巻ノ九十二 時を待つ男
幸村は望月に言った。
「御主にも会ってもらいたい方がおってな」
「その御仁は」
「立花殿じゃ」
立花宗茂、彼だというのだ。
「あの方のところに連れて行きたいが」
「あの方にですか」
「あの方は様々な武芸を使われるが」
「特にですか」
「拳や柔術が特に得意でな」
「それがしと同じですな」
望月も同じだ、体術を最も得意としている。そして拳や柔術での戦いは刀や手裏剣を使う場合よりも得意なのだ。
だからだ、幸村も言うのだ。
「それでじゃ」
「それがしは、ですか」
「立花殿のところに行くか」
「はい」
一言でだ、望月は幸村に答えた。
「さすれば」
「そうか、ではすぐに九州まで行くぞ」
「あの方は確か」
「関ヶ原で治部殿につかれてな」
「それで、でしたな」
「お取り潰しとなった」
そうなったのだ、そのことを処罰されてだ。
「そして今は許されて晴れてな」
「大名に返り咲かれましたな」
「陸奥棚倉にな」
「その才を惜しまれてとか」
「右府殿は人も情も知っておられる方じゃ」
家康のこともだ、幸村は話した。
「だからな」
「あの方の才を惜しまれ」
「そしてじゃ」
「大名に戻されましたか」
「加藤殿は召し抱えようとされておった」
加藤清正はというのだ、今は熊本を治める彼はだ。
「しかし立花殿がどうしても首を縦に振られず」
「召し抱えることは出来ませんでしたな」
「そして食客として遇しておられた」
「そうしたことでしたな」
「しかし晴れてな」
「大名に返り咲かれ」
「今はそこにおられる」
陸奥棚倉にというのだ。
「そこにな」
「そして我等は」
「これからそこに行く」
「わかりました」
「遠いが真田の忍道を通ってじゃ」
いつも彼等が天下を行き来する時に使う彼等だけが知っているこの道をというのだ。
「行くぞ」
「わかりました」
「そうすれば陸奥もじゃ」
九度山から遠いこの場所もというのだ。
「すぐにじゃ」
「行くことが出来ますな」
「そうじゃ、我等の脚ではな」
「ですな、我等は山道では風の様に勧めます」
「実際に風の様に進むぞ」
幸村達はそうして天下を巡っている、彼等だけが知っているその道では彼等はまさに風となることが出来るのだ。
「陸奥までな」
「はい、しかし」
「立花殿が陸奥におられることはか」
「違和感がありますな」
九州にいた彼がというのだ。
「そのことはどうしても」
「仕方あるまい」
「転封は、ですか」
「大名の常というのが幕府の考えの様じゃ」
「転封を常とするのですか」
「その様じゃ、立花殿もな」
大名に戻れてもというのだ。
「これからはわからぬが」
「今は、ですか」
「陸奥におられる」
縁も由もないその地にというのだ。
「そうなっておられる」
「また正反対の場所ですな」
「そうして時折転封してな」
「そこに何かあるのですか」
「大名にその地に根付かせないのじゃ」
「そうですか」
ここで望月もわかった、幕府の考えが。それではっとして言った。
「それはまた」
「よく考えておるな」
「はい、実に」
「国人が何故力があったか」
「その地に強く根付き確かな力を備えていたからです」
「それを防ぐ為にじゃ」
「そうしてですか」
「大名に力を持たせぬのじゃ」
幕府としてはというのだ。
「そこまで考えておるのじゃ」
「まさかそこまでとは」
「幕府はとかく天下を治めることに腐心しておる」
「一つにした天下を」
「その為に大名もそうしていくのじゃ」
「鎌倉や室町とは違うのですな」
「遥かによく考えて天下を治めるつもりじゃな」
幕府、そして家康はというのだ。
「見事じゃ、そしてな」
「それが、ですか」
「天下を上手く治めるであろう」
「そうなっていきますか」
「しかし我等の考えは一つ」
それはもう決まっているというのだ、幸村達のそれは。
「だからな」
「はい、それでは」
「これより陸奥に行くぞ」
「さすれば」
こうしてだ、幸村と望月は二人ですぐに九度山を出てだった。そのうえですぐに陸奥まで向かった。確かに陸奥は遠いが。
富士山を西に見てだ、望月は彼の前を進む幸村に言った。
「いや、もうですな」
「富士を越えたな」
「あっという間に」
「そうじゃな、前もこの山を見た」
「鎌之助と共にですな」
「風魔殿にお会いした時にな」
この時のことをだ、幸村は思い出しつつ望月に話した。
「そうしておった」
「そうでしたな」
「拙者がこの山を見たのは最近では二度目じゃが」
「どういったお気持ちでしょうか」
「やはり何度見てもよい」
富士、この山はというのだ。
「見ているだけで心が清められる」
「そうしたものがあの山にはありますな」
「実にな、そしてあの山を越えれば」
そうなればとだ、幸村はこうも言った。
「東国じゃ」
「ですな、あの山が丁度境です」
「駿河、甲斐までが西国じゃ」
富士があるこの国々がというのだ。
「しかしそこからな」
「東はですな」
「東国じゃ」
「そちらになりますな」
「我等はもうその東国におる」
富士を越えた、だからだというのだ。
「そしてな」
「これよりですな」
「陸奥に向かう、関東よりな」
「ですな、陸奥に入りますか」
「そうしようぞ」
「では」
望月は幸村の言葉に頷いてだ、そしてだった。
主従は関東を横切って陸奥に向かった、その関東はというと。
「江戸も他の場所もな」
「日に日にですな」
「人が増えて家々も増えてな」
「栄えてきておりますな」
「そうなってきておる」
実にというのだ。
「幕府の中心となりな」
「西国だけでなく東国もですな」
「これからは豊かになる」
「田畑も多くなってきておりますし」
「関東はよい国々になるわ」
「そうなりますな」
「戦国の世の時以上にな」
「泰平の中で」
「そうなる、やはり泰平があってこそじゃ」
「人は栄えますか」
「そうなる、我等が最初見た江戸は何もなかった」
まさにだ、一面草原で朽ち果てかけの城があるだけだった。
「しかし今やな」
「日に日にですな」
「巨大な城が築かれその周りに家々が出来てきており」
「さらに周りには田畑も多くなり」
「栄えてきておる」
「泰平であればこそ」
「国は栄える、そのうえで」
そしてというのだ。
「人も幸せになれる」
「やはり泰平こそですか」
「天下はよい、このまま泰平であれば」
「民は幸せですな」
「それが一番じゃがな」
「しかし我等は」
「戦の時が来ればとも思っておる」
そこに因果を感じてだ、幸村は眉を曇らせた。江戸の人々とそこにある家々を見つつ。
「悪いことよのう」
「確かに」
「我等は外に出る時はな」
「来ない方がよいですな」
「そうなる」
結果として、というのだ。
「やはりな」
「左様ですな」
「うむ、しかし時に備えてな」
「陸奥に入り」
「立花殿にお会いしようぞ」
「さすれば」
主従で話をしてだ、そしてだった。
陸奥に入った、そして立花の領地に入ってだった。
二人である茶店に入り喉を潤そうとすると後ろから声がした。
「待っていたぞ」
「まさか」
「うむ、ここまで来たか」
立花の声だった、幸村がかつて九州で聞いた。
「よく来られた」
「ご存知だったとは」
「勘でな」
「おわかりになられましたか」
「それに貴殿達があのままじゃ」
「九度山において」
「静かにしていることはないと思っておった」
これは立花の読みだった。
「それで何時かは来ると思っておった」
「そうでしたか」
「わしに教えを乞いに来たか」
「はい」
幸村は一言で答えた、後ろにいる立花に。
「ここまで」
「九度山からな」
「そうしました」
「わかった、ではじゃ」
「教えて下さいますか」
「そこにおる者にじゃな」
望月を示している言葉だった。
「わしの拳や柔術をか」
「授けて欲しいのですが」
「ならば毎夜山に来るのじゃ」
「山に」
「わしが今おる場の裏の山にな」
その山にというのだ。
「さすればな」
「毎夜その山で」
「教えを授ける」
確かな言葉だった。
「そちらの者にな」
「もうそのこともですか」
「身体をみればわかる」
立花は望月にも言った。
「それはな」
「そうでしたか」
「そうじゃ、では拙者の体術をじゃ」
「授けて下さいますか」
「ここまで来たのじゃ」
それならばというのだ。
「教えさせてもらおう」
「有り難きお言葉」
「しかし拙者の修行は厳しい」
このことをだ、立花は望月に断りを入れた。
「それでもよいな」
「どの様な修行でもです」
「耐えるか」
「いえ、楽しめますので」
「そう言うか」
「はい、ですからお気遣いは無用です」
「無論こちらも気遣うことはせぬ」
温和で知られる立花だがこの度に修行ではというのだ。
「拙者の体術の全てを授けるのだからな」
「だからですな」
「遠慮なく厳しくじゃ」
そうしてというのだ。
「鍛えるぞ」
「はい、では」
「その様にな」
「お願いします」
「さて、そしてじゃ」
「城の裏の山で、ですな」
「毎夜修行じゃ」
こう望月に言った。
「免許皆伝の時までな」
「わかり申した」
「してじゃ」
立花は今度は幸村に声をかけた、幸村もそれを察し耳で応えた。
「貴殿もじゃな」
「いつもこうしております」
「共に修行を受けておるか」
「その様に」
「貴殿もさらに強くなりたいか」
「身体だけでなく心も」
こちらもというのだ。
「是非です」
「その時の為にか」
「そう考えています」
「拙者の見立てではじゃ」
「天下はですな」
「また一つ大きな戦が起こる」
こう幸村に話した。
「そしてその時に拙者はじゃ」
「どうしてもですな」
「貴殿と共に戦えぬ」
「そうなりますな」
「貴殿の様な者と轡を並べたいが」
武士としてだ、立花はそう思うのだ。彼もまた武士であり幸村の様な者を嫌いではないからこう思うのだ。
「しかしそれは出来ぬ」
「ではやはり」
「敵同士となろう」
「そうなりますな」
「しかしじゃ」
「それでもですな」
「ここまで来たならばな、それに戦はまだじゃ」
つまり敵同士ではないからだというのだ、今は。
「教えさせてもらおう」
「ではそれがしも」
「共に修行をしようぞ」
「それでは」
「夜と言ったが朝や昼でも暇があればじゃ」
例え日が照っている間でもというのだ。
「修行をしようぞ」
「そうして頂けますか」
「拙者も技を授けたい、ではな」
「宜しくお願いします」
こうしてだ、望月だけでなく幸村も立花から直々に修行を受けて彼の体術を教わることになった。そしてだった。
立花の言う通り主従二人は主に夜に、立花が暇なら朝も昼もだった。山の中で激しい修行の日々を送った。
立花の力は強い、しかも剛力なだけでなく素早く尚且つ技も多彩だ。それで十勇士随一の体術の使い手である望月もだ。
最初は常に遅れを取った、だが。
次第にだ、動きがよくなってきてだ。
立花が投げようとすると抜け出てみせた、立花はそのうえで己の前に出て身構えた望月に笑って言った。
「それでよい」
「今ので、ですな」
「技をかけられててもな」
「それでもですな」
「諦めずに抜け出てじゃ」
「すぐに身構えるのですな」
「それでよいのじゃ」
こう言うのだった。
「今の様にしてな」
「再び戦う」
「生きてさえおればじゃ」
「幾らでも戦える」
「だからじゃ」
「最後の最後まで、ですな」
「諦めないことじゃ」
まさにというのだ。
「そうせよ、よいな」
「わかり申した」
「そしてじゃ」
立花はさらに言った。
「自分からもじゃ」
「技をかける」
「相手を先に殺す」
強い言葉でだ、立花は言った。
「それが大事じゃ」
「では」
「御主からも仕掛けて来るのじゃ」
技、それをというのだ。
「これまで以上にな」
「どんどん技を仕掛ける」
「それも必殺のものじゃ」
「そのうえで」
「相手を倒すのじゃ」
「戦の術ですからな」
「迷ってはならぬ」
立花はこうも言った。
「決して」
「何があろうとも」
「一瞬でも迷えばな」
「そこに隙が出来て、ですな」
「そこから死ぬ」
自分自身がというのだ。
「だからじゃ」
「迷わずに」
「うむ、相手を倒せ。よいな」
「わかり申した」
「それではな、修行を続けるぞ」
「それでは」
こう話してだ、そしてだった。
望月は立花から稽古を受けて技を身に着けていった、すると彼がこれまで知らなかった様な技もそこには多くあった。
柔術の技でだ、望月は投げられた。それは足払いをかけられたが即座に身体が回って脳天から落ちるものだった。
望月は慌てて両手を地面に突いて身体を跳ねさせてだ、脳天から落ちるのを防ぎ。
両足で立花の顎を狙った、しかしそれに当たる立花ではなく。
その蹴りをかわしてだ、後ろに下がった。望月は蹴りから宙返りで起き上がって立ってからそのうえで彼に問うた。
「今の技は」
「驚いたか」
「はい、はじめて見ましたが」
「山嵐といってな」
「山嵐ですか」
「柔術の技の一つでじゃ」
「あと少しで脳天から落ちました」
そうなっていたというのだ。
「まさに」
「それを狙う技じゃ」
「そして倒すのですな」
「脳天は急所の一つじゃな」
「はい」
まさにとだ、望月も答えた。
「兜を被っていましても」
「その衝撃が襲う」
「それだけに強い技ですな」
「そうじゃ、しかしこれが中々難しい」
「足を長く相手の足に置かないと」
「こうはいかぬ」
そうした技だからだというのだ。
「難しいのじゃ」
「そこは気をつけて」
「技を仕掛けよ、よいな」
「わかり申した」
「そして先程の御主の動きじゃが」
望月にだ、立花はさらに言った。
「凄いことをしたのう」
「両手で突いただけですが」
地面をだ。
「ただそれだけですが」
「いや、それがじゃ」
「容易には出来ぬと」
「そうじゃ、だからな」
それ故にというのだ。
「凄いと言ったのじゃ」
「そうでしたか」
「しかもそこでさらに蹴りを放つとはな」
立花は蹴りのことにも言及した。
「出来ぬわ」
「左様ですか」
「うむ、並以上の者ではな」
「そうであればいいですが」
「そこまで出来るとな」
まさにというのだった。
「違う、拙者も教えがいがある」
「左様ですか、では」
「拙者の全てを授けたい」
また言った。
「どんどん教えていくぞ」
「それでは」
こうしてだ、望月はさらにだった。立花から体術を教わった。修行は厳しく並の者ならば一日で動けなくなる程だった。だが。
彼は修行を受け続けていた、そしてだった。
彼は技を次から次に身に着けていった、そして幸村もだ。
彼の鍛錬に付き合っていたがここでこうも言った。
「急所はな」
「はい、立花殿にも教えて頂いていますが」
「身体の真ん中に多くな」
「そこをどう攻めるかですな」
「そうじゃ」
立花も言ってきた。
「身体の真ん中こそがじゃ」
「人の急所のですな」
「集まりじゃ」
そうした場所だというのだ。
「上から下までな」
「だからですな」
「そこをどう狙うかじゃ」
「それが体術ですな」
「うむ、例えばじゃ」
立花はここで手刀を出した、望月はそれをかわしたが。
かわしてだ、こう言った。
「今のは」
「眉間を狙った」
「若し眉間をやられていれば」
「命はなかった」
「そうでしたな」
「眉間に目と目の間、額、鼻、顎とな」
「顔だけでもですな」
「急所は多い」
その真ん中にはというのだ。
「実にな」
「そうですな」
「喉もじゃ」
立花は今度はそこを狙ったがだ、望月は今度もかわした。
「ここもじゃ」
「確かに。一撃でも受ければ」
「死ぬな」
「先程の一撃では」
「だからじゃ」
「それで、ですか」
「ここも狙うとよい」
喉もというのだ。
「わかったな」
「相手の急所を攻める」
「真ん中にあるな、そして」
「はい、真ん中にある急所は多い」
「どれか一つを狙わねばならぬというものではない」
そこは決して違うというのだ。
「無論真ん中以外にも急所はある」
「人の身体には」
「その空いている場所を狙って攻める」
「それが体術の極意ですか」
「そうじゃ」
立花は望月に確かな声で話した。
「そこを抜け目なく攻めてじゃ」
「そうして倒していくのですな」
「それが体術の極意じゃ」
「そういうことですな」
「御主の体術は確かに見事じゃ」
望月のそれはとだ、立花も認めた。
「既に一騎当千の域、しかしな」
「一騎当千以上のですな」
「域に達するにはじゃ」
「そうしたことも覚え戦う様になる」
「そうじゃ、そうしていけばな」
「さらに強くなりますか」
「拙者以上に強くなる」
その立花以上にというのだ。
「だからな、そこもわかってじゃ」
「そのうえで」
「全てを備えた時にじゃ」
まさにその時にとだ、立花は望月に話した。
「免許皆伝を授けよう、しかしな」
「免許皆伝でもですな」
「それで終わりではない」
「承知しております」
このことは最初からだとだ、望月は立花に確かな顔で答えた。そうしつつ素手で激しい組手を続けている。手足が絶え間なく動いている。
そうしつつだ、望月は立花に答えた。
「果てがありませぬな」
「そうじゃ、それは拙者が見ただけでじゃ」
「さらにですな」
「先がある」
まさにというのだ。
「強さには限りがない」
「そしてその限りのない強さを求め」
「真田殿とな」
「はい、必ずやことを為します」
「そうせよ、そして生きよ」
立花は望月にこうも告げた。
「拙者は死ぬ術なぞ教えておらぬ」
「あくまで生きる、ですな」
「そうした術を教えておる」
あくまでというのだ、ここで。
立花は望月に足払いを仕掛けた、並以上の者でも避けられないものだった。しかしその足払いをだった。
望月は紙一重でかわした、そこから立花の脳天を掌底で襲う。しかしその一撃もだ。
立花の身体をすり抜けた、そして立花は後ろに現れて言った。
「こうした様にな」
「如何なる状況でもですな」
「生きる、そしてな」
「かわすのですな」
「そうじゃ、攻めても常にじゃ」
「相手の動きを見て」
「かわすか防ぐのじゃ」
敵の攻めをというのだ。
「よいな」
「はい、わかりました」
「今拙者は見切りを使った」
「それもですな」
「御主も出来るな」
「はい」
実際に出来る、だから答えた。
「それがしも」
「ならばな」
「見切りも使い」
「そして敵の攻めをかわしてじゃ」
「生きるのですな」
「そうせよ」
確かな声での言葉だった、再び激しい組手に入っている。
「他の術もじゃが体術も攻防一体」
「常にですな」
「そうしたものでじゃ」
「その攻防を忘れずに」
「生きるのじゃ」
「そうせよ、御主なら出来る」
望月ならばというのだ。
「だからな」
「はい、では今宵も」
「修行をな」
「お願いします」
こう応えてだ、望月は立花との修行を続けていた。確かに夜に行うことが多かったが立花が暇な時は常にだった。
朝も昼も修行は行わ実質一日中であることが多かった。立花は幸村も交えて三人で飯を食うことも多かった。その中でだ。
立花は昼に修行の合間に二人と共に裏山で採った山菜や魚を鍋にしたものを食べつつだ、こんなことを言った。
「拙者はこうしたものはな」
「食されたことはですか」
「滅多にない」
こう望月に答えた。
「どうもな」
「そういえば立花殿は」
「よい暮らしばかりでのう」
生まれてからというのだ。
「いつも戦の時以外は家臣達に何でもしてもらい」
「それで、ですか」
「こうしたありあわせで作った鍋もじゃ」
そうしたものもというのだ。
「まずない」
「左様ですか」
「浪人だった頃も暮らしは辛かったが」
それでもというのだ。
「家臣達に助けてもらっておった」
「そうだったのですか」
「拙者には過ぎた者達でな」
その家臣達はというのだ。104
「いつもそうしてもらっておる」
「食も」
「今は別にしてな」
「今はどうしてでしょうか」
幸村は鍋を食べつつ立花に問うた、鍋は簡単に塩等で味付けをしている。立花が持って来た塩である。
「こうして共に食べられるのは」
「今日は昼はいらぬとな」
「そう言われて、ですか」
「ここに来た、しかしな」
笑ってだ、立花は幸村に話した。
「家臣達もな」
「立花殿が我等に修行をつけて頂いていることを」
「口では言わぬが知っておる」
「やはりそうですか」
「その相手が御主達とは知らぬ様じゃが」
それでもというのだ。
「気を利かして朝も昼もな」
「時を作られる様にですな」
「してくれておる、まことにじゃ」
立花は笑ってこうも言った。
「拙者には過ぎた者達じゃ」
「そう言われますか」
「拙者が浪人の時も世話をしてくれたしのう」
自分が言うには戦しか能のない彼にというのだ。
「まことによき者達じゃ」
「立花殿には過ぎた」
「そうした者達じゃ」
「そうですか、では」
「うむ、これからもあの者達を大事にしたい」
「そうですな、人を大事にせねば」
「全くじゃ、して真田殿じゃが」
立花は今度は幸村に言ってきた。
「拙者や他の大名と家臣への態度が違うな」
「そのことですか」
「家臣というよりは」
幸村と望月の今の距離も見て述べた。
「兄弟の様な」
「はい、実際に我等十一人義兄弟の契も結んでおります」
幸村は立花に正直に述べた。
「実際に」
「やはりそうか」
「はい、生まれた時と場所は違えどです」
「それでもか」
「死ぬ時と場所は同じだと」
「誓い合っておるのか」
「左様です」
実際にというのだ。
「そうしています」
「やはりそうか」
「我等は主従でありますが義兄弟でもあります」」
「死ぬ時と場所は同じだと誓い合ったまでの」
「そうした間柄です」
「成程のう」
「そのことは間違いありませぬ」
立花の見立て通りだというのだ。
「まさに」
「そうか、やはりな」
「ですから立花殿の言われる通りです」
「普通の主従hとは違うか」
「それと共に義兄弟であります」
「それだけ絆が強いか、そしてその絆で以てか」
「我等はことを為すつもりです」
幸村はこの決意も語った、それも強い声で。
「これからも」
「そうか、そうされよ」
「そう言って頂けますか」
「これから貴殿達と敵味方になった時は拙者も全力を尽くして戦うが」
幸村達とだ、そうするというのだ。
「しかしな」
「それでもですか」
「貴殿達の健闘、そして志が果たされることはな」
「願われますか」
「このことは敵でも思う」
例えだ、幸村達が彼にとってそうなってもというのだ。
「そうなった時もな」
「有り難きお言葉」
「そこまで強い思いがあれば拙者もそう思う、しかしな」
「しかしですな」
「貴殿達の進む道はおそらく険しい」
この見方もだ、立花は幸村と望月に話した。
「幕府につくつもりはないな」
「幕府にそれがし達の場所はないので」
「その様じゃな、どうにも」
「はい、徳川家と当家は妙に争う因縁もありますし」
このことは実は真田家が武田家の家臣であった頃からだ、とかく真田家は徳川家とは争ってきた。それも真田家が勝ってきている。
「今は浪人として九度山に入れられていますし」
「実はここにおってもな」
「はい、しかも家は兄上が継がれ」
「貴殿と家臣の者達はじゃな」
「幕府に居場所はありませぬ」
幸村達にはというのだ。
「そして実はある方とも約束がありまして」
「そのこともありか」
「それがしは誓いました」
秀次とだが彼の名前はあえて出さなかった。立花が彼とはそれ程縁が深くなかったので話に出すのもどうかと思ったし秀次のことを慮って彼の名を出すことを止めたのだ。
「ですから」
「そうか、では」
「その時には」
「では敵味方になろうともな」
「それでもですか」
「拙者は貴殿達の志が果たされることを願う」
幸村達にあらためて述べた。
「是非な、だからこそな」
「この度もですな」
「最後まで修行をさせてもらおう」
「そして六郎にですな」
「必ず免許皆伝を授ける」
そこまでの強さにするというのだ。
「拙者の免許皆伝はかなり上にあるが」
「その上のところまで」
「望月殿を引き上げでみせようぞ」
「ではそれがしも」
「共に修行をしつつか」
「それを見極めさせて頂きます」
立花に答える声は不偏のものがあった。
「拙者も」
「それは見事、して源次郎殿は書を持って来られてもおるな」
「ご存知でしたか」
「読まれている時を見た」
「実は呉子と六韜を持ってきました」
「七兵法書のうちの二つをか」
「いつも旅の時も書を読む様にしております」
「学問は忘れぬか」
「そうしてもおります」
「左様か、拙者より学んでおるな」
軍略については本多忠勝と並び称される立花もこのことには唸った、彼のその学問にも打ち込む姿を見て。
「武芸だけではなく」
「常に心掛けております」
「拙者より上だな、間違いなく」
「立花殿よりも」
「真田殿の軍略は知っておる」
立花も、というのだ。
「見事じゃ」
「左様ですか」
「しかしそれに飽き足らずさらに学ぶとは」
「それは立花殿も同じでは」
「いや、拙者は旅先でまで書を持って来て飲むなぞな」
そこまではというのだ。
「せぬ」
「だからですか」
「拙者より真田殿の方が上じゃ」
「そう言って頂けますか」
「事実そう思っておる、それにな」
「それにとは」
「貴殿の様な御仁とそな」
笑みになりだ、幸村にこうも言ったのだった。
「戦をしたいのう」
「いくさ人として」
「ははは、これは思うだけじゃがな」
「それがしをそこまで買われるとは」
「貴殿は戦にになれば必ず名を残す」
確実にとだ、立花は太鼓判を押した。
「その戦い見せてもらうぞ」
「ではその時が来たならば」
「存分に戦われるな」
「この者も含めて」
ここでも望月を見て話した。
「そうします」
「そうするか、ではその戦ぶり見せてもらうぞ」
「さすれば」
「そして死ぬでないぞ」
「その戦で」
「十一人が共に死ぬと誓ったのであろう」
「はい」
幸村はこのことについてはだ、これまでになく強く答えた。
「そうします」
「ならばじゃ」
「その戦で、ですか」
「全員が揃って死ぬ様な場でないとな」
「死ぬことはですか」
「するものではない」
「然るべき場で、ですか」
幸村も立花に応えて言った。
「共に死ぬべきですか」
「そうされよ、死ぬ時でないと思えばな」
「生きるべきですか」
「十一人でな」
「それでは」
幸村も頷いた、そして今は鍋を食べた。そうしてだった。
彼等は食べた後はまた修行に入った、立花はとかく時があればむしろ積極的に作って望月の修行を行った。
家臣達もそれがわかっていてだ、屋敷に帰って来た主に笑いながら言った。
「では風呂に入られますか」
「これより」
「うむ」
隠して言う彼等にだ、立花も笑って応えた。
「そうさせてもらう」
「はい、それでは」
「もう風呂は沸いております」
「早速お入り下さい」
「そして汗を流して下さい」
「済まぬな、いつも」
立花は家臣達にこうも言った。
「世話をかける」
「いや、それは言わぬ約束」
「それがし達は好きで殿と共におります」
「殿だからこそです」
「こうしてお仕えしているのですから」
だからだというのだ。
「そういうことはいいです」
「殿にはこれまで何かとよくしてもらってきました」
「戦の場でどれだけ助けて頂いたかわかりませぬ」
「非常に」
「ははは、拙者はいい家臣達を持ったわ」
立花は彼等の言葉を聞いてまた笑って言った。
「まことに果報者じゃ、あの御仁に負けぬ位のな」
「ああ、あの御仁ですか」
「あの御仁も壮健な方ですな」
「実に」
「そうじゃな、拙者も見習わねばならぬ」
立花はこうも言った。
「あの御仁はな」
「そう言われますか」
「殿もですか」
「その様にですか」
「うむ、実にな」
家臣達にまた言った。
「そう思う、まさにな」
「あの様にですな」
「常に己を磨き」
「そして上を目指す」
「そうされたいですか」
「そう思った」
強い声での言葉だった。
「まさにな、常に文武に励まれておる」
「そして己を高めですな」
「精進されている」
「そうなのですな」
「それを見るとな」
立花はまた言った。
「拙者もまだまだと思う、だからこそこれからはな」
「あの御仁の様にですか」
「励まれますか」
「精進されますか」
「そうしようぞ、負けていられぬ」
彼にというのだった。
「そう思った、ではな」
「はい、では風呂の後はですな」
「また、ですな」
「武芸に励まれますか」
「いや、書を読む」
そちらだというのだった。
「兵法書を読もう」
「そうされますか」
「では書もです」
「用意させて頂きます」
「その様にします」
「頼む、拙者も負けられぬ」
幸村、彼にというのだ。
「そう思った、そしてじゃ」
「思われたからにはですな」
「すぐに動かれる」
「それが殿ですな」
「動かねば何もならん」
立花の声にはこれ以上はないまでに強いものがあった。
「だからな、そうしようぞ」
「わかりました、ではです」
「書も出します」
「その書を常に読まれて下さい」
「是非共」
「これからはな」
立花は実際にこう言い修行の合間にも書を読む様になった、望月とのそれの間にもだ。それは幸村を見てのことだった。
そして幸村もその立花を見てだ、彼に問うた。
「書を読まれるのは」
「うむ、貴殿を見てな」
立花は微笑んでその幸村に答えた、修行の休憩の時に書を読みつつだ。読んでいるのは平家物語だった。
「拙者も負けていられぬと思ってな」
「だからですか」
「書を読む様にした」
休憩の時にというのだ。
「この様にな」
「そうなのですか」
「負けられぬ」
立花は笑って幸村に話した。
「その励みを見ればじゃ」
「それがしの」
「修行の間も学問に励みさらに上を目指すな」
「それをですか」
「見て感じた、だからじゃ」
それ故にというのだ。
「拙者もこうして書を読んでいく」
「左様ですか」
「そして貴殿と戦の場で会うことになれば」
「その時はですか」
「貴殿に負けぬ戦ぶりを見せる」
幸村に対してもというのだ。
「武士として恥じぬ戦ぶりを見せたくなった」
「それがしの様な者に対して」
「何を言う、貴殿程の者は二人とおらぬ」
幸村自身に言うのだった。
「だからな」
「それで、ですか」
「拙者も御主の様に励むことにした」
「そして戦になれば」
「御主と会っても引けを取らぬ戦をしようぞ」
「わかりました、ではその時はそれがしもです」
幸村は立花、自身にその心を見せた彼に畏まりそのうえで正対して応えた。今二人は心でも向かい合っていた。
「その全てで以て」
「戦ってくれるか」
「恥のない様にします」
「うむ、ではな」
「戦になれば」
「共に引けを取らぬ戦をしようぞ」
「そうしましょうぞ」
二人で誓い合うのだった、互いに次に戦があれば敵味方に別れることがわかっていてもだ。彼等は漢として誓い合った。
巻ノ九十二 完
2017・1・25