早多くは望んでおられぬ」
「今のままでよいと」
「そうお考えですか」
「そうじゃ、だから我等もじゃ」
風魔の者達もとだ、彼は猪の硬い肉彼等の中で作った味噌で味付けしたそれを食べつつ応えた。中には多くの山菜も入っている。
「最早な」
「ここから出られずに」
「生きられますか」
「わし等のやることはない」
最早という言葉だった。
「だからな」
「それ故にですか」
「ここに隠棲されてですか」
「世に出られぬ」
「そうされますか」
「ここで暮らすのも悪くはない」
笑ってだ、風魔は二人に話した。
「だからな」
「左様ですか」
「それ故に」
「そうじゃ」
まさにという返事だった。
「そうするつもりじゃ」
「左様ですか」
「その様に」
「うむ、そしてな」
風魔はさらに話した。
「たまに外に出て天下の話を聞くとな」
「天下は、ですな」
「相当なことがない限り徳川殿じゃ」
徳川家の、というのだ。
「長い天下になるであろう」
「固まってきていると」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからな」
「もうですな」
「もう豊臣家の天下はない」
「後は豊臣家がどうして生き残るか」
「大名としてな。そうした状況じゃな」
「風魔殿もそう思われますか」
「天下は泰平が一番じゃ」
風魔はこう言い切った。
「さすれば我等も楽な仕事ばかりでな」
「禄を頂き」
「安穏として暮らすことが出来る」
そうなるというのだ。
「泰平だとな、それならな」
「徳川殿の世で、ですな」
「よいであろう」
「徳川家については」
「何も思うことはない」
一切という返事だった。
「別にな」
「そうなのですか」
「そもそもじゃ」
「北条家と徳川家はですな」
「戦もしたが縁戚であった」
家康の娘が氏直の妻であったからだ。
「しかも最後まで我が主家のことを気遣って下さった」
「だからですな」
「嫌う理由はない」
そして憎む理由もというのだ。
「だからな」
「幕府にはですな」
「我等は何もせぬ」
「では江戸で暴れていたのは」
「大方何処かのならず者達であろう」
自分達ではないとだ、風魔は幸村に述べた。
「忍かどうかは知らぬがな」
「そうした者達ですか」
「おそらくな」
「左様ですか」
「まあそのうち捕まるわ」
これが風魔の見立てだった。
「既に結構捕まっておるそうだしな」
「ではその者達は」
「何でもない」
風魔にとってはというのだ。
「わしの名も風魔の名を騙るのもな」
「それもですか」
「何でもないわ」
そうしたことをしてもというのだ。
「むしろわしの偽物が獄門にででもなればじゃ」
「それで風魔小太郎が死んだと」
「そうなるからじゃ」
「よいのですな」
「この箱根で静かに過ごせる」
そうなるというのだ。
「だからよい」
「左様ですか」
「うむ、しかし貴殿等は」
「はい、このまま何もなければよし」
「そのまま九度山で過ごされるか」
「そうします」
こう考えているというのだ。
「許しが出るやも知れませぬが」
「まああと十年少しか」
「それ位でござるか」
「貴殿等の許しが出るならな」
それ位だというのだ。
「そうなるであろうな」
「十年少しですか」
「宇喜多殿は八丈島に流されたが」
宇喜多秀家、五大老の一人であった彼もというのだ。
「まああと十年少しか」
「それ位で、ですか」
「あの方も」
「出されるであろう」
その八丈島からというのだ。
「そうであろうな」
「左様です」
「うむ、そして」
「後はですな」
「十万石位でな」
「大名としてですな」
「戻られよう」
宇喜多がどうなるかもだ、幸村は話した。
「おそらくじゃが」
「まあそんなところでしょうな、しかし」
「しかしか」
「宇喜多殿は非常にご意志の強い方なので」
だからだというのだ。
「そのお話もです」
「聞かれぬか」
「そうでありましょう」
「言われてみればそうじゃな」
「宇喜多殿のことはお聞きですな」
「義のお心が強い方じゃな」
「特に忠義が」
義の心の中でもそれが特にというのだ。
「お強い方ですから」
「そしてその忠義の先は」
「豊臣家です」
この家だというのだ。
「やはり」
「だからか」
「豊臣家の天下ならともかく」
「今の幕府は」
「どうしても」
「従われぬか」
「そして」
さらにだった、幸村は風魔に話した。
「幕府が続く限りはです」
「あの方は島から出られぬか」
「そうされましょう」
「そこまでの方は」
「宇喜多殿は」
こう風魔に話した。
「あの方は」
「それもまた強いな」
「そうですな」
「立派な方よのう」
風魔はここまで聞いてだ、強い声で頷いて言った。
「そうした方が島におられたままというのも」
「残念ですな」
「実にな。そして」
「そしてとは」
「貴殿等も九度山におったままにおるのは」
どうしてもというのだ。
「それはよくない」
「そうですか」
「うむ、だからな」
こう言うのだった。
「何時かは世に出てもらいたい」
「そう言って頂けますか」
「貴殿等程だとな」
まさにとういうのだ。
「そう思う、ではな」
「それではですな」
「明日もじゃ」
「そしてですな」
「由利殿の皆伝の日まで」
まさにその日までというのだ。
「修行しようぞ」
「いや、楽しみです」
風魔のその言葉を聞いてだ、由利は楽しんで言った。
「この修行実に楽しいです」
「ははは、そう言うか」
「修行をすればするだけです」
「己が強くなっていっているのがわかるか」
「はい、それに修行自体がです」
「好きか」
「我等は皆そうです」
十勇士達そして幸村もというのだ。
「そして修行の為の修行ではなく」
「目的があるな」
「己を高めてです」
「時が来たならば」
「働く為に」
まさにというのだ。
「修行をしております」
「それこそ真の修行じゃ、どうやら真田殿も御主も」
幸村だけでなく由利もというのだ。
「誠の修行をしてきたか」
「これまでは家を守る為でした」
幸村は風魔に確かな声で答えた。
「真田の家を」
「その為にじゃな」
「はい、我等は常に己を磨いてきました」
「真田の家を何があろうと守る為に」
「そうしてきました、しかし」
「今はじゃな」
「それがし達は流罪となった身です」
澄んだ、何も未練はない顔での言葉だった。
「ですから」
「家を守ることもか」
「それは兄上がされることになりました」
「源三郎殿か」
「はい、兄上と義姉上そして兄上の家臣達が」
その彼等がというのだ。
「果たしてくれます、ですから」
「もう真田の家を守ることはか」
「はい、それがし達がすることではなくなりました」
だからだというのだ。
「それがし達は別のことに使う力を備える為に修行をしております」
「そうなったのじゃな」
「武士、忍の道を極めそして」
幸村は風魔にさらに話した。
「時が来れば約束を果たす為に」
「約束か」
「はい、約束をです」
まさにそれをというのだ。
「果たす為に」
「修行をされているか」
「そして風磨殿にも我儘を言いました」
「ははは、それはよい」
修行を頼んだことはだ、風魔は笑っていいとした。そのうえで幸村に対して言うのだった。勿論由利に対してもだ。
「わしも退屈しておった」
「そうなのですか」
「山奥にずっとおるからのう」
「だからですか」
「それはよい、しかし」
「約束のことは」
「それは何かというと」
「申し訳ありませぬが」
言えぬとだ、幸村は風魔に断った。
「それは」
「そうか、しかし貴殿がそこまで果たそうとする」
「そうした方との約束です」
「そうなのじゃな、ではその約束はな」
「必ずやですな」
「果たされよ」
こう幸村に言うのだった。
「是非な」
「そうさせて頂きます」
「さもなければじゃ」
「はい、それがしはですな」
「真の武士ではない」
「幾ら強くなろうとも」
「やはりそこに心がなければじゃ」
幾ら武芸の腕があろうともというのだ。
「所詮はな」
「その通りですな」
「まあ只の忍のわしが言うのも何じゃが」
それでもとだ、風魔は笑って述べた。
「だからな」
「それではですな」
「そうじゃ、その約束を果たされよ」
「何としても」
「そしてじゃ」
「真の武士にですな」
「なられよ、わしもそう願う」
風魔にしてもだ、彼はここでも幸村だけでなく由利に対しても微笑み話した。
「貴殿達ならばと思うからこそな」
「約束を果たし」
「真の武士、忍になられよ」
「さすれば」
「あくまで義に生きられ」
そうしてというのだ。
「そうなられよ」
「さすれば」
「うむ、ではな」
ここまで話してだ、そうしてだった。
三人で猪鍋を最後まで食べてだった、この日はそのまま寝て朝になるとまた修行だった。そうした日々が続いていた。
昌幸は幸村達が修行に出ているのを知っていた、しかしこのことについては咎めず共にいる股肱の臣達にこう言った。
「よいな、源次郎達はずっとじゃ」
「はい、こちらにおられますな」
「そして静かに過ごされていますな」
「実に穏やかに」
「そうされていますな」
「そうじゃ」
そういうことにする様にというのだ。
「そうなっておる、わかったな」
「はい、それでは」
「我等はこのままですな」
「源次郎様がおられずとも」
「おられる様にしておく」
「そうされますか」
「そうじゃ、しかしあ奴はな」
幸村、彼はというと。
「わしより名を残すやもな」
「大殿よりもですか」
「そうなられるやも知れませぬか」
「うむ、ああして修行に励むのを見るとな」
あえて九度山から出てまでして修行に励むのを見ればというのだ。
「そうも思える」
「ですか、では」
「大殿が立たれればですな」
「源次郎様は大殿以上にですか」
「名を挙げられますか」
「若しわしと源次郎が共におれば」
機が熟したその時はというのだ。
「必ずやことを為せる」
「左様ですか」
「そうなりますか」
「では、ですな」
「源次郎様はその時は」
「わしより名を挙げてもらいたい」
父としての言葉だった。
「心からそう思っておる」
「左様ですか」
「では、ですな」
「そのことを思いつつ」
「そのうえで」
「わしはあの者達を見守っておる」
幸村、そして十勇士達をというのだ。
「そして大助も時が来れば」
「あの方も修行ですな」
「それに励まれますか」
「そうなろう、しかし源次郎は厳しい者ではない」
幸村のこともだ、昌幸はわかっていた。
「それはわかるな」
「あそこまでお心の優しい方はおられませぬ」
「他にはです」
「我等にもお優しくく」
「民達にも」
「あの者は仁の心も強い」
それも非常にだ、幸村は誰に対しても声を荒くさせることは決してなく手をあげることも全くしない。そうした者なのだ。
「だから大助への鍛錬もな」
「厳しいものにはされない」
「そうなのですね」
「だからですか」
「そのことは」
「少し気になる、大助の気質にもよるが」
こう言うのだった。
「厳しいものはわしの方から教えるやもな」
「大殿ご自身が」
「そうされますか」
「あの仁の強さが政の遅れとなったのじゃ」
幸村の心優しさ、それがというのだ。
「政は時として厳しい断が必要じゃが」
「それがですな」
「源次郎様は出来ぬ」
「それが為に」
「優しいことはよい」
このこと自体はというのだ。
「しかしあ奴はそれが過ぎる」
「そしてですか」
「大助様のことについても」
「その優しさが出過ぎぬか」
「それが心配ですか」
「少しな。しかしあれだけの者達もおる」
十勇士達のことも言うのだった。
「大助は自然と立派になるわ」
「源次郎様に十勇士達を見て」
「そのうえで」
「そうなる、そしてあ奴もな」
大助、彼もというのだ。
「必ずじゃ」
「よき方になられる」
「そうなのですな」
「そう思う。出来れば大助が元服の時まで生きたい」
昌幸はこうしたことも言った。
「そうも思う」
「左様ですか」
「その様にも」
「思う、長生きはせねばな」
昌幸は今は粗食に徹し身を謹んでいた、そうして時を待つのだった。息子や孫達の成長を見ながらそうしていた。
巻ノ九十 完
2017・1・12